茨城県医師会長・原中勝征氏「民主党マニフェストは80点!」

茨城県医師会は、今回の総選挙で、あえて民主党支援を強力に打ち出しました。茨城県医師会長である原中勝征氏は、民主党マニフェストに対して「80点をあげてもいい」と、非常に高い評価をくだされました。栃木県医師会などでも民主党候補を推薦する動きが見られ、これまでの自民党の特に医療・社会保障政策への医療従事者からの不満が、ここへきて一気に噴出してきています。当然です。

医師会「地方の乱」他県に拡大(asahi.com)

民主党の医療政策マニフェストには、

・地域の保健師を増やして、健康啓発活動の一層の普及をはかる。

・新薬などの製造・輸入の承認過程の審議をオープンにする。

・医師以外のコメディカルスタッフの職能拡大と増員をはかり、医療事故を防止し、患者さんとのコミュニケーションの向上をはかる。

・助産師業務の見直しをはかり、共同体制を促進する。

・漢方・ハーブ療法・食餌療法・マッサージ・音楽療法など、相補・代替医療について科学的根拠を確立し、専門的医療従事者の養成をはかる。

など、注目すべき画期的な表現がいくつもあります。

ドクターヘリの強化にも言及しています。私は更に踏み込んで、羽田をはじめとする各地の空港の中に「ドクターヘリ基地」を設置して、救急医療の飛躍的向上を国家ビジョンの一つとしてとらえ、日本は救急医療先進国として世界のモデル地域になることを目指すべきではないかと考えています。

これまでのような「病気をつくる」医療から、必要なとき必要十分な医療を享受できるあるいは提供できる社会に転換していかなければ、憲法で保障された健康で文化的な生活は、結局いつまでたっても実現しません。

医師に偏重した医療から、医師をとりまくコメディカルの職能発揮とその自立を促進することが、患者利益の観点からも重要です。

民主党は、診療報酬を細かく見直しをして、患者さんの負担増にたよらない医療機関の経営向上をはかります。民主党は、既得権益の枠にとらわれない、公正で踏み込んだ発想の転換によって、医療の未来を拓きます。

民主党医療政策マニフェスト(PDF版)

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新たな病ビジネス:まやかし「メタボ健診」2

過日はたともこブログで、「新たな病ビジネス:まやかし「メタボ健診」というタイトルで、私見を述べました。今日の産経新聞に、同趣旨の記事がありましたので紹介します。

「メタボ診断に疑問続出の理由」2008.10.3産経新聞朝刊・正論

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「後期高齢者医療制度」:10月15日から、新たな年金天引きが!

2005年の郵政解散総選挙の直後に発足した第3次小泉内閣は、衆議院で与党が2/3以上の議席を獲得した勢いに乗り、初当選した小泉チルドレンと称される人々のお祭り騒ぎでメディアをにぎわす中、あろうことか当の与党議員もその本質を知らぬままに、天下の悪法「後期高齢者医療制度」を成立させました。「小泉マジック」とは、まさにこのことを指すのであって、国民が支持した小泉政権は、実はそれに乗じて、国民を欺いていたのです。

65歳~74歳の障がいのある人を含めると、この制度の対象者は1,300万人です。政府の一方的な通告により、本年4月から、75歳以上の方々が、従来の保険から後期高齢者医療制度に強制的に移行させられ、保険料を年金天引きされるようになりました。何よりも保険料の「年金天引き」は、高齢者に大きなショックを与えました。特にギリギリの年金生活を送られている方々にとっては、事実上の年金削減、弱い者いじめもここまでくると虐待といっても過言ではありません。

厚労省の前で座り込みをしたり街頭で訴えたりと、政府への不満をあらわにする75歳以上の方々の姿を、今でもよく見かけます。2006年当時、人気に乗じて国民を騙すようなやり方をした政府は、恥を知るべきです。また、この法律の内容をよく知らなかったとコメントした与党議員は、議員の資格がありませんから辞職するのが当然です。

制度そのものの問題もさることながら、年金天引きというやり方は、弱い者いじめ以外の何ものでもありません。本制度で、4月からの保険料天引きが見送られた方々は、来月10月15日から天引きが開始されます。「会社員の被扶養者200万人」「4月からの天引きが間に合わなかった31自治体90万人」「健保組合などに加入する会社員本人35万人」と「65歳~74歳の前期高齢者の国保加入者250万人」、合わせて575万人の方々が、10月15日から年金天引きが始まるのです。政府は、この間の制度の廃止を求める国民の声の拡大をまったく無視して、新たな年金天引きを強行しようとしています。

平成18年度の70歳以上の医療費は、約14兆円でした。34兆円にのぼる医療費全体の、なんと4割以上です。医療費を沢山使う当事者に負担させようという後期高齢者医療制度は、事態の抜本的改革にはまったくなりません。一方で厚労省は、医療費増大の要因は、高価な薬や医療機器による「新しい治療手段」と言ってはばかりません。厚労省は、高齢化は医療費増の要因ではないとし、先進7カ国の中で、最も高齢化率の高い日本の医療費は、GDP比で見ると先進7カ国の中で最も少ないとも主張し、このままいくと2025年には倍増が予想される医療費を、決して高くはないと主張しています。

すなわち、厚労省は、年々増大する医療費をこのまま野放図にして、その分の負担は国民に押し付けると言っているに等しいのです。野放図にするどころか、あらたにメタボ健診を導入したのですから、医療費は予測をはるかに超えて膨れ上がり、2025年、国民の医療費負担はいったいいくらになるのか?空恐ろしくてなりません。

あえて諸外国と比較するなら、日本の医療費で目立つのは、薬剤費の占める割合が高いことです。先発医薬品の薬価は高く、ジェネリック医薬品が浸透してきたとはいえ、医療費全体に占める薬剤費の割合は約25%です。中でも高血圧疾患に用いられる薬剤費の割合が最も高く、1兆円規模の市場です。血圧の数値だけ見て体全体を診ず・・・多くの高齢者に降圧剤が処方されているのです。過日レポートした通り、新たに始まったメタボ健診によって、降圧剤は1兆円増・コレステロールを下げる薬は2兆円増と予測されており、医療費増大の大きな要因に薬剤費があげられることは、もはや否定できません。

対GDP比を諸外国と比較し、医療費はもっと膨らんでも当然と豪語してはばからない厚労省による医療行政は、あきらかに製薬会社に偏重しています。覚えきれない数の薬を毎日飲まされるご高齢の患者さんに遭遇する度に、薬剤師としての職業倫理から胸が痛みます。病状(体調)は良くなるばかりか一向に変化しないのに、漫然と与えられるがままに服用を迫られる患者・・・このまま看過して良いはずがありません。

遡れば漢の時代、皇帝は的確な診断と治療を施し病気を治す医者に、高い報奨金と名誉を与えました。翻って現在の日本の医療はどうでしょうか?今の医療に最も欠けているのは、適正な医療が行われたか否かを監査するという視点です。不適切に薬剤を処方していても、それをジャッジする担当者は当の患者を目の前にすることはできないので、レセプトに記載されている病名を信用するしかありません。病歴・病態について正確に把握することが不可能なので、長期間漫然と同じ薬が処方されていたり、むしろ病状が悪化しているケースがあったとしても、チェックしようがないのです。

将来的には、医療保険は、都道府県単位で一元化することがベストです。各自治体の裁量で医療費の適正化をはかるのです。選挙で選ばれた知事と住民自身の手で、しかるべき方法で公正なチェックをして、薬の使いすぎを直ちに指摘する仕組みが必要かもしれません。予算執行者である自治体に任せなければ、真のレセプトチェックは不可能です。

直面する課題である、産科・小児科・外科の医師不足に対して、単純に医師の数を増やすことだけをしても、問題は解決しません。新たな医師が、比較的楽な診療に偏在してしまっては、医療費だけが膨れ上がり本末転倒です。医師を増員するコストについても、新たに予算を組むのではなく、現状の医療費の組み換えによって捻出すべきです。そして、産科・小児科・外科の勤務医の処遇を厚くすることによって、これらの診療科の医師を確保していかなければならないのです。医療費は膨れ上がっているのに、何故、産科では医療を受けられる機会が激減し、小児科・外科では医師の数が減っているのでしょうか。医療費に占める高い薬剤費、中でも高血圧やコレステロールの薬など内科開業医が主に処方する薬の割合が多いことは、医療偏重の大きな要因になっています。勿論、検査づけも重要な問題です。このように、結果的に製薬会社や医療機器会社に偏重した予算を、国民本位に組み替えなければならないのです。

75歳以上の方々をターゲットにして、あらたに保険料収入を得ようとする「後期高齢者医療制度」は、天下の悪法です。それを見抜けなかった与党議員は、職務怠慢です。麻生太郎自民党幹事長は、社会保障費の伸びを年2,200億円抑制するという政府の方針を、凍結すると日本医師会に約束したそうです。新型インフルエンザに効果が期待できないタミフルの備蓄に2,000億円かけたり、新たな病気をつくり数兆円市場と言われるメタボ健診を導入したり、予防介護と称して筋トレマシーンを介護施設に導入したり、厚労省のやることなすことすべてが、業界との癒着です。いったい、誰のための行政であり政治なんでしょう!!

 医療費の適正配分をはかるために、まずは医療費の中身を精査することが必要です。医療費そのものがいまやメタボリックシンドロームなのですから、真っ先に「メタボ健診」をすべきは、医療費なのです。製薬会社や医療機器会社のために国民にしわ寄せが来る厚生行政は、即刻やめなければなりません。すなわち、政権交代です。自民党の総裁の顔が変わっても、自民党の中身は変わりません。政権交代だけが、たとえば厚労省ひとつとってみても、霞ヶ関の横暴を止めさせる、唯一無二の手段なのです。

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新たな病ビジネス:まやかし「メタボ健診」

お腹のまわり、気になりますよね。ビールや脂っこいものを控えなきゃ、そう思っている中高年の皆さん、流行の「メタボ健診」にだまされないでくださいね。動物性脂肪とコレステロールの多い卵などの摂取を減らし、リノール酸の多い植物油を増やすと、血清コレステロール値は下がり、動脈硬化や心疾患を予防できるという「コレステロール仮説」が、欧米の研究者の間では、もはや過去の神話になってきているのです。

例えば、長期追跡の結果、卵を1日に1~3個食べる人よりも4個食べる人のほうが、コレステロール値が低いことが、2000年米国で報告されています。体内にあるコレステロールは、3割を食物から、残りの7割は体内で合成されますが、コレステロールを多く摂取すると、体内でコレステロールの合成を抑える機能が働くのです。

また、短期間では、紅花油を使用したほうがバターを使用した場合よりもコレステロール値は下がりましたが、米国で大規模に行われた数年にわたる追跡調査の結果、紅花油(リノール酸)であろうがバターであろうが、コレステロール値に大差がないことが判明しました。また、「リノール酸」を積極的に摂取するよう栄養指導を受けた群ほど、心疾患のリスクが高いことがわかり、更に、コレステロール値が高いほうが、心臓病の罹患率が低いことも判明しました。

今では、リノール酸(ω6)を減らしα‐リノレン酸(ω3)を増やして、ω6/ω3の比率を低くすることが、心疾患の予防につながることがわかっています。すなわち、コレステロール値と心臓病とは、まったく関係ないということです。むしろ、コレステロール値の高い人のほうが、心臓病はもとよりガン罹患率も総死亡率も低く、長生きすることが、欧米で認められるようになりました。総コレステロール値に高い相関関係のある悪玉コレステロール(LDL)を、「悪玉」と呼ぶ理由がなくなったのです。バブルの頃から盛んに行われてきた、薬剤によりコレステロール値を下げようとする「コレステロール医療」は、もはや過去の神話と化しているのです。

金城学院大学薬学部・予防薬食学・「脂質栄養」オープンリサーチセンター奥山治美教授は、摂取油脂のω6/ω3比(n‐6/n‐3比)を低く保ち、有害因子を含む食用油の摂取を減らすことが、動脈硬化、癌、アレルギー症、精神神経症を予防する有効な手段であると明言しています。このように、国内外での長期追跡調査の結果、コレステロール医療が神話化しつつあるのに、厚労省は、これらの研究発表を無視して、なんと本年、「メタボ健診」の義務づけという強硬手段に打って出たのです。

2008年4月から健康保険組合などに義務づけられた特定健康診査いわゆる「メタボ健診」は、検査が重複する人や既に加療中の人を除き、40歳から74歳までのすべての人を対象とし、ウエストサイズの基準値を設けたことで注目を集めたことからもわかるように、内臓脂肪すなわちコレステロールに重きを置いた健診です。2008年9月14日の読売新聞朝刊では、体内でのコレステロールの合成を抑制する「HMG-CoA還元酵素阻害薬」(~日本でも多くの人が飲まされています。リピトール・リバロ・リポバス・セルタ・メバロチン・ローコール・クレストールetc思い当たる人は多いのでは?)を、ノーベル賞級の薬と大絶賛し、メタボ健診の普及によりこれらの薬剤の使用が更に広がると示唆しています。記事は、当該薬剤は、LDL値を25~35%下げる。LDL値を40下げると冠動脈疾患による死亡率が19%減ると、医学誌ランセットからも引用しています。

メタボ健診には、当然コストがかかります。国・市町村・健保組合が1:1:1の割合で負担することが決まっていますが、何故か国は、総費用の予測をあえて隠し、市町村にも試算する必要はないとし、必要なら交付金を国に要求するよう進言しています。意味不明です。メタボ健診の項目である中性脂肪やコレステロール・血糖値・肝機能を調べるには、血液検査が必要です。医師の判断で、心電図・眼底検査・貧血の検査が実施されれば、更に費用は嵩みます。厚生労働省は、メタボ健診のコレステロールの測定に、LDL値を採用しています。しかし、これは先に述べたように、奥山治美先生らの研究結果と相矛盾します。すなわち、厚労省は、LDL値が高い方が、むしろ心疾患リスクが低いとされる最新の報告を無視し、LDL値に固執し、結果的に先に商品名をあげた薬剤の使用を促進しようとしているのです。そうです、言うまでもありません。メタボ健診は厚労省とその天下り先である製薬会社、更に健診を請け負う開業医との癒着が生んだ、新しい「病ビジネス」なのです。

嘘で塗り固められたメタボ健診の大義名分のもと、医療費は更に膨むことが確実です。メタボ健診によって、新たに病気がつくられるからです。内臓脂肪の蓄積を判断するために、男性85cm女性90cmのウエストサイズの基準値が設けられているのですが、内臓脂肪の蓄積は、男性85cm女性90cmという一律の基準で、推し量れるものなのでしょうか?それこそ身長も体型も人それぞれなのに、笑うしかありません。更に言えば、やせ過ぎも代謝異常すなわちメタボリックシンドロームの1つです。しかし、メタボ健診は、太りすぎだけを対象とし、やせ過ぎを無視しています。いかに、厚労省の建前がまやかしであるかが、よくわかります。

少年の異常行動とタミフルの服用との因果関係を主張する浜六郎医師の言葉を借りると、メタボ健診は、仕掛け人にとって、「こたえられない病ビジネス」です。40歳~74歳の2/3の3,600万人が受診勧奨者となり、初診料と生活習慣管理費だけで年間5~6兆円の医療費が試算されています。降圧剤だけでも2兆円増、先のコレステロールの薬は1兆円増と見込まれています。厚労省は、いったい何を考えているのでしょうか?タガがはずれきった厚労省は、まさに日本のガンとしか言いようがありません。

メタボ健診を拒否したからといって、国民にペナルティはありません。病気街道まっしぐらの道を選ぶのか、暴飲暴食をやめ適度な運動を継続する自主自立の道を選ぶのか、選択権は国民にあるのです。一人一人の、賢い選択を期待します。しかし、一見悪事に見えないメタボ健診は、多くの国民を惑わすでしょう。後期高齢者医療制度も、厚労省の筋の通らない横暴でした。厚労省のやることに、ろくなことはありません。厚労省ひとつとってみても、霞ヶ関の解体は急務です。何が何でも来るべき総選挙では、民主党が政権をとり、しがらみのない立場で、霞ヶ関にメスを入れなければならないのです。リーマンやメレルリンチは、「つぶれちゃったあ!?」で済むけれど(すまないけれど)、厚労省の横暴によって日本の医療が崩壊し、日本という国家の財政が破綻してしまったら、私たち国民は、いったいどうなってしまうのでしょうか・・・・・。
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「死亡時画像病理診断(Ai)」死因究明~最期の人権

時津風部屋の力士が、リンチされ死亡した事件は、いまだ記憶に新しい。この事件では、明らかな不審死であるにもかかわらず、遺族の申し出がなかったら解剖には至らず、真実は解明されていなかった。それどころか、当初は、当時の時津風親方と警察によって、遺体は遺族に対面する前に火葬され、証拠隠滅がはかられようとしていたのだ。間一髪で行政解剖が行われ、親方と兄弟子によるリンチが死因であることが究明され、その結果加害者は起訴された。

 現在の日本では、監察医制度が機能していると言える東京23区を除いては、異常死にかかわる解剖は、ほとんど行われていない。この事実は、監察医制度が機能している地域を除いては、異常死であっても、死因が正確には究明されないケースが大半を占めていることを意味する。解剖医の不足がその主因とされるが、それはすなわち、天下り先として魅力を感じることのない、つまりビジネスにならないこの分野に、霞が関の役人の力が入らないという、行政の重大な欠陥をもあらわしている。

更に、手続きの煩雑さのため、解剖にもちこむことを敬遠する臨床医も多く、そんな医師の怠慢が解剖そのものを衰退させ、正しい死因の究明を阻害していることにもつながっている。生きている人間の治療に関心はあっても、亡くなった人にまで労力を費やすことには否定的な医師が少なからず存在する以上、死んだ途端に人間は、尊厳あるものとして扱われなくなってしまうのだ。医師が診ているのは患者という人間ではなく、目の前にある病巣だけなのではないかと指摘されても、仕方がない。

正しく死因が究明されない社会の実態を、私たちは看過することはできない。正しい死因の究明は、人間の尊厳の一部を保障するものでもあり、公衆衛生上も極めて重要なファクターである。まかり間違っても、この世の中で殺人事件が見逃されるようなことがあってはならず、法治国家たる日本の、それが社会正義だ。

そこで、病理医であり作家の海堂尊氏は、死亡時の正確な状況を把握する手段の一つとして、死亡時画像病理診断=Ai(Autopsy Imaging)を提唱した。解剖できないのならせめて、遺体のCTやMRIを撮ることによって、死亡時、特に異常死における客観的な情報を残すためのあらたな制度を義務づけようというものだ。

明らかに有意な情報すなわち証拠の1つとなり得るAiは、解剖ができない場合、異常死のみならず、医療行為の最終監査の役割も担うものとなる。何事も第三者による評価がつきまとう世の中にあって、医師だけが医療行為に対する監査を免れる権利はどこにもない。死因を究明する上で、解剖にまさる「証拠」はない。しかし、すべての死においての解剖が不可能である以上、Aiを導入することは、次善の策として他に変わるものがない。カルテよりも、Aiが真実を語ることもある。

近年、医療ミスを扱う裁判が急増しているが、Aiは、遺族だけではなく医療従事者にとっても有益な証拠となり得る。正しい死因を究明されては困る医師がもし仮に存在するのだとしたら、それは明らかに医師としての社会正義にもとる行為だ。専門職の医師のもとに、患者は医師の言いなりになる必要は決してないし、そこには医療行為における客観的事実のみが存在するのだ。解剖がなされないなら、Aiがそれを語る。

死亡時Aiの導入は、理論上そんなに難しいことではない。CTやMRIを撮影するマンパワーとその設備投資にコストがかかるが、この先の10年間の59兆円もの道路計画を考えれば、比較にならないほど軽微であるし、凶悪犯罪の横行や医療裁判の増加を考えれば、Aiの導入は、法治国家として必要な整備だ。

本年3月、腰の重い厚生労働省の背中を押す形で、日本医師会が死因究明にAiを導入することに前向きな姿勢を明確にした。「(虐待を考慮し)幼児の死亡すべてにAiを義務付け、更に大人に拡大していく」と提案している。また、正しく死因が究明されれば、診療行為に関連した異常死における医師の責任も、おのずと明らかになってくる。その診療行為が現在の医学に照らし合わせて非難されるべきか否かは、そこで初めて社会が客観的に判断する。

人生の最期である死が、正しく判定されない社会は健全とは言えない。「死人に口なし」だからこそ、今私たちは、最善がダメなら次善の策を望まなければならない。国民が日頃から健康に気を遣い、例えば開業医が患者をつくらず、厚生労働省が天下り先としての製薬会社を優遇することをしなければ、医療費は自然と抑制できる。後期高齢者医療制度などという愚行よりも、死亡時Aiの制度化に精力を注ぐことのほうが、より国民に利益をもたらす。この国の厚生行政をつかさどる官僚の資質が、いま問われている。

(参考)

http://www.cabrain.net/news/article/newsId/15328.html

http://plaza.umin.ac.jp/~ai-ai/

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国が控訴したC型肝炎訴訟 6月28日

国敗訴の判決が下されたC型肝炎集団訴訟に対して、国は今日、判決を不服として控訴した。国の全面敗訴が確定したB型肝炎訴訟の最高裁判決の直後でもあり、国は控訴しないのではないかと期待もされていたが、案の定、国の対応は誠意の感じられるものではなかった。当時、明らかにC型肝炎のリスクを知りながら放置した張本人は、他ならぬ厚労省だ。厚労省には、薬害を二度と繰り返さないという決意が、まったく感じられない。

「当時、妊婦の命を救うためには必要な薬だった。」と断定し、治療上の効果がリスクを上回っていたとする厚労省の主張は、極めて危険な解釈だ。即ち、「ベネフィットがリスクを上回る」との見解が、今後もオールマイティに利用される可能性を示唆するからだ。将来、エンブレルなどの米国産ウシ由来原料をいまだに使用する医薬品に「薬害BSE」が発生しても、国は「ベネフィットがリスクを上回ると判断した」と、意地をはり続けるつもりなのだ。とんでもないことだ。

そもそも、問題の「フィブリノゲン」を投与する際、医師は患者に対して、C型肝炎に感染するリスクを十分に説明していたかどうかは非常に疑問だ。十分な説明がなされぬまま投与されていたのであれば、監督責任を負う厚労省すなわち国がその責任を負うことは避けられない。例えば、現在「エンブレル」を投与されている患者のすべてが、BSEリスクを十分に認識していると断言できるだろうか。将来、不幸にも薬害が発生した場合、厚労省は「治療上の効果がリスクを上回ると判断した」と、必ず主張するに決まっている。この言葉を切り札に、いかなる場合にも厚労省は、意地を張り通すつもりなのだ。

患者に過酷な治療を強いて最悪の場合はガンを誘発してしまいかねないリスクを、医師が患者の立場に立って十分に認識していたなら、実際には、治療上の効果が殆どないとされる「フィブリノゲン」を、その場で医師は投与していただろうか。結局は、医師自身の認識が甘く、一種の「惰性」で「フィブリノゲン」を投与してしまっていたことが最大の問題なのだ。

最後の砦である処方医が、十分にリスクコントロールができなかった薬害C型肝炎は、「ベネフィットがリスクを上回る」と断言できるものでは、決してないのだ。ただ、当時の「フィブリノゲン」の添付文書に、患者に対するリスクの説明責任が明記されていなかった以上、処方医の刑事責任や賠償責任は問えない。従って、リスクコントロールを十分になし得なかった製薬会社と厚労省とに、すべての責任があるのだ。

薬害被害者の苦しみに、少しでも心を寄せる気持ちが厚労省にあるのならば、控訴という形にはならなかったはずだ。製薬会社のための厚労省なのか、国民の健康を守るための厚労省なのか、つくづく考えさせられる今日の「控訴」なのだ。
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薬害こそ官僚政治の最たるものだ 6月18日

2003年12月に、日本でも販売が開始された抗菌剤「ケテック」が、米国で大きな波紋を呼んでいる。「ケテック」の販売が開始されて以降、米国では2年間で110件もの肝障害が報告されている。うち4名は死亡が確認され、「ケテック」を承認したFDA(米食品医薬品局)に批判の矛先が向けられ、とうとう公聴会が開催される見通しとなったのだ。

2001年誕生した「ケテック」は、当初から肝臓に及ぼす副作用が懸念され、承認が見送られるというアクシデントに見舞われていた。開発したフランスのサノフィ・アベンティス社は、独自に安全性を確認する臨床試験を行い、その結果、日本では2003年、米国では2004年に承認、販売が開始されたのだが、実は、この臨床試験に重大な問題があったのだ。サフィノ・アベンティス社は、臨床試験の報告書に副作用を過少に報告、即ち記録を誤魔化し虚偽のデータを記載していたのだ。臨床試験にかかわった医師は、2003年、詐欺罪により実刑判決を受けている。

これらの事実を認識した上で「ケテック」を承認・販売許可した厚労省やFDAに、落ち度がなかったとは到底言い難い。厚労省もFDAも、そしりを免れるものではない。耐性菌の発現を忌避する狙いはあっても、他に類を見ない効能が期待されるほどの医薬品でもないのに、リスクの高い「ケテック」を承認するメリットが、いったいどこにあったのか。患者利益とは別の、官業にまたがる利権の構図が疑われても仕方がない。

米国では、公聴会という異例の措置がとられることとなったが、日本国内でも「ケテック」は2004年に約20件の副作用が報告されている。同年11月厚労省は、サフィノ・アベンティス社と販売元のアステラス製薬とに注意を喚起すべく添付文書の改訂を通知しているが、製造・販売元を指導するだけでは、事故の未然防止にはつながらない。「ケテック」が私たちにとって本当に必要十分な医薬品であるのかどうか、厚労省は、科学的なエビデンスのもとあらためて公正に審査・検討する必要があるのではないか。

ジェネリック医薬品が徐々に市民権を得る中、大手製薬メーカーは新薬の開発にしのぎを削る。その結果、私たちにとって本当は不必要かもしれない医薬品が上梓されるばかりでなく、「ケテック」や「エンブレル」のように、十分な安全性の科学的根拠のないまま患者に投与される医薬品が、今後も少なからず流通する可能性を完全には否定できない。独創性のある新薬の薬価は、高額だ。発売後数年間で、莫大な利益を挙げたい製薬メーカーが、当然、ネガティブファクターを可能な限り隠し通したいと考えることは十分に予測される。だからこそ、新薬の安全を確保するためには、厚労省やFDAが、開発メーカーの資料に頼らない独自の審査体制を構築していくことが求められるのだ。

今月16日、原告の完全勝訴となった「B型肝炎訴訟」は、提訴から17年もかかったことを除いては、当時の厚生省の不作為を認めるに十分な判決だった。21日に判決が言い渡される「薬害C型肝炎集団訴訟」では、旧ミドリ十字(現三菱ウェルファーマ)が加熱フィブリノゲンによる肝炎発症例を少なく報告し、当時の厚生省が、ミドリ十字のこの報告を極めて信頼性の高いものだと評価していたことが判明している。即ち、医薬品の安全性や副作用情報については、当時もそして現在も、製薬メーカーが提出する資料を厚労省は丸のみしているということなのだ。それが薬害や重大な副作用をもたらす大きな要因であり、特に、新薬を承認する際の最大の問題点となっているのだ。

天下り先である製薬メーカーが承認申請する新薬に対して、厚労省が独立した立場で公正に審査することなど、常識的に考えてもできるはずがないのだ。厚労省から製薬メーカーへの天下りを完全に断ち切らない限り、医薬品を公正に審査することは不可能だ。数ある役所の中でも、製薬メーカーに天下る厚労省の天下りほど、国民に不利益をもたらすものはない。医薬品は、人間の命をも左右する両刃の剣だ。どんなに画期的な効能が期待されても、同時に重大な副作用を伴うものであれば、その承認には慎重に慎重を重ねることが必要だ。「エンブレル」がそうであるように、重大な副作用の可能性があっても、製薬メーカーの提出資料のみに頼り、科学的エビデンスのないまま、いわばメーカーの言いなりになって販売を許可した薬事審議会の対応は、過去の過ちをまったく教訓としない厚労省の姿勢の現われなのだ。

日本にとって最も重要なことは、国民に重大な被害を与えても決して過ちを認めようとしない官僚政治からの脱却だ。天下りの禁止にまったく手も足も出なかった小泉政権に、「改革」を語る資格などそもそもありはしないのだ。官僚と対等に議論できるだけの能力を備えた「国会」でなければ、真の改革は断行できない。互いに癒着して共存するのではなく、名実共に三権が分立して、国家社会の再構築に取り組まなければ、この国に未来はない。

そのための第一歩が、政権交代なのだ。
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医食同源 5月14日

90年代のバブルの頃には、連日連夜の暴飲暴食が引き金となった生活習慣病やその予備軍の人々で、病院の待合室は混み合った。食事療法が出来ないことが前提にされ、基準値よりもちょっぴり高いだけで投薬され、生活習慣病用薬は飛ぶように処方されていった。中でもコレステロール値が高いと心筋梗塞の恐れがあるとして、治療というよりもむしろ予防を強調した抗コレステロール薬の投薬が日常的に行われ、結果、都心の一等地に製薬会社の立派なビルが建ったことはいまだに語り草だ。

単独で服用している限り大きな副作用の心配のないコレステロールの薬は、製薬会社にとっても医療機関にとってもいわばドル箱だ。バブル当時は、景気の良い企業は社員の健康診断にも積極的で、健康診断という正当な儀式を通して、患者が量産されていたとも言える異常事態に陥っていた。そんな時代を経て、気が付けば日本の医療費は莫大な金額に膨れ上がり、日本の財政の今や足を引っ張る有様だ。最近になってようやく、人間ドックで行われる一部の検査について、その有用性が議論されるようになり、厚労省はメタボリックシンドローム(不健康な生活習慣による内臓脂肪型肥満に加え、血中脂質・血圧・血糖が高い状態)に着目した健康診断の見直しを始めている。患者にとっても負担のかかる、本当は意味のない不必要な検査を、今後は避けるためだ。

日本人を対象にして、心臓病とコレステロールなどの血中脂質との関係を追跡したメガスタディ(大規模調査)が、昨年初めてまとめられた。高脂血症患者7,832人のうち、心筋梗塞や狭心症を発症した人の数は、食事療法と同時に高脂血症薬を併用していた群で66人、食事療法だけの群で101人だ。高脂血症薬を併用すると、心筋梗塞や狭心症などを発症するリスクは33%減、心筋梗塞に限ると48%も減少したと製薬会社は息巻くが、データを解析した大橋靖雄東大教授によれば、心筋梗塞を発症したのは、1年間の発症件数に換算すると薬の投与群で1,000人あたり0.9人、食事療法だけの群で同1.6人と大差はなく、119名が5年間継続して薬を服用して、心臓病が発生するのをたった1人防ぐことができたにすぎないということだ。

コレステロール値が基準値を超えると、心臓病のリスクが高まることは事実だが、即、投薬治療に結びつけることは患者負担の観点からも推奨できるものではない。リスクマネジメントとして、患者に受け入れられやすいメタボリックシンドロームは、医療機関や製薬会社にとっては「金のなる木」だ。しかし、これまでのようにやたらめったら投薬すれば良いという時代では、もはやなくなっている。多くが不健康な生活習慣の代償である本症候群は、その治療については自己責任で行うことが本筋だ。耽溺病であるにもかかわらず保険適用されることが、生活習慣の改善を遅らせる最大の要因になっている。

命をつなぐ「食」への意識が、現代は極めて希薄だ。便利食は、往々にして脂肪分が高い。合わせて、添加物や農薬にまみれたそれらの食品は、私たちに健康をもたらしてくれるとはとても言い難い。仮に、便利食で「時間」が買えたとしても、健康はお金で買えるものでは決してない。生活習慣を改善するか、耽溺におぼれ健康食品や薬漬けの人生を送るかは、勿論それぞれの選択だ。常識的に考えて、製薬会社と医療機関とは一蓮托生。自ら率先して「ありがたい患者様」に成り下がることほど、馬鹿げた話はない。口にした食品が、私たちの健康を左右する。間違った食品を口に入れてはいないか、もう一度考え直してみる必要がある。

厚労省は、40代以上の男性の半数が予備軍も含めメタボリックシンドロームであると発表した。勿論、男性ばかりではない。医食同源、即ち、食へのこだわりで健康は維持できる。諸刃の剣である医薬品には、可能な限り頼るべきではない。地産地消で出来る限り無農薬・無添加の食材にこだわることは、社会に健康をもたらすと同時に第一次産業をも活性化する。持続可能な好循環型社会の実現こそが、社会の様々な問題を解く、最大の決め手となるのだ。
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若年性認知症とヤコブ病 5月11日

認知症といえば、物忘れや徘徊・暴力など高齢者特有の脳神経疾患を思いがちだが、近年、若くして同様の症状があらわれる「若年性認知症」の患者が増加し、ひとつの社会問題になってきている。18歳から64歳までに発症した認知症の総称を「若年性認知症」と呼び、高齢者の場合と同様、アルツハイマー・脳血管障害・頭部外傷など、その原因は様々だ。推計では、10万人当たり40人程度の発症率であるとされ、全国に数万人レベルで存在するとみられている。

65歳以上の高齢者の痴呆も急激に増加し、2000年には高齢者の7%が認知症であり、2010年には高齢者の8%・2030年には9%が認知症を発症すると厚労省は予測している。不十分とはいえ、介護保険制度が適用される65歳以上の場合はまだ救いの手はあるが、「老化が原因である」と診断されない場合の「若年性認知症」をかかえる家族の暮らしは、物心ともに壮絶を極める。

日本でも「アリセプト」という名のアルツハイマー治療薬が保険適用されているが、その効果は限定的で、病気そものもを治すものではなく、患者に漫然と投与し続けることには、疑問が残る。きっかけがはっきりしている脳卒中や外傷を除き、問題は、認知症の発症メカニズムの解明が、遅々として進まないことにある。

欧米でも、認知症患者は近年急増し、患者と家族に対する支援体制が強化されているところだが、興味深いのは、米国では、急増する認知症は、アルツハイマーではなく、実は、クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)などのプリオン病ではないかと疑われている点だ。プリオン病は、脳に異常なタンパク(プリオン)が蓄積し、脳神経細胞の機能を阻害し、異常行動や歩行障害・痴呆などが特徴的な症状で、痙攣発作を繰り返し、次第に自発運動がなくなり、発病後は1~2年以内に全身衰弱・呼吸麻痺・肺炎などで死亡する。プリオン病の発症後の進行は早いが、認知症の一つなのである。

不可逆的な致死性神経障害を生ずるプリオン病の大半を占めるのが、CJDの中でも「孤発型」と呼ばれるタイプのもので、日本でも毎年100~120名の患者が発生している。孤発型CJDに地域差はないが、男性より女性にやや多く、発症年齢は平均63歳だ。BSE感染により発症する変異型CJDとは異なり、原因は不明だ。

「若年性認知症」との診断は、患者やその家族にとって受け入れがたいものだ。他の疾患と比較して、なかなか第三者に口外できるものではない。そして、科学的エビデンスに乏しい認知症は、詳細な判定が、実は容易ではない。

老年性痴呆でない進行性痴呆であって、痙攣発作・錐体路または錐体外路症状・小脳症状または視覚異常・無動性無言の4項目のうち2項目以上の症状を示し、脳波に周期性同期性放電を認める場合、孤発型CJDとほぼ確定されるが、CJDのなかでも、BSE感染による変異型CJDの確定診断となると、患者が死亡した後、WesternBlot法などにより脳組織から異常タンパクを検出することが必要だ。確定診断を受けていない「若年性認知症」様症状の中には、アルツハイマーもあれば、その気になって調べればCJDである可能性も、実は秘められているのだ。

変異型CJDを発症した英国の13歳の少女の映像は、非常に衝撃的だった。米国でも、テキサスの小さな村で、同じ競馬場に行ったことのある人々が、次々と変異型CJDで死亡した。日本でも、BSEが大きな社会問題になる以前に感染した人が居ても、決して不思議ではない。原因不明の急増する「若年性認知症」の一因として、CJDを否定することはできないのだ。

米国は、全頭検査を拒否したり、飼料規制も杜撰だったり、疑惑の競馬場を解体抹消したりして、BSEや変異型CJDをむしろ隠蔽する傾向にあるが、米国で激増する認知症の中には、CJD患者や変異型CJD患者が多く存在する可能性があるのだ。日本で増加する「若年性認知症」についても、何が原因なのか、特に食生活の面からの科学的な追究を急ぐべきなのではないかと、私は思う。
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少子化なのに過酷な産婦人科医!? 4月25日

4月24日開催された「医療体制に関する拡大検討委員会」の報告によると、全国の大学病院及び関連病院における常勤産婦人科医の数は、この2年余りで8.0%減少し、出産を取り扱う関連病院は、1,009施設から914施設と、9.4%も減少したそうだ。全体的な医師の数は、年々増加しているのに、何故、産婦人科や小児科の医師だけが不足する事態に陥るのか。当初言われていた「少子化」は、遠因ではあっても大きな要因ではない。当直や深夜の緊急呼び出しが多く、勤務環境が過酷で、医療訴訟を抱える割合も高いことが、産婦人科を目指す若い医師が激減する理由だ。

20年前の1986年に比較すると、2004年、医師の総数は2倍以上に増加している。中でも、内科医の数が圧倒的に多く、全体の28.7%を占め、第2位の外科9.1%に大きく水をあけている。その他の主な診療科の割合は、整形外科7.3%・小児科5.7%・眼科4.9%・精神科4.7%・産婦人科4.0%・耳鼻咽喉科3.5%・皮膚科3.0%。この2年間で大学病院とその関連病院の産婦人科医が8%減少したことを加味すると、現在の産婦人科医の医師総数に占める割合は、全体の3%以下ということになる。患者が増加傾向にある心療内科・アレルギー科・リウマチ科、あるいは利益率の高い美容外科などは、2002年から2004年までの増加率が極めて高いが、もともとの絶対数が少ないので、内科の隆盛の到底足もとにも及ばない。

少子化が加速度的に進行する一方で、何故、産婦人科医が突如として不足してきたのか。一つ興味深いデータがある。約30年前の1975年のデータと2004年のデータとを比較すると、産婦人科医の数は、11,963名(1975年)と10,163名(2004年)で、あまり変わらないのだ。1975年の出生数は約190万人、2004年の出生数は111万人。単純に計算すると、30年前の1975年当時のほうが、一人の産婦人科医がとりあげる赤ちゃんの数は、圧倒的に多い計算になるのだ。医療の地域間格差が拡がり、産婦人科医の偏在が顕著になってきているということだ。市内に一人も産婦人科医が居ない沖縄県名護市で今年1月行われた市長選挙では、応援にかけつけた小池百合子環境大臣が、「私が、防衛医大から産婦人科医を引っ張ってきます!」と演説したことが、与党候補の勝利に大きく貢献したと言われている。防衛医大の医官が1人ずつ1年交代で、4年間派遣されることが決まった。

ところで、産婦人科医でなければ赤ちゃんを取り上げられないわけではない。日本には伝統的なお産の形態として助産師による出産がある。ほぼ安全に出産できそうな妊婦に対しては、歴史をひも解けば室町時代からその名が残る「助産師」の活用を忘れてはならない。1992年の22,690人から2004年の25,257人まで、助産師の数はほぼ増加傾向にあるが、圧倒的に病院・診療所で産婦人科医の介助をする助産師が多く、肝心の助産院を開業している助産師の割合は、6.5%に留まっている。医師一人が取り上げる赤ちゃんの数からいって、助産院の数が減少したことが、産婦人科医の労働環境を悪化させているとも考えられる。医師以外に赤ちゃんを取り上げることの出来る助産師を養成していくことが、いかに重要な課題であるかがわかる。産婦人科医の不足を嘆く前に、信頼できる街角助産師の数を増やすことが先決なのだ。

診療科の偏在を解消するには、上級公務員の国家一種の試験が一つの参考となりはしないか。財務省・経産省・総務省・警察庁が、現在の若者に人気の省庁なのだそうだが、人気のない省庁にも毎年きちんと新人は配属される。省庁ごとに定員があるからだ。結果的に、人気の省庁に職員があふれることは、決してないのだ。医師の世界でも、国家試験の成績と適性試験によって、診療科に定員を設けることは、一部の診療科が医師不足に陥ることを解消する、合理的な手段になりはしないだろうか。開業医の子息の中には、親の診療科を引き継がなければならないと主張する医師も居るかもしれない。その場合には、診療科を変更するチャンスを用意すれば良いのだ。第二のチャンスでは、希望する診療科の医師として、その能力が問われることは勿論だ。

「医療体制に関する拡大検討委員会」にあたり、調査結果をまとめた日本産婦人科学会の検討委員会委員長である吉川裕之筑波大教授は、「産婦人科は当直が多く勤務時間も長いのに、待遇は他科と変わらない。臨床研修制度で大変さを見て、志願者が減っている。根本的な改革が必要だ。」との見解を述べた。それはつまり、比較的余裕のある他の診療科の診療報酬が、優遇されすぎていることの裏返しだ。例えば、人気の内科開業医が急増することは、国民にとってデメリットもある。一定の地域内での患者の争奪戦は、本当は治療の対象ではない人を、あえて「患者」にしてしまい、食事や生活習慣で軌道修正できるものを無理矢理薬漬けにしてしまうきらいがあるからだ。

少なくとも、研修医から数年間は、診療科ごとに定員を設けて、医師が極端に偏在しないような国家一種並みの環境づくりが必要ではないかと思うのだが、社会主義国家ではないのでなかなか難しいか。ただ、どの診療科に進むかが本人の自由である限り、多くの人は「楽して儲かる」ほうを選択する。街角助産師の充実強化と合わせて、診療科の割り振りが出来れば、産婦人科医の不足は解消できるのだ。弁護士の子息が、必ず弁護士になれるわけではない。内科開業医の子息が必ず内科医になれる保証を、国が与えてはならないのだ。近年の産婦人科医不足の問題は、「楽して儲かる」診療科への医師の流れを放置してきた厚労省にも、重大な責任があるのではないか。
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