「複合回路 第5回 青山悟」(オープニングトーク:青山悟X高橋瑞木) ギャラリーαM

ギャラリーαM千代田区東神田1-2-11 アガタ竹澤ビルB1F)
「複合回路 - 接触領域 - 第5回 青山悟」
11/13-12/18



ギャラリーαMで開催中の「複合回路 - 接触領域 - 第5回 青山悟」へ行ってきました。

作家、青山悟のプロフィールなどについては同画廊WEBサイトをご参照下さい。

第5回 青山悟 Satoru AOYAMA@ギャラリーαM

言うまでもなく最近では2009年のミヅマアートギャラリーでの個展の他、本年の六本木クロッシングなどに出品がありました。

さて今回の個展では祖父で洋画家の青山龍水を参照し、そこから自身の旧新作を交えて様々な問題提起が行われています。これまでの制作を振り返りつつも、祖父の作品との関係から、また新たな展開を指し示す内容だと言えるかもしれません。確かに以前の展開とはまた違った印象を受けました。

(左、青山氏、右、高橋氏。)

展覧会初日、オープニングパーティーに先立ち、作家青山とキュレーターの高橋瑞木のトークショーが行われました。 その様子を以下に再現してみたいと思います。

オープニングトーク 青山悟X高橋瑞木

高橋瑞木 今度の展示は珍しい祖父との合作。これまでにないアプローチだが、何故こうした展示にしようと思ったのか。

青山悟 祖父は仁科展の画家で98年に93歳で没した。ようは典型的な画壇の画家だ。死後、家に絵の大量の在庫があり、それを売ろうとしてヤフオクなどを調べたら、「青山先生の最高傑作」とまで書かれた作品が一万円スタートで売られていた。今回はこの時の思いがきっかけ。アートの価値って何なんだろうかと。

高橋 展示に入る前は祖父のことをどういう風に捉えてた?

青山 小学生低学年まではヒーロー。家でいつも絵を描いていて格好いいなと。ただ毎年、仁科展に連れて行かれるようになってからはそれが段々苦痛になってしまった。失礼かもしれないが、同じような作品ばかりがひたすら繰り返される展示。そのうちに行かなくなった。 それに美大に入って「現代アート」を始めた時は油彩はダサいという空気もあった。

高橋 入口に青山さんが小さい時に描いた油絵がある。刺繍の技法と絵画のジャンルの間の問題についてはどうだろうか。それに初めは画家になりたかったのでは?

青山 小学校の文集に画家になりたいと書いたが、自分に絵の才能がないことがすぐにわかった。中学校時代の美術の成績も悪くて断念…。(笑)

高橋 イギリスで美大に進んでテキスタイルを専攻した。それはペイントの挫折感からなのか。

青山 挫折でも何でもない。初めは彫刻をやってメタルを作ったりしていたが、その後定員オーバーで進めず、先生にテキスタイルはどうかと薦められた。それで入った。

高橋 そこでは何を学んだのか。

青山 刺繍学科ということで学生全員がほぼ女性。イギリスでテキスタイルを学ぶことはフェミニズムを学ぶことにもつながる。女性の社会的地位を問題にするフェミニスト運動など。またいかにアートヒステリーが男性優位で、逆に女性の手仕事がどれほど現代アートで重要かを教えられた。

高橋 二科展の土人というパーティーをモチーフにした作品がある。これは二科展メンバーがそうした姿に扮装して集うものだが、その中には青山の祖父はいるものの女性はいない。今回の展示のコンセプトはどうしたものか。

青山 表に祖父の絵を、そして裏に自作の女性政治家の刺繍をあわせてある。祖父の頃の女性像はあくまでも可愛らしさが重要だったようで、実際にもそのような作品ばかりが残っている。しかし女性の立場は今日に至るまで大きく変化した。強い女性とは何かというテキスタイル学科時代のことを思い浮かべながら制作した。

高橋 祖父が女性を描くと可愛らしい女の子、青山が表そうとすると強い女性になるのが面白い。

青山 ミシンを使ったの作業は女性的と言えるかもしれない。フェミニズムブームは終息したが、今の女性の象徴としてあえて女性政治家を選んだ。テキスタイル時代に学んだ経験から、自分の中で何か女性の強さに対する憧れもあるかもしれない。

高橋 表と裏であわせたもの他に一枚で独立した作品もある。それも同じように祖父の作品と対照的なイメージを取り込んだものなのか。


青山悟「東京の朝」

青山 祖父の描いた長崎の風景画(祖父の自宅があった。)には、2005年に制作した自宅マンションより望む東京の朝の風景の刺繍を対比させている。
そうした裏と表の対比で、祖父とやっていることと違うものをやっているという自覚を持つようにしている。しかしこの両方の風景は似たような面があるかもしれない。実は違うようで同じことをやってはいないか、また祖父から何らかの見えない影響があるのではないかなどという問題点も隠さずに出すことにした。実際、似ていることは恥ずかしくもある。

高橋 祖父の城の絵と台の上にある刺繍との関連は何か。

青山 祖父の絵はフランスのピエールフォン城。実はジャンヌ・ダルクが捕まって幽閉された城としても知られている。そして台の刺繍はジャンヌ・ダルクを表したもの。

高橋 これはつまり連作と言っても良いのではなかろうか。

青山 祖父の絵から少し掘り下げてみよう、またジャンヌから女性政治家シリーズへ繋げてみようという意図を持った作品だ。

高橋 展示に際して準備段階から青山の姿勢が変化しているような気がする。二科展も土人の扮装ではないが初めはファンキー。だが後に保守化した。また現代アートも同様な面もある。青山は画壇化した日本の現代アートに物申すというような文集を展示に先立って記した。しかし実際の展示からは必ずしもそうした印象を受けない。

青山 以前、何故に美術館にはあれほどたくさん人がいるのに現代アートは人気ないのだろうと思ったことがある。また美術とは本来、未来を更新していくものなのに、画壇や既存の美術はそれを怠っていないかと批判したこともある。
イギリスは画壇もあるがコンテンポラリーも強い。それに若い作家で日本のようないわゆる画壇系の絵を描く人も少ない。
初めは祖父の絵をつまらないと思ったが、土人のパフォーマンスしかり、当時としては前衛的な精神を持っていたのではないかと思うようになった。それに現代アートも画壇化している。そう考えると単純に画壇を批判出来るものではない。

高橋 どうして現代アートは画壇化していると思うのか。

青山 最近の現代アートが面白くない。漫然と作品をアーティストがつくると売り絵になる。現代アートのフレームに安住して売り絵を描くことはしたくない。しかし油断すると「~画廊の作家だから~円。」のような評価がくだされる。

高橋 画壇を単純に批判出来ないと?

青山 画壇も現代アートもシステムは同じ。しかし本来は作品は個々に見るべきなもの。やはり画壇だからダメで現代アートだから良いというような判断はしたくない。それをこの展示をしている途中に思うようになった。画壇も現代アートもフェアに扱うことを心がけている。だからこそ表と裏で画壇系と現代アートをくっつけたわけだ。

高橋 青山さんのおじいさんは元々お坊さんになるつもりだったと聞いた。しかし絵描きになりたいと美大へ進学する。逆に青山は海外へ行ってテキスタイルを学んだ。青山ははじめ風景画的なランドスケープを刺繍していたが、最近はポートレートから社会批判的な作品へ変化していく。この両者の出会いの展覧会なのかもしれない。

青山 かつては「否定して否定してさらに否定した後に残るものがある。」というアプローチで作品をつくっていたことがあった。しかしそれにも限界がある。削り取っているばかりでは未来へつながっていかない。森美術館での六本木クロッシングではその「否定」の作品を出しきった。今回の展示でははじめから旧作のランドスケープも最新の女性政治家シリーズも一緒に見せられないかと思っていた。ポジティブで未来へ向かった作品もつくりたい。

高橋 最初は祖父を否定していたものの、その後制作していくうちにある種の祖父へのリスペクトが生まれたのでないか。祖父に対する敬意とでも言おうか。

青山 それはあるかもしれない。そもそも作品は全て自分にはねかえってくるものとしてつくっている。

高橋 詳しく言うと?

青山 90年代の終わりは右も左もアイデンティティをどう出すかのようなことを終始言われた。自分もイギリスで日本人のアイデンティティがどうなのかを考えたこともある。確かに今は状況が変わったが、改めてこの時点からそれを考えてみたい。
今回は要するに自分のルーツをさらけ出している。旧作を見せて、家族の話も露にするような展示だ。本来的に作品を見せるのは恥ずかしいことだと思う。ただ最近はそれが麻痺してしまっていた。もう一度、その恥ずかしい感覚を大切にしよう、そうした恥ずかしさで今一度自分を追いこもうと考えた。

高橋 祖父が持っていたであろうフランスに対する憧れも、日本人のアイデンティティ云々に関わる問題だ。ところで女性政治家シリーズでは不思議と西洋人しか登場しないがそれは何故か。

青山 初めは蓮舫も入れようかと思った。ただ日本の女性政治家はむしろ女性的で、強さを求めるとある意味でギャグになってしまうのでやめた。(笑)

高橋 日本と西洋のフェミニズムの問題の違いもそこから見えてくるかもしれない。今後はさらに男と女の関係を問うような作品をつくったりするのか。

青山 自分自身は男女はそう対立する関係ではなく、もっとフラットだと思っている。そういう考えもあるが。

高橋 祖父は女性を可愛らしい存在、ようは自分の好みを反映させるような心象風景の一種として女性像を描いた。しかし青山はもっと具体的な記号、つまり情報量の多い政治家という確固たる存在を像に取り出した。祖父の心象、青山のある意味での具象、そうしたものもこの展示から引き出される対立項かもしれない。

青山 男女を対立させて並べてみせるのはむしろ簡単。ただしそこからどう作品として高めていくのかは難しい。

高橋 最後に今回の展示の意図を。

青山 先ほども触れたがここ10年くらいは全てを「削って削って」作品をつくっていた。要するに作品のロマンテックな面やコンセプトもどんどん削いで、全てを引き算して出来た最後のものだけで作品をつくるような感覚だ。しかしそれはもう限界。あえて祖父の作品を入れることで自分の中で新たにプラスと思えるようなものを見出したい。

以上です、私のメモ書きのみで不完全ではありますが、約1時間強にわたって作品の説明から青山と祖父の関係、そして今度の展開などが議論されました。


青山悟「政治家と黄色いセイターの少女」

なおまだ詳細は未定ですが、12月中にゲストに森村泰昌氏を迎えてのトークショーも企画されているそうです。決定次第、同画廊のサイトでも告知されるのではないでしょうか。これは楽しみです。

12月18日まで開催されています。もちろんおすすめします。
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