「板倉鼎・須美子展」 松戸市立博物館

松戸市立博物館
「よみがえる画家ー板倉鼎・須美子展」 
10/10-11/29



松戸市立博物館で開催中の「よみがえる画家ー板倉鼎・須美子展」を見てきました。

エコール・ド・パリに華やいだ1920年代のパリ。若くして同地に渡りながらも、心半ばにて病に倒れ、僅か20代で人生の幕を閉じた二人の画家がいました。

それが板倉鼎、須美子夫妻です。鼎の生まれは1901年。父は内科医でした。板倉家は元々、埼玉で医業を営んでいましたが、後に松戸で病院を開業。それに伴い鼎も松戸へ移りました。地元の小学校を経て千葉中学(現、千葉高校)を卒業します。父は医者を継がせようとしますが、鼎は幼い頃から画家を志望していました。1919年に東京美術学校西洋画科へ入学します。岡田三郎助の指導を受けました。


板倉鼎「風景 秋更け行く」 1920年 松戸市教育委員会

展示は10代、美術学校時代の鼎の作品からはじまります。「水辺の風景(坂川)」はまさしく松戸市内を流れる坂川を表した一枚です。水面はかなり広い。鬱蒼とした木々の緑が反射しています。やや濃い緑に黄が混じる色彩も美しい。鼎は市内の古ヶ崎の水郷地帯を好んで描いています。長閑な故郷の原風景をキャンバスに捉えました。

在学中に帝展へ入選したのが「静物」です。テーブルの上の果物。バナナと青リンゴでしょうか。ぶどうも見えます。柔らかい筆触です。初期のルノワールの作品を思わせます。


板倉鼎「七夕の夕」 1924年頃 松戸市教育委員会

美しいのが「木影」でした。戸外のテラスにいるのは3人の女性です。うち手前の一人は先生かもしれません。楽器を教えているようにも見えます。ヒマワリが咲き、テーブルの上の花瓶にはたくさんの花が束ねられています。白い光が斑らに差し込んでもいます。明るい色遣いです。パリへ行く前の鼎は印象派的な画風を見せていました。


板倉鼎「房総・保田より大島遠望」 1925年頃 松戸市教育委員会

鼎は写生のため千葉の保田へも出かけます。その時に描いたのが「房総・保田より大島遠望」でした。キャベツ畑でしょうか。畑を手前にして青い大海原が広がります。光は眩しい。夏の景色かもしれません。彼方には雲に隠れた大島の姿を望むことも出来ました。

1925年、須美子と結婚します。夫は25歳で妻は17歳。須美子の父はロシア文学者の昇曙夢でした。語学にも堪能。大変な才女だったそうです。そして翌1926年、フランスへと向かいます。途中にハワイ、ニューヨークを経由しての大旅行です。新婚旅行も兼ねていました。

鼎のパリ留学期間は3年間です。そこでアカデミーの画家、ロジェ・ビシエールに師事します。素人目にも作風が変化しました。いわゆる写実を重点を置きます。より「華やかでかつシンプル」(キャプションより)な作品を描きはじめました。

「須美子」のモデルは妻です。パリで鼎は妻をモチーフとした人物画を多く制作しています。大きな目を開けてはやや恥らうかのように横顔を見せた須美子。可愛らしい。赤いドレスはトレードマークなのでしょう。他の作品でも多く見られます。モデルとの親密な空気も感じられました。

師のビシエールの作品も展示されていました。「薔薇をもつ婦人像」です。どことなく一部にキュビズムを吸収した雰囲気があるかもしれません。太い腕が印象的な婦人像です。鼎も「人物」においてやや似た人物画を表しています。

鼎はイタリアに出向き古典絵画を学ぶなど精力的に活動します。それを示すのが「手紙(フィレンツェより)」でした。ボッティチェリのを見たのでしょうか。「ヴィーナスの誕生」などの絵葉書に手紙を記しています。

真正面からテーブル越しの静物を見た構図の作品が目立ちました。一例が「雲と秋果」です。2房のぶどうを黄金色のカゴに入れてはテーブルの上に置いています。すぐそばには洋梨が3つ。背景は空、雲も靡いています。何やらボーシャンの作風を連想したのは私だけでしょうか。「金魚」でも同じようにテーブル上の金魚鉢を正面から捉えています。やはり背後は空、雲が広がっていました。雲の姿は図像的でもあります。単純化された構図もパリ時代の鼎の画風の特徴と言えるかもしれません。

妻の須美子が絵を学んだのは結婚後です。夫の手習いを受けました。一時滞在したハワイでの思い出や風景などを描いていきます。


板倉須美子「ハワイの丘」 1928年 松戸市教育委員会

この須美子の作品が個性的です。ルソーとしたら言い過ぎでしょうか。素朴派風の絵画を残しています。「ハワイの丘」も面白い。寝そべってはくつろぐのはカップルです。黒い猫もいました。地面の芝生の形も様式化されているようにも見えます。背後は海、水色です。夕景かもしれません。山のように隆々と連なる空の雲はオレンジ色を帯びていました。

ハイライトは鼎が須美子をモデルにした人物画でした。シンボリックで力強い。「休む赤衣の女」では窓越しに海を望むベットで横になる妻を描いています。右には金魚鉢、左には花瓶がありました。鼎が頻繁に表すモチーフの一つです。そして赤いドレスの妻。右手で頭を支えてはポーズをとっています。左腕の角度が独特です。手のひらが左側に向いて曲がっていました。

「黒椅子による女」も強い印象を与えはしないでしょうか。公園かもしれません。緑豊かな屋外に置いた椅子に座る須美子。ほぼ真後ろから捉えています。大きな目がこちらを見据えます。左肩がまた広い。斜めに座っているようです。長い腕を背もたれに沿うように曲げては垂らしています。


板倉鼎「リラ、アネモネ等」 1929年 成田山書道美術館

夫妻でサロンにも入選します。2人の女の子を授かり、パリでの生活は順風満帆にも見えました。しかしながら暗転、鼎に病魔が襲いかかりました。パリへやって来て3年後の1929年のことです。鼎は敗血症を発症。10日の闘病生活の後、29歳の若さで亡くなってしまいました。


板倉須美子「松の屋敷」 松戸市教育委員会

須美子は子を連れて帰国します。しかし悲しみは続きました。同年には次女が死亡。また翌年には長女も病死します。夫、2人の子を亡くした彼女の苦しみを思うと言葉になりません。そして須美子も1934年、結核にかかり亡くなってしまいます。享年25歳でした。

鼎はパリ時代、斎藤豊作とも親交があり、彼の葬儀は豊作が取り仕切ったそうです。また岡鹿之助とは同級生です。手狭な展示室ではありますが、作品はもとより、資料も多く、かなり充実しています。予想以上に見応えがありました。


松戸市立博物館常設展示室

なお会場の松戸市立博物館は郷土の歴史を辿る博物館です。常設展では縄文から近現代へと至る松戸の歴史を考古品やパネルなどで紹介しています。


常盤平団地原寸大再現展示

名物は何と言っても常盤平団地の再現展示です。1960年代、団地が建設された頃の2DKの一室を電化製品や家具とともに原寸大で再現。中に入っては当時の生活をさながら追体験することも出来ます。常設展との共通券(600円)で観覧するのも面白いのではないでしょうか。


常盤平団地原寸大再現展示

最後にアクセスの情報です。松戸市立博物館の最寄り駅はJR武蔵野線の新八柱駅、ないし新京成線の八柱駅。駅から歩くと約15分です。もちろん歩けない距離ではありませんが、途中、アンダーパスがあるなど、意外と時間がかかります。

八柱駅ロータリーからの新京成バスが便利です。本数はおおよそ毎時4本。乗ってしまえば5分弱で博物館の目の前にあるバス停に到着します。(八柱駅バス時刻表


21世紀と森の広場

博物館に隣接するのは松戸市内最大の自然公園、21世紀と森の広場です。極めて広大。千葉県に独特な谷津の地形を利用した園内は散策にも適しています。気分転換がてらに少し足を伸ばしてみるのも良いかもしれません。


松戸市立博物館(入口方向より)

知られざる魅惑的な画家。若くして亡くなった二人の人生のドラマも胸を打つものがありました。

11月29日まで開催されています。

「よみがえる画家ー板倉鼎・須美子展」 松戸市立博物館
会期:10月10日(土)~11月29日(日)
休館:月曜日。但し10月12日、11月23日は開館。翌10月13日、11月24日は休館。
料金:一般400(320)円、大学・高校生200(160)円、中学生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *常設展示との共通券あり。一般600円、大学・高校生300円。
 *11月3日(文化の日)は観覧無料。
時間:9:30~17:00。入館は閉館の30分前まで。
住所:千葉県松戸市千駄堀671
交通:新京成線八柱駅、JR線新八柱駅より徒歩15分。八柱、新八柱駅より松戸新京成バス「小金原団地循環・バス案内所」、「新松戸駅」行きに乗り「公園中央口」バス停下車すぐ。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
素敵な展覧会でした。 (redCamellia)
2015-11-30 20:38:19
こちらの記事を読んで、ぜひ行きたいと思い、ようやく最終の週末に行くことが出来ました。劇的なお二人の人生を滲ませるかのような、心に染みる絵の数々。感動しました。結構、展示替えした作品も多かったようで、前期に行けなかったことが悔やまれます。
いつも様々な規模の展覧会を、素敵に紹介して下さりありがとうございます。
これからも記事を楽しみにしています。
季節柄、お身体お労わり下さいませ。
 
 
 
Unknown (はろるど)
2015-12-03 18:31:33
@redCamelliaさん

こんばんは。コメントありがとうございます。記事を参考にしていただけて嬉しいです。
お二人の人生を重ねると何とも複雑なものがありますよね。初期からスタイルを変えての変遷。ドラマテックでさえありました。

私も展示替えを追えなかったのだけが心残りです。

また遊びにいらして下さい。
今後ともどうぞ宜しくお願いします。
 
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