一昨日は宅建免許の更新のため都庁に行きましたが
都心に行ったついでに
たまたま私が会いたいと思ってる人が上京してましたので
会ってきました。
なぜ会いたいかと言うとファンだからです。
どんな人かと言えば
沖縄の市川海老蔵って感じでしょうか?
沖縄国立劇場のホームページの表紙を飾ってる男です。
沖縄には歌舞伎に似た組み踊りと言う芸能がありますが
この中で彼が演じる阿麻和利
これが最高で
何度も何度も観ていました
でいつか会って話がしたい
なんて思っていたら
これこそ見えない力ですよね。
たまたま私が都庁へ行く日に
彼もピンポイントで沖縄から上京してたって訳です。
で1時間程度で切り上げるつもりが
たまたまそこに有名な脚本家の方も来てましたので
話しが盛上がり
結局3時間もあれこれ話していました。
しかし芸能にしろ脚本にしろ
その世界で上に行く人達は明らかに生まれ持った物が違いますね。
と言うより見えない力で導かれてる
そんな風に強く思います。
例えば私が会った男は
沖縄の古典芸能に進んだのは
高校一年の時だそうです
強豪校の野球部で練習に明け暮れてるときに
偶然古典芸能に触れ
そしてその瞬間体に衝撃を受け
そのまま野球を止めて
芸大に入る決意を固めた
って話しをしていました。
まるで芸能の神様に啓示を受けたって訳です。
で脚本家の方
東北出身の女性ですが
この方も明らかにある事をきっかけに脚本の道に進んでる訳ですが
そのいきさつは
ある日突然自分の体に起こった変化
これによってその道に導かれています。
まだ現役で活躍されてる方なので
私がこれ以上詳しく書くことはできませんが
いずれにしても
このお二人
会った瞬間にオーラを発していますが
このオーラ
努力して発する物ではなく
生来その人に備わってる
そんな風に感じます。
ですから神に選ばれし者達
そう私は感じました。
で
何でそんな人達が私のような何の魅力も無い初老の男に会うのか?
不思議ですよね。
しかしそれは不思議ではありません
彼等が私のような凡人と会うのは
自分を高みに置いてないからです。
と言うより
彼等がその世界で成功してるのは
社会の評価に舞い上がらないから
そうも言えます。
つまり
芸能にしろ脚本にしろ題材が詰まってるは庶民の中であり
セレブとばかり付き合っては
彼等の仕事は行き詰まる訳です。
先日引退した宮里藍ちゃんも
地元での評判を聞くと
有名になる前と後
全く性格は変らないそうです。
また今でも人気が高い具志堅用高
5回目の防衛をした後
少し飲んだ事がありますが
有名になっても
全く変らず沖縄の田舎青年でしたね。
その性格が今でも活躍してる理由
私はそう思っています。
本物の人達は
周りの評価で自分が変る事は無い
これは紛れもない真実です。
逆に私がこれまで会った有名人の中には
いかにも舞い上がってるって感じの人
多かったですね。
悉く落ちぶれていきます。
不動産屋も
若くして大金を手にした人達の中には
自らを高みに置いてしまう人
多いですね。
これも転落の方程式です。
人の事ではありません。
私も若い頃舞い上がった時期があります。
成功と言う言葉に執着する
そんな仲間がたくさんいて
何か自分たちが特別な存在
そんな風に思っていました。
私は幸いにも
目を覚ませてくれた友人がいたから戻る事ができましたが
あのまま舞い上がってたら?
と思うとぞっとします。
私が今同業者とゴルフに行かないのはその経験からです。
自己評価の高い軽い男達との付き合いはもう散々しました。
これからは
じっくり
さえない初老の人生
思い切り楽しみたいと思います。
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宮里藍ちゃんが引退を決断したようでですね。
まだ早い気もしますが
まぁ自分の人生を考えれば大変良い決断だと思います。
この宮里藍ちゃん
日本の女子ゴルフの発展に大変貢献してますよね。
今日本の女子ゴルは5年連続で賞金総額が最高額を超え
大変な盛況ですが
その理由は若い魅力的な選手が次々に現われるからです。
で
その若い選手達
本当にたくさんの人が藍ちゃんに憧れてゴルフを目指した
そんな話しをします。
ですから
藍ちゃん無しに今の女子ゴルフは無かった
そんな風に思います。
なんせ藍ちゃんが出てくる前は
不動裕理がダントツでした
本人には悪いのですが
若い女性が憧れの対象にはなりそうにありませんよね。
逆に言えば不動のおかげで藍ちゃんが輝いて見えた
そうも言えます。
ですから不動も同じように貢献してるのも間違いありません。
でこの藍ちゃん
お兄さん二人もプロゴルファーですが
この三人をプロに育てたのはお父さんの宮里優さんってのは有名な話ですが
この優さんがゴルフのレッスンプロになったのは
公務員の職を辞めて村長選挙に出馬したが落選したために
止むを得ずゴルフ練習場に努めた
この話しまでは知ってましたが
こないだ優勝した宮里優作がインタビューで語ってましたが
お父さんがゴルフを始めたのは
奥さんの豊子さんに勧められたからだそうですね。
この話しで思う事は
沖縄のヤンバル田舎のお母さんがゴルフをやってために
結果日本の女子ゴルフの発展までつながった
って事実です。
不思議なものですよね。
まぁしかしこれが私達が生きる世界なんですよね。
私達は
生きてく上で色んな事を考え
そして自分の歩む道を決めていきますが
しかし個人の人生や
世の中全体の流れは
誰かの意思とは無関係に決まっていくって訳です。
私自身
今にして思うと
田舎の中学で先輩達とトラブルにならなければ
今の自分はありません。
また
大学の学園祭に妻が来なければ
私は日本にはいなかった
そんな可能性が高かったと思います。
大学の頃には日本から飛び出す事ばかり考えていました。
就職しても
もし私が勤めた先の経営者が尊敬できる人物であれば
私は自分で会社を起こすことも無かったと思います。
そんな自分の人生振り返って思うのです。
人間の社会には
目に見えない
大きな川が流れてると
そして
努力は欠かせませんが
その努力も報われるかどうかは
その目に見えない流れ次第
これが実感として分かるのです。
私は自分の意思でこの世に生を受けた訳ではありません
また
私は自分の意思で
沖縄のサトウキビ農家に生まれた訳でもありません。
自分の背丈も
体の健康状態も
全て自分の意思とは無縁です。
この私の人生観
これをしっかり身につけると
不動産の仕事の苦しみが大きく和らぎます。
具体的には
人に対する憎しみとか嫌悪感とか
そんな負の心理を退治する事ができるのです。
私達の仕事は
多様な人と接します
その中には
狡猾で卑劣で卑怯で自己中
なんて人がたくさんいます。
そんな人に接したときに
普通であれば
怒りで発狂しそうになりますが
しかし
実際には
例えば
家賃を踏み倒して逃げ回る人
これはこれでそうやってしか生きられない
そんな環境に置かれてしまっただけ
ってのがほとんどです。
犯罪者も反社会勢力の人達も
そんな人生を送る大きな原因は
生まれた時に備わった性格と環境に行き着きます。
ですから
その思いが至れば
憎む気持は無くなります。
人を憎んでも苦しむのは自分ですから
それによって解放されるのも自分って訳です。
宮里藍のお父さんは
村長選挙で敗れたあと
村では大変冷たい扱いを受けたようです。
結果自殺まで考えるまで追い詰められてます。
しかし
その恨み節を今に至るまで一切口にしなかった
そして
その事が
今度は流れを大きく変えて
“東村文化・スポーツ記念館”
宮里家の偉業が展示される事になったそうです。
本当におめでとう御座います。
そして藍ちゃん
お疲れ様でした。
犬の嗅覚は人間の何倍?
って検索すると
真っ先に出てくるのは1億倍だそうです。
その他にもとにかく犬の嗅覚について
いかに優れてるか?
それを述べたサイトがたくさんあります。
まぁ人間は麻薬犬だとか
あるいは行方不明者の捜索だとか
そんな時に犬の嗅覚を利用してますから
この話しを疑う人はいないと思いますが
しかし昨日ロサンゼルスタイムスの記事を読んでたら
信じられない話しが載っていました。
それは
アメリカの大学の研究によると
私達人間の嗅覚は犬に劣ってるなんてのは
大きな誤解だそうです。
ではどうして私達人間は
犬より嗅覚が大幅に劣ってる
なんて間違った常識が蔓延してるかと言うと
この嗅覚の研究の元は
19世紀のフランスの研究者に行き着くそうです。
で
その研究を元に
その後の研究も積み重ねられ
結果間違った情報が人間社会に蔓延してしまったって話しです。
この話し凄いですよね。
私達人間も鍛えれば麻薬犬みたいになれたり
あるい事件の遺留品の臭いで
犯人を捕まえられる
って事になる訳ですから
もう警察犬は要らなくなるんでしょうか?
もしかしたら
将来は
嗅覚の学校が出来たりなんかして
そこを卒業すれば
警察に配置される
なんて事になるかも知れませんね。
事件現場では
たくさんの嗅覚捜査員が
地面に鼻をつけて這いずり回る
なんて事になるかも知れません。
異様な光景でしょうね。
まぁこの研究結果も発表されたばかりですから
どの程度信憑性があるか分かりませんが
しかしこれで思うのは
私達が信じてる科学の常識も
積み木細工のように出来上がってるって事ですよね。
元の研究結果が間違ってれば
その上に積み重ねた理論はみなひっくり返るって訳です。
特に最近はそんな話しが多いですよね。
こんな記事を読むたびに
今の世の中
一体どれだけの間違った情報が蔓延してるんだろうと思いますよね。
科学の研究は
その費用は企業が出してる場合は多いので
研究者はどうしても
その商業主義に沿った結果を出しがち
私はそう思っています。
私の机には
眼精疲労と肩こり神経痛に効く
なんて錠剤が置いてありますが
いくら飲んでも全く改善しませんね
この科学技術が進んだ現代
ここで生きるには
商業主義がまき散らす常識
これは絶対に疑う姿勢が必要ですね
そうでないと
すぐに金が尽きて破産
そんな事になります。
ゴルフでも
よくトルクがどうだのこうだのとうんちくを並べては
高いゴルフクラブを買う人がいますが
大体へたくそですね。
気の毒になります。
仕事の上でも
広告やら何やら
自分で考えずにやたら他社の真似をすると
大体効果が得られずに経営は苦しくなります。
特に零細企業は
ビジネスの常識
業界の常識
これにとらわれて
その範囲で仕事をしても
必ず行き詰まります。
常識の穴を見つける事によって
商機が生まれるのであり
逆にその穴を見つけるために
エネルギーの大半を注ぐのです。
そんな事も頭に入れて
行き詰まったら
他社がやってる事を真似るのでは無く
他社がやってない事をやる
そこに活路を見いだす
これを意識して
膠着状態は破るのです。
動きが悪い夏がやってきます。
知恵を絞って乗り切って
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私達不動産屋は
建物を扱いますが
建築業者に比べるとその知識は比較にならない位に低い物です。
どうしてそうなのかと言えば
出来上がった家を扱う仕事だからです。
それに比べて建築屋さんは
何も無い状態から時間を掛けて家を作る訳で
逆に言えば知識がなければとてもできない訳です。
まぁしかし不動産屋も重要事項の説明がありますから
最低限の知識は求められますが
逆に言えばその知識は
専門的な事より一般に普及してる
それに偏りがちでもあります。
例えば
私達がよく使うマンションとかアパートって言葉
これは実際には定義はあいまいです。
最近は少なくなりましたが
コーポだとかハイツ
これも定義が確定しないまま
さも特定の住居を示すかのように使っていました。
以前ある小さな不動産屋に邪魔したときに
社長の奥さんが接客していて
その様子を見ていました。
独身の男性に賃貸物件を紹介してる訳ですが
お客様に
ユニットバスは今人気が無いわね
って言っていました
でそのお客様が
何で人気が無いんですか?
って言うと
ほらお風呂に入るときにトイレがびちゃびちゃになるでしょう?
って答えてました
この会話
多分全国の不動産屋で交わされてる思いますが
間違いですよね。
その不動産屋は
ユニットバス=トイレとお風呂が一体
そう決め付けてる訳ですが
実際にはユニットバスは
お風呂とトイレが一体って意味ではありません
組み立て式って意味です。
まぁ若い不動産屋は当然混同する事は無いと思いますが
実は年配の不動産屋が混同するのは
理由があります。
ユニットバスは
その普及過程において
トイレと洗面とお風呂の
いわゆる3点一体型が
もの凄い勢いでアパートに取り入れられたのです。
ですから
最初の頃は
ユニットバス=3点一体型
これは不動産の世界では一時常識だった訳です。
その頃の意識が取れないために
年配の不動産屋は
その意味を誤解したまま
何十年も仕事をしてる
なんて人も多い訳です。
不思議な職業ですよね。
建物を扱うのに
こんな基礎的な知識が無くても
長年営業する事ができる訳です。
で
私も年配ですが
どうして私はこの誤解が無いのでしょうか?
それは社員がいるからです。
私自身は接客する機会がほとんど無いので
知識が時代について行けないのですが
社員は顧客と毎日接触しますので
当然新しい知識を入れて行かなければ仕事にならない訳です。
で
私はその社員達と毎日接しますので
自然と時代に取り残される事なく生きていける訳です。
零細企業と言えども
社員を抱えて行くのは大変です。
毎月大金が出て行きます。
が
この大変さ
恩恵もあるんだって事です。
私自身
もし社員が一人もいなくて
この仕事をやってたとしたら
もう今頃は世の中に取り残され
通用しなかったように思います。
その意味では
社員のおかげでここまでなんとかやれてる訳です。
ただ
死ぬまで働く
そんな恐ろしい未来がチラついてますから
世の中に通用しなくなって引退
これが良かったような気もしますが・
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息子夫婦が近くに引っ越して来て
時々孫を預かる事があります。
私自身にとっては至福の時間ですが
私が喜んで預かるのは
実はもうひとつの大きな理由があります。
それは
孫と母親の絆
これを大切にしたいからです。
息子の嫁は元看護師さんって事もあって
大変子供への愛情も強く
完璧な子育てをしていますが
だからこそ
私達の存在が大切
そんな風に確信しています。
まぁ孫バカじじいののろけ話
そんな感じに捉える人が多いかもしれませんが
あえてそんな話しをブログで書く事はありません。
この話しを例えるのは
人間関係一般的に
良好さを保つ秘訣
これが詰まってるからです。
私が孫を預かるのはせいぜい半日ですが
その預けた孫を母親が引き取りに来る時
大変感動的なシーンが見られます。
それは
たった数時間会わないだけで
会った瞬間孫と母親が飛びついて抱き合い
お互いに愛情を確かめ合うのです。
これが本当に大切だと思うから
私はあえて孫を預かるのです。
どうして大切かと言うと
少し離れる事によって
お互い一緒にいる時間がいかに大切か?
これに気づく訳です。
この離れると言う行為がないと
一緒にいる時間は当たり前になり
そしてその内に苦痛になる事もある
これが人間です。
これは人間に備わった深刻な問題で
良くニュースで子供を虐待して殺した
なんて話しが流れますが
自分の腹を痛めた子供を殺すまで虐待するのは
離れる時間がないためです。
これが少しでも離れる事ができれば
この数時間で
子供が自分にとっていかに大切か?
これに気づくはずです。
ですから悲惨なニュースを見るたびに
私は少し子供と距離を置く環境が無かった親たち
本当に残念に思います。
親子だけの関係ではありません。
事情があって詳しくは書けませんが
私の身近な人間で
長年体調不良で苦しみ
散々医者通いをしたのに原因が分からず
大変悩んでたのに
ある事がきっかけで
瞬時に回復した人がいます。
これも
実は一番大切な人
これと距離を置いたために起きた摩訶不思議な現象です。
つまり
残念ながら
私達人間は
一番愛情を持ってる相手でも
少し離れる時間がないと
これがストレスになり
体調不良まで引き起こす
やっかいな生き物である訳です。
親子や夫婦でもそうなんですから
会社や友人関係おいては
それを円満に保つには
この原則をしっかり理解する必要があります。
会社ではこれまで何度か見てきましたが
仕事が終わってから
毎日仲良く一杯やってる同僚
これが
最初は楽しくやってたのに
その内苦痛になって来ます。
ところがお互いそれが言い出せずに
同じ事を繰り返して
そしてある日酔っぱらった勢いで感情が爆発
そして大げんか
結果
会社を辞める
なんてのは良くある話しです。
新聞では殺人にまで発展した
そんな記事もたまに目にします。
そんな訳で
私達は
人間関係が修復不能な段階まで崩れるのは
共有する時間が長すぎる
ここに行き着く事が多いのです。
日本で起こる殺人事件の半数以上が
親族間で起こる
この事実も原因はそこにあります。
そんな訳で
人間関係を保つには
適度な距離
これが欠かせないって事を
しっかり頭に入れれば
家族が崩壊したり
同僚との軋轢で職を失う
なんて事は少なくなる
私は確信しています。
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インターネットのおかげで
世界中の情報が座っていて入ります。
今の時代は本当に退屈しなくなりましたね。
沖縄に帰るといつも思いますが
沖縄に住んでる人でも
私ほど沖縄の情報には詳しくありません
私は少し村が恋しくなれば
すぐにyoutube を見ますからね。
去年も地元のテレビで私の村の事を放送してましたね
社員の皆さん
これが私の村です
皆さんを連れて行きたいと思ってますが
中々タイミングが取れないでの
これでガマンして下さいね。
でもこんなに帰っても
動画を見るとまた帰りたくなりますね。
どうしてそうかと言うと
子供達に会いたいのです
私の甥や姪にたくさんの子供が生まれましたからね。
その成長が楽しみなんです。
沖縄に帰ると
毎日のように遊んでますが
まぁ本当に面白くて可愛い子です。
しかし
この子達
私の事を何て呼ぶと思います?
ジージーですって・・
誰が教えたんでしょうね
私はそんな歳ではないんですがね
そう言えば社員の伊志嶺の子も私の事をおじいさん
って呼んでるそうですね。
ショックでした。
しかし
お客様の子供に初めて
“おじさん”
って呼ばれてショックを受けたのもついこないだなんですがね
今となっては
このオジさんって言葉が
大変有り難く思えます。
そう言えば欧米人は
おじいさんとかおばあさんとか
そんな言葉を使うんでしょうかね?
暮らしたことはないので分かりませんが
いちいち old man なんて呼ばないですよね
何でアジアはおじいさんおばあさんって言葉が浸透してるんでしょうかね?
調べた訳ではないのですが
多分昔はその言葉には尊敬の意味があったんでしょうね。
実際私達が子供の頃の沖縄には
年寄りにはたくさんの呼び方があって
明らかにそれは敬称でしたからね
年寄りにはタメ口は利くことはできませんでした
ですから
多分おじいさんとかおばあさんとか
これには元々
長く生きた人に対する尊敬の念
これがこもってたはずです。
ところが今はその部分が随分薄れましたから
もうジージーは蔑称
そんな気さえしますね。
大体昔は
例えば沖縄ではおじいさんの事をタンメーって呼んでましたが
タンメーは仕事はしなくて良かった訳です。
ですから
私たちをおじいさんと呼ぶのであれば
せめて仕事からは解放されたいものですね
あっそうだ
おじいさんはリタイヤした人の称号
そう言う風にしませんかね
そうすれば
おじいさんって呼ばれるのが嫌な人は
頑張っていつまでも仕事をすると思いますがね
日本の国力もアップします。
私も仕事から解放されないのであれば
せめておじいさんって呼ぶのは止めましょうね
伊志嶺君
よく家庭で教育しておいてくださいね。
で昔は
大家族ですから
おじいさんとその親のひいおじさん
そんな家族もわずかながらありました。
でタンメーが二人いては紛らわしいので
このひいおじいさんはウスメーって呼んでいました
もうこうなると
家族だけで無く
村中の人が尊敬してましたね
子供達もウスメーが自分の家にいると誇らしげでした
私の家の近くにもいましたが
たまに見かけると
ほんとうに神々しかったですね
もうすぐ神の世界に行く
この重みが感じられました。
ところが今の時代は
このウスメーの皆さん
皆介護施設ですからね
ひ孫の歳の職員に叱られながらオムツを替えてもらっています。
栄養が良くなり医療が発達したおかげで
昔稀少だったウスメーが大量に生産されたおかげで
その価値は地におちたって感じですね。
まぁ
まとまりのない話しになりました
とにかく
私に“おじいさん”って呼ぶのは止めましょうって話しです。
読んでますかね
沖縄の甥や姪の皆さんたち・・
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