アメリカ製のスペースシャトル・エンデバーに乗せてもらって国際宇宙ステーションにたどりついた宇宙飛行士の土井隆雄さんらが日本製の実験棟「きぼう」を国際宇宙ステーションに取り付けた。日本時間で3月14日のことだった。結構なことなのだが、「なんだかなあ」と失望させられたのが土井さんのメッセージだった。
報道によると土井さんは、
"This is a small step for one Japanese astronaut, but a giant entrance for Japan to a greater and newer space program.”
と言った。
「きぼう」の国際宇宙ステーションへの設置は、「きぼう」本体の建造費が約5千億円、準備段階の費用や今後の物資の輸送などをひっくるめれば合計1兆円に達する巨大プロジェクトである。そのわりには、土井メッセージは安っぽかった、という感はぬぐえない。
その昔、アポロ11号で月面に降り立ったアームストロング船長が、
"That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind."
と言ったと記録に残っている。アームストロングが月面でしゃべった言葉は、
"That's one small step for man, one giant leap for mankind."
と地球に聞こえた。不定冠詞 “a” が月と地球の間の闇にまぎれてしまったか、あるいはアームストロングさんがうわづって “a” を付け忘れたのではないかともいわれている。いずれにせよ英語文法学習の格好の教材になった。
「きぼう」の土井メッセージはアームストロングのものまね。1兆円事業の最高の見せ場だったのだから、もうすこしましなオリジナル作品を出せなかったものか。ちょっと金を出して気のきいたスピーチライターでも雇ってあげればよかったのにと残念だ。アームストロングさんのせりふをまねた土井メッセージはこれからもずっと希望につきまとう。
「ものまね」の芸は、オリジナリティーよりも、すでに在るものをいかに巧に加工してみせかが腕の見せどころだった日本文芸の「本歌取り」の伝統のせいなのだろうか。でも、なんだかなあ。
話はかわるが、筆者が1年前に定年退職した某大学でも某学長さんが似たような「本歌取り」をやったのをおもいだす。
少子化による大学進学者希望者の減少や国立大学の法人化と運営交付金の削減など、大学を取り巻く環境の悪化にあわてた学長さんが2005年秋に「○×大学再構築計画」という文書を書いて、「マニフェスト」と称した。
その骨子は、①「モニュメントをつくる」「正門の表札を新しいものと取り替える」「キャンパスをきれいに保つ」「バスロータリーの屋根付き待合所を拡張する」という土建政策と②「常勤教職員数の削減」「常勤事務職員数の削減」「常勤技術職員数の削減」「非常勤職員数の削減」「非常勤講師料の削減」「給与構造の改革」。つまりは賃金引下げと人減らし政策。
多くの教職員は見てみぬふりをしたが、さすが○×大学労組は怒って、学長さんの駄文を組合のニュースレターで「爆笑? ○×大改造計画」という戯文にしてからかった。この学長マニフェストにアメリカ人の発言がものまねで使われていた。
学長さんはその「再構築計画」文書のなかで、「○×大学関係者のすべてが本学を誇りとしているかという点については疑問なしとしない」「本学は、外部から見て、特徴のはっきりしない大学である」「大学全体としての特色・方向性を打ち出そうという意欲が学内に乏しかったのか、または、そのような意欲に水をさすような状況が学内に存在したためであろう」「本学が今のままでは……生き残れなくなる可能性がある」と暗い見通しを強調した。
そのうえで、「○×大学を教職員・学生・卒業生のすべてが誇りとする大学にする。○×大学の学内標語を『○×大学をみんなの誇りに!』とする。教職員の一人ひとりが、○×大学が自分に何をしてくれるかを問う前に、○×大学を誇れる大学とするために自分は何をできるかを考え、提案し、企画し、実行しなければならない」と声高な調子で書き加えた。
この「○×大学を誇れる大学とするために自分は何をできるかを考え、提案し、企画し、実行しなければならない」というおしつけがましいくだりは、実は、J. F. ケネディーの米国大統領就任演説(1961年1月20日)の一節、
“And so, my fellow Americans: ask not what your country can do for you--ask what you can do for your country.”
のパクリというか「本歌取り」だった。
オリジナリティーを貴ぶ大学でなくても、こういう芸のない本歌取りをやるのは気恥ずかしいしいことなのだ。だが、彼はそれを知らなかったのだろう。
それはさておき、その学長さんが学内対話の一環として教授会に来たとき、筆者は学長さんに尋ねてみた。「外部資金の獲得を教職員に強くもとめていらっしゃるが、学長および理事ら自らがこれまでに獲得した学部資金は合計いくらになるのか」
「そのような獲得資金はこれまでにもなかったし、今後もないであろう」というのが学長の返事だった。正直だったが、なんだかなあ。
ちなみに、この学長さんはさきごろの○×大学で次期学長選に再選の名乗りをあげて続投を望んだが、結果は学内投票の段階で×をもらい、再選は○とはいかなっかた。この3月末で退任する。
(2008.3.18 花崎泰雄)
報道によると土井さんは、
"This is a small step for one Japanese astronaut, but a giant entrance for Japan to a greater and newer space program.”
と言った。
「きぼう」の国際宇宙ステーションへの設置は、「きぼう」本体の建造費が約5千億円、準備段階の費用や今後の物資の輸送などをひっくるめれば合計1兆円に達する巨大プロジェクトである。そのわりには、土井メッセージは安っぽかった、という感はぬぐえない。
その昔、アポロ11号で月面に降り立ったアームストロング船長が、
"That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind."
と言ったと記録に残っている。アームストロングが月面でしゃべった言葉は、
"That's one small step for man, one giant leap for mankind."
と地球に聞こえた。不定冠詞 “a” が月と地球の間の闇にまぎれてしまったか、あるいはアームストロングさんがうわづって “a” を付け忘れたのではないかともいわれている。いずれにせよ英語文法学習の格好の教材になった。
「きぼう」の土井メッセージはアームストロングのものまね。1兆円事業の最高の見せ場だったのだから、もうすこしましなオリジナル作品を出せなかったものか。ちょっと金を出して気のきいたスピーチライターでも雇ってあげればよかったのにと残念だ。アームストロングさんのせりふをまねた土井メッセージはこれからもずっと希望につきまとう。
「ものまね」の芸は、オリジナリティーよりも、すでに在るものをいかに巧に加工してみせかが腕の見せどころだった日本文芸の「本歌取り」の伝統のせいなのだろうか。でも、なんだかなあ。
話はかわるが、筆者が1年前に定年退職した某大学でも某学長さんが似たような「本歌取り」をやったのをおもいだす。
少子化による大学進学者希望者の減少や国立大学の法人化と運営交付金の削減など、大学を取り巻く環境の悪化にあわてた学長さんが2005年秋に「○×大学再構築計画」という文書を書いて、「マニフェスト」と称した。
その骨子は、①「モニュメントをつくる」「正門の表札を新しいものと取り替える」「キャンパスをきれいに保つ」「バスロータリーの屋根付き待合所を拡張する」という土建政策と②「常勤教職員数の削減」「常勤事務職員数の削減」「常勤技術職員数の削減」「非常勤職員数の削減」「非常勤講師料の削減」「給与構造の改革」。つまりは賃金引下げと人減らし政策。
多くの教職員は見てみぬふりをしたが、さすが○×大学労組は怒って、学長さんの駄文を組合のニュースレターで「爆笑? ○×大改造計画」という戯文にしてからかった。この学長マニフェストにアメリカ人の発言がものまねで使われていた。
学長さんはその「再構築計画」文書のなかで、「○×大学関係者のすべてが本学を誇りとしているかという点については疑問なしとしない」「本学は、外部から見て、特徴のはっきりしない大学である」「大学全体としての特色・方向性を打ち出そうという意欲が学内に乏しかったのか、または、そのような意欲に水をさすような状況が学内に存在したためであろう」「本学が今のままでは……生き残れなくなる可能性がある」と暗い見通しを強調した。
そのうえで、「○×大学を教職員・学生・卒業生のすべてが誇りとする大学にする。○×大学の学内標語を『○×大学をみんなの誇りに!』とする。教職員の一人ひとりが、○×大学が自分に何をしてくれるかを問う前に、○×大学を誇れる大学とするために自分は何をできるかを考え、提案し、企画し、実行しなければならない」と声高な調子で書き加えた。
この「○×大学を誇れる大学とするために自分は何をできるかを考え、提案し、企画し、実行しなければならない」というおしつけがましいくだりは、実は、J. F. ケネディーの米国大統領就任演説(1961年1月20日)の一節、
“And so, my fellow Americans: ask not what your country can do for you--ask what you can do for your country.”
のパクリというか「本歌取り」だった。
オリジナリティーを貴ぶ大学でなくても、こういう芸のない本歌取りをやるのは気恥ずかしいしいことなのだ。だが、彼はそれを知らなかったのだろう。
それはさておき、その学長さんが学内対話の一環として教授会に来たとき、筆者は学長さんに尋ねてみた。「外部資金の獲得を教職員に強くもとめていらっしゃるが、学長および理事ら自らがこれまでに獲得した学部資金は合計いくらになるのか」
「そのような獲得資金はこれまでにもなかったし、今後もないであろう」というのが学長の返事だった。正直だったが、なんだかなあ。
ちなみに、この学長さんはさきごろの○×大学で次期学長選に再選の名乗りをあげて続投を望んだが、結果は学内投票の段階で×をもらい、再選は○とはいかなっかた。この3月末で退任する。
(2008.3.18 花崎泰雄)