介護保険制度のゆくえ:ケアマネジャーの独立を!

欠陥だらけの年金記録問題や後期高齢者医療制度、医療費を更にメタボにさせるメタボ健診など、厚労省のやることなすこと国民不在の制度ばかりですが、来年、報酬改正が予定されている介護保険制度は、利用者も介護スタッフも満足しないまま費用だけが膨れ上がり、いまや第二の「医療費亡国論」の道まっしぐらです。このまま厚労省が、介護スタッフの善意につけ込み、劣悪な労働条件を強い、また、利用者が必要十分なサービスを受けることができない状況が続けば、近い将来、重大なトラブルが起こるやもしれません。

客観的に考えればあまりにも不合理であるのに、ケアマネジャーの多くが独立した中立の立場でケアプランを作成していません。介護サービス事業所に所属するケアマネジャーは、所属事業所のために1点でも多くの報酬を得ることを最優先に、ケアプランの作成を迫られます。結果的に、介護サービスは適正配分されず、本当に困っている利用者のもとにサービスが行き届かない事態が生じるのです。

介護保険制度を見直すに当たって、まず一番に着手しなければならない点は、ケアマネジャーの独立です。ケアプランを作成する居宅介護支援事業所が、ケアプラン作成だけで運営が成り立たなければ、そもそも話は始まらないのです。介護保険制度による介護サービスは、ケアプランがすべてと言っても過言ではありません。一人暮らしの高齢者の方の生活の質の向上、あるいは介護する家族の負担軽減など、人間の尊厳にかかわるとても重要でデリケートな部分に触れる介護サービスは、利用者も介護する側も時には妥協を余儀なくされ、それだけにケアプランは綿密に練りに練られたものでなければなりません。しかし現状は、サービスを提供する事業者の金儲けが最優先され、ケアマネジャーとしての正義や職業倫理は、多くの場合、置き去りにされているのです。

厚労省は、来年介護報酬を改正する予定ですが、上乗せサービスや横だしサービスを含む介護保険の限度枠を超えるサービスを必要とするケースについては、全額利用者負担(自費)という「混合介護」を導入しようとしています。この場合、ケアプランそのものは従来通りケアマネジャーが作成しますから、益々サービス事業者に高い利益をもたらすような業者本位のケアプランが作成されることは、今から既に明白です。

財務省は、第二の「医療費亡国論」まっしぐらの介護保険制度に歯止めをかけるため、「要介護2までを介護保険から除外する」「要介護2までの生活援助を介護保険から除外する」「要支援~要介護2までの自己負担を2割にする」の3案を、厚労省に提案しています。必ずしも要介護度と利用者の実態とが比例していない現状で、一律にサービスを排除することは、一方的に利用者に不利益をもたらしかねません。

更に、規制改革会議は、ケアマネジャーの報酬に自費の上乗せを認めるよう提言していますが、介護保険制度の本来の趣旨からすると本末転倒です。利用者の財力がサービスの質を左右しかねない上に、不当に高くサービスが売買される可能性もあるからです。

年金問題も重要ですが、このまま放っておくと介護保険制度も荒廃してしまいます。介護を必要とされる方の尊厳が保たれ、可能な限り心身ともに質の高い日常生活を送ることができるよう、必要十分な介護サービスを適正に配分することができなければ、介護保険制度の意義はありません。40歳以上の国民から強制的に介護保険料を天引きしておきながら、介護保険制度は今や崩壊寸前。厚労省の机上の空論では、利用者にとっても現場スタッフにとっても、とんちんかんな制度にしかなりません。

介護報酬の見直しの前に、まずはケアマネジャーの中立性を確保して、適正なケアプランが作成される環境をつくることが先決です。平成18年度介護保険、市町村の内部留保、所謂基金積立金は552億円でした。独立した立場のケアマネジャーが、利用者本位のケアプランを作成し、グループホームや小規模多機能施設など地域密着型サービスを提供する事業所の経営が成り立つよう、適正な保険料と利用者負担を再考するためには、介護保険制度を厚労省がコントロールすること自体を、見直さなければならないのです。

こんにち、2000年の介護保険導入当時、懸念された通りの事態に陥っています。人間の尊厳にかかわる介護の分野は、民間企業の市場原理を導入するには、あまりにも無理があるのです。以前のように、行政が責任を持って、地域の高齢者を支える仕組みが基本になければ、社会的弱者である高齢者の尊厳は確保されません。民主党は、補助金を廃止し一括交付金として、地方自治体に裁量を持たせることを主張しています。自治体の創意工夫により、地域のニーズに即した形で介護制度を進化させて、結果的に介護の質の向上をはかることが重要です。

介護保険の認定者の80%以上が、後期高齢者の方々です。高齢者医療と一体となった新しい医療・介護体制を、これからは構築していかなければならないのです。国が定めるチェック項目によって、要介護度を一律に振り分ける現在のやり方は、手足の機能だけ見て人を見ず、です。その人を取り巻く様々な環境にも配慮し、最後まで尊厳を失わない生き方ができるよう日常生活をサポートすることが、介護の本質であるはずです。厚労省の役人の机上の空論や、弱肉強食主義の規制改革会議の提案などは、愚の骨頂です。

722名もの国会議員がいるにもかかわらず、介護保険制度はまともに議論されていません。国民は常に、政府が持ち込む制度に翻弄させられっぱなしです。今度の総選挙では、必ず政権交代を果たし、しがらみのない民主党が、役所の横暴にメスを入れ、真に国民主体の法整備が実行されるような仕組みをつくらなければ、日本に未来はありません。生活にまったく不安のない「超セレブ」の麻生総理にとって、年金制度も、後期高齢者医療制度も介護保険制度も、まったく関係のない、無関心な分野でしょう。麻生総理率いる自民党に投票しても、役所はまったく変わりません。変わらないどころか、この先も、輪をかけてやりたい放題が続くでしょう。

私たち国民の1票でしか、政治を変えることはできません。すなわち、私たち国民の1票が、霞ヶ関の横暴をストップさせる唯一無二の手段なのです。来るべき総選挙では、すべての有権者のみなさんの意志ある1票を、私は心から期待します。
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