「日本の版画 1941-1950 『日本の版画とは何か』」 千葉市美術館

千葉市美術館千葉市中央区中央3-10-8
「日本の版画 1941-1950 『日本の版画とは何か』」
1/12-3/2



1997年以来、何と足かけ12年にもわたって開催されてきた(*1)という、同美術館の「日本の版画」シリーズ第5弾(最終回)です。今回は第二次大戦前後、まさに「戦争に翻弄された」時代(パンフレットより)の版画史を辿ります。

章立ては以下の通りです。

1.「戦中の創作版画」
  戦時体制下の版画制作。翼賛組織「日本版画奉公会」の発足。(1943)
2.「奉公する版画」
  戦争のための版画。前線への版画(献納版画)の提供。プロパガンダ。
3.「戦中の版画本」
  出版統制下、良質な作品を細々と世に送り出した出版人、志茂太郎とその周辺を追う。
4.「標本たちの箱庭 - 加藤太郎と杉原正己 - 」
  同時代の二人の版画家。シュルレアリスムに傾倒した加藤太郎など。
5.「焦土より - 進駐軍と日本の版画 - 」
  日本版画協会の再開。進駐軍が日本の版画を大量に購入。
6.「戦後 - 抽象と具象の間に - 」
  版画表現が具象から抽象へと流れる一方、プロレタリア版画(生活版画)の制作も活発に。
7.「世界という舞台へ」
  エピローグ。駒井哲郎、浜口陽三、瑛九ら。ビエンナーレにおける棟方への賞賛。版画国日本の復興。

上でも触れましたが、当然ながら、この時代の版画史は戦争と切り離せません。各種版画協会が1943年に翼賛の奉公会に統合されたことからして、その苦難の歴史を鑑みることが出来ますが、実際に展示されている作品のモチーフを見ても、戦争の影の濃いものが目立ちます。子どもたちが紙芝居に見入る様を表した武藤完一の「中国の風景」(1940年。1章)に登場する紙芝居の絵は、爆弾の炸裂する戦争の光景そのものです。また多くの版画家が共同して絵を提供したカレンダー、「日本版画協会カレンダー」の「1943年1月」(畦地梅太郎。1章)も、椰子の木の向こうに広がる海に軍艦がぽっかりと浮いていました。それに、軍人を英雄視した奥山儀八郎の「軍神加藤建夫少将像」(1943年。2章)や、戦時中、日本が主催した大東亜会議の出席者(東条首相など。)7名をモチーフにした「大東亜会議列席代表像(1943年。2章)」などは、版画と戦争体制との関係をもっと端的に示した作品とも言えるでしょう。雑誌「エッチング」(1943年。2章)の巻頭文が、この時代の雰囲気を象徴的に伝えています。そこには、「日本は世界唯一の版画国であり、版画は輸送船の中にも航空機の中にも兵隊の首嚢の中にも組み込まれる。」(一部改変)とあるわけです。

 

とは言え、戦中の作家でも、例えば第4章で紹介される二人、加藤太郎と杉原正己は独自の表現を貫いています。草花を重々しいタッチで示した杉原正己の「作品」(1944年)や、銃をモチーフにとりながらも、そこに蝶や羽を隠す加藤太郎の「JEU D' OBJET2 - 欲望」(1945)などは、この時代の一般的な具象版画と一味異なっていました。これらが戦後の抽象表現へと繋がっていく部分もありそうですが、病気に倒れ、後に除隊して版画を制作し続けたという加藤らにこうした自由な表現の息遣いが見られるのがまた興味深く感じられます。



戦後の版画はまさに百花繚乱です。進駐軍が日本の版画を買いあさったというエピソードは、何やら明治期に西洋へ流失した浮世絵の過程を想起させますが、ともかくもそれまで抑えられていた多用な表現が少しずつ開花していきます。先にカレンダーに軍艦を登場させた畦地では、鋭角的な線が寒々とした山の雪景色を描く「雪渓」(1952年。6章)が魅力的です。また稲垣知雄の「黒壺の花」(1948年。6章)は、まるでキュビズムのような錯綜した画面が浮かび上がっています。そして定番の浜口、駒井、恩地らの作家も多く紹介されていますが、その中では特に浜口の「臥婦」(1950年。7章)が印象に残りました。浜口の女性像というだけでも目新しく感じてしまいます。



全5回のうち、残念ながら最後の今回だけしか見られませんでしたが、同美術館の高い企画力に裏打ちされた非常に充実した展覧会と言えるのではないでしょうか。全240点にも及ぶ作品をじっくり見ていくと、いくら時間があっても足りないほどです。

3月2日まで開催されています。

*1 千葉市美術館「日本の版画」シリーズ
日本の版画1 1900-1910 「版のかたち百相」(1997/9/9-10/12)
日本の版画2 1911-1920 「刻まれた『個』の饗宴」(1999/9/21-10/24)
日本の版画3 1921-1930 「都市と女と光と影と」(2001/9/18-10/21)
日本の版画4 1931-1940 「棟方志功登場」(2004/8/31-10/3)
日本の版画5 1941-1950 「日本の版画とは何か」(2008/1/12-3/2)

*関連リンク
足かけ12年 シリーズ展「日本の版画」完結 千葉市美術館(asahi.com)
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (一村雨)
2008-02-21 05:13:47
ここで、奥山儀八郎という版画家を知りました。
松戸に住んでいたのですね。
戦争賛美の翼賛的な絵が紹介されていましたが、
この人の相撲の絵などとても気に入りました。
 
 
 
版画はいいですね (ogawama)
2008-02-21 22:40:56
私も行きました。
千葉市美術館、いいですねー。
畦地梅太郎が気に入りました。
4/6まで、町田市国際版画美術館でも「山の版画」が見られるみたいですね。
 
 
 
Unknown (はろるど)
2008-02-22 01:03:13
@一村雨さん

こんばんは。

>奥山儀八郎という版画家を知りました。
松戸に住んでいたのですね。

そのようですね。確か市教育委員会蔵になっていました。
そういった千葉関連の作家を見られるのも、またこの美術館ならではのことなのかなとも思います。

相撲の絵、味わいがありましたね!


@ogawamaさん

こんばんは。
畦地さんはちらし裏の満州の赤い壁なども美しいですよね。
素朴な感触がまた良いなと思います。

>町田市国際版画美術館でも「山の版画」

町田の版画館、噂には聞いていますがまだ一度も行ったことがありません。今度こそは…。
 
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