駅前不動産屋今日も回りは敵だらけ

株式会社 ハウスショップ 東京都町田市

違う場所に行けば違う自分が湧いてきます。

2022年06月24日 | プライベート

私が生まれ育った村は

沖縄では珍しく海に接していません。

ですから子供たちのほとんどは

泳ぐ事ができませんでした。

ただ海に憧れてたか?

と言うとそうでもありませんでした。

どちらかと言うと怖い場所

って感じでしたね。

幼稚園に入る前

私がわがままを言って騒ぎたてると

母親がこう囁きました。

“イチマンウイかいいんじゃさやー”

それを聞くと

私は一気に全身に恐怖が走り

泣いて謝った物です。

母親の言ってる事は

私を糸満の漁師に売る

って事です。

今であれば単なる脅しですが

当時その話は

実際に起こってた事ですから

私は本気に売られてしまう

そう思って

必死に母親に謝って許してもらったのです。

この言葉のおかげかも知れません

元来わがままな私ですが

割と幼少の頃から

自分を制御できてたように思います。

なんせ

本当に糸満に売れるのが怖かったですから・・

この糸満に売られた子供たち

どうなるかと言えば

当然漁師に育て上げられる訳です。

母親が言うには

まず

体を縄で縛りあげられて

そのまま海に落とされて

溺れて死ぬ寸前に引き上げられる

そして意識を回復したら

また海に投げ入れられる

そうやって泳ぎを覚えさせる

って話でした。

まぁ聞いただけでぞっとしますよね。

でも

それは実話だったんですね

昔は私の村からも

母親の知ってる子供が

売られていった

そう言っていました。

このイチマンウイの恐怖

私はこれがいつも頭にあって

小学校に入ると

その備えで

近くの農業用水のため池

だとか

橋の下の水たまりだとか

そんなところに頻繁に出かけて

泳ぎ始めました

泳ぎが出来れば

万一母親が私を糸満に売っても

無理やり海に落とされて溺れる地獄を味わなくても済む

そう考えたのです。

でも

水遊びは危険ですからね

実際私は溺れて死にかけた事があります。

水の中に沈んで行くのを見ていた3歳年上の先輩がいて

私を引き上げてくれました。

幸いその時には親には気づかれませんでしたが

ため池に行った事が母親にバレると

酷く叱られました

今にして思うと

溺れ死ぬ危険もあった訳ですから

当然ですが

当時は思っていました

アンタが脅すから俺は泳ぎを練習してるんだと・・・

まぁそんな感じで

少しだけ泳げるようになると

海に行きたくなります。

遠いですから大変でしたが

遠いと言っても沖縄ですからね

子供の足でも1時間弱位で行く事ができます。

夏休みは毎日のように出かけていましたが

今その場所を見ると

本当に良く生きてたな?

って思いますね。

そこに

見えるのは

リーフの奥で

波に浮いたり沈んだりしながら

必死に犬かきをしてる

小学校3年生の自分です。

あんな場所で泳いでた訳ですから

今は本当に危なかったって思いますね。

目に見えない力に守られてた

そんな風に感じる貴重な場所です。

私は守られてたのかも知れませんが

この場所は

米軍はスーサイドクリフと呼んでいます。

日本語にすると

自殺者の崖

って事なんでしょうね。

サイパンにも同じ名前の場所がありますよね。

ただもちろん青木ヶ原のように

自殺者の名所って事ではありません。

沖縄戦の時に

米軍に追い詰められた住民が

次々にそこから身を投げた

って事でそんな名前をつけられてしまっています。

 

昨日6月23日は

沖縄戦が終わった日です

私が大好きだった祖母が亡くなった日でもあります。

スーサイドクルリフに行って

ずっと海を眺めてるだけで

たくさんの人が崖から飛び降りたり

あるいは時代が過ぎて

波間に浮き沈みしてる私の姿が見えるかも知れません。

私には見えます。

東京に長くいると

どうしても視野が狭窄して行きますが

たまにはそんな場所で

1時間でもボーッとしていれば

普段封印されてる

本当の自分に気づかされたりします。

行った事が無い人は

是非一度行ってもらいたい

そう思います。

そうすれば

77年前に

崖から飛び込んだ人たちも

少しだけでも報われるように思います。

参議院選挙が始まりましたが

軍事費の倍増

これが当然のようになって来ましたね。

またあの悲劇が繰り返されないように

と心から願っています。

コメント
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