駅前不動産屋今日も回りは敵だらけ

株式会社 ハウスショップ 東京都町田市

良いお年をお迎え下さい

2016年12月31日 | プライベート
私の干支の申年も今日で終わりです 
 
次の申年があるかどうか? 
 
確信が持てない歳になりまし。 
 
少し淋しい気もしますが 
 
しかし過去を振り返れば5回も経験した訳ですから 
 
満足感もあります。 
 
最初の祝いは数え年13歳でしたが 
 
初めて母親がパンケーキを作ってくれました。 
 
新鮮でしたね 
 
昨日の事のように覚えています。 
 
このお祝いを機に 
 
私の人生は激動期に入りました 
 
14歳で沖縄を離れて 
 
それ以来今に至るまで親と暮らす事はありませんでした。 
 
で 
 
2回目の24歳の干支 
 
これも大きな転換期でしたね 
 
長男が産まれましたから 
 
もう甘ったれてはいられなくなりました 
 
この年に不動産の世界で生きて行こう 
 
そう決断しました。 
 
で 
 
その次36歳 
 
まぁ干支の思い出は何もありませんね 
 
会社を起こしたばかりで 
 
とにかく必死でした。 
 
しかも長男が難しい年頃になりましたので 
 
家庭もガタガタでしたね。 
 
それからの12年間で 
 
なんとかかんとか会社を安定させる事ができた訳です。 
 
で48歳の申年 
 
この時も沖縄で同窓会がありました。 
 
中学卒業以来初めて参加しましたが 
 
子供も手を離れ 
 
会社も安定して 
 
やっと中学の同窓会に参加する心の余裕ができたのです。 
 
で 
 
今年 
 
5回目の申年って訳です。 
 
こうやって振り返ると 
 
この干支ってのは良く考えたものですね 
 
人生の区切りには最高 
 
そんあ風に思います。 
 
そんな訳で 
 
5回目の干支が終わりますが 
 
この歳になると 
 
本当に心が穏やかになりますね。 
 
心配事がほとんどありません。 
 
しかしよく考えれば 
 
棺桶に限りなく近づいてる訳ですが 
 
不思議な事に 
 
時間を巻き戻したい 
 
なんて思いませんね。 
 
若い頃は歳を取るのが恐かったのですが 
 
しかし今になると 
 
その恐いはずの加齢が 
 
とても安らぐのです。 
 
次の干支 
 
ありますかね? 
 
 
 
さて 
 
皆さん 
 
今日はこのブログを読んでる人も少ないでしょうからこの位にしましょうね。 
 
一年間 
 
この拙いブログを読んで下さり 
 
有り難うございました。 
 
良いお年をお迎え下さい。 
 
 
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オヤジだらけで酒を飲んで何が楽しいの? 楽しいんですこれが・・

2016年12月30日 | プライベート
今日は夕方から那覇で大学の同窓会です。 
 
同窓会と言っても 
 
同じ大学で一緒の時間を過ごした人で 
 
沖縄に住んでる人はごく僅かですから 
 
実際には私が一緒に大学生活を体験してない人が大半です。 
 
はるか年上から年下まで 
 
同じ大学出身と言うだけで集まる訳です。 
 
考えようによっては赤の他人ですが 
 
しかし不思議な物ですよね 
 
同じ大学を出たと言うだけで 
 
実際には見ず知らずの人達が急に身近に感じるのです。 
 
これが人間の集団欲の面白い所ですよね。 
 
ただ 
 
実際には私達をまとめるのは単に大学が同じだと言うだけではありません 
 
大学は自ら志望して 
 
また入試と言う選別を受けますから 
 
ある程度同質の人間が集まる 
 
そんな側面があるのです 
 
ですから 
 
大学で一緒に学んだ経験は無くても 
 
どこか価値観に共通点がある 
 
そしてそんな者達が同じ空間に集う 
 
この心地よさが 
 
皆を引き寄せる訳です。 
 
ビジネスでは 
 
多様な人達と接して生きていますから 
 
言い方を変えれば 
 
自分と価値観が合わない人達も無理をして付き合わなければなりません 
 
これがストレスになり 
 
体調を崩すのです 
 
そしてそれを癒やすのが 
 
同窓会って訳です。 
 
まぁしかし不思議な物ですよね 
 
私自身 
 
不動産の世界に長くいますから 
 
派手な世界も散々経験しました 
 
綺麗なお姉ちゃんが揃ってる店もよく行きましたが 
 
その時はその時で楽しかったのですが 
 
しかしよく考えれば 
 
綺麗な若い女性って事は 
 
私とは異質中の異質の人達って訳ですよね 
 
当然楽しい中でも無理をしていました 
 
ですから 
 
当時飲んでもいても 
 
どこか緊張していて 
 
帰ればどっと疲れました。 
 
しかし今 
 
私が心地良い世界は 
 
初老の男達だけが集まる居酒屋 
 
若い人には理解できないでしょうね。 
 
無理もありません 
 
私自身が若い頃は理解できませんでしたから 
 
ただ 
 
言いたい事は 
 
年齢を重ねれば重ねるほど 
 
人生の本質みたいな物が見えてくるって事です。 
 
そして 
 
居心地の良い世界は 
 
同質の者が集う空間 
 
ここに思いが行き着きます。 
 
そして 
 
私の場合は 
 
その空間が多く存在するのが 
 
沖縄って訳です。 
 
さて 
 
今日はおそらく2次会でバカ騒ぎまで行きますね。 
 
明日は地獄 
 
分かっていても 
 
止められない 
 
 
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記憶を制する者は人生を制す

2016年12月29日 | 人生一般
人生は何で成り立ってるのか? 
 
なんて言われたら答えは難しいですね。 
 
たくさん答えが出てきそうです。 
 
でもその中で間違いなく一番に存在するのは記憶です。 
 
私達の今の人生は過去の記憶の上に成り立ってるのです。 
 
自分の家族も 
 
長年一緒に暮らした記憶があるから家族で有り 
 
幼なじみも 
 
子供の頃の記憶があるから幼なじみの関係を続ける訳です。 
 
ところが記憶が無くなれば 
 
一瞬にして親子も友人も他人になってしまいます。 
 
そんな訳で 
 
私達の人生には欠かせない大切な記憶ですが 
 
しかしこれは私達の脳の働きによって生み出されてる訳で 
 
実は大変モロいものです。 
 
11月に還暦同窓会に参加しましたが 
 
何十年ぶりに会うと 
 
本当に人の関係をつなぐのは記憶だけ 
 
ってのが良く分かります。 
 
一方が友達だと思って駈け寄っても 
 
もう一方はすっかり記憶が抜け 
 
“お前は誰?” 
 
ってシーンがあっちこっちで見られます。 
 
また私の友人は母親の認知症が進み 
 
子供も分からなくなってるそうですが 
 
自分が生み育てた子供でも 
 
記憶を失えば 
 
もう赤の他人になってしまう訳です。 
 
そうやって考えると 
 
人生は空しいものですよね。 
 
まぁ悲観的に考えればそうなんですが 
 
しかしこの人生を作るのが記憶 
 
これを利用すれば 
 
結構自分の人生の価値を上げる事ができます。 
 
良く言われるように 
 
嫌なことは忘れて 
 
なんて事が本当にできれば 
 
結構人生は楽しい物になります 
 
が 
 
言葉で言うのは簡単ですが 
 
実際には悪い記憶は中々消えませんから 
 
人によっては自ら命を絶つほど苦しむ訳です。 
 
ではこの消すのが難しい記憶 
 
これはどうやれば消せるんでしょうね? 
 
実は私自身がその悪い記憶を中々消せずに 
 
とても苦しんだ時期があります。 
 
で色々と考えて 
 
分かった事があります。 
 
記憶はリニューアルされるから消えないのです。 
 
つまり 
 
私の還暦の同窓会で 
 
昔の友人を覚えてる人とそうでない人の違いは 
 
中学を卒業してから 
 
会わなくても友人の事を時々考えた人が記憶に残り 
 
全く考えなかった人は記憶から消えた訳です。 
 
これが記憶のメカニズムです。 
 
って事は 
 
悪い事も 
 
それを考える時間が開けば開くほど記憶が薄れて行くのは間違いありません。 
 
ですから 
 
悪い記憶を消すためには 
 
考えなければ良いのです。 
 
でも 
 
そうは言っても考えてしまいすよね。 
 
どうすれば良いのでしょうか? 
 
対処法は二つですね。 
 
一つは考える時間があるから考える訳で 
 
考えるのが嫌であれば 
 
その時間を奪う事です。 
 
特に夜ふとんに入って寝付けないときには 
 
悪い記憶がウジャウジャ湧いてきますから 
 
睡魔に襲われるまでふとんには入らない事です。 
 
その睡魔も 
 
悪い記憶がある時には中々やってきませんが 
 
そんな時には体を疲れさせるのが一番です。 
 
私は若い頃は 
 
そのために夜中に走りに出る事がよくありました。 
 
10キロも走って風呂に入り 
 
ビールをぐい飲みすれば 
 
まず悪い記憶が頭をもたげる事はありません。 
 
で 
 
その考える時間をつぶす以外に 
 
もう一つ悪い記憶をつぶす方法があります 
 
それは 
 
心配事です 
 
心配事があると 
 
悪い記憶が湧いてくる余地がありません。 
 
ですから 
 
心配事はそれはそれで問題ですが 
 
心配事は解決すればおしまいですから 
 
長期間にわたって自分を苦しめる悪い記憶よりは 
 
まだましです。 
 
って事は 
 
この心配事が絶えずあれば 
 
悪い記憶は根絶できる 
 
そんな風にも言える訳です。 
 
その意味では 
 
私は自分で開業して 
 
心配事が絶える日は今に至るまでありませんから 
 
悪い記憶は皆吹っ飛んでしまいました。 
 
しかし不思議な物で 
 
この悪い記憶 
 
完全に消えてる訳では無いんですよね。 
 
ただ 
 
長年消えて再度現れても 
 
今度はそれを受け入れられるようになります。 
 
中学の時には 
 
殺してやりたい 
 
なんて思うほど憎んだ相手でも 
 
今は手を取り合って 
 
再会を喜ぶ事ができます。 
 
まぁそんな感じです。 
 
記憶を制する者は人生を制す 
 
って事です。 
 
 
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恐怖と好奇心のバランス

2016年12月28日 | プライベート
今日から休みで事前投稿です。 
 
私は朝一番の便で沖縄に飛びます。 
 
昼前に沖縄に着きますが 
 
今晩はオフ会があり那覇のホテルに泊りますので 
 
実家には帰らず那覇の町をブラブラして時間つぶしをします。 
 
主に国際通り周辺をウロウロしてると思いますが 
 
見かけたら声をかけて下さいね。 
 
沖縄そばくらいはおごります。 
 
冗談はともかく 
 
この那覇の町 
 
私が沖縄に居た頃とは随分変わりましたね。 
 
見た目は近代的になり 
 
とても綺麗になりました 
 
また昔はガーブ川の異臭が那覇の象徴でしたが 
 
今はとても心地良い空気が流れる 
 
そんな快適な町になりました。 
 
それと 
 
私が中学の頃は 
 
田舎から来た子供が国際通りを歩いていると 
 
すぐに恐いお兄さん達が近づいてきて 
 
裏の墓地に連れて行かれ 
 
顔と腹を数発殴られて 
 
そして有り金を取られる 
 
これが定例行事でしたから 
 
私達はある意味命がけで町に出かけた訳です。 
 
今にして思うと 
 
よくそんな勇気があったな? 
 
なんて感心します。 
 
しかし私達田舎の少年達にとっては 
 
村は毎日退屈な空間でしたから 
 
この那覇の町は 
 
少しくらい殴られても構わない 
 
なんて思えるほど魅力的だった訳です。 
 
好奇心は人の恐怖に打ち勝つ 
 
こんな性質があるんだって事が 
 
自分の子供の頃の体験からよく分かります。 
 
私はその頃の経験で 
 
時には好奇心を抑えて 
 
危険を回避する術を身につける事ができましたが 
 
これが身についてない人達は 
 
大人になってから 
 
歌舞伎町のぼったくりバーの餌食となる訳です。 
 
まぁしかしよく考えれば 
 
この好奇心が恐怖に打ち勝つ 
 
これがあるから私達人間はここまで発展したんですよね。 
 
沖縄にはどうやら3万年以上前に人が海を渡って住み付いてたようですが 
 
大陸か台湾か分かりませんが 
 
その太古の人達は 
 
草の船で 
 
あるのかないのか分からない島を目指して 
 
大海原に漕ぎ出した訳ですから 
 
その勇気には本当に頭が下がります。 
 
記録には残ってませんが 
 
見事に琉球の島々にたどり着いた人達の裏には 
 
たくさんの人の犠牲があるんでしょうね。 
 
無事に琉球にたどり着いた人達だけで無く 
 
その目的を果たせなかった人達 
 
これにも同じように敬意を持つべきですよね。 
 
今の時代に草の船で海に漕ぎ出す人はいませんが 
 
しかし同じような猛者はたくさん存在しますよね。 
 
とくにビジネスにおいては 
 
無謀とも思えるチャレンジをする人達 
 
これがいるから私達は職を得て生活ができる 
 
そんな側面があります。 
 
ですから 
 
大きな事にチャレンジして 
 
そして吹っ飛んでしまった人達 
 
たくさん知っていますが 
 
私自身は彼らを見下す事はありません 
 
むしろ逆に尊敬の念が湧いてきます。 
 
自分にはない勇気 
 
これを彼らが間違いなく持ってるからです。 
 
私は小心者で大きな事にはチャレンジできませんが 
 
しかし 
 
私の体には 
 
間違いなく草船で琉球に渡った先祖の血が流れています。 
 
この僅かの遺伝子が 
 
古来の猛者と 
 
現代の猛者 
 
これに憧れる気持ちを生み出すのかもしれません。 
 
まぁいずれにしても 
 
これから1月2日までしっかりルフレッシュして 
 
また頑張ります。 
 
 
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今日で今年の営業は終わりです

2016年12月27日 | 社内事情
今日はこれから最後の残金決済と大掃除をして 
 
最後にみんなでウナギを食べて 
 
今年の営業を終了します。 
 
来年は1月5日からの営業となります。 
 
今年は大きく不動産環境が変化した一年でした。 
 
年初にこの変化に対応すべく 
 
“質の高い営業への転化” 
 
これをスローガンに改革を行いました。 
 
結果が出るには数年かかる事を覚悟で行いましたが 
 
社員の皆さん 
 
しっかり私の話を理解してくれて 
 
見事に時代に対応した変化を遂げてくれました。 
 
その結果 
 
売り上げも伸び 
 
社員の休みも増やす事ができ 
 
私が描いてた姿に近づきつつあります。 
 
来年の事は分かりませんが 
 
しかし間違いなく言える事は 
 
今年とはまた違う環境になるって事です。 
 
またそれに合わせて 
 
色々と対応して行く 
 
そんな事を繰り返す事になります。 
 
この年末年始は 
 
一年が終えた安堵と 
 
来年の不安 
 
営業職にあれば誰でも感じる時期ですが 
 
しかし不安をもったままの休日もつまらないので 
 
ここは社員の皆さん 
 
来年の不安はしっかり払拭して 
 
新しい年を迎えて下さい。 
 
その不安の吹き飛ばし方 
 
特別に教えましょう 
 
営業マンの不安は 
 
自分の業績に対する不安です。 
 
来年どうなるか分かりませんからね? 
 
実際売り上げが低迷して 
 
この世界から去らなければならないかも知れません。 
 
そんな時にまず思う事は 
 
自分と同僚 
 
あるいは他の同業者の営業マン 
 
これを比較する訳です。 
 
その比較をすると 
 
自分が去る前に消え去るであろう人間がゴソゴソいます。 
 
って事は 
 
その人達が残ってる間は自分も安泰って事です。 
 
この思考法 
 
私は自分で会社を起こすときに 
 
勇気を出すために考え出しました。 
 
小さな子供を3人抱えて大きなリスクをとる訳ですから 
 
悩みました 
 
不安も押し寄せてきます。 
 
で 
 
思ったわけです 
 
競合する同業者の社長さんと 
 
自分を比べた訳です。 
 
30社ほどピックアップして 
 
で 
 
不安が吹っ飛びました 
 
瞬時に思いました 
 
自分が潰れる前に 
 
その30社が潰れると・・ 
 
少し自信過剰でしたが 
 
しかしこれで不安が払拭され 
 
大きな1歩を踏み出す勇気を生んだ訳です。 
 
まぁそんなこんなと 
 
外部の敵と 
 
自分の内なる敵 
 
この双方と戦いながら 
 
零細企業では生きていきます。 
 
仕事を忘れて 
 
しっかり充電して 
 
また来年頑張りましょう。 
 
 
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人間の脳の数だけ違う世界が存在する

2016年12月26日 | 人生一般
神が人間を作ったのではなく 
 
人間が神を作った 
 
なんて言葉がありますが 
 
この言葉 
 
私のように宗教を信じない人間にとっては 
 
本当に上手く表現してるって思いますね。 
 
世界で神の名の下に起こる戦争 
 
そしてその戦争を利用して自らの布教に利用する団体 
 
こんな姿を見ていると 
 
本当に神と言う概念は 
 
人間を操作するのに有効であり 
 
またそれを利用する人間の狡猾さ 
 
こんな物も感じてしまいます。 
 
まぁしかし良く考えれば 
 
神だけではなく 
 
この世界はすべて人間が作ってるんですよね 
 
と言うより私が作ってる 
 
そうも言えます。 
 
こんな話しをすると 
 
私の精神を疑われそうですが 
 
私が言ってるのは 
 
宇宙だとか日々展開する目の前の世界だとか 
 
すべて私の脳が理解するから存在するって事です。 
 
分かり易く言えば 
 
私の脳が機能しなくなれば 
 
もう私にとっての世界は一瞬にして消滅します。 
 
言い方を変えれば 
 
この世は 
 
私の脳の微弱な電気信号が作り出してる 
 
本当に不安定で曖昧な世界とも言える訳です。 
 
この私の世界観 
 
理解できない人も多いでしょうし 
 
理解出来なければ私の精神を疑われますから 
 
私はブログ以外で語る事はありません 
 
またこれを語ると 
 
少なくとも神の存在を信じてる方達には不快感を持たれますから 
 
その方達の信条を尊重する意味でも語らないのです。 
 
語りはしませんが 
 
私のような世界観を持つと 
 
人間の行動原理が良く見えて来たりします。 
 
宗教を信じる人達は 
 
宗教そのもの信憑性よりも 
 
その信じる事による安堵感とか 
 
あるいは仲間意識 
 
こんな物に惹かれてるのが良く見えます。 
 
ですから 
 
大体宗教は 
 
矛盾からは目を反らし 
 
些細な事も拡大して解釈したり 
 
あるいはこじつけて解釈したり 
 
なんてのは共通しています。 
 
私のような人間からは滑稽にも見えますが 
 
しかし信じたい人に取っては 
 
これは説得力を持ちますから 
 
たくさんの信者が集まる訳です。 
 
また宗教以外では 
 
政治的な思想を持った人達も 
 
目的に合わせて世の中の出来事をねじ曲げて解釈しますから 
 
これまた滑稽なほど偏った思考形態になります。 
 
左の人達は何でもかんでも政権批判につなげますし 
 
右の人はこれまた世の中で起こるすべての悪い出来事は 
 
本能的に左翼か中国人朝鮮人に結びつけようとします。 
 
そんな訳で 
 
私達の世界は自分の脳が作り出してる 
 
これに思いが至ると 
 
人間の数だけ世界がある 
 
これが実感として分かる訳です。 
 
宗教が脳に深く入り込んでる人は 
 
その世界は自分たちが神の恩恵を受ける世界でしょうし 
 
政治思想が脳にこびりついてる人は 
 
自分たちが正義で 
 
反対勢力は悪 
 
こんな世界の中で生きてる訳です。 
 
で 
 
この世界が違う人達 
 
私のような考えになると 
 
それを受け止められるようになります。 
 
ですから 
 
自分と考えが大きく違っていても 
 
私は滅多に言い争いにはなりません 
 
生きる世界が違う者同士が 
 
自分の世界を相手に押しつけても無意味 
 
これが大前提になって人間関係を築くからです。 
 
具体的に言えば 
 
自分の世界と相手の世界が大きくかけ離れていれば 
 
極力交わらなければ良いのです。 
 
ですから 
 
特にプライベートでは 
 
自分の事を語る前に 
 
まず相手がどんな世界で生きてるか? 
 
これを探る事が大切になります。 
 
しかし仕事となれば 
 
世界が違う人とも交わる 
 
これが余儀なくされますが 
 
そんな場合でも 
 
相手との世界の違いが理解できれば 
 
比較的トラブルは少なくなります。 
 
普通は仕事と言えども 
 
負担をかければ相手に義理を感じる 
 
こんな人が多いのですが 
 
お客様によっては 
 
こちらをいくら振り回してもなんとも思わない 
 
なんて人がいます。 
 
そんな人に出会っても 
 
相手の世界が理解できてれば 
 
その世界に入り込まなければ良いのです。 
 
それができずに 
 
散々エサをチラつかされて 
 
踊らされた挙げ句 
 
おいしい所だけ他社に持って行かれて 
 
悔しい思いをするのです 
 
そんな思いをしたら 
 
相手を恨むのでは無く 
 
違う世界で生きてる人の対応 
 
これを間違えた事を悔いるべきです。 
 
恨み辛みは未熟な証 
 
少なくともこの仕事をするのであれば 
 
心に刻みたいものです。 
 
 
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零細企業で社員の画一化をしようとすれば失敗します。

2016年12月25日 | 社内事情
歳をとって体が弱り 
 
寝たきりになった私の叔父 
 
食事もほとんど取れずにもしかして・・ 
 
なんてみんな口には出さない不安を抱いていますが 
 
最近嬉しいニュースが駆け巡りました 
 
それは 
 
3食食べ物を口にするようになった 
 
って話しです。 
 
まぁ拍手喝采ですよね。 
 
しかしよく考えれば不思議なものです。 
 
3回食事をしただけで周りは喜び 
 
本人は 
 
“よくやった 良くやった” 
 
と 
 
まるで受験生が東大に受かったかのような賞賛を浴びる訳です。 
 
これを見ていると 
 
私達人間は 
 
人を評価する時には 
 
他人と比較して評価するケースと 
 
個人の状態の変化を比較して評価してる 
 
この二つがある 
 
ってのがよく分かりますよね。 
 
大体身内は他人じゃなく本人を時間軸で比較しますよね。 
 
私たちは自分の身内だから 
 
叔父が3食口にしたけで喜びますが 
 
他人から見ればバカじゃないの? 
 
なんて風に感じるはずです。 
 
また私は1歳になったばかりの孫がいますが 
 
名前を呼んだら手を上げる 
 
この行為だけで周りからは歓声が沸き起こります 
 
これに対して 
 
他人は 
 
例えば野球の大谷は 
 
過去の他の選手の記録と比較して素晴らしい 
 
なんて言われる訳で 
 
あくまで評価対象は他人です。 
 
この私達の人を評価する時の比較対象の違い 
 
これを理解すると 
 
世の中が大変よく見えたりします。 
 
実は評価対象がその人自身 
 
なんてのは身内の話しだけではありません。 
 
実際には私達は会社においてもそれを無意識に行っています。 
 
例えば 
 
当社の社員も 
 
それぞれ個性が違います。 
 
理解力に乏しい者 
 
記憶力に乏しい者 
 
あるいは朝起きるのが苦手な者 
 
また成績が上がる者上がらない者 
 
と色々です。 
 
そんな社員をすべて社員同士と比較してしまっては 
 
こんな小さな会社でも成り立ちません。 
 
例えば 
 
注意力が散漫で 
 
忘れ物が多い社員 
 
これは改めて貰わなければ困る訳ですが 
 
だからと言ってその都度子供を叱るようにしては 
 
大人のプライドがありますから 
 
あえて叱らずにやんわりと言う訳です。 
 
小川○○君またお金忘れてるよ” 
 
って 
 
それだけではありませんね 
 
飲み会でもその話題を取り上げて 
 
面白おかしくいじったりします。 
 
これが私のやり方です。 
 
そして 
 
しばらく忘れ物がないと 
 
すごいね○○君 
 
もう一ヶ月も忘れてないよ 
 
なんて褒めたりします。 
 
まるで3食食べた私の叔父と一緒って事です。 
 
これが 
 
他人と比較して指導をすれば 
 
“バカヤロー 社員で忘れ物するのはお前だけだぞ!脳に障害があるのか?” 
 
って怒鳴る事になります。 
 
これでは大の大人が立場がありませんよね。 
 
そんな訳で 
 
小さな会社ですが 
 
社員を指導するには 
 
それぞれの個性を頭に入れて 
 
それに合った指導 
 
これが欠かせない訳です。 
 
で 
 
私達のような零細企業 
 
社員の数は少ないのですが 
 
大手と違い 
 
たくさんの人の中から同質の者を選んだ訳ではありません。 
 
数少ない応募者を来る者拒まず 
 
の姿勢で受け入れてる訳です 
 
しかも大手では務まらない人ばかりですから 
 
零細企業は 
 
少ないながらも社員は個性の塊みたいなものです。 
 
そんな者達を使って 
 
しっかり生きていけるだけの売り上げを確保するのは 
 
本当に高い能力が要求されます。 
 
そしてその中でも特に 
 
社員一人一人に合った個別指導 
 
これが経営者には要求されます。 
 
しかしここまで会社を経営してきて思いますが 
 
これが 
 
逆に零細企業経営の魅力なんです。 
 
農業で言えば 
 
大きな機械を使う大規模農業もあれば 
 
少量の作物を丁寧に育てる農業もあります 
 
当社は 
 
無農薬のマンゴーを人手だけで育てる 
 
そんな感じです。 
 
この楽しみは 
 
やった者でなければ分からない世界です。 
 
 
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我が家は3連チャン

2016年12月24日 | プライベート
昨日は天皇誕生日でしたが 
 
今日はクリスマスイブ 
 
平成になってから日本人は天皇とキリストの誕生日を立て続けに祝う訳で 
 
少しお祝いの偏り感がありますね。 
 
まぁしかし天皇の誕生日だからと言ってケーキで祝う事もないでしょうから 
 
連日ケーキで甘い物は見たくも無い 
 
なんて事にはならないでしょうが 
 
しかし我が家は少し事情が違います。 
 
孫が12月22日生まれですから 
 
なんと3日連続で誕生日を祝うのです 
 
天皇とキリストの誕生日と孫の誕生日 
 
どっちが大切? 
 
まぁ言うまでもありませんね。 
 
孫の誕生日が遙かに大切です。 
 
大体天皇は国民がたくさん祝いますし 
 
キリストは世界中の人が祝ってくれますから 
 
何も私が特別に気持ちを込めたからと言って 
 
どうって事はありません。 
 
しかし孫は家族しか祝いませんからね 
 
家族にとってはそれが一番大切です。 
 
まぁ祝うと言っても 
 
ケーキーとごちそうとお酒 
 
これを胃袋の中に押し込めるだけですが 
 
しかし私達の胃袋は結構わがままですから 
 
いくらごちそうでも連続となると 
 
すぐに働くのを嫌がりますね。 
 
ですから今回つくづく思いましたが 
 
私の孫は天皇とキリストの前に産まれて良かったです。 
 
これが逆だと 
 
胃袋は拒否してるのに 
 
無理矢理ケーキやらチキンやらを押し込む訳ですから 
 
楽しい訳がありません 
 
これでは孫に誤解されますよね。 
 
おじいしゃんは僕が産まれて嬉しくなかったの? 
 
って 
 
そんな訳で 
 
ただでさえ12月は胃袋を酷使しますが 
 
我が家は12月22日からの3連チャンが待ってますので 
 
日頃からそれに備えて胃袋のご機嫌取りをする訳です。 
 
しかしこの胃袋のご機嫌取り 
 
本当に大変ですね。 
 
なんせ胃袋は自己中ですからね 
 
食べ過ぎればもたれ 
 
少し時間を空ければ空腹の苦痛を与えます。 
 
毎日こんな思いをして 
 
いつも思います 
 
もしかしたら 
 
私達の自我は胃袋の奴隷ではないか? 
 
と 
 
しかもこの胃袋 
 
同じ消化器官でありながら 
 
腸との連携はちぐはぐです。 
 
腸は腸でこれまた胃と同じ自己中です。 
 
胃袋が満足するだけ食べ物を食べると 
 
今度は腸がへそを曲げて 
 
激しい下痢 
 
なんてのは頻繁に起こります。 
 
胃袋は空腹で苦痛を与え 
 
それに従って食べると 
 
腸は消化作業を拒否して 
 
激しい腹痛 
 
こんな時にはトイレにしゃがみながら 
 
いつも思います 
 
仲良くして下さい  
 
お願いします 
 
って 
 
この私達を支配する二つの臓器 
 
この意思不通は本当に悩みの種ですが 
 
私達人間社会も同じ構造がありますよね。 
 
私は昔家族経営の会社に勤めてた事がありますが 
 
奥さんと社長 
 
どっちが偉いのかはっきりしない会社でした 
 
肩書きでは社長が上ですが 
 
夫婦関係では奥さんが上 
 
でその夫婦関係を会社に持ち込んでますから 
 
社員はたまらない訳です。 
 
その改善を進言しましたが聞き入れて貰えず 
 
私は去る決断をしました。 
 
この経験から 
 
私は自分で会社を作る時には 
 
家族は入れない 
 
これを強く決意した訳です。 
 
しかし家族経営の弊害を見る事ができたのは財産でしたね。 
 
ダブルスタンダードは社員を苦しめる 
 
これが分かってますから 
 
私自身は会社経営では常にそうならないように意識しています。 
 
私自身の発言も一貫性に気を付けてますが 
 
管理職の社員との考えのすりあわせ 
 
これも大切です。 
 
まぁしかしそうは言っても3店舗ありますから 
 
各店長とも中々顔を合わす事ができませんが 
 
しかし今の時代はその意味では本当に有り難いですね 
 
ブログがありますから 
 
大体私の考えは伝わります。 
 
また 
 
私の考えを伝えるだけではありません 
 
私自身もこのブログで 
 
自分の発言の一貫性 
 
これを確認する事ができるのです。 
 
その意味で大変有効に利用させてもらってる訳です。 
 
有り難い事にたくさんの方に読んでいただいていますが 
 
私自身の一番の目的は社内事情ですので 
 
仮に社員以外誰も読まなくなっても書き続ける 
 
そんな事になるだろうと思います。 
 
さて 
 
あと数日で今年の業務は終了 
 
私は礼によって沖縄に飛びます 
 
ただ 
 
年明け早々戻る事になります 
 
孫がお年玉をもらいに来ますからね。 
 
一人の命の誕生は 
 
大変大きい 
 
そんな事を実感した一年でした。 
 
 
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キャンセル恐怖症の人にキャンセルが押し寄せる原理

2016年12月23日 | 不動産業界

動産売買と結婚は縁物 
 
なんて昔は言いましたが 
 
この二つは間違いなく色んな共通点があります。 
 
一番強く感じるのが決断の難しさですね。 
 
結婚相手も原則的には一生連れ沿う訳ですから 
 
失敗はしたくありません 
 
が 
 
この決断は皆経験がないままする訳ですから 
 
実際には失敗の可能性も高い 
 
そんな恐ろしい決断となります。 
 
失敗すると離婚って事になりますが 
 
中には夫婦関係は破綻してるのに 
 
子供の事やら生活や世間体やらを考えて 
 
ひたすらガマン 
 
なんて人達も多いでしょうから 
 
それまで含めると 
 
失敗したなんて思ってる人の方がもしかしたら多いのかも知れません。 
 
この決断の難しさ 
 
これ故に中々決断できないなんて人もいます。 
 
そして婚期を逃して一生独身 
 
これも今の時代は多分多いですよね 
 
住宅も全く一緒です。 
 
一生に一度の買い物 
 
なんてって言って慎重になる訳ですが 
 
これも度を超すと 
 
タイミングを失います 
 
信じられないかも知れませんが 
 
不動産の購入希望者の中には 
 
何十年も探してる 
 
なんて方もいます。 
 
そんな訳で 
 
一生の内に何度も起こらない決断 
 
これが 
 
不動産売買と結婚の共通点の元になってる訳です。 
 
しかしいつも思いますが 
 
世の中に完璧な結婚相手が中々いないのと同じで 
 
 
不動産も完璧なのはほとんど存在しません 
 
決断できるかできないかは 
 
この足りない部分 
 
これを受け入れられるかどうか? 
 
これにかかってる訳です。 
 
価格は手ごろで駅からも近い 
 
でも日当たりはいまいち 
 
ここで日当たりをガマンできれば決断ができますが 
 
日当たりも妥協できない 
 
って事になると 
 
またしばらく不動産屋通いって事になります。 
 
結婚も 
 
性格も収入も問題ないけど顔が・・ 
 
なんてケースも多いかと思いますが 
 
これも顔はガマン 
 
って方は結婚していきますし 
 
顔も譲れない 
 
なんて事になると 
 
また合コン通いって事になります。 
 
まぁしかし決断が良いとは言えません 
 
決断しないのも決断の内 
 
これは人それぞれです。 
 
不細工な男と暮らすよりは一人暮らし 
 
この選択が間違ってるとは言えません。 
 
しかし我々不動産屋からすれば 
 
大変な労力を費やして 
 
結果徒労に終わるとすれば 
 
決断できないお客様は早めに見抜いて 
 
その被害を最小限に収めるべきですよね 
 
何十年も不動産を見て歩く人に引きづり回されては 
 
自分自身がつぶれてしまいます。 
 
私はたくさんの営業マンを見てきていつも思いますが 
 
この簡単な話 
 
理解してるかどうか? 
 
怪しい人は多いですよね。 
 
私は若い頃から時間がありませんでしたから 
 
徒労防止 
 
これはいつも意識して営業してきました 
 
って事は 
 
話しが途中でダメになる可能性がある案件は 
 
最初からガンガン悪い話しばかりします。 
 
例えばその物件の水圧が少し低いとか 
 
あるいは隣地が少し越境してるとか 
 
知り得てる悪い話しばかり洪水のようにぶつけて 
 
それでもその欠点は受け入れられる 
 
これを確認してから案内に入る訳です。 
 
ところが 
 
結果の出ない営業マンは 
 
悪い話しは皆後手後手です。 
 
お客様を案内して 
 
契約予定を決めてから 
 
“大した話ではありませんが今回の物件は少し違法増築があります” 
 
みたいな感じで 
 
本来最初に話していれば何にも問題がない 
 
なんてケースも 
 
後出しにして 
 
結果信頼を失い 
 
せっかくまとまりかけた話しもパアにする訳です。 
 
どうしてこんな愚かな行動になるかと言うと 
 
一口で言えば 
 
解約恐怖症です 
 
悪い話しをすれば契約が流れる 
 
この不安が 
 
後手後手に回るのです。 
 
私との違いは 
 
徒労を恐れるのか解約を恐れるのか? 
 
って事のように思いますが 
 
結果は 
 
その態度がキャンセルの可能性を高める訳です。 
 
悪い話しを後回しにする営業マンは結果が出ない 
 
私が確信を持ってる話しです。 
 
結婚でも 
結婚式の日取りが決まってから 
 
“実は再婚で連れ子がいる” 
 
なんて言われてしまえば話しが流れますからね 
 
これと一緒って訳です。 
 
恐れてる事は必ず現実になる 
 
恋人との破綻も 
 
契約のキャンセルも 
 
全く一緒です 
 
悪い話しを隠してる間は 
 
契約がまとまる 
 
なんて期待すること自体がそもそも間違い 
 
そう思って下さい。 

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精力的な男たち

2016年12月22日 | 不動産業界
30年程前 
 
他社の社員ですが 
 
バリバリの体育会系の新人営業マンと親しく付き合って居ました。 
 
どっちかと言うと仕事よりプライベート 
 
そんな感じでしたね。 
 
酒を飲む事も多かったのですが 
 
彼は有名な大学の体育学部を出たばかりで 
 
身体の能力が高かったために 
 
当時私は弱小草野球チームを作っていましたので 
 
試合の時に助っ人で呼びました。 
 
大体相手も弱小チームでしたから 
 
彼が来れば140キロの速球ですから 
 
ほとんど完封勝ち 
 
相手からは反則だってクレームが来ました。 
 
その時代の数年はそんな感じで親しく付き合っていましたが 
 
やがて私は独立 
 
彼も勤めてた会社を辞めてしまいましたので 
 
会う感覚が次第に大きくなり 
 
そしてここ20年くらいは全く連絡を取っていませんでした。 
 
が 
 
最近 
 
当社の社員がある会社に建て売り用地を納める事になって 
 
話しが進んだら 
 
そこの役員が私を訪ねてきました。 
 
最初はあまりにも外見が違ってましたので分かりませんでしたが 
 
しかし骨格の太い顔と浅黒い肌 
 
そしてそこから見える白い歯はまさに彼です。 
 
20代の青年が 
 
もう100人以上の部下を抱える人間になってる訳です。 
 
当時はそこまで出世するとは思いませんでしたね。 
 
私の見る目も大した事が無いって話です。 
 
しかし 
 
今にして思うと 
 
出世しない訳がないですよね。 
 
何が彼を上に上げるのかと言えば 
 
その行動力です。 
 
部下が上げてきた書類に私の名前を見つけて 
 
これは挨拶しなければとすっ飛んで来る訳ですからね。 
 
不動産業界に限らず 
 
営業の世界で出世する人達は 
 
ほとんど共通した臭いがしますよね。 
 
精力的と言うか 
 
行動が早いと言うか 
 
多分私も若い頃は同じだったと思います。 
 
毎日ほとんど飛び回っていましたからね。 
 
しかし 
 
多分彼から見れば 
 
私の昔の面影はないでしょうね。 
 
一緒に精力的に遊び回った先輩だったのに 
 
そこに居るのは冴えない初老の男ですからね。 
 
私は彼のような人間をうらやむ気持ちは間違いなくありますが 
 
とても私にはもうそんな生き方はできません。 
 
日々押し寄せてくる仕事で精一杯です。 
 
逆に言えば 
 
給料を貰う立場だから 
 
あのように活動的になれるんですよね。 
 
当社のような零細企業は 
 
社長は雑用係から 
 
社員の営業の手伝いまで 
 
すべてこなさなければなりません。 
 
ですから 
 
外を飛び回る時間もない訳です。 
 
まぁしかし経営者はそうなんですが 
 
一社員として成績を上げるのであれば 
 
しっかり見習うと良いですよね。 
 
営業の仕事で上に行くには人が寄ってこなければなりません。 
 
そして 
 
人は精力的な人間に寄ってきます。 
 
って事は 
 
精力的になればこの世界では成功するって事です。 
 
ではどうすれば精力的になれるのでしょうね? 
 
まぁ色々ありますが 
 
不動産の世界では金儲けを楽しむ事ですね。 
 
その気になればそこいら中にビジネスチャンスが転がってますから 
 
それを一生懸命拾えば良い訳です。 
 
まぁしかし 
 
そうは言っても人間疲れますから休みも欲しい 
 
なんて思った人います? 
 
そんな人 
 
まず大きく人の上に行くのは難しいでしょうね。 
 
私が若い頃 
 
ある大手のカリスマ営業マンの先輩から頂いた言葉あります。 
 
私はこの言葉を信じて 
 
若い頃は頑張りました。 
 
その言葉は 
 
仕事の疲れは仕事で取る 
 
仕事のストレスは仕事でぶっつぶす 
 
って事です。 
 
これが実感として理解出来る人は人の上に行きます。 
 
理解出来ないと 
 
凡人って事ですから 
 
平凡な人生で甘んじる事です。 
 
人の上に行くのは 
 
とても大変な事ですから 
 
誰でもできる訳ではありません。 
 
 
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酒の席には地雷が埋まってる事があります

2016年12月21日 | 不動産業界
おとといは当社の忘年会でしたが 
 
近年になく社員は盛り上がっていましたね 
 
酒がガンガン無くなって行きました。 
 
みんな大声で楽しそうに笑いながら語ってる姿は 
 
経営者としては大変嬉しい限りですが 
 
しかし盛り上がって冗談を言い合うって事は 
 
お互い気持ちを許してるって事です。 
 
気持ちを許してるって事は 
 
きわどい言葉も飛交っています。 
 
もちろんそれに水を差す気はありませんが 
 
しかし少し不安になる事もありますね。 
 
もしその言葉を受け止められない人がいたら? 
 
なんて気持ちがどこかにあるのです。 
 
まぁ今の社員は皆大丈夫ですが 
 
友達だと思っていじってたら 
 
相手はそれを恨んでる 
 
何て話しは 
 
そこいいら中にあるんでしょうね。 
 
よく中学のイジメも 
 
加害者はいじめたつもりは無く 
 
ただ相手が喜ぶと思っていじってた 
 
て感じの行き違いって事があります。 
 
ですから 
 
盛り上がるためには多少の冗談は欠かせませんが 
 
これも相手の心の容量を考えないと 
 
ある日突然とんでもない話しになったりします。 
 
まぁしかしいつも思いますが 
 
冗談を受け入れられない人は不幸ですね。 
 
少しの冗談も受け止められずに恨む 
 
なんて人は多いですが 
 
大体友達はいなくなりますね。 
 
会社では冗談を言わなくても仕事はできますが 
 
プライベートで許容範囲が狭い人と付き合う人はいません。 
 
びくびくしながら言葉を選んで酒を飲んでも面白くありませんからね。・ 
 
その意味では不動産の仕事はとても良いと思いますね。 
 
毎日色んなお客様と接しますから 
 
自然と自分自身も言葉への耐性はついてきます。 
 
大体不動産の営業なんてのは言葉に傷つくようでは 
 
とうてい務まりません。 
 
ですから 
 
逆に言えば 
 
言葉への抵抗力 
 
これが強くならなければ 
 
いずれ辞める可能性は高くなります。 
 
不動産の世界は 
 
毒舌の蔓延する世界 
 
そうも言えるかも知れません。 
 
ただ 
 
不動産屋の皆さん 
 
気を付けましょうね 
 
私達はそんな感じで言葉への耐性はついてますが 
 
他の世界はそうではありませんからね。 
 
ですから 
 
他業種の方と交わるとき 
 
特に非営業の人達との交流は 
 
まず相手の言葉への抵抗力 
 
これをしっかり見極めましょう。 
 
私自身は 
 
色んな人達と会食してきましたが 
 
その中には 
 
まるで皇室の夕食会? 
 
って感じの 
 
とても品の良い方達が集まる世界もありました。 
 
もう私はガチガチでしたね。 
 
何を食べたのかも思い出せませんでした。 
 
まぁそんな訳です 
 
忘年会シーズンで色んな人達と酒を飲む機会が多いですが 
 
不動産屋の皆さんは 
 
自分たちの世界は少し特殊 
 
なんて意識を持つべきでしょうね。 
 
これが持てないと 
 
時々地雷を踏む事になります。 
 
私自身 
 
若い頃は 
 
酒の影響で起こる前頭葉のマヒ 
 
これによってたくさん失敗しましたからね。 
 
皆さんはそうならないように 
 
老婆心から語ってる訳です。 
 
 
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思考が浅いと裏目に出る

2016年12月20日 | 世間一般
大統領就任早々ノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領 
 
最初にこのニュースを聞いたときに 
 
まだ核廃絶の理念だけを語ってるだけなのに 
 
早すぎないか? 
 
なんて思ったのは私だけではないと思いますが 
 
しかし今になって見ると 
 
明らかに大間違いですね。 
 
ノーベル賞の選考委員も後悔してる事と思います。 
 
オバマ大統領はもうすぐ8年の任期を終える訳ですが 
 
この間の世界の動きを見ると 
 
本当に平和の実現なんてのは難しい 
 
そんな風に思いますね 
 
オバマは最初の選挙の時に 
 
米軍のイラクからの撤退 
 
これを公約に当選した訳ですが 
 
ではその撤退にどんな意味があったか? 
 
なんて事を検証すると 
 
一口で言えば 
 
米軍の若い兵士の死をムダにしたって話しです。 
 
つまり 
 
ブッシュ政権時代イラクに侵攻した米軍 
 
たくさんの自国の若者の命を犠牲にして 
 
サダムフセインを倒した訳ですが 
 
その事によるイラクの混乱を抑えるために駐留してた米軍 
 
これをオバマが撤退させたために 
 
今度は 
 
フセイインより最悪なISが台頭した訳です。 
 
そしてシリアでも最近アサド政権がアレッポを奪還しましたが 
 
これもオバマが直接の軍事介入をためらったために 
 
瀕死のアサドが生き返ったって訳です。 
 
ここでも 
 
30万人とも言われる犠牲者を出してまた振り出しです。 
 
こうやって結果から見ると 
 
平和を強調して軍事介入を避けたオバマ 
 
実際にはこの決断が 
 
たくさんの命を失っただけでなく 
 
中東の混乱に拍車をかけ 
 
これからも無数の犠牲者を出す事になった訳です。 
 
ですから皮肉な事に 
 
平和を訴えて当選しノーベル平和賞も受賞したオバマですが 
 
結果から見れば 
 
たくさんの命を失う事になった原因になってしまった訳です。 
 
まぁしかしオバマに限らず世界には平和を訴える人がたくさんいますが 
 
平和を叫んだだけで平和が来ればこんな楽な事はないですよね。 
 
実際に平和をもたらすには 
 
武力も必要だし軍事行動も欠かせない 
 
これが人間の歴史を見ればよく理解できます。 
 
平和、平和と訴えてるだけで自己満足に陥ってる人達は 
 
どうも考えが浅いように見えて仕方がありません。 
 
平和を望む気持ちは誰でも同じですが 
 
それを実現するためには 
 
色んな物を犠牲にしてしか成し遂げられないって話しです。 
 
この建前だけ唱えるだけの人達 
 
色んな世界にたくさんいますよね。 
 
私達のビジネスの世界でも 
 
本当にこの事を強く感じます。 
 
私達経営者から見れば 
 
労働者の権利の主張が強い団体だとか 
 
あるいはそれに影響されてる人達 
 
どうもやってる事が裏目に出る 
 
こんな風に見えて仕方がありません。 
 
労働者の権利を強く主張すれば 
 
企業の採用意欲は萎えますし 
 
結果企業は縮小の選択をします。 
 
縮小しなくても 
 
グローバル化の中では 
 
安い労働力の国に逃げて行きます。 
 
それよりも一番恐いのは 
 
事業の継続の意欲も失う訳です。 
 
特に私達のような零細企業は 
 
過剰な権利を押しつけられば 
 
経営が成り立ちませんから 
 
閉鎖の選択 
 
これが現実になります。 
 
会社があっての権利主張ですから 
 
無くなればそれから解放されるって訳です。 
 
まぁしかし当社の場合は 
 
なんとかかんとか役人の指導に従って頑張っていますが 
 
これからどうなんでしょうね? 
 
分かりませんが 
 
少なくとも私達国民は 
 
生き残るためには 
 
耳障りの良い建前だけにとらわれてはいけませんよね。 
 
特に零細企業は 
 
毎日僅かの売り上げでやりくりしてる訳ですから 
 
ある意味経営者は綱渡りをしてるようなものです 
 
そんな時に 
 
過剰な負担を押しつけられば耐えられなくなります。 
 
先日久しぶりに訪ねてきたお客様がいましたが 
 
この方小さな鉄工所を経営していましたが 
 
長年一緒に苦労してきた従業員がいますので 
 
自分の生活費を削りながら頑張っていたそうですが 
 
数年前に閉めたそうです。 
 
閉めた理由は 
 
自分は従業員の事を考えて続けてるのに 
 
年金事務所と労働基準監督署がガタガタ言って来たので 
 
一気にやる気を失ったって話しでした。 
 
この話し 
 
多分日本中にありますよね。 
 
まぁ時代の流れですが 
 
いずれにしても 
 
日本の零細企業の状況 
 
これを知らずに過剰な負担を押しつけると 
 
労働者のために行った行為が 
 
逆の結果になる 
 
そんな側面もあるって事です。 
 
平和を訴え米軍を引き上げたオバマの行為が 
 
たくさんの命を失う結果になるのと一緒で 
 
労働者の権利も浅い考えで押し進めると 
 
結果労働者の働く場所を奪う事になり 
 
逆効果って訳です。 
 
居酒屋にブラック企業のレッテルが貼られて 
 
時給を上げたり 
 
勤務時間の短縮を強制したり 
 
なんて事が行われましたが 
 
そのせいで 
 
閉める居酒屋も目立ちますね。 
 
働く場を失った人も困りますが 
 
当社もよく利用してた居酒屋が閉鎖になる 
 
なんて話しを聞くと 
 
どうも 
 
今の建前がはびこる風潮 
 
少し的外れ 
 
そんな気がして仕方がありません。 
 
いずれにしても 
 
私達の人間社会は密接につながってますから 
 
何かを攻撃すれば 
 
自分にはね返ってくる 
 
こんな事も多い訳で 
 
気をつけたいものです。 
 
 
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攻撃型と守備型

2016年12月19日 | 社内事情
私のゴルフ仲間の方に 
 
35年間毎日同じ朝食を食べてる人がいます 
 
トーストとバナナとコーヒーだそうです。 
 
私が飽きませんかと聞いたら 
 
他のも物を食べたいと思った事が無いそうです。 
 
すごいですよね。 
 
この方ゴルフも固いゴルフをしますね。 
 
刻む事が多いです。 
 
またやはり同じゴルフ仲間の方で 
 
もう50年近く毎晩焼酎を2杯飲んでる人がいます。 
 
この方もゴルフは丁寧なゴルフをします。 
 
私が凄いと思うのは 
 
私はそんな事ができないからです。 
 
まず朝食は規則正しく取る事はありません 
 
大量に食べる事もあれば 
 
全く食べない日もあります。 
 
また食べるのもほぼ毎日違う物を食べます。 
 
また夜の酒も 
 
大体ビールと泡盛ですが 
 
その日によって泥酔する事もあれば 
 
1週間一滴も飲まないって事もあります。 
 
またゴルフも 
 
どんなに難しくても刻む事は滅多にありません。 
 
ですからOBも頻発する 
 
これが私のゴルフスタイルです。 
 
スコアも70台を出す事もあれば 
 
110を叩く事もあり 
 
全く安定しません。 
 
この底堅いゴルフをする方と 
 
私みたいなチェレンジャー 
 
ゴルファーはこの両極端が多いですね。 
 
実はこんな話しを書くのは 
 
私達人間がそもそも生まれながらにして 
 
攻撃型と守り型 
 
この二つに分かれてる 
 
そんな気がするのです。 
 
そして 
 
サッカーなどの団体競技がオフェンスとディフェンダーに分かれてるのと同じで 
 
私達人間社会がこの二つを必要としてる 
 
最近はそんな風に思うようになりました。 
 
どうしてそう思ったかと言うと 
 
今年二人社員が辞めたからです。 
 
辞めただけでは気づきませんでしたが 
 
彼らがいなくなった後の会社の変化を見て気づいたのです。 
 
つまり 
 
彼らは二人ともディフェンダーだった訳です。 
 
私は愚かな事に 
 
元々守りをするべき人間に攻撃を求めてた 
 
これに気づいた訳です。 
 
どうして気づいたかと言うと 
 
デフェンダーがいなくなりましたから 
 
攻撃型の会社に変わったのです。 
 
そしてこの攻めが得意な社員は 
 
逆にディフェンスは向いてない 
 
 
そんな風に思える訳です。 
 
スポーツは守りと攻めのバランスが取れたチームが強いチームです。 
 
野球でも攻撃が二桁得点をしても 
 
投手が弱くて負ける事もよくあります。 
 
これが会社でも全く一緒って訳です。 
 
そして 
 
私はこれまで 
 
同じ人間に守備と攻撃のバランスを求めてましたが 
 
これは間違いだってのが分かった訳です。 
 
毎日35年間も同じ朝食を食べなければ気が済まない人 
 
同じ朝食を二日続けて食べられない人 
 
これは生まれつきです。 
 
であれば 
 
人間は元来持って生まれて備わってる性格 
 
これに沿って育てるべき 
 
こんな事を思うようになってきました。 
 
今年は一人社員が増え 
 
また来年も増やすつもりです。 
 
今度は 
 
その人間の性格を見ながら 
 
守備のに配置するのか 
 
あるいは攻撃にするのか 
 
そんな事を考えながら 
 
大きく育てたい 
 
なんて思っています。 
 
 
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小さな夢と小さな目標

2016年12月18日 | 社内事情
今は民進党の党首をしてる蓮舫さん 
 
民主党時代に事業仕分けって言うパフォマンスの中で 
 
スーパーコンピューターの開発費に触れ 
 
“2番じゃダメなんですか?” 
 
なんて言って大ブーイングでしたね。 
 
今にして思うと 
 
民主党は政権を取ってすぐに没落に入った事が分かる 
 
象徴的な出来事でした。 
 
しかし蓮舫さんは批判されましたが 
 
実際に私達が生きる世界では 
 
スポーツであれ仕事であれ 
 
大部分の人は一番にはなれない訳ですから 
 
この蓮舫さんの言葉は 
 
むしろ生きてく上では大切 
 
私はそんな風に思いました。 
 
私の息子は3人とも少年サッカーやっていましたが 
 
能力は長男が一番高く 
 
市の代表にまで選ばれました 
 
で次男と三男はどちらかと言うと平均以下 
 
全く目立ちませんでした。 
 
で 
 
あれから月日は流れ 
 
今も時々サッカーをしてるのは 
 
鳴かず飛ばずの次男と三男です。 
 
長男は一切やりません。 
 
と言うよりもう既に中学の時に実質的には止めてしまいました。 
 
理由は 
 
長男は一番を目指したからです。 
 
ところが 
 
市の代表になれば 
 
たくさんの才能のある選手が集まりますから 
 
自分が一番になる事は不可能 
 
それに気づいて 
 
一気にサッカーの熱が冷めたって訳です。 
 
まぁこの話しはたまたま私の家族の話ですが 
 
一番を目指すって事はそう言う事なんです。 
 
しかしどんな世界でも 
 
一番を目指す人達が引っ張ってレベルアップを成し遂げる訳ですから 
 
そんな人は絶対に必要ですが 
 
では 
 
例えばサッカーで言えば 
 
その一番を目指す人達で成り立つかと言えば 
 
それは全く逆です。 
 
一番とは無縁の人達 
 
これがいるからサッカーと言う競技は成り立つ訳です。 
 
私の息子達の例で言えば 
 
お金を払ってスタジアムに足を運ぶのは 
 
次男と三男ですが 
 
長男は全く行きませんから 
 
今はサッカーには何も貢献してない訳です。 
 
つまり 
 
一流選手が活躍するのは 
 
無数にいる平凡なプレーヤーや 
 
あるいはプレーはしなくても観る 
 
そんな人達がいるからです。 
 
メッシだのネイマールだの 
 
そんな選手が揃っても 
 
誰もサッカーに興味が無ければ 
 
本人達にとっては大金を得る手段からただの趣味に成り下がってしまう訳です。 
 
スポーツに限らず 
 
私達は一流の人達を賞賛しますが 
 
どんな世界でも 
 
その一流の選手を支えてるのは 
 
全く注目されない 
 
無数の凡人達 
 
これが人間の社会です。 
 
ですから 
 
私はいつも思います 
 
他人の目を意識し過ぎると 
 
人生をムダにしてしまうと・・ 
 
大切なのは 
 
自分自身が納得するかどうか 
 
これだけです。 
 
人は生まれながらにして 
 
身体能力も違えば 
 
育つ環境も違います 
 
にも関わらず 
 
それを考慮せずに他人と自分を比較して 
 
自分に嫌悪感を持っては 
 
本当に愚かだと思います。 
 
私は 
 
若い頃から比較するのは自分だけです。 
 
例えばゴルフでも 
 
始めた頃は 
 
はるか年下の若者達に混じって 
 
一人だけ惨めな思いをしましたが 
 
しかしここまで続けて来たのは 
 
自分自身が少し上手くなってるのが分かるからです。 
 
この歳になっても成長する 
 
この喜びは中毒になります。 
 
麻薬中毒はいけませんが 
 
自分の成長に中毒する事ができれば 
 
人生の意味が大きく変わるわけです。 
 
そんな感じで 
 
私は会社も他社と比較してどうこうする事はありません。 
 
自分の能力と環境で 
 
少ないながらも社員と家族の生活を守る 
 
これが自分の誇りでもあり 
 
生き甲斐でもある訳です。 
 
そうは言っても 
 
もう還暦を過ぎましたから 
 
いつまでやれるか分かりませんが 
 
少なくとも私がここまでやれたのは 
 
開業して3年続けたら合格点 
 
まずそんな事を考え 
 
3年経ったら 
 
5年間持ったら万々歳 
 
で5年経ったら 
 
10年を目標に 
 
なんて思いながらやって来た訳です。 
 
つまり 
 
小さな目標を立てて 
 
ひたすらそれを目指した結果 
 
振り返ればこれほど長く生き残った訳です。 
 
ですから 
 
私の人生観は 
 
小さな目標は人生を切り開く魔法の杖 
 
って感じです。 
 
3年だけ生き残れれば合格 
 
なんて思いで始めましたので 
 
その10倍も生き残ったとすれば 
 
もういつ果てても悔いはない訳です。 
 
そんな訳で 
 
大きな目標は否定しませんが 
 
長くやるには 
 
小さな目標 
 
これが一番だと私は思ってる訳です。 
 
これからも零細企業のままです。 
 
 
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すべては生きてる者のために・・・

2016年12月17日 | 人生一般
お歳暮お中元は最近ずっと決まった会社に注文しています。 
 
四国にある会社ですが美味しいうどんを安く提供して頂いてるので助かっています。 
 
なんせ400個近く発注しますからね。 
 
以前は毎回頭を悩ましてましたが 
 
今は単に送付先のデーターを送るだけですから 
 
私の負担は随分減りました。 
 
で 
 
今年のお歳暮もまずいつもの担当者に電話を入れました 
 
この担当の方私と同じ歳ですが 
 
大変真面目な人で 
 
電話からもそれが伝わってきます。 
 
ですから 
 
その担当の方の性格も私が発注する大きな理由です。 
 
電話をすると 
 
他の方が出たので 
 
いつものように○○さんお願いします。 
 
って言うと 
 
その電話に出た方 
 
ほとんど半べそ状態でとんでもない話しをしました。 
 
いきなり 
 
○○は3日前に亡くなりました 
 
って話しでした 
 
まぁ驚きますよね 
 
最近まで普通に話してた訳ですから 
 
で 
 
私はその方に聞いた訳です。 
 
亡くなった時の状況を 
 
するとそのいきさつを話してくれました。 
 
まず午後6時 
 
いつものように元気に挨拶して会社を出たそうです。 
 
で 
 
家に帰り普通に夕食を食べ 
 
午後11時に就寝 
 
そしてそれから3時間後 
 
突然亡くなったそうです。 
 
死因は心筋梗塞 
 
まぁ周りは驚きますよね 
 
亡くなる寸前まで普通に元気だった訳ですから 
 
だから覚悟が出来てない同僚は泣き声だった訳です。 
 
その会社 
 
社員は6~7人の零細企業ですが 
 
その中でも食品を扱ってる担当者は 
 
今回亡くなった方一人でやってたそうです。 
 
で 
 
亡くなった翌日 
 
会社で全員で会議をして 
 
出した結論が 
 
食品事業部は閉鎖 
 
だそうです。 
 
って事は? 
 
当社のお歳暮も頼めないの? 
 
って思い訪ねたら 
 
当社には長年お世話になったので 
 
全社を上げて最後の仕事を受ける事になったって語ってくれました。 
 
有り難いですよね。 
 
まぁしかしこれで最後って訳ですから 
 
大変残念でもあります。 
 
しかしこの会社の顛末 
 
話しを聞いてる内に強く感じた事があります。 
 
私達は 
 
すべて生きてる者が生きてる者のために動く 
 
って事です。 
 
つまり 
 
前の日まで元気だった同僚が 
 
朝亡くなった訳ですが 
 
その訃報と同時に 
 
会社はすぐに会議を開き 
 
今後の対応を決めた訳です。 
 
仕事で支障が出ないように 
 
次々と他の社員が段取りをした訳です。 
 
って事は 
 
人は亡くなった途端に 
 
もう周りは 
 
その人がいない世界で生きる準備を始める 
 
そう言っても良い訳です。 
 
私は自分の妻にそれを強く感じた事があります。 
 
それは妻の母が事故で死んだのに 
 
私がいくら早く沖縄に行くように言っても 
 
小さかった3人の子供の食事の準備を止めなかったのです。 
 
親と言えども死んでしまえばもう何もする事はできない 
 
だから生きてる者のためにエネルギーを注ぎ続ける訳です。 
 
こないだテレビで野良猫の番組をやってましたが 
 
子猫を育ててるメス猫は 
 
オス猫が近づいて来ると 
 
もの凄い剣幕で追い払いますよね 
 
理由は 
 
その近づいて来るオス猫は 
 
子猫を皆殺しにするために来てるからです。 
 
どうして皆殺しにするかと言えば 
 
他のオス猫の遺伝子を絶って 
 
自分の遺伝子を残すためでです。 
 
大体はメス猫に追い払われますが 
 
しかし 
 
たまに母猫の目をかいくぐり 
 
そして生まれたばかりの子猫を殺す事に成功します。 
 
で 
 
その自分の子供を殺された母猫 
 
もう死んだら諦めて 
 
次の子作りを始めます 
 
その自分の子供を殺した憎いはずのオス猫 
 
これと交尾するのです。 
 
そんなシーンを見ると 
 
私達生を受けた者は 
 
すべて生のために生きてる 
 
そんな風に感じる訳です。 
 
ですから 
 
大切な人が亡くなれば 
 
私達は悲しみますが 
 
実際には本能は 
 
もうその瞬間から 
 
生きてる者達のためにその死による悪影響の排除 
 
これを始める訳です。 
 
私達は人間を色んなカテゴリーに分けますが 
 
死んだ者と生きてる者 
 
この間の境は絶対的で 
 
誰も超える事はできません。 
 
まぁだから何なの? 
 
って言われたら上手く説明できませんが 
 
私自身は 
 
自分は生きてる者ために存在する 
 
これをいつも意識しています 
 
って事は 
 
自分も死んでしまえば 
 
もう家族も社員も 
 
赤の他人より遠い別世界の人 
 
って事になりますので 
 
せめて必要とされる間は 
 
頑張りたい 
 
なんて気持ちが強くなる訳です。 
 
 
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