「斎藤真一 瞽女と哀愁の旅路」(後期) 武蔵野市立吉祥寺美術館

武蔵野市立吉祥寺美術館武蔵野市吉祥寺本町1-8-16 FFビル7階)
「斎藤真一 瞽女と哀愁の旅路」(後期)
1/20-2/21



「盲目の旅芸人、瞽女(ごぜ)に強く惹かれ」(美術館HPより引用)、その姿を絵画に記した画家、斎藤真一の業績を回顧します。武蔵野市立吉祥寺美術館で開催中の「斎藤真一 瞽女と哀愁の旅路」の後期展示を見てきました。

まずは本展の概要です。

・斎藤真一(1922-1994)の絵画作品を、彼自身の残した言葉、また瞽女の映像とともに紹介。
・会期は前後期の二期制。(現在は後期。)単純に作品を入れ替えるのではなく、前期は初期作、及び絵草紙の世界を、また後期では瞽女シリーズの他、街角などを描いた風景画などを展示する。あわせて計120点。

前期を見逃してしまいましたが、上にも触れた通り、今回は前後期を通すことで、斉藤の画業の全貌を知ることが出来るような構成がとられています。よって例えば前期に出た「明治吉原細見記」シリーズは後期になく、また逆に風景画の「街角」数点に関しては、現会期のみの出品になっていました。スペースこそ手狭ながらも、後期だけでも充実した展示であることが伝わるだけに、前期も見るべきであったと今更ながらに後悔しました。



1960年の欧州留学後、津軽を旅して三味線の音色にも惹かれ、瞽女と呼ばれる芸人と出会った斉藤ですが、彼女たちの姿を捉えた一連の瞽女シリーズは心を打つものがあります。特に深い親交のあった瞽女、杉本キクエを劉生風の写実表現で真摯に捉えた、その名も「杉本キクエ」(1969)、また深く染み渡る『赫』を背景に、首を傾げた瞽女が手を合わせて清らかに立つ「お春の祈り」(1974)の二枚は強く印象に残りました。ちなみにこの『赫』こそ、彼の絵画を特徴づける、半ばオリジナルの色でもありますが、そこには瞽女たちの生き様を通して見えた、半ば愛情や宿命などが表されているのだそうです。燃え上がり、また煮えたぎる赫には、確かに瞽女の生命力が宿っていました。



その一方で、そうした瞽女シリーズとは異なった、実際に留学先で接点もあった藤田の影響を伺い知れる肖像画や、ルソーを思わせる風景画を楽しめるのもまた今回のポイントです。細身の女性が花園に立つ「レースの女」(1992)の他、石畳の小径を描いた絶筆の「街角」(1994)などにも惹かれました。



「現代の孤独」(1977)はまさに衝撃的の一言でした。この男女の妖しき楽園の世界には一体何が表されているのでしょうか。中央で交わるその姿に思わず目は釘付けとなりました。



その奇異な表現の方向性は、昇天して星となった瞽女を悲しむ「星になった瞽女」(1972)でも十二分に伺い知ることが出来ます。細い腕を伸ばして目を覆いつながら涙を落とす瞽女の悲しみは、雪原を焦がす赫の効果によってさらなる次元へと高められていました。

この展示へ行ったのも、全てはかつて東京都美術館で開催された「日本の美術館名品展」で見た「星になった瞽女」(上と同名の別作品)の強い印象があったからでした。本展では彼の特異ながらも、寡黙な作風の向こうに、瞽女たちとの多様なドラマがあったことを知ることが出来ます。

500円の小冊子が展示の理解を深めます。彼のテキストも重要です。

後期だけでも駆けつける価値は十二分にあります。2月21日までの開催です。もちろんおすすめします。
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