老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

     マコト君は二歳

2018-05-31 09:44:44 | 俳句
 
          

 まんのう公園で会ったマコト君。二歳。
ママと年間パスポートを買って、この公園に遊びにくるそうだ。

マコト君は二歳、私はもうすづ後期高齢者にならんとしている。

  彼を見ていて、思った。彼が二十歳になる頃の日本はどうなっているのかしら。

現在の安倍総理の歴史的評価は?名にしおう嘘つき宰相?
天皇陛下はどなたが。
ロボットが?連れ合い。

         
>北九州に住んでいる、マコト君のおばあさま、僕の遊び場ですよ。

 そこには、私は存在をしない。
はたと哀しさがこみ上げてくる。

      

 マコト君が成長をして、立派な青年になっていることは確かだ。
そして私は一年、三年先はまだ見える。健康管理をおこたらすに元気でいようとは思っているが。
マコト君を見ていて、しみじみ我が将来像を考えた時、存在事態は薄らぼんやりとしている。
多分?あっちの世界だ。

     ☆     未来に贈ろう緑の風と緑の地球
     (標語に投稿して最優秀賞に。  50年も前)

彼とは、たとえ一期一会だとして、美しい日本、美しい環境を残してあげなくてはと、そんなことをしみじみと考えた。



     🍒     地平線は二百五十度ポピー咲く

     🍒     大夏野ワインころがす舌の先

     🍒     遊歩道自在にありぬポピー畑



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    ポピーの丘

2018-05-30 11:28:22 | 俳句

     
 
 天気予報は午後からは雨といっていたのに、無理をして国営の公園に行った。
テレビのニュースが、ポピーの花盛りといっていた。
それに惹かれるるように来たが、やはり雨にたたられた。

 雨が降ったりやんだり。
小降りなった間にポピーの咲いている丘に。

 綺麗だ。
山を切り開いた、起伏にポピーが咲いていた。
少し風があって、雨気を含んだ風は重たく、ポピーの揺れる様は五月のさわやかな風に揺れているのとは少し感じが違った。、、、、が綺麗だった。

        ☆    芥子咲けばまぬがれがたく病みにけり    松本たかし

 芥子の句では、松本たかしのこの句が好きだ。
(能楽師の家に生まれたが、身体が丈夫でなかったため能は断念。俳句に専心をした。50才で亡くなる)





 ポピーも綺麗だったが、思いがけぬ声。
それは ホトトギス だ。
私がいた一時間余り、ホトトギスは鳴きどうし。
それに連られて、鶯が鳴く。
賑やかなホトトギスと鶯の協演に楽しくなった。しかし、これだけ鳴き続けると、この鳥たちの持っている季語の解釈が少し損なわれる気がした。
人間は勝手だな。全く。
深山で微かに聞きとがめてこそ、風情があると思い込んでいた私だったから。

 しかし、ホトトギスの托卵の事を思うと近くに鶯がいるのは当りまえ。
鶯は、私の卵を返せ返せと鳴いているのかもわからない。


        🍒     雨後のやつれはてゐる罌粟の花

        🍒     その中に鬼罌粟ひときは朱く咲く

        🍒     そつと指あえかな芥子にふれてみる

        🍒     山のあなた幸住むと罌粟の恋ふ

 そう理屈だ。句が出来ない。
言葉を斡旋して置いて、時間をかけて、ぼちぼち推敲をやる。
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      俳句入門  から

2018-05-29 20:06:26 | 俳句

  
( 讃岐まんのう公園の季節の花の丘 )



「一億人の俳句入門」   理屈を破る 蛇笏賞選評   

 毎年出る山のような句集や雑誌を読みながら、最近、危惧しているのは言葉の表面の「意味」だけ、それを「理屈」でつないだ俳句が目立つこと、もしかすると徐々に増えていることである。

「理屈の句」はわかりやすい。なぜなら俳句の読者も人間である以上、社会の中で理屈にまみれて生活しているからである。そうすると、ほんとうは理屈の網を破るために俳句という文学はあるのに、理屈の網の中にいるまま理屈で俳句を作り、読んでしまう。

蛇笏賞をはじめ数々の俳句の賞は本来、この理屈の網を突き破った稀有な句集、別の言い方をすれば目の前に新しい世界を切り開いてくれる一冊の句集を発見し顕彰するためにある。しかし現実は俳壇で人気のある、つまり理屈でできている句集を追認するだけに終わってしまいがちである。

友岡子郷氏の『海の音』は現実から記憶のかなたへ、ときに生前死後の世界に遊ぶ。

 手毬唄あとかたもなき生家より
 母を知らねば美しきいなびかり

有馬朗人氏の『黙示』は、

 オーロラの翼に弾み春満月
 さつと手をあげて誕生仏となる

選考会ではこれらの句を褒める声があった。しかしどちらも理屈の句であると思う。これからの展開に注目したい。(角川文化振興財団「俳句」2018年6月号から転載)

 <この師の文章を読んで、私が再度、自分のブログに転載した>

  

 納得をしている。師のおしゃっていることは。
これが難しいのだ。
ネット句会、俳誌でいつも取り上げられている人達の句から学ぶのだが、彼等が詠むようには、私にはとても詠めない。
それで、見たまま平明な言葉で易しい句を自分なりにと詠んでも通じない。

背伸びをしても駄目、いつになれば理屈抜きの生きた言葉で句が詠みたい。

 難しい言葉で一読しても難解な句こそ面白いと、人を煙に巻くような意見を述べた、新鋭の俳句作家がいたけれど、さて句として残るかといえば、押して知るべし「勝手にどうぞ結果は目に見えている」と、言いたくなる。


       🍒     朴の花丈六仏に供えあり

       🍒     ほととぎす啼きだす雨の止む気配




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     山法師が咲いた

2018-05-27 16:06:35 | 俳句

             

 一日でパンツが縫えた。
厚手の麻の生地。
夏は麻に限る。しかし 皺になりやすく、ほんとうにおしゃれの時に着て一日でクリーニングをやらなくてはならぬのが難点だ。

 庭に咲いていた山法師の花をポケットに。
どうしても、シルエットより、スマホを入れる実用的なパンツに。

            

今年はジーパンが穿けなくなったから、外出用のパンツを縫う事にした。
デパートに行けば、沢山に並んでいる。
しかし、デパートに行ったからって気にいったのが見つかるとはかぎらぬ。
取敢えず、自分で縫ったパンツをはいて、デパートに冷やかしに行こう。



         🍒     車椅子仰いでをりぬ山帽子


         🍒     山法師の花にぽつぽつ雨の粒


             
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     このていたらく    吟行地ご案内

2018-05-25 11:36:10 | 俳句

      

 燕の巣を見に。
大串半島に、ワイナリーがあり、毎年このワイナリーの軒下で燕が子育てをやっている。

人間が、巣の下に近寄ると、燕の親は一斉に海の方に向かって飛び去るがすぐに戻ってきて巣の辺りを盛んに飛び交っている。

       

 ワイナリーの売店の二階に行くと、飛び交っている燕が良く見える。
軒に止まっていた一羽をやっと写すことができた。
私のぼろっちいカメラでは」動きの早い鳥は撮れない。

     

 ここから見える海の景色。
半島の先に建っているワイナリーから、そして近くにあるもう一段高い半島の頂に行くと、美しい瀬戸内海の景色を望むことが出来る。


よく晴れた初夏の土曜日。

「燕の巣」 「青岬」 「庭石菖」 「箱根空木」 「岩つつじ」 「日傘」 「青芝」 「藤棚」 「キャンプ」 「バンガロウー」 「葡萄畑」  
 
季語として、私が探し当てたのはこれくらい。もっともっと句の材料が散らばっていた。
「鳶」 「狼煙台跡」 「野外劇場」 「舟」 、、、、「四阿」 「釣人」 「双眼鏡」
「別荘」 

あああ、、、、
こんなすばらしい吟行地を散策していながら俳句は一句も拾えなかった。
集中力が少しも無い。

散歩をやれたのが唯一のメリットだ。


        🍒     白昼夢亡き犬駆ける夏野かな

        🍒     煙立つ岬の鼻や草矢射る
                  



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