駅前不動産屋今日も回りは敵だらけ

株式会社 ハウスショップ 東京都町田市

こんな人間がゴソゴソいます・・注意

2012年05月31日 | 世間一般
久しぶりに求人広告を出してみました 
 
で 
 
残念ながら今回は採用になりませんでした。 
 
人員は足りてる中で 
 
将来を見据えての募集です 
 
したがってハードルは高くなります。 
 
採用にはなりませんでしたが 
 
今回は 
 
今の日本の厳しい状況がはっきり見てとれましたね。 
 
今回採用にならかった理由の多くに年齢があります 
 
年齢が高いわけではありません 
 
低いのです 
 
20歳前後の方からたくさんの問い合わせがありました。 
 
またこれも従来になかった事ですが 
 
来春の卒業予定の大学生からも何人か応募がありました。 
 
厳しい仕事です 
 
社会経験のない方には 
 
かなり難しいので断腸の思いで断る事になりました。 
 
 
 
で 
 
そんな中 
 
強烈な人から電話がかかってきました。 
 
 
もしもし川端です。 
 
あんたが社長か? 
 
はいそうですが、社員が何かやらかしましたでしょうか? 
 
そうじゃない 
 
ではご用件は? 
 
あんたんとこ求人広告出してるよな 
 
はい 
 
おれ採用してもらいたいんだけど 
 
はい? 何か言いました? 
 
面接に行きたいんだよ 
 
あのご冗談を? 
 
冗談でこんな事言えるかよ 
 
冗談ではない? 
 
本気だよ 
 
あのそれでしたら申し訳ありませんが難しいと思います。 
 
なんであんた会わないのにオレの事わかるのか? 
 
はい 
 
なんで分かるんだよ 
 
その口調では採用する事はありません。 
 
はぁお前んとこ口調で人を差別するのか? 
 
申し訳ありません 
 
お前オレを誰だと思ってるの? 
 
いや知りません? 
 
まあいいや 知ったら驚くよ 
 
脅迫でしたら警察に通報いたしますが 
 
おまえそんな事言って大変な事になるよ 
 
・・・・・・・・ 
 
とにかく近いうちに行くから待ってろ ガチャ 
 
 
この人の目的 
 
本当に応募なのか 
 
それとも脅迫なのか 
 
さっぱり分かりません 
 
 
こんな時私はソトレスがたまらないように心の中で 
 
 
”ふら~ や~かいけれ~” 
 
と叫びます。 
 
ウチナーグチは 
 
ストレス解消には最高です。 
 
 
いずれにしてもこの男 
 
 
来ると言ったからきっと来るのでしょう 
 
結果はまたブログで書きますので 
 
お楽しみに 
 
 
 
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音楽は過去への案内人

2012年05月29日 | プライベート

中学2年生の時の3学期以来 
 
ひたすら忙しい人生でここまで来ました。 
 
私は、同年代の他の人のように青春時代には遊ぶ時間も金もありませんでした 
 
ですからステレオはおろかTVもほとんど見ていません。 
 
私が今カラオケが苦手な一番の原因です。 
 
 
そんな訳で 
 
同年代が懐かしむ昔の音楽の話にも中々ついていけないのですが 
 
それでも 
 
ラジオはありましたので当時FENはよく聞いていました。 
 
ですから 
 
洋楽には耳に残ってるのがたくさんあります。 
 
で 
 
先日友人に誘われて 
 
70年代の音楽を流してくれるショットバーに行きました。 
 
すると 
 
歌手もタイトルも分からないのですが 
 
流れてくる音楽は皆覚えがあります。 
 
音楽を聴くと 
 
当時の記憶が次から次へと湧いてきます。 
 
タイムスリップした心地良い感覚に浸ってる内 
 
なぜかある曲が頭の中に流れました。 
 
大好きだった曲です 
 
聴きたい.・・・・ 
 
 
で 
 
バーテンさんにリクエストしたいのですが 
 
なんせタイトルも分からなければ 
 
歌手も分かりません 
 
これじゃいくらバーテンさんでも探しようがないですよね。 
 
で 
 
私はその友人に歌を口ずさん訳です。 
 
その友人は音楽に大変詳しいので 
 
私が口ずさんだ歌は知ってますが 
 
酔っぱらってるせいもあり 
 
その場ではタイトルは出てきませんでした 
 
 
が 
 
ありがたい事に昨日 
 
メールをくれました 
 
曲のタイトルと歌手が分ったと 
 
で 
 
私早速検索 
 
ありました 
 
仕事が終わるまで待ちきれずに 
 
イヤホンでひっそりと聴きました 
 
 
まぁ音楽は不思議なものですね 
 
前奏が流れ始めただけで 
 
もう私の涙腺はユルユル 
 
で 
 
歌が始まると 
 
もうダメです。 
 
ハンカチが必要となりました。 
 
父親の死以来の涙となりました。 
 
私はこの当時 
 
激変した環境と 
 
将来の不安で 
 
人生で一番辛い時期を過ごしていました。 
 
その事が一気に頭を駆け巡り 
 
泣いてしまったのです。 
 
 
それがこの曲です 
 
タイトルは 
 
頑張れ“はるぼ” 
 
ではありません 
 
Put Your Hand In The Hand 
 
 
です 

 

 


 

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ケンカしないためには努力が必要だって話です。

2012年05月29日 | 社内事情

社員が出勤する前の静寂 
 
私が好きな時間です。 
 
この時間にブログを書いています。 
 
で 
 
今日もPCを立ち上げながらネタに思いを巡らし始めると 
 
なぜか 
 
ゾロゾロと社員が出社してきました。 
 
何事かと思ってると 
 
どうやら会議をやるようです。 
 
早朝会議って訳です。 
 
私の貴重な時間が奪われ 
 
ガッカリしましたが 
 
もちろん文句は言えませんね。 
 
で 
 
今始まりましたので 
 
聞き耳を立てて聞いているのですが 
 
どうやら 
 
3店舗で広告の出し方について話し合ってるようです。 
 
内容は叱られそうですから書けませんが 
 
結構最初から白熱した議論になっています。 
 
 
同じ場所で仕事を始めたのですが 
 
時と共に別々の店舗に移りました。 
 
一緒に仕事してる内は仲間と言うか 
 
運命共同体と言うか 
 
そんな感じだったのですが 
 
店舗が分かれれば 
 
それまでとは違い 
 
利害が対立するケースが出てきます。 
 
利害が対立するだけではなく 
 
お互い違う市場を抱えてますから 
 
微妙に仕事の中身も違ってきます。 
 
で 
 
その違いが 
 
少し関係がギスギスする原因となります。 
 
このギスギスし始めたた関係 
 
お互い接触をしなくなると 
 
相手の悪口ばかり言うようになります。 
 
で 
 
最後は修復不能な関係となります。 
 
会社内だけではありません 
 
人間関係が悪化するのは 
 
大体そんな感じです。 
 
仲の良い兄弟も 
 
結婚して別々の家庭を持てば 
 
利害も対立し 
 
お互いの置かれた環境も違います。 
 
で 
 
その違いも頻繁に会えば調整して最悪の事にはならないのですが 
 
お互い 
 
単に会わなくなる事によって争いを避けるようになります。 
 
で 
 
会わなくなれば面と向かっての争いはありませんが 
 
お互いの中では 
 
相手に対する嫌悪感や憎しみが 
 
延々と培養される訳です。 
 
で 
 
親が亡くなると 
 
その怒りが一気に爆発 
 
私たちの出番となります。 
 
兄弟でありながら 
 
私たちを通じてしか会話ができないのです。 
 
こんな事を書いてると 
 
相続争いをする人を非難してるように聞こえるかも知れませんが 
 
そうではありません。 
 
このパターンは 
 
自然のパターンです。 
 
つまり何もしないとそうなるのです。 
 
努力しないと兄弟と言えども絶縁になるのが当たり前って事です。 
 
 
ですから 
 
日頃から 
 
相手に対する不満があれば 
 
そのまま距離を置くのではなく 
 
休みの日にはバーベキューをしたりなんかして 
 
お互いの気持ちの調整をしないと 
 
ヤバイって訳です。 
 
 
当社の社員達も 
 
お互い親元を離れた兄弟みたいなものです 
 
離れれば 
 
皆少しずつギシギスしてきます。 
 
そうなれば 
 
早めの治療をしなければ 
 
命取りになるかもしれません。 
 
 
ではその治療をする人は? 
 
兄弟間のギスギスであれば親の出番でしょう。 
 
会社であれば? 
 
その役目を担うのは私です。 
 
 
そうです 
 
今日の社員の会議も 
 
実は 
 
そうなるように仕組んだのは私です。 
 
 
 
ただし 
 
こんなに朝早くやるとは想定外でした。 
 
てっきり夕方にやって終われば居酒屋 
 
なんて思ってたのですが 
 
私の貴重な時間がパぁ 
 
 
まぁもちろん文句なんか言えません。 
 
でも 
 
もし言ったらどうなると思います? 
 
こんな早い時間に会議なんか止めてくれと言ったら? 
 
分かりません・・私も 
 
 
恐ろしいですが 
 
ひと言 
 
言ってみましょうかね?

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体験の伴わない立派な言葉は逆効果

2012年05月28日 | 世間一般
お葬式などで 
 
お経を読んだあと 
 
坊さんが説教をする事があります。 
 
しかし 
 
昔の偉い人のありがたい言葉 
 
同じ言葉でも 
 
すんなり心に入る時と 
 
逆に少しバカバカしくなる時がありますよね。 
 
具体的には話す人によってその違いが起こります。 
 
たとえば若いお坊さんが 
 
書物を読んで得た知識で語る説教は 
 
おそらく私みたいな人間は首を垂れて聞いてはいますが 
 
どこか違和感を感じてるはずです。 
 
ところが 
 
それなりの年齢を重ねた方が語れれば 
 
重みが伴い 
 
感動する訳です。 
 
 
ではどうしてその違いは起こるのでしょうか? 
 
それは同じ言葉でも 
 
生きる過程でその言葉の意味を体験した人と 
 
ただ単に書物の知識だけで得た人の違いです。 
 
 
つまり 
 
知識だけで体験が伴わないと 
 
人に対する説得力は大きく減少する訳です。 
 
この人間の性質 
 
特に私たちのような仕事の上では 
 
しっかり理解したいものです。 
 
 
例えば 
 
若いころの私のように 
 
本で得た知識を 
 
さもそれが正しいかのようにお客様に語ると 
 
それだけでその営業マンの軽さをさらけ出す事になります。 
 
理由は 
 
体験が伴わない知識は 
 
それを語れば語るほど 
 
その人間の浅はかさの表われになるのです。 
 
人の世は毎日動きます。 
 
そんな中過去の人が語った言葉は 
 
今の時代に生きるヒントにはなりますが 
 
それを生かすには 
 
毎日の体験の中で微妙な修正が必要になります 
 
知識だけで語る人は 
 
そこの部分がないから 
 
軽く見える訳です。 
 
世の中教科書に書かれてるような事を実践しても 
 
絶対にうまく行きません。 
 
私のゴルフと一緒です。 
 
いくら本を買って読んでも 
 
自分自身の不器用さを考慮して 
 
修正しないとガタガタになってしまいます。 
 
私がもしコースに出ないで本だけの知識で 
 
自分自身が上手になったと錯覚して 
 
誰かにゴルフを教えたとしたらどうなるでしょうか? 
 
まあ結果は語るまでもありませんが 
 
しかしビジネスの世界ではそんな者だらけです。 
 
 
特に私が接する中では 
 
証券会社とインターネット関係の売り込みに来る人たち 
 
その軽さは気の毒になるくらいです。 
 
私自身は 
 
株で大金を失いましたので 
 
自分では何にも投資しない営業マンが 
 
世界経済だのなんだのってウンチクを語っても 
 
バカバカしくてとても最後まで聞いていられません。 
 
ネット関係でも 
 
先日売り込みに来た営業マン 
 
散々SEOの大切さを語ってました 
 
で 
 
私もそろそろ終わりにしたいので 
 
 
おたくの会社たくさんの不動産屋が利用してるんだよね 
 
その通りです。 
 
さっきこの地域の会社もたくさんおたくを使ってるって言ってたよね 
 
はい 
 
でその会社がみなSEO対策が万全なんだよね 
 
はい 
 
でもし当社がアナタの言うとおり検索の上位に来たら? 
 
・・・・・ 
 
他の会社はどうなるの? 
 
・・・・・ 
 
落っこちるよね 
 
・・・・・ 
 
 
まぁこの位にしましたが 
 
そんな感じです。 
 
書物だけの知識が 
 
いかに空虚かって話 
 
少し理解できましたか? 社員の皆さん 
 
 
 
 
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確率の過剰意識は人を怠け者にする

2012年05月27日 | 人生一般
私はアレルギー体質ですが幸いな事にアトピーはありません。 
 
このアトピーと言う病気 
 
どうにかならないのかと思いますね。 
 
特に小さな子供は見ていて本当に気の毒になります。 
 
ただ科学的な根拠は分かりませんが 
 
私が知ってる限りこのアトピー 
 
とても不思議な現象があります。 
 
私の知ってる人に限って言えば 
 
アトピーで苦しむ方 
 
皆優秀なんです。 
 
有名な大学を出た方が多いですね。 
 
まぁ根拠のない話は深入りしないとして 
 
このアトピーで苦しんでる方 
 
皆さん一生懸命 
 
お医者さんに通ったりなんかしてるのに完治しないのだと思いますので 
 
あまり軽々しい事は言えませんが 
 
実は私の友人で 
 
一人だけ激しいアトピーだったのに 
 
完全に治った人がいます。 
 
この人 
 
治っただけではありません。 
 
治ったら若返ったのです。 
 
理由は 
 
顔の皮膚が 
 
本当にきれいになったのです。 
 
つやつやしてプチプチの肌です。 
 
おっと誤解があるといけませんのでハッキリ言っておきますが 
 
この方男性ですからね 
 
くれぐれも変な想像しないように 
 
で 
 
私はその治る過程をずっと見てましたが 
 
具体的には何をしたかと言うと 
 
ひたすらサウナに通ったのです。 
 
1年365日毎日です・・ 
 
で 
 
通い始めてから2~3年で治り始めました 
 
で 
 
治り始めると 
 
あれよあれよと良くなり 
 
あっと言う間に完治したわけです。 
 
まぁ見ていても不思議でした。 
 
人の体の事は話を聞いてもあまり実感がないかも知れませんが 
 
アトピーを抱えて生きるのと 
 
そうでないのでは 
 
一度しかない人生 
 
大いにその質は違いますよね。 
 
その友人を見て 
 
つくづくそう思いました。 
 
が 
 
人体は不思議です 
 
多分サウナでアトピーが治るなんて事は滅多にないんでしょう 
 
そうであれば皆さんサウナ通いしてるはずですから。 
 
ですから 
 
サウナで治ったのは幸運だとも言えます。 
 
が 
 
この幸運 
 
可能性は低くても 
 
試したから手に入れたんですよね。 
 
何もしなければ 
 
相変わらずアトピーで苦しんでたはずです。 
 
 
実は 
 
人の世は 
 
ある意味そんなものだらけですよね。 
 
一生懸命やっても徒労に終わる事が大半です。 
 
ですから 
 
可能性が薄いからと言って何もしない 
 
何て人も多いですがその気持ちもよく分かります。 
 
が 
 
やはり 
 
何も行動を行さなければ可能性はゼロですが 
 
たとえ可能性は薄くても行動を起こせばゼロではありません。 
 
よく言われる 
 
バットを振らなければ絶対にヒットはでないが 
 
振れば当たる事がある 
 
それと一緒です。 
 
不動産の仕事は 
 
まさにそれが顕著に表れる世界です。 
 
私自身 
 
開業した頃 
 
自分でもダメだろうと思い 
 
他の不動産屋も誰もやろうとしなかった事 
 
これをいくつも粘り強くやったおかげで 
 
スタートダッシュができました。 
 
多分 
 
あの時 
 
確率の低い仕事には手を出さない 
 
なんて気持ちがわいて来たら 
 
数年でつぶれてましたね。 
 
 
確率の事ばかり考える人は 
 
いつの間にか面倒な事を避けるようになります。 
 
で 
 
この怠け心が命とりになります。 
 
当社の社員も 
 
今成績が上がってるのは 
 
みな不器用で 
 
ドン臭い男です。 
 
ただひたすら汗をかく者が結果を残す 
 
多分 
 
この原則は 
 
あまり変わる事はないと思いますね。 
 
 
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難解だと思わせることによって成り立つ仕事もある

2012年05月26日 | 世間一般
今年の夏 
 
不動産免許の更新期限がやってきます。 
 
6回目となります。 
 
この免許の更新 
 
面倒ですよね 
 
大量の書類を揃えなければなりません。 
 
しかし一度やれば 
 
コツはつかめて2回目以降は楽チン 
 
なんて思いますが 
 
なんせ5年に一度です 
 
前回の事はすっかり忘れますので 
 
その都度格闘する訳です。 
 
が 
 
最近、私は 
 
随分簡単にやれるようになりました。 
 
子会社の更新が増えましたし 
 
支店も作りましたので 
 
5年どころか 
 
2年年置きに書類を作るようになりましたので 
 
忘れる事がないのです。 
 
で 
 
一度やり方を覚えると 
 
不思議なものです 
 
当初は難解な書類で腹が立ちましたが 
 
最近は逆にこんなに簡単でいいの? 
 
なんて思ってしまいます。 
 
免許の更新時期になると 
 
手続きを代行する行政書士からたくさんDMが送られてきますが 
 
依頼するどころか自分でその代行を商売にしたい 
 
なんて気持ちも湧いてきます。 
 
難解で人を寄せ付けないものが 
 
実はよく理解すれば逆に単純で簡単 
 
なんて事よくありますよね。 
 
役所の書類は大半がそうなんでしょう。 
 
 
実は書類だけではありません。 
 
人間も似たような傾向があります。 
 
大きな体で、坊主頭で真っ黒な顔で、 
 
で 
 
派手な服を着て、車はベンツ 
 
どう見てもヤ○ザ 
 
なんて人が 
 
実際付き合ったら 
 
とても優しくて拍子抜け 
 
なんて事が不動産の世界ではよくあります。 
 
 
また 
 
お客様でも 
 
あまり口も聞かずに目つきも鋭い 
 
なんて人がいたりします。 
 
そんなお客様 
 
一般的にどこでも敬遠しますよね 
 
でも 
 
最初から毛嫌いせず 
 
しっかり向き合えば 
 
実はとても良い人 
 
なんてケース 
 
多いですよ。 
 
 
そんな人 
 
まず浮気はしませんね 
 
浮気と言っても仕事の話ですよ。 
 
他の不動産屋に行かないって事です。 
 
 
そんなお客様の典型的な方がいました。 
 
私より一歳年上ですが 
 
20年前最初に会った時は 
 
ヤバイ・・・○クザ 
 
なんて思いました。 
 
が 
 
付き合って見ると 
 
これがとても良い人 
 
たくさん仕事をいただきましたが 
 
一度も浮気はしませんでした。 
 
その方、ちょうど2年前 
 
当社に来て 
 
いろんな話を長々としました。 
 
仕事の話だけではありません 
 
プライベートの話もたくさん 
 
でも 
 
その日を最後に会う事はありませんでした。 
 
私と会った2か月後 
 
あの世へ旅立ちました。 
 
 
この方のおかげで 
 
私は外見で人を判断しなくなりましたので 
 
その恩恵は大きなものがあります。 
 
 
せめてこの時期には毎年思い出して 
 
感謝の気持ちを唱えるようにしています。 
 
 
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ヘソ曲りになったワケ

2012年05月25日 | 人生一般
葛西水族館から逃げ出したフンボルトペンギン 
 
無事保護されたようです。 
 
TVで大きく報道されてました。 
 
とてもめでたいお話でした。 
 
 
が 
 
私 
 
ホントにヘソ曲りですよね 
 
この手のニュースで 
 
色々と考えてしまうんです。 
 
特に人間の愚かさを・・ 
 
 
具体的にはこのニュース 
 
もし1年前に報道したとしたらどうだったでしょう? 
 
東日本大震災の後です。 
 
たくさんの人間が犠牲になり 
 
行方不明者の捜索が必至に行われてる時に・・ 
 
もし 
 
いくら水族館の職員とは言え 
 
そんな時期に一生けん命逃げたペンギンの捜索をしてたとしたら? 
 
また 
 
そんな時期にペンギンが無事捕まりました 
 
なんて報道をしたら? 
 
非難の嵐で 
 
TV局の社長さん辞任 
 
なんて事になった可能性が高いですよね。 
 
それからたった1年 
 
もう誰もペンギンのニュースに異を唱える人はいません。 
 
 
何が言いたいかと言うと 
 
人間の唱える善悪は 
 
これだけいい加減なものだって話です。 
 
特に大衆の意見の集約とも言える世論は 
 
まぁコロコロ変わります。 
 
こんな世間の雰囲気に流されてばかりいると 
 
自分でものを考える力が衰えてしまいます。 
 
自分でものを考える力を失えば 
 
時代が変わり 
 
危機的な状況になった時 
 
生残る事ができません。 
 
 
私の沖縄の村は 
 
史料で見ると沖縄戦一番の激戦地です。 
 
八重瀬岳の攻防が最後の激しい戦いです。 
 
ですから 
 
たくさんの人が亡くなりましたが 
 
そんな中 
 
7人家族一人も死ぬことなく残った家庭があります。 
 
で私は 
 
その生き残りの大先輩にこないだ聞いた訳です。 
 
一家全滅が多い中 
 
どこへ逃げて助かったんですか? 
 
どこへ逃げたと思います? 
 
自然豪ですか? 
 
いいえ 
 
それともお墓の中? 
 
いいえ 
 
ではどこに? 
 
私たちは逃げなかったんです。 
 
どこにも? 
 
はい家の中で普通に生活してました 
 
まぁそれは運が良かったですね 
 
運がよかったわけではありませんよ。 
 
?? 
 
おじいさんの判断のおかげです。 
 
おじいさんは何て? 
 
米兵が迫って村の人が日本軍と一緒に逃げる時にこう言ったのです。 
 
何て? 
 
米兵は日本兵に向けて弾を撃つから、日本軍についていかなければ弾は飛んでこないと 
 
で皆さん家の中に? 
 
そうです 
 
 
 
まぁこの話衝撃的でしたね 
 
実際 
 
自分たちを守ると思って日本軍についていったら 
 
アメリカの弾だけではなく 
 
日本軍に直接殺され人もたくさんいたようですからね 
 
 
この家庭のおじいさん 
 
皆逃げ惑う中 
 
自分自身で考えて行動したことが 
 
結果一家を救った訳です。 
 
 
そんな訳で 
 
私も小さいながら 
 
社員の生活がかかってます。 
 
それを守るためには 
 
自分自身の感覚 
 
常に失わないように心掛けてる訳です。 
 
 
ですから 
 
朝のフンボルトペンギンのニュースを見ても 
 
あれやこれやと考える 
 
そんなヘソ曲りになってしまった訳です。 
 
 
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良い時代ですが良い事だけではありません

2012年05月22日 | 世間一般

私が小学校に上がる前 
 
子供同士で遊んでいて言い争いになる事がありました。 
 
その内言葉がエスカレートして 
 
お互いあらん限りの言葉をつかって相手をののしります。 
 
大体 
 
ふら~ やなかぎ~ ひんす~むん とっとら~ はんだや~ あたびちゃ~  
 
よーばーぐぁー などなど 
 
・・・・・翻訳は勘弁してくださいとても書けません 
 
汚い言葉が延々と投げつけられます 
 
で 
 
その、ののしり合いが最高潮に達した頃 
 
年上のお兄さんが私たちを呼びつけます。 
 
で 
 
宣告する訳です 
 
“お~れ~” 
 
 
と 
 
つまりケンカしろと言う訳です。 
 
今でも覚えてますが 
 
心臓が止まる思いですよね。 
 
実際口喧嘩はしていますが 
 
とても取っ組み合いをして勝てる自信はありません。 
 
が 
 
先輩たちは許しません 
 
無理やりケンカさせます。 
 
で 
 
このケンカ 
 
せいぜい2~3分で終わります。 
 
終わる時のパターンは皆同じです。 
 
一方が 
 
“わ~ん” 大きな声で泣くのです。 
 
私も何度も泣きました。 
 
これが終了の合図です。 
 
それまでケンカをさせた先輩たち 
 
一気に止めます。 
 
 
子供たちにやたらケンカさせる先輩たち 
 
当時はひどいと思いましたが 
 
今にして思うと 
 
これ 
 
とても良かったです。 
 
なんせ 
 
仲間の中で自分の強さを認識すれば 
 
もうそれでお互いケンカをする事はありません。 
 
しかし友達はたくさんいますから 
 
自分の強さを理解するためにはたくさんの人とケンカをしなければならない? 
 
そうではありませんね。 
 
自分が負けた相手が他の人とケンカして負けたとして 
 
理屈上は自分もその人に勝てる訳がありませんよね 
 
ですからケンカしなくても順位は分かる訳です。 
 
て事は 
 
大勢の仲間の中でも 
 
自分に近い者2~3人とケンカすれば 
 
自分の立場は理解できます。 
 
これが理解できると 
 
もうお互いケンカしないだけではありません。 
 
それまで以上に仲良くなります。 
 
で 
 
その集団も 
 
順位が決まれば 
 
それまでガタガタしてたのに 
 
うって変って平和になります。 
 
私が今心から大切に思ってる村の同級生たち 
 
皆お互い幼稚園の時 
 
ケンカをしています。 
 
そのおかげで 
 
それからず~っとケンカする事なく 
 
今に至るまで仲が良いのです。 
 
友人だけではありません 
 
私は家庭でも 
 
3歳年上の姉をなめてかかってケンカしましたが 
 
見事にボコボコにされ続けました。 
 
そのおかげで 
 
私はその姉と今とても仲が良いのです。 
 
まぁこれが 
 
私たちの時代の社会のルールの築き方でした。 
 
 
しかし今の時代はダメですね 
 
小さくてもケンカはいけません。 
 
人間皆平等 
 
力によって上下をつけてはいけません。 
 
なんせ学校によっては運動会でも順位をつけないと言いますからね。 
 
でも私思うんですが 
 
人間が皆平等なのは理想ですが 
 
争いは増えますね。 
 
人間は生まれたままでは皆わがままです。 
 
小さな子供を観察すればよく分かります。 
 
しかしわがままなまま成長すれば 
 
社会は争いだらけとなります。 
 
ですから 
 
私たちは小さい頃 
 
そのわがままな心をケンカを通じて 
 
押さえつける術を学んだのです。 
 
ところが 
 
その機会がないまま成長した人 
 
まぁ多いですね。 
 
成人しても 
 
まるで 
 
2~3歳の子供のようなわがままをブツけてくる人がいます。 
 
社員の些細なミスで 
 
実害は全くないのに 
 
私に土下座しろと怒鳴る人もいました。 
 
実害がないのにそこまで言うのは 
 
自分の気持ちがおさまらないからだそうです。 
 
 
そんな人たちを見てると思うんです 
 
逆に不幸だと 
 
 
私は 
 
子供の頃 
 
鼻血を出して大泣きしましたが 
 
今は 
 
その出来事は 
 
本当に大切だったと 
 
心より思っています。 

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楽しさの裏には必ず強さがある

2012年05月22日 | 社内事情

相撲の行司さんや呼び出しさんは 
 
わざと小さい人を選んでるようですね 
 
理由は小さな人を配置する事により 
 
力士をより大きく見せるためだそうです。 
 
いわゆる目の錯覚を利用してる訳です。 
 
て事は 
 
ある意味お客様をダマしてるとも言えますが 
 
これに怒る人がいたとしたら 
 
かなりの変人ですよね。 
 
つまり 
 
お客様の目の錯覚を利用してはいますが 
 
これもお客様に喜んでもらうための演出ですから 
 
誰も文句は言わない訳です。 
 
もし 
 
この事にクレームをつける人がいたら 
 
目的は別にあると疑いますよね。 
 
いわゆる“ゆすり”“たかり”のたぐいです。 
 
しかし 
 
 
似たような事は 
 
民間のビジネスの世界でも頻繁に行われています。 
 
と言うかそんなものだらけですよね。 
 
よくゴルフ場なんかでも 
 
写真を見て綺麗なので期待してると 
 
実際はコースは禿げ上がり 
 
風呂場は昭和の銭湯 
 
なんて感じでガッカリしたりします。 
 
写真はプロの写真家に頼んでますから 
 
素晴らしいのですが 
 
実物は大きく質が落ちる訳です。 
 
しかし 
 
だからと言って 
 
文句は言いませんよね。 
 
広告はお化粧をしてるのが常識ですから 
 
少し割り引いて考えるのが常識って話です。 
 
 
写真などの外見だけではありません。 
 
最近はビジネスの世界でもブログが盛んですが 
 
このブログもそのまま鵜呑みにすると 
 
失望する事になります。 
 
ブログだけでは会社の実態は見えません。 
 
ビジネスのブログは集客のアップが目的の場合が多いので 
 
実際には化粧だらけ 
 
なんて事もあるでしょう。 
 
社長も社員もブログを書いていて 
 
とても楽しそう 
 
なんて思って毎日見てたら 
 
ある日突然誰もブログを書かなくなり 
 
社長はドロン 
 
なんてケースをいくつか見てきました。 
 
私もこのブログを書いてますが 
 
もちろん会社のイメージを大きく損なう事は書きません。 
 
自分の哲学にブレはありませんが 
 
ブログだけで当社をイメージして 
 
楽しい会社 
 
なんて思ったとしたら 
 
それは間違いです。 
 
当社は楽しいだけではありません。 
 
企業としての厳しさも備わってるから 
 
ここまで生き残ってる訳です。 
 
 
最近ブログを読んでくださってる方で 
 
働きたいとメールをいただく事が増えてきました。 
 
良い方がいれば採用しようと考えていますが 
 
残念ながら皆さん採用にはなりません。 
 
で 
 
今後もそんな方たちから応募があると思われますから 
 
なぜ採用にならないのか書いておきます。 
 
私のブログを読んで応募してくださるかた 
 
私が真っ先に求める誠実さ 
 
この点はほとんど申し分ありません。 
 
で問題はその次です。 
 
真面目な人間性の次に重視するのが 
 
強さです。 
 
ここで大半がはじかれていきます。 
 
私たちの仕事はタフな仕事です。 
 
トラブルは日常茶飯事です。 
 
凶暴な人や 
 
精神的に異常がある人 
 
毎日のように対峙する事になります。 
 
また営業成績がふるわなければ 
 
精神的に追い詰められる事になります。 
 
そんな訳で 
 
精神的な強靭さを強く求める訳です。 
 
 
当社の社員は 
 
全員見た目は普通ですが 
 
精神的には強い者ばかりです。 
 
一般の人が怖がる人から 
 
夜帰るのを待ち伏せて家賃を回収したり 
 
また 
 
音のトラブルでは 
 
寒い夜に遅くまで外に張り込んで確認したりしています。 
 
またその強さを備えるために 
 
皆努力しています。 
 
具体的には 
 
体を鍛えています。 
 
スーツを着ていると分かりませんが 
 
裸になれば全員マッチョです。 
 
ただし2名以外は・・ 
 
おっとそんな話はいいですね。 
 
 
とにかく 
 
そんな訳で 
 
私が求める条件には 
 
中々皆さん合致しない訳です。 
 
 
私が求める人間は 
 
普通の人が胃に穴が空くようなトラブルを 
 
楽しめる域までになれる人間です 
 
ですから 
 
せっかくブログを毎日読んでくださっていても 
 
残念ながら 
 
お断りする事になる訳です。 
 
 

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勝つのは臆病者

2012年05月20日 | 世間一般

氷河から見つかった5300年前の人間の遺体 
 
その保存状態の良さから20年前は大きなニュースになりました。 
 
いわゆるアイスマンです。 

 
で 
 
その後最新技術を使って色々調べたら 
 
死因が判明したようです。
  
 
どうやら矢でブチ抜かれて死んだようです。 
 
最古の標本が殺人の犠牲者なんてやり切れませんね。 
 
縄文時代は平和だったなんて言う人がいますが 
 
これも分かったもんじゃありませんよね 
 
もしかした殺し合いばっかりしてたのかも知れません。 
 
 
しかし5.300年前にすでに弓矢があったんですね 
 
驚きです。 
 
知能が発達してない頃は 
 
素手での殴り合いでケンカしてたのでしょうから 
 
もうこの時代には 
 
力より頭脳が人間の強弱を決めてたのかも知れません。 
 
しかしこの弓矢 
 
飛び道具ですから考えようによっては 
 
卑怯ですよね。 
 
臆病者の知恵のようにも思います。 
 
が 
 
その後の人間の歴史を見ていると 
 
どちらかと言うと 
 
臆病者が支配してますよね。 
 
弓矢よりもはるかに安全な距離から相手を攻撃できる鉄砲 
 
これもたぶん臆病者の発明でしょう。 
 
第二次世界大戦で威力を発揮した空爆も 
 
安全な高さから爆弾を落とす訳ですから 
 
臆病者の発想のように思います。 
 
そして現在 
 
アメリカは無人飛行機を使ってテロリストを攻撃しています。 
 
遠くはアメリカ本土から操作してるようですから 
 
完全に安全が保障された戦争とも言えます。 
 
究極の戦争だとも言えます。 
 
方や 
 
爆弾を抱えてアメリカ兵に突っ込むテロリストたち 
 
大変な勇気ですよね 
 
見方を変えれば 
 
アメリカのテロ戦争は 
 
臆病者と勇者との戦いとも言えます。 
 
が 
 
勝利するのは勇者ではありませんよね 
 
臆病者の方が 
 
はるかに強いのも事実です。 
 
 
私が子供の頃 
 
学校の先生がよく勇気を持てと言いました 
 
で 
 
素直にそれを受け止め 
 
悲惨な目に会ったのが私の中学時代です。 
 
地獄の日々でした。 
 
で 
 
私に勇気を強調した先生方 
 
実際に大きなトラブルになると 
 
全く役立たず 
 
ビビリまくりでした。 
 
 
つまり 
 
自らは安全な場所にいながら 
 
勇気を口にする人は 
 
実は勇気がない人たちです。 
 
勇気がないだけではありません 
 
卑怯者と言っても良いと思います。 
 
 
勇気は人に押し付けるものではありません 
 
自分自身が 
 
内面と向き合いやっとこさ獲得するものです。 
 
 
ですから 
 
私は 
 
子供たちには 
 
勇気は 
 
逃げる勇気 
 
これさえあればいいと伝えるのです。 
 
 
いずれにしても 
 
人類の歴史は 
 
勇気のある者が勝利したわけでありません 
 
臆病者が勝利した歴史なのです。 
 
 
ですから 
 
臆病であるという事は 
 
全く恥じる事ではない 
 
私はそう思っています。 
 
 
私も 
 
会社が社員の生活を守れないと分かれば 
 
とっとと止める 
 
その勇気は 
 
いつでも失わないように意識しています。 
 
ですから 
 
逆に 
 
ウツ病にならなくて済むのです。

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しゃべり過ぎると人の心が見えなくなりますよ・・注意

2012年05月20日 | 世間一般

中学生からの相撲ファンですが 
 
その雰囲気がほとんど変わってないのに驚きますよね 
 
変化の激しい時代には逆に新鮮に映ります。 
 
が 
 
細かく見ると変わった部分もあります。 
 
エアコンが効いてるせいで 
 
夏でも扇子を片手に観戦なんてシーンは見られなくなりました。 
 
一番変わったのは力士そのものですね 
 
外国人が増えました。 
 
日本人力士も 
 
見た目は大きくなっただけでほとんど変わらないように見えますが 
 
大きく変わった点があります。 
 
それはインタビュー 
 
平幕力士が大関や横綱を破るとインタビューを受ける訳ですが 
 
今の力士は受け答えがしっかりできてますよね 
 
昔のお相撲さんはひどいモノでした。 
 
アナウンサーが質問しても 
 
何も答えない 
 
なんて人が多かったですね。 
 
特に先代貴乃花はヒドかったですね。 
 
 
見事な相撲でした 
 
・・・・ 
 
今日前みつを取る事は事前に考えていたんですか? 
 
・・・・・・ 
 
土俵際の投げは思ったより余裕があったように見えましたが? 
 
・・・・・・ 
 
ご自身の中ではどうでしたか? 
 
・・・・・・ 
 
見事に投げが決まった時はどんなお気持ちでしたか? 
 
・・・・・・・・ 
 
これで大関昇進に大きく近づきました 
 
・・・・・・・ 
 
ファンの皆さんにひと言 
 
・・・・・・・ 
 
ありがとうございました 
 
貴乃花関のインタビューでした 
 
 
なんて感じで 
 
まぁアナウンサー泣かせばっかりでしたね。 
 
今の時代なら 
 
大いにヒンシュクを買うところですよね 
 
もしかしたら力士の教育問題になり理事長辞任なんて事になるかも知れません。 
 
もっとも当時しゃべらなかった北の湖親方とか放駒親方とか 
 
とても若い人には指導する資格はありませんが・・・ 
 
 
しかし当時は 
 
そんなしゃべらない力士も特段違和感はありませんでしたよね 
 
実は 
 
私も沖縄から上京した当時は似たようなものでした 
 
訛りが強く 
 
標準語で話すのが大変苦手でした 
 
お相撲さんも東北の出身が多かったので 
 
似たような感じだったんだろうと思います。 
 
では 
 
なぜ今の人はよくしゃべるの? 
 
まぁTVのおかげですよね。 
 
私たちが子供の頃ほとんど耳にする事がなかった標準語が 
 
一日中TVから流れてきますからね。 
 
沖縄の若者が時々来店しますが 
 
言葉だけではわからない人も増えましたね。 
 
昔は駅でもどこでも沖縄出身者はすぐに分かりましたが・・ 
 
 
まあしかし 
 
皆さん表現力がついたのは悪いことではありませんが 
 
良い事だけではありませんね。 
 
薬と同じで 
 
副作用もあります。 
 
私がいつも思うのは 
 
この言葉が上手になれば 
 
相手の心が見えなくなります。 
 
言葉はたくさん発すれば 
 
自分がじっくり考える時間がなくなるからです。 
 
それだけではなく 
 
自分が発する言葉は 
 
自分自身も錯覚に陥れます。 
 
きれいごとばかりしゃべってると 
 
自分自身が見えなくなってしまいます。 
 
そして 
 
最後は 
 
自分で発した言葉でがんじがらめ 
 
どうにもならなくなり 
 
突然行方をくらましたりなんかします。 
 
ですから 
 
私は身近な人間が 
 
政治家が発するようなきれいごとを話した時は 
 
すぐに叱るのです。 
 
 
ベラベラしゃべる人と 
 
それを黙って聞いてる無口な人 
 
一見しゃべってる人が上のように見えますが 
 
実は全く逆です。 
 
しゃべる方は 
 
相手も自分も見えなくなってしまいますが 
 
黙ってる方は相手がよく見えるのです。 
 
 
特に会社の場合は 
 
社員と上下関係がありますから 
 
社員は 
 
皆社長の言葉を黙って聞いています。 
 
が 
 
実は 
 
社員は社長の言葉の軽さを見切り 
 
逃げ出すタイミング見図っていたりなんかします。 
 
たくさんそんなシーンを見てきました。 
 
 
だから 
 
私も 
 
日頃しゃべり過ぎないように意識していますから 
 
そのストレスを 
 
このブログで発散するのです。 
 
 

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苦しみは美しさの原料

2012年05月19日 | 不動産業界

営業の仕事をしていると 
 
心が安らぐ事はありませんね 
 
私たちの仕事は 
 
営業成績とトラブルが 
 
いつも心の中に重くのしかかった人生となります。 
 
たとえ業績が良い時でも 
 
その業績が暗転する恐怖は常にあります。 
 
 
で思う訳です。 
 
トラブルに悩まされず 
 
営業成績の心配から解放されれば 
 
どんなに素晴らしいだろうと・・ 
 
で 
 
その苦しみから解放されたいと思う気持ちは 
 
大きなエネルギギーになります。 
 
少なくとも私はそうでした。 
 
若い時は 
 
今頑張って 
 
将来不安から解消された人生を送りたい 
 
そう思ってました 
 
が 
 
最近 
 
つくづく思いますね 
 
不安が全く消えたら 
 
逆に終りですね。 
 
 
人間に限らず生き物は 
 
不安があって 
 
その不安を打ち負かすために知恵と汗を流す 
 
この姿が一番美しいと思うようになりました。 
 
 
昨年報道されてた大王製紙の会長の背任事件 
 
あれを見ていると 
 
不安と恐怖を感じない人生が 
 
いかにつまらないか 
 
よく分かりますよね。 
 
退屈で仕方がなかったんでしょう 
 
だからカジノにハマったんだと思いますね。 
 
神が作ったのは 
 
競争社会 
 
競争してる姿が一番美しいのはそのためです。 
 
よく 
 
宗教団体の方達と話しますが 
 
皆さんとても穏やかで感じが良いのですが 
 
私は何か違和感を感じます。 
 
叱れるかも知れませんが 
 
その穏やかさは無理やり作られたって感じがするのです。 
 
競争から逃げずに勝ちとった自信からくる穏やかさとは別ものです。 
 
 
まぁ人の話はともかく 
 
いずれにしても私は逃げられません 
 
たくさんの社員の生活がかかっています。 
 
であれば 
 
不安とうまく共存しながら 
 
競争し続けて行きたいと思っています。 
 
 
また 
 
ひと頑張りしなきゃならない時代がやってきたようです

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他人に厳しく自分に優しい者たちがひしめく世界

2012年05月18日 | 不動産業界
フォークランド問題で 
 
イギリスとアルゼンチンの間の緊張が 
 
また高まってるようですね。 
 
フィリピンと中国も島の領有権を巡ってどうやらヤバくなってきました。 
 
この領土争い 
 
人類の歴史はある意味土地の奪い合いの歴史ですよね。 
 
しかし 
 
昔の領土争いはそんなに長引きません 
 
明確なルールがあるからです。 
 
それは 
 
強い者が取る・・ 
 
つい最近まで 
 
日本もこのルールに従って 
 
朝鮮は併合し 
 
満州と台湾を植民地にし 
 
北方4島どころか 
 
樺太千島まで奪いとってましたからね。 
 
 
しかし 
 
第2次世界大戦とその後の冷戦で 
 
人類は悪魔から魔法の道具を渡されました。 
 
このまま力に頼って紛争を解決すれば 
 
人類そのものの滅亡まで起こり得る恐ろしい物です。 
 
ですから 
 
もう 
 
力に頼らず 
 
領土の問題を解決しなければならない訳ですが 
 
これが中々うまくいきません。 
 
日本の抱える領土問題も 
 
なんだかんだ騒いでも 
 
結局戦後60年以上経っても 
 
何にも進歩がありません。 
 
北方4島についてロシアは 
 
戦争で奪い取った領土だから本来返す義務はないと言い 
 
竹島と尖閣は 
 
お互い古文書やなんかを持ち出して 
 
いつまでも主張が食い違って 
 
どうにもなりません。 
 
 
長年我々人間社会の秩序を守ってきた 
 
力のルール 
 
人類史上初めてそれに頼らずに生きる道を模索し始めたのが今の時代です。 
 
さて 
 
どうなるでしょうか? 
 
まぁ何としてでも 
 
成し遂げるしかありませんね 
 
そうでなければ 
 
人類が破滅しますからね。 
 
 
しかし 
 
世界を見れば 
 
悪魔の道具を持たない者たちは 
 
相変わらず力のルールに頼ってますよね 
 
シリアもまさにその真っ最中です。 
 
そうやって考えると 
 
原爆はもしかしたら 
 
悪魔の道具ではなく 
 
いつまでも争いを続けてる人間に 
 
それを止めさせて 
 
救うために渡されたのかも知れません。 
 
 
で会社 
 
実は私たちも 
 
ある意味毎日領土争いをしてるようなものです。 
 
でこの争いも 
 
昔は反社会勢力やなんかに頼って 
 
力で解決する者がいましたが 
 
今はそんな時代ではありません。 
 
ではその争いどうやって解決するの? 
 
本来は司法がその役目を果たすべきですが 
 
裁判所は不動産屋の日々のゴタゴタまで効率的に介入できシロものではありません。 
 
ですから我々は 
 
自主的に解決しなければなりませんが 
 
欲と欲がぶつかり合う世界です。 
 
しかも 
 
自分の利益が正義だと思ってる人間がひしめく業界 
 
大体は 
 
絶縁が落としどころです。 
 
当社も 
 
周りには 
 
道で会っても顔をそむける同業者複数います。 
 
 
そんな問題を解決する数少ない不動産屋の概念に 
 
“抜き”と言う言葉があります。 
 
沖縄当たりでは“ジャンプ”と呼んでるようです。 
 
不動産業界では 
 
掟破りを意味します。 
 
しかしこの掟 
 
まぁいい加減ですよね。 
 
とても欲深い人たちを律するだけの力はありません。 
 
なんせ人には厳しく自分には寛大な者たちがウジャウジャいる世界です。 
 
自分は風俗狂いなのに 
 
奥さんの浮気に怒り狂う男と一緒です。 
 
私が駆け出しの頃から 
 
今に至るまで 
 
不動産屋同士の争い原因ではダントツでトップです。 
 
抜いた抜かれたの話は 
 
いつの世でも飛び交っています。 
 
自分で物件を抱え込んで紹介しないのに 
 
それを取られたら抜きだと騒ぐ人もいれば 
 
売主が信用してるのを良い事に 
 
異常な安値で買い取る事を企んだ業者が 
 
売主に相場の情報が流れて企みがつぶれたら抜きだと騒ぐ人もいます。 
 
今の時代に北朝鮮のような情報統制をしようとする訳です。 
 
 
まぁこの話を語れば 
 
いくら語っても語り尽くせませんが 
 
少なくとも 
 
顧客の利益に反する行動をした業者は 
 
この“抜き”と言う言葉を使ってはいけませんね。 
 
 
ある同業者が怒鳴りこんできた事がありました。 
 
自分の管理物件を当社に取られたので 
 
お前の所は抜くのか? 
 
なんて言ってきました。 
 
 
アンタ私と付き合いが長いのに何でこんな事すんだ? 
 
私が抜いたんじゃいオタクが家主に縁を切られたんだよ 
 
家主が来ても遠慮するのが人の道だろう? 
 
そんな立派な話ができる立場じゃないでしょう? 
 
どう言う意味だ? 
 
それは自分の胸に聞いた方が良いのでは? 
 
なんだと? 
 
管理物件の家賃家主に送金してますか? 
 
毎月送ってるよ? 
 
入金があった分全額? 
 
もちろんだ 
 
じゃ入金があった通帳を家主に見せられますか? 
 
・・・・・・ 
 
もうウラは取れてるんですよ 
 
・・・・・ 
 
刑事事件になりますよね 
 
・・・・・ 
 
流用したお金返せるんですか? 
 
・・・・・ 
 
 
この位にしますが 
 
人のお金をクスねる人が語る信義 
 
聞いててバカバカしくなります。 
 
 
まあよその話はともかく 
 
当社は絶対に抜かれた 
 
なんて言葉をつかって同業者を責めて立てる事はしません 
 
当社のお客様に他社がアタックするのは 
 
競争原理の中で生きるのであれば避けられない事ですし 
 
それによって顧客を奪われたのであれば 
 
客に逃げられた私たちが悪い訳です。 
 
抜きにかかった業者と 
 
ガタガタ長引くケンカをするよりは 
 
とっとと新しい仕事に取り掛かる 
 
これが私のやり方です。 
 
 
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私もいつまで?

2012年05月15日 | 大家さん

私の母は昔は大変聡明でしたが 
 
さすがに90歳を過ぎると 
 
脳細胞の減少の影響がはっきり見て取れます。 
 
具体的には最近の出来事の記憶能力が大きく低下しています。 
 
私が沖縄に帰ると 
 
10回以上 
 
いつ東京に戻るのか 
 
と聞かれます。 
 
人間の人格は脳に存在するとすれば 
 
その人格は甚だ不安定なものです。 
 
立派な人間でも 
 
加齢とともに人格が変わる人をたくさん見てきました。 
 
で 
 
そんな経験をすると 
 
思う訳です 
 
自分もいつまで? 
 
まぁ悩んでもどうしようもない事ですから 
 
あまり考えないようにしていますが 
 
この仕事は 
 
人間の脳は常に変化する 
 
その事をしっかり理解する事が大切です。 
 
 
先日私の携帯にこんな電話がありました。 
 
川端さん例の件どうなった? 
 
例の件って・・ 
 
あらら忘れちゃったの? まだボケる齢じゃないのに・・ 
 
その話もしかしてアノ件ですか? 
 
そうだよ、電話くれると言ったよね? 
 
私がですか? 
 
そう見積もりが出来たら電話するって・・ 
 
あの、その見積もり伝えましたよね 
 
そうだっけ? 
 
そうですよ 
 
で伝えたら○○さん私になんて言ったか覚えてますか? 
 
サッパリ 
 
自分の身内に水道屋がいるから自分で見積もり取るって言いましたよね 
 
言われて見ると・・なんとなくそんな感じが・・ 
 
もしかしてすっかり忘れてるんですか? 
 
いやいや思い出した確かそうだった 
 
で身内の方に見積書依頼したんですか? 
 
まだ頼んでない・・と思う 
 
時間がないんで早くお願いします 
 
分かったじゃすぐに取って連絡するから 
 
お願いします 
 
 
で 
 
翌日電話が・・ 
 
川端さん例の件どうなった? 
 
 
 
 
はぁ~~~~っ? 
 
 
この方 
 
センセイと呼ばれてる方です。 
 
とても頭のきれる方だったんですが・・・ 
 
 
どうやら 
 
お仕事ができなくなる日も 
 
もうすぐです。 
 
 
 

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お金に心奪われた者たちの家は憎悪の館

2012年05月15日 | お客色々

相続争いの原因で多いのが 
 
長きにわたり日本人に根付いた伝統と 
 
法律とのギャップによるものです。 
 
日本人に限らず古代から中世の大半は 
 
“家”と言う概念で国を治めています。 
 
最近の大河ドラマ平清盛では 
 
天皇家を王家と呼んでますよね。 
 
つまり”家“は個人の上に存在します。 
 
この概念がやっかいなんです。 
 
今の法律の基本は個人の人権がです。 
 
親族の扶養義務はありますが 
 
個人の権利の上に存在するものではありません。 
 
しかし 
 
日本人の日々の生活では 
 
相変わらず家の概念が大きな役割を果たしています。 
 
冠婚葬祭ではこの概念があるから 
 
親族がまとまるわけです。 
 
が 
 
その大切な家と言う集団 
 
それをまとめるためにはリーダーが要ります。 
 
昔からそのリーダーは原則的には長男です。 
 
家の跡継ぎは長男 
 
この概念も 
 
日本人には深く浸透しています。 
 
が 
 
この長男も 
 
法律上はなんら特別扱いはありません 
 
兄弟は法律の元では等しく平等です。 
 
この 
 
日本人の意識と法律のギャップが 
 
相続争いが起こる一番の原因です。 
 
長男は 
 
親の財産はすべて自分で引き継ぎ 
 
弟や妹には少し分けてあげる 
 
ところが弟や妹は 
 
法律上は平等ですから 
 
当然公平に分けるべきだ 
 
なんて主張する訳です 
 
で大モメ 
 
 
このモメるケース 
 
遺言書がないからそうなる訳ですが 
 
逆に言えば 
 
遺言書があれば安心? 
 
 
そうではありませんね。 
 
あまり具体的には書けませんが。 
 
お子さん同士が 
 
親がまだ生きてるのに 
 
相続争いを始めてる人たちがいます。 
 
 
お互い有利なように 
 
親に遺言書を書かせようとしてます。 
 
ところが 
 
この親 
 
若干認知症があって 
 
書くんです 
 
言われるがまま 
 
遺言状をいくらでも・・ 
 
 
この話 
 
もっと書きたいのですが 
 
書けません 
 
理由はお察しください。 
 
 
いずれにしても 
 
なりふり構わず蓄財に奔走しても 
 
最後は 
 
その財産が原因で 
 
家族はバラバラ 
 
本来お互い助け合いの場が”家“ 
 
なのに 
 
憎悪の館となってしまうのです。 

コメント
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