老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

認知症か?

2016-09-30 00:04:27 | 俳句
 
       ☆    柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺    正岡子規

       

子規の句の中でも最も有名な句。


私もとうとう、認知症か?
心臓の方の診察で医大へ行く。
受付で、予約票をを渡すと、「これは昨日になっています」と云われた。
「えッ、きょうは29日ではないのですか?」
「予約は28日になっていますよ」と予約票を見せられる。
どこで勘違いをしたのか、29日、ようするに今日だと思い込んでいた。
「内科に行って診てもらえないか聞いて見て下さい」と云われる。

内科の受付に行くと、私の主治医は、週に一回の水曜日のみの診察になっていると云われた。
「じゃあ、すみません、予約をしたいのですが」と言うと
「予約は、先生のみがやっていますからここでは予約を受け付けられないんですよ」と言いながら
「先生と連絡を取ってみます。予約の受付をやってくれるかもしれませんからね」
と、医務室に電話をかけて下さる。
「五分待って下さい。先生が今から診察をやって下さるそうです」
まあ、なんと優しい。
受付嬢もまして先生も。

大病院は二時間待って、三分の診察と巷では云われている。

思う間も無く、三階の医務室から降りてきて
「午后からは、外に出かけるけれど、ちょうどいましたから、診察をしましょう」と云って診察をして下さる。

何度も思い込みが激しく日をまちがっていたお詫びをし、診察を受ける。
優しい、赤ひげみたいな先生と思う。
手術の後は入浴をしても胸が苦しくならないことや、起伏の多い散歩道を歩いてもなんとも無い事を告げる。
本当に有難く、感謝をしている。

帰りに立寄った果物屋で初物の柿を買った。柿は大好物。消化が余り良くないけれど、好きなものは好き。
柿といえばこの句が出てくる。
子規さんも、現代の医学だと落とさなくてもよい命。




夫と紅葉狩りの話に。
亰都がよいか、奈良にしようか、姫路それとも、近くの岡山辺りにしようかと、考えているうちが楽しい。
これも、元気なればこそ。
元気な病気知らずの人には想像ができぬ幸福感である。

でも、私もあきれたことだ。
予約日を間違うなんて、胆に銘じてこのようなことがないように氣をつけなくては。
失敗の巻でした。

     ☆    柿食ふや命あまさず生きよの語    石田波郷

     ☆    丸くして四角なるもの富有柿    長谷川櫂
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少しばかり驚いた !

2016-09-29 09:52:05 | 俳句
           

可愛いい 姫 に困らさせられる。
餌を食べない。
胃腸を壊してからは、病院でもらってきた消化の良い粒のカリカリ状の餌が彼女の為には一番良いのであるが、これには見向きもせず、気にいりの味の缶詰をいつもおねだりされる。
ほっておくのだけれど、「ニャーニャー、ニヤーニヤー」とすり寄ってこられると、こちらが根負けをし、缶詰の蓋を開けることになる。
待ってました、、と餌のお皿にとびつく。
一日中これの繰り返しの毎日が続いている。
本当の愛情は何か?解っているが、餌を食べないよりましかと、猫の愛らしさについつい押し切られてしまう。
今日は外から帰ってこようとしない。
じっと、窓の外から中を窺っている。
そろそろ帰りましょうか?

           

昨日は驚いた。
拙い私のブログにいつもよりも二倍に近い人が訪問をしてくれている。
そして、以前に載せた「石原裕次郎号」の記事を読んでくれたみたいだ。
近所の中古の自動車屋に「石原軍団」が使用をしている車が置かれてある。
その事を書いた。
記憶では、裕次郎さんの葬儀は横浜のお寺でとりおこなわれた。
その季節が紫陽花の花が美しい梅雨の季節であった。
「紫陽花忌」と季語のようなに呼ばれている。
名句に詠まれれば、ちゃんと歳時記のページにも加えられるだろう。

裕ちゃんは、豊洲市場の件で晩節がけがれようとしている、兄慎太郎とちがって、いつまでも「昭和の大スター」である。

どなたかが、この記事に目を止め、連鎖で読んでくれたのだろう。
嬉しい反面、恐い、ネット社会と思った。



      🍒    死ぬような恋に恋する薔薇かな

      🍒    美しき別れもあらん秋の薔薇

      🍒    秋の薔薇しずかな気品たたえあり
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行きたいな~ 旅

2016-09-28 15:59:20 | 俳句
      

港へ行く。
小豆島から、フェーリーが入港をして来た。
車が降りた後、人がどんどんと降りて来る。
ただちに高松港で待っていた車と人が乗り込み、ほんの十数分で折り返し小豆島に向けて出港をした。

           

ああ、旅に出たい。
旅行は三つ条件が必要。
>  健康
>  日程
>  必要経費

、、、と私は思っている。
日程は万象繰り合せばいつでも可能。
健康と先だつ費用がネックとなる。
それなのだ。いつも私の前に立ちはだかるのは。

ああ旅に出たい。
乗船案内のアナウンスなどが聞こえると旅心が刺激されてたまらない。

          

リタイア組の夫婦が犬を連れてお散歩。
殿 を思い出す。
亡くなって二年半が経とうとしているのに今だに犬を見ると、殿 を思い出す。
近所の方が
「お宅の 殿ちゃんほど、本当に幸せな犬はいないよ。いつもどこへも一緒で大事に可愛がって」と何度も云ってくれた。
しかし、亡くなると、あれもこれも、もっと 殿 の為にやってやれることがあったのではないかと後悔をする。
ここ、サンポートのプロムナムロードへは 殿 のお気に入りの場所。よく連れて来た。
ここへ来ると察すると、1キロくらい先から、車の中で落ち着きを無くして「ああ来た来た」とでも言っているのかワンワン鳴き続ける。
車から降ろすと小躍りをする。

この飼い主とワンちゃんみたいに、、、潮風に吹かれながら歩いた。


  一重の花が潮風に耐えている
                

港の駐車場に底紅が咲いていた。

      🍒    底紅や旅の始まる小港

      🍒    指きりの指がつめたや白槿      

      🍒    青北風や又ひとり去ぬ太公望

      🍒    蝶よりも小さき色鳥まなかいに             
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ネタ が無い

2016-09-27 10:10:43 | 俳句
     🐢    妻の椀つくろひ直す夜業なる    小森邦衛

     

朝食が済んで、新聞を読んでいた。
夫が朝早くから、病院の予約がありもうすでに、家を出ている。
新聞受けから新聞を取ってくるのは夫。新聞は夫が読んでから、次に私と、私なりに敬意を表している私だけの決め事。
パリパリの新しい、変に折り目の無い新聞を開くのは清々しい。一日の始まりを感じる。

饒舌な前おきが長くなった。

今朝は、机の上にある新聞を、(お父さんお先に)と思いつつ、いつものように一面から、ページをめくり二面へと読んでゆく。
さっと目を通す。
「四季」は下方の欄。
いつもは全てを読み終えてから、ゆっくりと読み返す。

今朝の俳句は、、、、この方、知っている。
重要無形文化保持者。いわゆる人間国宝の方。石川県に住んでおいでだ。
古志の同人である。親しく読ませてもらっている。

夫に悪いが、「四季」を切りぬき、ブログの写真に撮る。
今日は書くことがなかった。これ幸い、ネタが見つかった。
拙い文章を、日記がわりに記している。
24時間、昨日と違うことがあり、今日の始まりの前にふっと、頭をよぎるものを捕まえてブログに残す。
何にも無い日だってある。そんな無為の日ばかり。
今朝は新聞に ネタ が落ちていた。

小森邦衛さんの、古志の投句から。

     🐢    夜業終へ重き背中を伸ばしけり

     🐢    ゆく春や盗み伝へん塗師仕事

     🐢    短日や無心に遊べ手よ心

     🐢    海鳴りの能登の間垣は掛大根

     🐢    火袋の中に猫ゐる大暑かな

小森さんいつまでもお達者で。

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しりとり遊びどこかで誰かが長き夜

2016-09-26 00:10:59 | 俳句
本屋へ排誌「俳壇」を買いに行く。
時々立ち寄る本屋では、俳誌は角川の「俳句」しか見かけない。
県下にチェーン店を張り巡らしている大きな本屋でだ。
10月号の「俳壇」が発売されたら、取り寄せてくださいと頼む。
店員が、それは9月16日に発売されていますから、早速、取り寄せますとの応え。
最近は俳句関係の本は少しも売れません。
「NHKの俳句」でも以前はそこそこ、出ていたのですがそれも、がたんと落ちていますと、問わず語りのやりとりを店員と交わす。
「俳壇」10月号には、前主宰の(浅間山)25句と、主宰の(大仙)25句の競詠が掲載されているそうである。
それが読みたく、本屋へ足を運んだ。

    

俳句の結社は900社くらいあると聞かされている。
俳句人口はさて何人か?
自分の周囲を見渡すと色んな趣味人がいるが、俳句をやっている人は俳友以外には見当たらない。
四国の片田舎。本屋に「俳壇」が並んでいないのも無理はないか。
俳句人口が減ったと言う本屋の嘆きは押して図るべしだ。寂しいな。

    

さて(しりとり俳句)
今日は7句繋いだ。

    🌛    振り向けば水平線を月上る    月 を

    🌛    世界一低い山とか小鳥来る    (せ) を

    🌛    わがままな飼い主猫の秋思かな    猫 を

    🌛    野分あと何と綺麗な空と雲    空 を

    🌛    太刀魚や死しても銀の色はなつ    (太刀魚)の季題

    🌛    夜顔が咲いてゐたよとふつと夫    (夜顔) の席題

    🌛    もしかして花野でキスしたあなたかしら   (も) を


しりとり俳句は何人が楽しんでいるのかしら。
千人、それとも一万人、いや十万人、桁を足して百万人(そんなことはないだろう)
顔の見えない人が、シリトリ俳句のページを開いて、問題?言葉を投げあって頭の体操をやっている。知的な遊びで大いに結構ではありませんか。
中には575と季語は入っていても句意が支離滅裂なのもある。(私です)
何回か推敲を重ねている間にちょと句意が表れる。
心が無いとか、類句、類想だと切ったり捨てたりやっているうちに1、2句は辛うじて句帳に残しておこうと思えるのがある。

行きづりの大きなダイヤの指輪をはめている貴女。新幹線で隣あわせの眼鏡の似合うダンデーな彼。ひょとしてしりとり俳句のお仲間だったり。。。。
妄想も時にはよろしいでしょう。

今夜も更けていきます。
今日は少し食欲の無い猫ちゃんが、大きく腹を波だたせて、私がパソコンを打っている椅子の下で眠っている。



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