駅前不動産屋今日も回りは敵だらけ

株式会社 ハウスショップ 東京都町田市

言葉は遺伝子に勝る

2019年09月30日 | 世間一般

ラグビーワールドカップなんて言われても

私の中ではサッカー以外はマイナーなイメージですが

ラグビーはオリンピックとサッカーと並んで

3大スポーツイベントって言われてますよね。

しかし私に限らず日本で行われてるにも関わらず

いまいち盛り上がらないように見えます

理由は?

まぁ多分日本が世界に通用しないからですね

なんせまともに体をぶつけ合う競技ですから

体格差がそのまま結果につながります。

ですから

どうしても遺伝子的に日本人には不利

って事何でしょう

がおととい

日本がアイルランドに歴史的勝利

ってネットのニュース速報が流れましたので

早速家に戻ってから録画放送を見ました。

最近相撲では

炎鵬っていう小さな力士が大きな相手を投げ飛ばして大人気ですが

ラグビーでも同じように

小柄な日本人達がアイルランドの大男達を破った

って事であれば

これはいくら興味の薄いラグビーでも見ない訳には行きませんよね

テレビをつけると試合が始まってましたが

一瞬チャンネルを間違えたと思いましたね。

なんせそこにいる日本代表チーム

日本人が一人も居なくて

アイルランドに負けない位の外人の大男だらけ

なんだこりゃ?

って感じですよね。

でも良く見れば

一人二人は日本人らしき顔もありますし

外人の大男達の中にも

少し日本人の面影がある人もいてハーフだってのが分かりました。

つまり

日本人は申し訳程度に入れて

その主力は帰化人とハーフ

これが今のラグビーの日本代表です。

まぁこれではアイルランドに勝ったからと言って

そんなに驚く事でも無い

ってのが私の率直な感想です。

これまでは

オリンッピックやサッカーワールドカップで

ヨーロッパや北米の代表は

白人や黒人が入り交じっていて

それを見て私はズルい

っていつも感じていましたが

どうやら日本もここに来て急激に世界基準に合わせて来ましたね。

見た目は外人

しかし国籍は日本人

こんな人が増える

この流れは飛行機が無数に世界中を飛び回る今の時代には

当然の流れ

って訳です。

では

見た目で日本人を決められなくなれば

どうやってアイデンティティーを保つんでしょうね。

まぁ実際には見た目よりも集団意識を高める物があります。

それは言葉です。

テニスの大坂なおみ選手と

バスケの八村選手を見れば良く分かりますよね

大坂選手は日本人の面影が少しはありますが

八村選手は2Mを超える大男で

全く見た目は日本人を感じません

言葉を話すとこの二人は印象が真っ二つに分かれますよね

大坂選手は日本語が片言ですから

どうも日本人って感覚は湧いてきませんが

八村選手は完全な日本語ですから

すぐに外見の違いは飛んで

間違い無く私たちの仲間

そんな風に感じます。

逆に見た目も遺伝子も100%日本人でも

ハワイや南米の二世三世は日本語が話せないと

日本人って感じがしません。

そんな訳で

実は私たち人間の集団を固めるのは見た目では無く

言葉って訳です。

私はその事は小さい頃から分かっていました。

理由は私の村にハーフの先輩がいたのです

この先輩

見た目は完全にアメリカ人ですが

私の村で生まれ育ちましたから

言葉は村の言葉を使って成長した訳です。

ですから

いつの間にか私自身の意識も見た目の違いは全く飛んで

完全に村の人間として溶け込んでいます。

私の村は他の沖縄の他の地域とは違う訛りの言葉を使ってますから

昔から結束の強い場所です

ですから

その外見が外人の先輩は

面白い事に

私の村の人間からすれば

他の地域の純粋な日本人よりも

はるかに日本人に見える訳です。

その体験から

私は小さい頃から

集団を決めるのは外見よりも言葉

これを理解してた訳です。

そんな訳です

会社も集団ですからね

当社も30年もやってると

日頃交わされる会話は

他社とは違う

そんな風になって来ています。

そして

その事がそのまま会社のアイデンティティーであり

結束をもたらすのです。

そのためには

社長自らがどんな会社仕上げるか

それを意識して

社員に言葉を投げかけるのです。

今の当社は

そんな私の言葉で成り立ってる

そうも言える訳です。

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忘却は苦しみを消し去る魔法

2019年09月29日 | 人生一般

先日母親の100歳のお祝いで

最後の締めで私が挨拶しましたが

その動画が出来上がりましたので見ていると

本当に不思議な感覚に陥りましたね。

自分で言うのもなんですが

流ちょうにベラベラ話していますが

それを見ていると

どうも自分が話してるようには思えないのです。

私はこんな時にはあえてその場で感じた事を話すようにしていますから

事前に準備する事はないのですが

だからかも知れませんが

私が話してる中身は

何か自分とは違う存在に動かされて話してる

そんな風に感じたのです。

 

この話しはこの位にしましょうね

私が少しイッてしまった

なんて思われるかも知れません。

ただ

何度か書いてますが

この歳になり

人生の先が見えて

過去を振り返ると

自分の人生でありながら

実は自分の意志はほとんど無関係で

勝手に仕上がって来た

そんな風に思う事が多くなりました。

そうやって考えると

自分は恵まれた人生を与えられた

って感謝の念が湧いてきます。

周りを見ると

本当に厳しい人生を課された

そんな人だらけです。

私の母親もお祝いでは着飾ってニコニコしていましたが

戦争を体験し

その後は食料難の中

重労働で生活を支え

頑張ったにも拘わらず

理不尽な神様に子供二人に先立たれる試練を押しつけられ

さらに孫まで一人先に逝ってしまいました

私ならそんな人生まっぴらだと思いますよね。

私の親友も

一人は心を病んで自殺

一人は長い闘病生活の後

今年の8月に亡くなりました

二人とも大親友ですが

彼等の苦しみを思うと

これまた私にはとても耐えられない

そんな風に思います。

こうやって身近でもすざましい人生を送ってる人がたくさんいる訳ですが

ニュースで見ると

小さな子供が殺されたり

あるいは見知らぬ男が家に侵入して両親を殺したり

なんて悲惨な事件が絶えませんが

被害者の皆さん

悔しさと怒りで頭がどうにかならないのか?

って心配になりますよね。

ただ

いつも思いますが

そんな厳しい事があっても

皆さん人生をしっかり全うしますよね。

どこからそんな力が湧いて来るのでしょう?

それも私は答えを知っています。

私たちの脳は

時間と共に記憶が消えるのです

苦しくて辛い出来事も

その瞬間がピークであって

やがて記憶は消えて行くのです。

私の母親は子供が死んだ事はおろか

いた事も忘れてしまいました。

私自身

中学生の頃は

いつか殺す

って誓った先輩達がいますが

今は仲良く酒を飲む事もできます。

それほどの怒りも

時間が過ぎれば消えるのです

神様は

私たちに厳しい人生を課す残酷な存在ですが

その見返りに

忘却

これを与えてくれています。

忘却は神様がくれた最高の贈り物

ですから

どんな辛い事も

それを乗り越えるには

時間が過ぎ去るのを待つのです。

そうすれば台風と同じで

やがて風は止み雨も上がり

そこには青空が広がります。

そして

すぐに台風の事も忘れるのです。

今年の台風15号は私の家も揺れて恐怖を感じましたが

このブログを書くために今思い出しましたが

そうでなければ

あと数ヶ月すれば

そんな事があった事すら思い出せなくなります。

 

いずれにしても忘却は

厳しい人生の苦しみの緩和のために

神様が与えてくれた特効薬って訳です。

ただし

この忘却の恩恵を受けるにはコツがあります。

ただじっとしていてはその恩恵は受けられません。

恩恵どころか

部屋に閉じこもって悩んでいては

妄想が広がり苦しみは増大します。

忘却の恩恵を受けるには

とにかくガンガン働く事です。

そうすれば

それが消しゴムのように

記憶を消してくれますから

それによって自然と人は救われる

これが神様が作った人間世界です。

私の母親のように昔の人は

極貧の中で生きてますから

意識しなくても悲しむ間も無く働くしか無かった訳ですが

今の時代は豊かですから

意識しないと

殻に閉じこもり

苦境から中々抜け出せなくなる

そんな危険が潜んでるのです。

必死に働けば

大半の悩みは吹っ飛ぶ

私が両親の人生と

自分の人生から

確信してる事です。

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文明社会は進化の最中

2019年09月28日 | 世間一般

人間は色んな学問を生み出しましたが

長い歴史の中ではそれが積み重なり

数は増える一方

もう学問の名前すら覚えられない

そんな時代になりましたね。

学校で習う教科の数学とか生物だとか国語だとか

どうも私の意識の中ではその位までは親しみ易いのですが

それ以上になるともう私とは違う人達の世界

そんな感じになりました。

この学問

最近は聞き慣れない言葉がどんどん生まれてきますね。

私がたまにEテレで見てる講義がありますが

講師はジャレドダイアモンドと言う人で

肩書きは進化生物学者だそうです。

この学問の名前は知りませんでしたが

もし若い頃学ぶ機会があったら

選択したかったって思う位面白いですよね。

このダイアモンド博士

伝統的社会って言葉を使いますね。

まぁ上品に言えばそうなるのかも知れませんが

言ってる事は原始社会って言葉です。

この反対語は文明社会って事になります。

原始社会と文明社会の比較

これが私たち人間の本質を浮き彫りにさせて

大変面白い訳です。

で最近の講義で殺人と言うテーマがありました。

人は本来人を殺さないのか

って訳です。

まぁ今も昔も人は人をたくさん殺しますからね

結論は決まってるように思いますが

ただ

産業革命後最初の大戦争である第一次世界大戦

この時に戦った兵士の半数は

敵を目の前にしても銃を撃つことができなかったそうですね

だから今の戦争は

遠くからミサイルを飛ばしたり

あるいは空高くから爆弾を落としたり

殺す相手が見えないように変貌してきた訳です。

それと

私が若い頃はたくさんの戦争に行って来たお父さん達がいましたが

戦争の話しはよくしますが

敵を殺した話しをする人はほとんどいませんでしたね。

ダイアモンド博士によると

これは文明社会の特徴だそうです。

つまり

今の時代はたとえ戦争でも人を殺すことにためらい恥じる訳ですが

伝統的社会では

人を殺す事は自慢できる事であり

称賛される事だそうです。

ですから

今でもパプアニューギニアの一部の部族では

殺した相手の歯を糸でつなげてネックレスにして

それを自慢するそうです。

日本も戦国時代には首実検ってのがあって

自分が討ち取った首を持って行き褒美を貰ってた訳ですから

手柄として称賛されたのです。

ですから

ダイアモンド博士の言葉を借りれば

日本は当時はまさに伝統的社会だった訳です。

つまり

文明以前の社会は

今とは全く逆で

人を殺す事は自慢

だったって訳です。

嫌ですよね 恐ろしいですよね。

でも

この事を今の時代を生きるにも頭に入れた方が良い

そう思うのがこないだの池袋の事件でしたね

大学生が初対面の女性を殺した事件

まぁ本人の供述によれば被害者は自殺願望者で殺害を頼まれた

って話しですが

仮にそうだとしても殺すなんて考えられませんが

しかし

私たち人間の中には

殺人願望を持った人達

これが間違い無く存在するって訳です。

良く考えれば当たり前ですよね。

人類の歴史が長く殺人が称賛される歴史だったとすれば

そんな人達の遺伝子がつながれてるはずです。

まぁ殺人は極端ですが

今の時代に気をつけなければいけないのは

伝統社会と文明社会の違いは

暴力が支配する社会とそうでない社会

そう定義付けする事もできます。

そうやって今の時代を見ると

本当によく見えます

つまり

暴力がすざましい早さで排除されてる

私はこの時代をそう捉えています。

私たちの時代は教師の暴力ですら称賛された訳ですから

先輩達のリンチは成長の通り道でした

ですから

今の若い人達よりは暴力を許容する

そんな意識を持った人が多いのです。

ところが

今は暴力は家庭内であっても警察が介入します

物理的な暴力だけではありません

言葉の暴力もパワハラとして代償を払わされます。

この時代変化

特に年配の男性はしっかり意識しましょう。

相変わらず4050代のお父さん達は

少しモメただけで

自分の強さをアピールして威圧的に来る人

絶える事はありませんが

もうそれは

完全に原始人の名残です。

自分は自慢してるつもりでも

周りはバカにしてる

この事に気付きましょう。

文明が進んで

暴力やそれを背景にした威力に頼る人達を根こそぎ排除

これが今の時代に起ってる事です。

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相手を知り己を知って言葉を発する

2019年09月28日 | 社内事情

ネットで情報を見るようになってから

すっかりテレビは見なくなりましたが

たまには見ないとマズい

って思った出来事がありました。

それは豚コレラ

一年くらい前からこのニュースは時々目にしていましたが

最近偶然テレビを見ていたら

えっ?

って驚いてしまいました。

それは発音です

私は文字でそのニュースを何度も見ていましたが

“ブタコレラ”

って思っていましたが

“トンコレラ”

なんですね。

まぁしかし良く考えれば

コレラの前に来る言葉ですから音読みが正解なんでしょうね。

いずれにしても

たまにはテレビを見ないと恥を掻く

そんな風に思った訳です。

 

しかしブタとトン

いずれも豚を表す訳ですが

この言葉は比喩としても良く使われますから

そうなると発音によって全く別の言葉になりますよね。

女性にブタなんて言ってしまえば

殴られて

最悪の場合は訴えられるでしょう

女性にトンって言っても

相手はキョトンとするはずです。

面白いですよね。

元々同じ意味なのに相手を傷付けたり

全く無害だったりする訳です。

この言葉の持つ特性

これは生きて行く上ではしっかり理解して

そして上手く操る

これが大切です。

特に人を動かす立場になれば

この言葉を操る能力を備えなければ人を動かす事はできません。

ですから

自ら発する言葉には日頃から細心の注意を払う必要があるのです。

やっかいなのは

ただ無難な言葉だけ発していれば良いって訳ではありませんよね。

人の心を掴むには

時には過激な言葉

これを使う事も必要になります。

当たり障りの無い言葉は人を傷付ける事はありませんが

人の心を動かす事もできないのです。

政治家が良く失言で叩かれるのは

彼等はたくさんの人の心を掴むために

際どい所で勝負してるからです。

逆に政治家でも総理大臣になれば

もう選挙の心配はありませんから

あえてリスクのある言葉を使う必要もありません。

安部総理の言葉が面白くないのはそのためです。

 

ブタって言葉で言えば

私が若い頃

良く遊ぶ大学の友人達がいましたが

その中に少し太めの子がいました。

私は容姿に触れる事はありませんでしたが

仲間には露骨にその子を

ブタって呼んでるのがいました。

その二人どうなったと思います?

付き合うようになったのです。

つまり

女性を侮辱するはずの言葉が

実は

愛情の表現

これが二人の間では認識できていたのです。

まぁ今の時代はさすがにその言葉は受け入れられないかもしれませんが

言葉と言うのは元来の意味より

お互いの気持によって捉え方が全く違ってくる

そんな物なんです。

 

私は以前は

女子社員が髪型を変えたり

あるいは少しお洒落な服を着たり

なんて時には良くそれを褒めました

そして

褒められた方は

”社長は本当に女性を喜ばすのが上手いですよね“

って言ってくれました。

今は私は

女性の容姿を褒める事はありません。

理由は

私の存在の意味が変わったからです。

初老の男が容姿を褒めても

女性は

“ジジイ私をそんな目で見るんじゃねー”

って思う

これが分かってるからです。

これが世の中で起るセクハラの問題の本質です。

女性は

同じ言葉でも

イケメンの男に言われれば嬉しくなり

嫌いな男に言われれば

気持ち悪いと思うのです。

 

まぁそんな感じです。

私は元来軽口ですが

加齢と共に

もうそれも封印って訳です。

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役人は形式で動く

2019年09月26日 | 社内事情

社長が反社会勢力からお金を借りて

それが返せずある日突然いなくなる

なんて事は昔から良くあったんでしょうね

テレビドラマでも見たシーンです。

そんな時に社員は大変困りますよね

ですから

社長がその筋の方と親しく付き合ってると思ったら

早めの転職が賢明な選択でしょうね。

まぁしかしそうは言っても

経営が順調で

給料も良い

なんて事であれば

その辺はあえて目をつむり働き続ける

なんて人も多いと思いますが

しかし最近当社であった話しは

全く新しいパターンでしたね。

ある会社

業績は順調で社員の待遇も良かったので

社員の皆さん頑張って働いてた訳ですが

社長さんは大変良い人ですが

少しだけ反社会勢力の事務所に出入りしてる

そんな噂は社員の耳に入ってたそうですが

業績は順調ですから

金を借りてる訳でもないので安心してたそうです。

ところが

ある日突然会社の銀行口座が凍結されたそうです

理由は

なんと社長さん

業績が好調にも関わらず

わざわざ

暴力団の組員になったそうです。

そうなると大変ですよね

世の中は一気に排除の圧力がかかりますからね。

新たな契約はできず

お金も下ろせず

結局その社長さんは連絡がつかなくなってしまいまた。

まぁ社員は気の毒ですよね。

であれこれ相談された訳ですが

残念ながらお手伝いはできませんね。

私たちも反社会勢力とはお付き合い出来ませんし

やりたくもありません

ただ

今回の件で警察と色々話していて

私たちが普段何気なく交わしてる暴力団排除条項とか

あるいは利益供与の話し

しっかり理解できましたね。

私は普段から役人が作る文書

これはあまり好きじゃありません

好きじゃ無い理由は

中身にあまり意味が無い

そんな風に感じる事が多いからです。

ただ

私たちの世界は実態で動きますが

官僚組織は形式で動く

この事が今回良く分かりましたね。

具体的には

あまり意味が無くても

契約書に排除条項が入ってるのと入ってないのでは

警察の動きが全くちがうのです。

この事は我々は事業者としてはもちろんの事

消費者としても意識した方が良いですね。

例えば

リフォームの契約の時には

建築屋が排除条項が入ってない契約書を持ってきたら

書き加えるように言うべきですね。

その時にためらうようだと

反社会勢力の可能性が出てきますから

良い踏み絵になるのです。

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頼むなら金をよこせ

2019年09月25日 | 不動産業界

当社は警察の捜査には積極的に協力しています。

警察に協力するのは当たり前

普通はそう思いますよね

でもどうやら協力しない人達も結構いるようなんです。

私が知ってるある同業者も

警察には協力しない

なんて社長さんが公言してるそうですが

その理由は

自分の所の車を警察が駐車違反でキップを切ったからだそうです。

つまり協力しても駐車違反も手心を加えて貰えない

見返りが無いのであれば協力はしないって話しです。

まぁ不動産屋らしいと言えばそんな感じもしますよね。

この話し

聞くに堪えられない

まともに考えればそうなんですが

実はこの社長さんの年齢を考えれば

あまり非常識

そんな風にも言い切れないんですよね。

昔は地元の資産家が警察に色々と協力して

その見返りで交通違反をもみ消して貰える

そんな時期が間違い無く存在したのです。

もう30年以上も前の話ですが

実際に交通違反をした知合いの同業者が

地元の資産家の社長さんに頼んでもみ消して貰った事があって

その話しを聞いて

私は怒りが湧いてきた記憶があります。

それから時代は変わり

警察も違反をもみ消せば

自分自身が袋叩きに合い懲戒免職

最悪刑務所行きですから

そんな事は絶対にできなくなりましたが

しかし今の時代でも昔の恩恵を知ってる不動産屋の社長には

見返りが無ければ警察に協力しない

何て人もいる訳です。

私が不動産屋らしいと言うのは

長年この仕事をしていると

どうしてもそんな人格になってしまう

この危険があるのが分かってるからです。

どうしてそうなるかと言えば

見返りが無ければ協力しない

そんな発想の人間にたくさん出合うからです。

例えば

測量の時に隣地にハンコをもらいに行くと

おれには関係ないから押さない

なんて言う人がたまにいます。

そんな人は暗にハンコ代を持って来い

って言ってる訳です。

私自身は昔持ってた土地を売ろうと思い

前面道路が未舗装なために

私が費用を出して舗装しようと提案しましたが

隣地の人間が頑なに反対して取りやめになりました

その人は

ただで私が舗装して恩恵を受けるのにもかからず

更に金銭を要求したのです

まぁ私はこんな性格ですからね

それであれば舗装しませんって言って

売却を止めて賃貸で貸しました。

それからしばらくして

逆に舗装してくれないかと言って来ましたが

賃借人がいますからこちらも売却はできませんので

等分の負担であれば良いですよ

って言いましたが

結局はそのままになりました。

そんな感じで

この仕事をすれば

頼み事をされれば金になる

そんな人間にたくさん出合いますので

いつの間にか不動産屋もそんな発想になってしまうのです。

だから某社の社長さんのような不動産屋が多くなる訳です。

まぁしかしこの思考形態は早めに改めるべきですね。

人が困ったときには金を取るチャンス

って発想は

裏目に出る事が多い

これも私が長年この世界にいて確信してる事です。

先ほどのこちらが舗装すると言ってるのに更に金を要求した人は

結局雨の日は前の道路に水が溜まる

そんな不便の中で一生を終えましたし

隣地の境界確定印を拒めば

境界が画定できない土地として

自らの資産も価値を失います。

それと

警察に協力しない不動産屋

これ

当社の立場になれば

いかに愚かな事が分かりますよね。

当社はたくさんの警察官に家を借りたり買ったりしてもらいましたからね。

いずれにしても

他社はどうでも良いのですが

当社の皆さんは

人助けは人間として当たり前

そんな風に考えて

金儲けとは結びつけない

それを意識してください。

お金に取り憑かれて

人間性を損なわないようにって話しです。

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遺伝子を喜ばせて上げましょう

2019年09月24日 | 人生一般

ふぅ

ひと息付けるようになりましたので続きを書きます。

 

母親の百歳の祝いは今の時代の流れに合わせて

ごく近い身内だけでやろうと決めていました。

具体的には昔家族だった人達とその子孫だけ

私が子供の頃は私の兄弟と叔父

これが家族でしたから

私たち兄弟の子供や孫と

叔父の子供の兄弟や孫

それだけでやる事になったのです。

そのごく近い身内だけのお祝い

何人来たと思います?

55人です。

これだけ居れば私からすれば甥や姪

またその子供達も含めれば

ほとんど会わない人達がいると思いますよね。

ところが

この大集団

昔から今に至るまで

本当に親しく全員付き合っています。

これすごく無いですか?

そして

これだけ集まれば

大変面白い事が分かります。

それは遺伝子です。

私たちは共通の遺伝子でできてる

これが強く感じられるのです。

どうしてそう感じるかと言えば

私は還暦を過ぎていますので

自分たちの先祖の事も良く知ってるからです。

つまり

時代は大きく流れましたが

そこに生きる人達は

同じような人間が亡くなってはまた生まれる

これを目にするのです。

ただ遺伝子だけではありません

実際にはそれに加えて

生き方

これに影響を受けて子孫は大きくなりますから

同じような人間が次々にコピーされて行くのです。

 

さて母親が百歳

私が今回の祝いを強く望んだのは

実は母親のためではありません

母親は認知症が進んで

たとえ盛大にお祝いをしてもその記憶は数分も持ちません

瞬時に消えて行きます。

ですから

本来母親を喜ばすと言う意味ではあまりやる必要もないのです。

私が今回の祝いをした第一の目的は

自分の人生に一区切りつけるためです。

ん?

この表現はあまり良くありませんね

“自殺するんですか?”

ってコメントが来そうです。

そうではありません

一区切りつけると言うのは私の気持の問題です。

私は幼い頃

本当に母親が好きでしたから

人はいつか死ぬ

それをすぐ上の姉に教えられてから

ずっと母親の死が怖かったのです

ところが

自分が還暦を過ぎるまでその恐ろしい出来事は起らなかったのです。

まぁ有難いですよね。

がもうあっと言う間に百歳

しかも今回からは私の事も分かりませんでした。

ですから

さすがにそう長い時間はないだろうと思っています。

私が言ってるのは

母親に対する気持の区切りです。

もうその日は恐れる事ではない

そんな気持に自分を切り替えたのです。

その意味では

十分意味のあるお祝いでした。

しかし

今回遺伝子を共有する人達がたくさん集まって

つくづく思いましたね。

人間

自分の遺伝子に素直にしたがって生きるのが一番だと・・

そして

長年東京で生きて来て

いつも違和感を覚えていましたが

その理由が

自分の遺伝子を喜ばせて上げられない

そんな環境に原因があったように思います。

であれば

自分の遺伝子に合った環境を求める

これは人生で一番大切かもしれませんね。

先日

沖縄で自給自足の生活をしてたおじいちゃんの番組をやってましたが

まぁ良い顔をしてましたね。

私の遺伝子も同じで

自然の中で生きる事

これを強く求めていますが

残念ながら

ここまでの私はその遺伝子を満足させる生き方をしてきませんでした。

これからもできそうにありませんが

若い人達には

人生は自らの遺伝子と向き合い進路を決めるのが一番

そう強く感じました。

 

そう言えば

今回のお祝いに参加してくれた私の甥の娘がいるのですが

双子で大変優秀です。

二人とも地元では一番の進学高に行っています

小さい頃から今に至るまで仲の良い姉妹でしたが

高校を卒業すると

別の道に進みます。

一人は都内の有名大学

もう一人は

なんと獣医さんになります。

大自然の動物が好きなので

その道を選んだそうです。

大変ルックスも性格も良い子ですが

これから

自分の持って生まれた性格に素直に従って生きる

この選択に

感心するのと同時に

羨ましい

って強く思いましたね。

 

まぁ言いたい事はそんな感じです。

遺伝子に忠実に生きる

これができれば

一番幸せ

それが私の還暦を過ぎて

後戻りが出来なくなって悟った事です。


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今日は多忙のためブログのアップはもう少しお待ち下さい

2019年09月24日 | 社内事情

いつもはブロクは前日にアップしてますので

今日は何で遅いの?

って思ってる方多いと思います。

理由は昨日疲れ切ってブログを掻く事ができなかったからです。

どうして疲れ切ったかと言えば

夜になって沖縄から戻って来たからです。

どうして沖縄に行ったかと言えば

母親の100歳のお祝いをしたからです。

なんでそれだけなのに疲れるかと言えば

台風のせいです。

おととい9月22日に母親のお祝いをする

この日程を決めたのは私です。

ところが

台風が来てしまい金曜日に行く予定が

私の予約便も含め前日まで欠航が相次ぎ

土曜日の夕方になって飛行機は飛び始めましたが

二日後まで満席でとても行ける状態では無くなってしまいました。

ここで諦める訳には行きません

夜中に自宅で寝ずにサイトを頻繁にチェックしてましたが

空きは出ませんでしたが

会社に出てチェックを続けると

奇跡的にお昼前にキャンセルが出ました

すぐに申し込みを入れて

台風の影響で大揺れの飛行機でなんとか前日の夜に沖縄に入ったって訳です。

なんとか無事に母親の祝いに間に合った訳ですが

なんせ睡眠不足とハードスケジュールですからね

還暦過ぎの身体には大変キツくて

昨日遅くに戻っては来ましたが

ブログはかけなかった訳です。

 

ふぅ また疲れています。

しかも私の机の横には大量の書類

少ししてから

またお祝いの事をアップしたいと思います

午後までお待ち下さい。

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人格も毎日変貌する

2019年09月22日 | プライベート

私達の仕事は行政とたくさん関わる仕事でもあります、

不動産の売買のための物件調査の場合は

色んな行政機関を回る事になりますし

賃貸の場合は契約者の住民票と連帯保証人の印鑑証明をお客様に用意してもらいます。

このお役所がらみの仕事で一番大切な事は

個人や法人の確定と不動産の確定です。

少し分かり難いですが

例えば不動産の契約をするとして

それには契約者の主体である個人なり法人なり

これが間違い無いか確認しなければなりません。

私たち人間は顔に名前が書いてある訳ではありませんから

見ただけではどこの誰だか分かりません。

ですから

行政が発行してる住民票やら戸籍謄本

こんな物をお客様に要求する訳です。

まぁしかしこの仕事を長年やってて思うのですが

実際にはそんな物で個人の確定なんかできないんですよね

住民票を持ってるからその人で間違い無い

なんて風に思う方がどうかしています。

しかしそんな事を言ってしまっては契約に至りませんから

一応それで本人を確定した

って話しで不動産の契約は行われて来ました。

最近は顔写真が入ってる免許証やらマイナンバーカード等で確認しますので

以前よりは信憑性が高まった訳ですが

それでも実際には運転免許証でもパスポートでも簡単に偽造できる訳ですから

これも不完全

この事を強く思い知らされるのが地面師の事件ですよね。

セキスイが60億だまし取られたのは偽造パスポートを見せられたからですが

これは専門の闇業者が簡単に安く作る事ができる

なんて話しがテレビで放送されてましたね。

ですから

少し信じられない話しですが

不動産の取引は高額でありながら

その根幹部分の人物の特定は

大きな欠陥を持ったまま行われてるのです。

まぁしかしここにきて世の中は急速に顔認証だの指紋認証だの

随分進んで来ましたよね。

また身体にチップを埋め込む事もできるようですから

近い将来個人の認証の問題は解決されるように思います。

そうなれば不動産の取引は安心してできる訳ですが

しかしこれはこれで大きな副作用もありますよね

ある人間を生まれた時から死ぬまで同じ人格として扱う

これは一見問題が無いように見えて

大きな問題を孕んでいます

理由は

私たち人間は時間とともに変化するからです。

昔は成長に連れて名前が変わった訳ですが

ある意味その方が合理的なんです。

私自身小中学生の頃の自分と今の自分が同じ

なんてとても思えませんからね

あれは間違い無く今の自分とは別人です。

まぁそうは言っても

人格の連続性を否定すれば社会が混乱しますから

これを維持して秩序は作られてる訳ですが

人によっては

過去の人格と今の人格

これを断ち切ってあげなければ気の毒

そんな人達もいますからね。

麻原彰晃の子孫もその良い例だと思います。

そんな訳で

法律行為を行う時にはその主体の確定が大切ですが

人生を考えると

過去からの決別

これが必要な人もいますから

これから完全に個人が確定するようになると

その辺の問題も出てくる訳です。

 

絶えず変化する人格

こうやって自分の過去を振りかえると

そこには誇りたい過去の自分と

消し去りたい自分がいますね。

自慢できる過去の自分は高校生の私です

本当に良く頑張りました

消し去りたい自分

バブルの頃の私です

軽薄で傲慢で

今思い出しても恥ずかしくなります。

不思議な事に

お金が無い頃の自分が愛おしくて

大金を手にした自分が大嫌いです。

金持ちは嫌われる

これは自分に関しても言えるのです・・

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実は誰でも狭い空間で生きている

2019年09月22日 | 人生一般

幼い頃

日中は両親が農作業で忙しかったので

大半の時間を祖母とすぐ上の姉で過ごしていました。

自分の命が世に出て間も無い頃は

白紙の脳に色んな経験が刻まれて行きましたので

今でも特別な時間として記憶にしっかり残っています。

しかし祖母との時間は

小学校に入ると急激に失われて行きました。

それまで大半の時間を家で過ごしていたのに

学校にそれを奪われる事になりました。

また休みの日も同級生と遊ぶようになりましたので

祖母との過ごす時間は急激に消えていったのです。

最近になって

祖母が亡くなった年齢に近づいてきましたので

良く思い出すようになりました。

私が祖母から離れて行ったのは

実は自分の成長だけではありません。

祖母は無学で

世界が狭かったために

どこか自分は子供ながらに見下してたように思います。

祖母は村からほとんど出ませんでしたし

村の中でも家の周辺だけで大半の時間を過ごしました

ですから

人間関係も自宅周辺のごく僅かな人達

そんな人生でした。

私は小学校に入ると

少年サンデーだの少年マガジンだの

そんな物から世界の広さを知るようになりましたから

いつか村を出てその広い世界で生きたいきたい

そんな夢を強く持っていました。

まぁしかし村を出る時期は予想より早く来てしまいました。

当時はまさか中2で村を出る事になるとは予想できませんでした。

いずれにしても遠く離れた横浜に来ましたので

それからは全くそれまでとは違う人生を歩む事になります。

バイトで生活費を稼ぎながら高校大学と進学しましたので

その過程では

ほんとうにたくさんの人と出会い

たくさんの刺激的な出来事を経験し

また大学を卒業するとすぐに子供が立て続けに3人生まれ

そして会社を起こし

あっと言う間にこの歳になってしまいました。

振りかえると

祖母とは全く違う人生だった

そんな風に思っていましたが

最近

実はそんなに違った訳では無い

そう思う事が多くなりました。

私が祖母と大きく人生が違うと思ってた理由は

突き詰めれば

空間と人間です。

私はアメリカやヨーロッパを含めたくさんの国に行きましたし

出合った人間の数はもう数える事はできません

数年前に捨てましたが

名刺の数だけでも大きなダンボールに入り切れない位でした。

そんな私が祖母と大して人生は違う訳ではない

って思うのは

実は私が東京で長く生きていて錯覚を起こしてるのに気付いたからです。

つまり

過去の記憶が脳を占めると

私たちは錯覚するのです

と言うより

一番大切な今

これを見る目を失う

そんな感じです。

 

少し分かり難い話しになりましたね

もう少しガマンして下さいね。

 

具体的には

過去の記憶を排除すると

私の今の人生は

大半を会社の前の机に向かって過ごし

一日で話すのは

ほとんどが社員と妻です。

つまり

良く考えれば

私も狭い空間で生きていて

話す人間も固定してる

これが

祖母と私の人生は大きく違うようで

実は大差は無い

って話しです。

そんな風に思って世の中を見ると

どんな人間も

身体も時間も限りがある訳ですから

実は狭い世界で生きてる

これが良く分かります。

日本の総理大臣と言っても

持ち時間は私と同じですから

大した数の人間に会える訳ではありませんし

空間は

例えば飛行機で世界を飛び回ったとしても

実際に自分が居る場所は

飛行機の中の狭い空間に長時間いるだけですから

大した話では無いのです。

そうやって世の中を見るようになると

若い頃は頑張れば何か明るい未来があるような

そんな気持で頑張ってきましたが

この歳になれば

実は人生大差が無い

そんな気持になります。

 

これからは脳の膨張を押さえ

社員と家族との時間

これを最大限大切にしながら生きてく事になります。

与えれた時間と空間が限られてる以上

所詮人間は狭い世界で生きるのが定め

って事です。

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羊飼いの心境

2019年09月21日 | 社内事情

アフガニスタンでのタリバンとアメリカの和平交渉

どうやら決裂したようですね。

それに関した記事を読んでると

アフガニスタンの紛争地域で生きてる子供達

これ本当に凄いですよね。

例えば墓地を掘り返してお金を得てる

そんな少年の話がありました。

墓地を掘り返して何をしてるかと言うと

人間の新鮮な骨を手に入れるためです。

この人間の骨を買い付ける業者がいてい

この業者はどうするかと言うと

骨を粉々にして動物の骨と混ぜてパキスタンに売るそうです

パキスタンではそれをどうするかと言えば

加工して

糊にしたり

クッキングオイルにして売ってるそうです

・・・・・

しばらく行けませんねパキスタンには・・

この話しはこの位にしましょうね

パキスタン政府から苦情が来そうです。

今日書きたいのは

リーダーについてです。

タリバンはアメリカにこてんぱんにされたはずなのに

今領土を拡大してるそうです

こないだイランに対して

“我々は世界最強の軍隊を持ってる”

なんて言って威嚇してたトランプさんの言葉が空しく聞こえますね。

世界最強のはずが

カラシニコフでサンダル履きのタリバンに勝てないのです。

このタリバン

長いこと指導者はオマール師で

アメリカはそれを必死で捜してましたがついに見つける事はできませんでしたよね。

イスラムの過激派の指導者は

オサマビンラディンも長く潜伏していましたし

今はイスラム国のバクダディー

これもアメリカは捕まえる事ができません。

つまり

いずれも指導者は地下に潜ってるのに

しっかり組織の維持運営ができてるのです

これ本当に凄いと思いますよね。

どうやってるんででしょうね。

まあしかし出来る事は限られますよね。

ただ秘密裏に幹部に指示をして

その幹部達が秘密裏に各組織に伝えてる

って事だと思います。

その指示もたくさん出す訳ではありませんからね

実際に凄いのは

大した指示でもないのに

しっかり機能する組織そのもの

って事になります。

私が日本の歴史で同じような事を感じたのが

関ヶ原の戦いですよね。

当時は情報の伝達手段は手紙しかありませんが

しかもそれを届けるには人馬しかありまえんから

良く日本中の藩を集合させたって思いますよね。

これも実際に封建体制が出来上がれば

権力者の手紙一枚でたくさんの人が動かせる良い例です。

豊臣秀吉が天下を取ったのも

筆まめだったから

って言う説もありますよね。

今のように印刷技術もなければワープロのコピペもありませんから

自分の意志を全国に伝えるためには

たくさん手紙を書く

これ以外に無い訳で

多分いくら武勇があっても

筆無精は天下が取れなかったんでしょうね。

この話し

組織を大きくしようと考えれば

絶対に頭に入れなければなりませんよね

会社で言えば

自分の言葉一つで動く

そんな人材を揃える必要があるのです。

逆に言えば大会社が求める人材は

上からの命令に忠実である事

これが大切です。

多少の反抗はしても

どこかで妥協しないと

大会社の社員は務まらない訳です。

よくゴルフでリタイヤしたお年寄りは

昔の会社生活を語る時に

“オレは反逆児だった”

なんて自慢する人がいますが

まぁバカにされますね

理由は会社組織で人生を全うした人間の反逆なんてのは

たかが知れてるって事です。

自慢するほどの話ではありません。

本当の反逆児は組織から排除される

これが定めです。

では

組織から排除されるような人間はどうすれば良いでしょうね?

それが零細企業の存在価値です。

大企業に向かない人間の受け皿

これが私たちの生きる道です。

当社で言えば

社員は誰一人大企業では務まりません

理由は

私自身が組織に向かない人間だからです。

当たり前の話しですよね。

ですから

小さいながら

私の言葉一つで社員全員を同じ方向に動かすのは無理です。

零細企業に経営者は

社員の裁量を広く確保して

それでも会社の基本的な領域から逸脱しようとした時だけ出て行って連れ戻す

そんな感じです。

例えて言えば

羊飼い

それが感覚的には近いのかも知れませんね。

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プライベートを晒す事のリスクとメリット

2019年09月20日 | プライベート

先日私の自宅でお客様の家族を交えてバーバキューをやりました

良く考えたらお客様と自宅でバーベキューなんて今までしたことがありませんでしたね

今回初めてやって本当に良かったと思いました。

一番良かったのは

家族を知ると人間の理解が深まる事ですね。

良くアメリカでは家族ぐるみで付き合う

なんて話しを聞きますが

今の日本は

家族とビジネスは切り離す

こんな感じですよね。

ですから

不動産屋同士仲良く付き合って居ても

奥さんは見た事が無い

ってのが普通です。

しかし良く考えれば

私たち人間は

会社と家族

この両輪で生きてる訳で

仕事での付き合いの人でもお互い家族を知ったり

あるいは

逆に家族も会社の事を知れば

お互いに理解は深まり

仕事もより濃い仕事ができるように思います。

ただ

実は家族をビジネスでもオープンにする

ってのはリスクもあるんですよね。

私は

実は社員の家族も良く知ってる事が多いのですが

これ

言い方を変えれば

私は逃げられないって事です。

社員が小さな子供を連れて来れば

ある意味私にプレッシャーをかけてるような物です。

私もこの子の将来に責任がある

そう強く感じますからね。

しかし

だから仕事が頑張れる

って面もあります。。

社員に対してだけで無く

例えば会社が倒産したとしたら

自宅に債権者が押し寄せる事になりますよね。

先日ブログに書いた逃げ回ってる社長さんなんかは

逃げられる環境があるから逃げてるのです

不動産屋でもお金を踏み倒して逃げる社長さんは

大体離婚して身軽になってますからね

そんな風にして考えると

自分のプライベートを公開して解放する

って事は

ある程度覚悟と責任が無いとできない話しです。

欧米で家族ぐるみで付き合う意味も今回初めて分かったような気がします。

ただ

元々ビジネスはプライベートを知る事が

相手の信用調査の一番の近道なんですよね。

私自身は

取引で少しでも不安があると

相手の自宅の謄本を取ります。

すると会社経営者の場合は

そこに隠してる部分が晒されてる事がよくあります。

以前地方に住むお客様から

建て売りを買いたいのですが

その会社の空気がどうもおかしい

って相談をされた事があります。

離れていますからお手伝いはあまりできませんが

社長さんの自宅の住所を監督官庁で調べて

謄本を取るように言いました

そると

そこには

競売開始決定の記載が・・

これで難を逃れた訳です。

そんな感じで

ビジネスは皆表を繕いますが

プライベートは素顔が見えますので

そこを探れば

危険回避ができる

そんな事もあるって訳です。

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亭主関白がパワハラをやらかす理由

2019年09月19日 | 世間一般

小さな子供と大人の感覚

違うところが多いのですが

私がいつも意識して注意してるのは所有権です。

私たちは子供のおもちゃの所有権には無頓着になりがちですが

子供の立場からすれば

たとえそのおもちゃが古く薄汚れていても

自分の物に対しては特別な意識をもっています。

ぬいぐるみが子供のよだれで薄汚れてる

なんて思って

お母さん子供が幼稚園に行ってる時に勝手に捨てては

もしかしたらそれがきっかけで

一生お母さんが嫌いになる

なんて事も起こりえますから要注意です。

さらに注意しなければいけないのは

例えばお兄ちゃんのおもちゃを

お兄ちゃんが居ないときに弟が勝手に遊ぶ

なんて事は良くありますが

そんな時に壊してしまう事があります。

お兄ちゃんは

外から戻って来たら

おもちゃが壊れてるので

“誰が壊した?”

って聞いて来ます

その時

正直に

弟が壊した

なんて言ってしまえば

高い確率で暴力沙汰になります。

私は孫たちがそんな事になった時には

ただ壊れた

ってだけ言います

つまり誰が壊したかはあえて触れないのです。

これ

面白い事に

人間の感情は

人間がからむと沸き上がる

そんな性質があるのです。

そして大人の世界でもこれによって些細な事が大事になります。

一番分かり易いのは車ですね

自動車が徐行しながら走っていていも

少しでも車の一部が人間に触れれば

人身事故で救急車と警察を呼ぶことになります。

見た目は何ともなくても

本人が痛むと言えば

そのまま入院って事にもなります。

ところが

同じ人間が自分で自転車で転んだりすれば

例え血が出ていても救急車を呼ぶことはありません

救急車どころか病院にも行かず

自宅でバンドエイドを貼って終り

って事になります。

つまり

他人に原因があれば

些細な事も大きくする

これが人間の本質です

この構造は個人だけではありません

家族とそれ以外

この関係も同じ原理が働きます。

私たちを悩ますアパートの音の問題

これは実際には音その物の問題と言うより

他人の出す音の問題です。

自分や家族が出す音は大きな音でも全く気にならないのに

他人が出す音だから気になってしまう

そんな事が良くあります。

どうしてそうなるかと言えば

人間は脳が発達してますから

音から色んな妄想が広がるのです

わざと音を出して自分にいやがらせをしてるとか

女性を連れ込んでなんかしてるとか

だから

ただの音が大問題になる訳です。

そんな訳で

不動産の仕事をするのであれば

人間は

自分と自分の家族の行為には寛大

他人の行為には厳しい

こんな性質があるんだって事

しっかり理解しましょうね。

今流行のパワハラも

家では家族から大声で怒鳴られても許せますが

会社でそれをやられては裁判沙汰

って事になります。

ですから

日頃から

家族と会社は違うんだって事

これをしっかり頭に入れて

言葉は慎みましょう

もう時代は変わったのです。

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認知能力の低下は危険物

2019年09月17日 | お客色々

高齢者相手の仕事が増えて来ましたが

このお年寄りの皆さん

認知能力が低下すると

二種類に分かれますね

ひとつは理解出来ないので

全てお任せしますって方達です

こちらを信用してくれて

印鑑証明やら権利証やら

求めもしないのに持ってこられる方達がいます。

信用してくれるのは有難いのですが

こんなに人を信じ切っては

いつか詐欺に遭うのではないかと心配になります。

 

もう一つのタイプ

これはやっかいで

原則的には取引したくない

って方ばかりですね。

認知能力が低下して

先ほどのタイプとは逆で

猜疑心が強くなる人です。

疑り深くなるだけなら

その疑いを晴らせば良いのですが

このタイプの方達は

大体欲の強さがセットになっています。

ですから

こちらがいくら説明しても

そんな話は聞いてないとか

自分の言葉を簡単にくつがえしたりします。

そんな思いをしながら

やっとかっと契約の予定にこぎつけたら

契約の場で

そんな値段では売れない

なんて言い出したりします。

私たちは仕事ですからガマンしますが

このタイプの人達は契約の相手方に迷惑をかけますから

基本的にやりたくないのです。

欲が深く自分の言葉に責任を持たない

ってのが見えれば

最初からお断りするのですが

こちらが断っても

相手をする不動産屋はいませんからね

またのこのこやってきて

上から目線で

“お宅に任せてやる”

みたいな言い方をして来た方もいました。

まぁそうは言われても

トラブルは見えてますから

お断りする訳ですが

その内他の業者から売りに出たかと思うと

すぐに業者も価格もコロコロ変わって行きます。

つくづく相手にしなくて良かった

って思う瞬間です。

これから私たちの仕事は高齢者相手が増えます

そして

認知能力が低下してる方は

爆弾を抱えてるような物ですから

本当に気をつけなければ行けません

相手にする時には

自分の欲の芽は完全に摘んで

そして冷静に判断しなければいけません。

不動産の仕事は

物件の瑕疵を調べる仕事でもありますが

それ以外に人間の瑕疵

これもしっかり意識しないと

いつか大怪我をしてしまいます。

私自身は

前頭葉が退化して

欲と感情の制御が緩んでないか?

いつもそれから人物判断を始めるようになりました。

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人を理解すれば自分が救われる

2019年09月17日 | 人生一般

脳科学の世界では

大きな謎があるそうです

それは人間の選択に関する事で

私たち人間の行動は

詳しく脳の動きを観察すると

自分で決めてると思い込んでますが

実はそうではないそうです。

具体的に言えば

人間が歩き始めるときに

脳の動きを観察すると

脳が歩こう

って決めた段階では

私たちは既に歩き始めてるそうです。

つまり

意思は行動の後追い

これが脳科学の結論で

未だに理由は分からない

摩訶不思議な現象だそうです

そして更に

面白い事に

私たちは行動を後追いしますが

意思は

その行動と止める事はできるそうです。

つまり

歩き始めてから

やはり歩くのは止めようと思って決めると

歩いてる足を止める事が出来る

って訳です。

この話しを読んでさらに確信しましたね

私たちは自分の意思で人生を築いてるようですが

実はそうではなく

予め定められた道を歩んでるだけ

って

こんな風に考えると

他人の行動も良く理解できます。

私の長男は

30代後半になっても格闘技を止めず

今でも毎日朝晩10㌔のランニングを欠かしませんが

私は以前は理解できずにあれこれ言っていましたが

今はもう何も言いません

見えない力によって毎日走らされてる訳ですから

これが彼の運命

そう思うようにしています。

自殺した親友も

当時は本当に頭に来ましたが

今は

彼はそうなるように与えられた道を歩んだだけ

そんな風に思えるようになりました。

逆に

ゴルクラブで良くご一緒するエリートの皆さん方

彼等も別に尊敬すると言うよりは

そんな道を歩むべく生まれただけ

そんな風に見えます。

つまり

私たちは

あの人はダメだとか立派だとか

そんな話しをしますが

実は

それは本人の意志の問題ではなく

定められた運命

これが今私が感じてる事です。

そうやって人間を見ると

尊敬する人も軽蔑する人もいなくなりますから

幅広い人間と普通に接する事ができます。

逆切れする家賃滞納者

昔は腹が立ちましたが

今はただ相手の運命に同情するだけです。

逆に

初対面の大学の偉い先生でも

普通に気楽に一日ゴルフを楽しむ事ができます。

しかし

最近その域に達して

つくづく思いますね。

人生のゴールが近いかもしれない

中学か高校の頃

鴨長明の

“六十の露消えがたに及びて”

って言葉を読んだ時に

還暦なんて永遠に来ない遥か先の事

そんな風に思ったのですが

もう過ぎてしまったんですね。

ただ流されるまま生きてる内に

ここまで来た

とても不思議な感覚です。

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