四国村 こころの古里
買い物の帰り、ぶらぶらと散歩。
我が家が見えてくる。
裏の山には春の雲がかかっている。
もうすぐ裏の山は桜のシーズンが、、、、
道の辺にぺんぺん草が咲いている。薺のこと。
私の人生はぺんぺん草にたとえるとぴったりだと自嘲を。
10年も住んでいない新しいマンションを人に貸して、中古の家を買ってこの団地に住んでいる。
マンシションでは規約で犬を飼うことができなかった。
手ごろな家を見つけてここへ来た。
犬は、かけがえのない家族になっていたし、私の健康管理のお相手としても、手放せなかった。
その犬が亡くなった。
この家に住む必要もなくなった今、遠くから我が家を見た。
屋根が団地の中では一番に古く見苦しくなっている。
家の中は何回かリホームをして、それなりに私の趣味にしつくろっているものの。。。。
あそこもここも、リホーム、、と思い当たることがあるけれど、いつまでこの家に住むということが決まっていないので、まことに中途半端な住環境である。
ぺんぺん草のような身軽いといおうか、ふーと哀しみがこみ上げてきた。
老境にさいかかって、引越しもいやになっている。
しかし、夫婦してこの地はかかりつけの病院が遠くて不便である。
今日が充実をしていれば、その日を大切にと考えつつも、迷いからふっきれぬ毎日だ。
☆ 梅祭願掛け牛の目が笑まる
☆ 梅東風やからから絵馬の鳴りどほし
☆ 荒東風や十分遅れの連絡舟
💐 なずな咲くかつて多甚古駐在所
井伏鱒二の小説、多甚古村は阿波の国をモデルに したとも云われている。
何十年も前の俳句。