都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「ベトナム近代絵画展」 東京ステーションギャラリー 11/19
東京ステーションギャラリー(千代田区丸の内)
「ベトナム近代絵画展」
11/5~12/11
今、東京ステーションギャラリーで開催中の「ベトナム近代絵画展」です。植民地支配と戦争の惨禍。苦難のベトナム近代史を、絵画の観点から振り返ります。東京ステーションギャラリーならでは企画とでも言えるような、興味深い展覧会です。
展覧会では、まずベトナム近代絵画の原点を、1925年の、フランス占領下における「インドシナ美術学校」の設立に求めます。西洋の油彩画の移入と、その後のベトナム近代絵画の基盤となった絹絵や漆絵。1940年以降、ベトナムへの日本の侵攻伴って、これらベトナムの絵画が、一時的に日本でも紹介されたことがありました。そして戦争の激化。最終的には「インドシナ美術学校」も閉校することを余儀なくされます。ベトナムの近代絵画は、フランスの植民地統治、または日本の侵攻下の中で開始され、翻弄されたわけです。
日本の敗戦に伴い、東南アジアの勢力バランスが崩れた結果、ベトナムは惨いことにも再びフランスの侵略を受けます。抗仏戦争の開始です。その後ベトナムは南北に分裂。苦渋の時代を迎えますが、ベトナム絵画の流れは脈々と受け継がれたようです。共産主義リアリズム絵画と、ヨーロッパ受容のモダニズム絵画の対立。民族主義的絵画の勃興。ベトナムの南北対立は、アメリカや中国、それにソ連の介入によってさらに泥沼化しますが、絵画も同じように、冷戦下の東西対立の大きな渦に巻き込まれてしまいます。
北ベトナムによる「サイゴン解放」以降のベトナム。ようやく統一国家として歩み始めました。そして、この展覧会における「ベトナム近代絵画」とは、この時期までの作品を指します。北ベトナムにおける、反米メッセージを露骨に見せた作品群。「敵」こそ違えども、時間を超えて常に「闘った」ベトナムの近代。絵画も最後まで、戦争と抵抗の歴史を忘れることがありません。
展示作品の中で圧倒的に面白いのは、ベトナムの伝統的な技法を駆使した漆絵というジャンルです。一連のベトナムの絵画の中でも特に優れた作品と言われる、フィン・ヴァン・ガムの「リエン嬢」(1962年)。丹念に漆を塗り重ねた画面は、光り輝く陰影によって美しい味わいをもたらします。作品の下からかがみ込んで見るのがおすすめです。(会場でもそのように案内もされています。)女性の左から差し込む明かりが、金色に、美しく照っているのが分かります。肘をついて椅子に座る彼女の不思議な表情。何かを見つめているというよりも、どこかあらぬ方向をぼんやりと眺めているようにも見えます。不思議な魅力をたたえる絵画です。
もちろん漆絵においても、戦争を主題とした作品が多く残っています。その中では、ファン・ケ・アンの「タイバックの夕べの思い出」(1955年)が一番印象に残りました。広がりのある大空と深い山々の美しい連なり。この作品も、太陽の日差しが、金色の輝きにて表現されています。空に渦巻く雲と山肌に降り注ぐ黄金の光。もしそれだけが描かれているのであれば、大自然の景色を捉えた、雄大な作品ということで終ってしまうのかもしれませんが、前方の尾根には、兵士の姿が、山の大きさと比べるとかなり不自然に、はっきりと大きく描かれています。「戦争は驚くべき静穏な瞬間によって中断された。」解説にはこう述べられていましたが、まさに、戦争の惨さすら包み込むような超然とした自然の美が、あまりにも輝かしく描かれた作品と言えそうです。
グエン・サンの「国家のブロンズの壁」(1967-78年)は、漆絵にて、明快に反米の意味を表現した、鮮烈な印象を与える作品です。銃を構える二人の米兵と、多くの非武装のベトナム人の対峙。ベトナム人らは口を大きく開けながら、拳を上に振り上げて、怒りの表情を見せながら米兵へと向かいます。アメリカへの憎悪と、強い愛国主義の渦。善悪は明快に線引きされて、ベトナム人たちの正義が讃えられます。米兵がベトナム人に対峙するために、こちら側に背を向けて立つ姿が特に心に残ります。彼らには顔がない。その細い長い体つきは、まるでロボットのようです。「悪としての米兵」の意味を強める点において、これほど効果的に表現された姿もありません。
漆絵以外にもいくつかの油彩や絹絵が、またもちろん露骨に戦争を描いた作品以外にも、美しい自然そのものや女性を描いた作品などが並びます。ただ、全体的に「国家」という概念が前面に出てくる、要は、ベトナムの近代史を考える点において、特に重要な観点である「民族の自決」の意味が、執拗に絵画にて示される構成となっています。もちろん、それはベトナム近代絵画史の、あくまで一側面であるだけなのかもしれません。しかしその「ネイションな雰囲気」を、どうしてもぬぐい去ることが出来ない展覧会でもあります。来月11日までの開催です。
*東京ステーションギャラリーは、来年の3月5日以降、東京駅舎大規模改修工事に伴い、約5年間の休館が予定されています。次回の展覧会は、休館前の最後の展覧会となる、前川國男氏の建築展(12/23~3/5)です。いつも他ではあまり取り上げられないような視点に立って、面白い展覧会を企画する東京ステーションギャラリー。その長期休館は、駅舎の大規模改修という事情があるにしろ、とても残念に思います。
「ベトナム近代絵画展」
11/5~12/11
今、東京ステーションギャラリーで開催中の「ベトナム近代絵画展」です。植民地支配と戦争の惨禍。苦難のベトナム近代史を、絵画の観点から振り返ります。東京ステーションギャラリーならでは企画とでも言えるような、興味深い展覧会です。
展覧会では、まずベトナム近代絵画の原点を、1925年の、フランス占領下における「インドシナ美術学校」の設立に求めます。西洋の油彩画の移入と、その後のベトナム近代絵画の基盤となった絹絵や漆絵。1940年以降、ベトナムへの日本の侵攻伴って、これらベトナムの絵画が、一時的に日本でも紹介されたことがありました。そして戦争の激化。最終的には「インドシナ美術学校」も閉校することを余儀なくされます。ベトナムの近代絵画は、フランスの植民地統治、または日本の侵攻下の中で開始され、翻弄されたわけです。
日本の敗戦に伴い、東南アジアの勢力バランスが崩れた結果、ベトナムは惨いことにも再びフランスの侵略を受けます。抗仏戦争の開始です。その後ベトナムは南北に分裂。苦渋の時代を迎えますが、ベトナム絵画の流れは脈々と受け継がれたようです。共産主義リアリズム絵画と、ヨーロッパ受容のモダニズム絵画の対立。民族主義的絵画の勃興。ベトナムの南北対立は、アメリカや中国、それにソ連の介入によってさらに泥沼化しますが、絵画も同じように、冷戦下の東西対立の大きな渦に巻き込まれてしまいます。
北ベトナムによる「サイゴン解放」以降のベトナム。ようやく統一国家として歩み始めました。そして、この展覧会における「ベトナム近代絵画」とは、この時期までの作品を指します。北ベトナムにおける、反米メッセージを露骨に見せた作品群。「敵」こそ違えども、時間を超えて常に「闘った」ベトナムの近代。絵画も最後まで、戦争と抵抗の歴史を忘れることがありません。
展示作品の中で圧倒的に面白いのは、ベトナムの伝統的な技法を駆使した漆絵というジャンルです。一連のベトナムの絵画の中でも特に優れた作品と言われる、フィン・ヴァン・ガムの「リエン嬢」(1962年)。丹念に漆を塗り重ねた画面は、光り輝く陰影によって美しい味わいをもたらします。作品の下からかがみ込んで見るのがおすすめです。(会場でもそのように案内もされています。)女性の左から差し込む明かりが、金色に、美しく照っているのが分かります。肘をついて椅子に座る彼女の不思議な表情。何かを見つめているというよりも、どこかあらぬ方向をぼんやりと眺めているようにも見えます。不思議な魅力をたたえる絵画です。
もちろん漆絵においても、戦争を主題とした作品が多く残っています。その中では、ファン・ケ・アンの「タイバックの夕べの思い出」(1955年)が一番印象に残りました。広がりのある大空と深い山々の美しい連なり。この作品も、太陽の日差しが、金色の輝きにて表現されています。空に渦巻く雲と山肌に降り注ぐ黄金の光。もしそれだけが描かれているのであれば、大自然の景色を捉えた、雄大な作品ということで終ってしまうのかもしれませんが、前方の尾根には、兵士の姿が、山の大きさと比べるとかなり不自然に、はっきりと大きく描かれています。「戦争は驚くべき静穏な瞬間によって中断された。」解説にはこう述べられていましたが、まさに、戦争の惨さすら包み込むような超然とした自然の美が、あまりにも輝かしく描かれた作品と言えそうです。
グエン・サンの「国家のブロンズの壁」(1967-78年)は、漆絵にて、明快に反米の意味を表現した、鮮烈な印象を与える作品です。銃を構える二人の米兵と、多くの非武装のベトナム人の対峙。ベトナム人らは口を大きく開けながら、拳を上に振り上げて、怒りの表情を見せながら米兵へと向かいます。アメリカへの憎悪と、強い愛国主義の渦。善悪は明快に線引きされて、ベトナム人たちの正義が讃えられます。米兵がベトナム人に対峙するために、こちら側に背を向けて立つ姿が特に心に残ります。彼らには顔がない。その細い長い体つきは、まるでロボットのようです。「悪としての米兵」の意味を強める点において、これほど効果的に表現された姿もありません。
漆絵以外にもいくつかの油彩や絹絵が、またもちろん露骨に戦争を描いた作品以外にも、美しい自然そのものや女性を描いた作品などが並びます。ただ、全体的に「国家」という概念が前面に出てくる、要は、ベトナムの近代史を考える点において、特に重要な観点である「民族の自決」の意味が、執拗に絵画にて示される構成となっています。もちろん、それはベトナム近代絵画史の、あくまで一側面であるだけなのかもしれません。しかしその「ネイションな雰囲気」を、どうしてもぬぐい去ることが出来ない展覧会でもあります。来月11日までの開催です。
*東京ステーションギャラリーは、来年の3月5日以降、東京駅舎大規模改修工事に伴い、約5年間の休館が予定されています。次回の展覧会は、休館前の最後の展覧会となる、前川國男氏の建築展(12/23~3/5)です。いつも他ではあまり取り上げられないような視点に立って、面白い展覧会を企画する東京ステーションギャラリー。その長期休館は、駅舎の大規模改修という事情があるにしろ、とても残念に思います。
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )
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何故か目がらんらんとしてきて
寝付けません。。。
こんな土曜日も悪くはないです。
さてさて、この展覧会。
戦争が暗い影を随所に落としていて
あれこれ考えさせられるもの多かったです。
それでも、芸術の力って偉大ですね。
>ワインを飲みすぎたら何故か目がらんらんとしてきて
寝付けません。。。こんな土曜日も悪くはないです。
これはこれはどうされましたか。
何かワインをがぶ飲みしなくてはいけないご事情でも?
>戦争が暗い影を随所に落としていて
あれこれ考えさせられるもの多かった
美術館の恣意的な選択なのかもしれませんが、
ともかく戦争を題材にした作品が多かったですよね。
ただその中にもリエン嬢のような作品もある。
とても見応えのある展覧会でした。
戦争芸術と言うと、ピカソのゲルニカが真っ先に思いつきますが、プレッシャーのあるテーマを芸術作品に昇華することのできるというのは、やっぱり人格が成熟してるとともに力量のある作家達なんだと思います。
そうですね。
戦争がテーマになっているわけではないのですが、
ベトナム近代史をひも解くと、必然的に戦争がさけて通れなくなり、
結果として戦争の色の濃い作品ばかりになった、と言うことでしょうか。
もちろん、美しい油彩なども展示されていますが、
ナショナリズム、反米、プロパガンダと、
そちらを感じさせる作品ばかりに目がいきます。
もちろん、ゲルニカのような超大作こそありませんが、
なかなか見せてくれる展覧会ではあります。
ベトナムの絵画、私も見てきました。「民族性」をつよく感じましたね。また、漆絵もとても興味深かったです。
私も拙い記事を書いたので、TBさせてください。
>「民族性」をつよく感じました
美術館のセレクトの問題かもしれませんが、
これほどナショナリズムを思わせる展覧会もないですよね。
興味深かったです。
>漆絵
あれは大変魅力的です。
あまり見たことのない表現法だったので見入りました。