
最近は明けても暮れても連歌の添句に頭を悩ませている。???
ちょっと嘘っぽい。
結社の長谷川櫂氏が以前は限られた人達で歌仙を巻いていた。
(誰でも参加は許されていた。)
しかし、考えたのか?ネット句会に参加をしている者は申し込みをすると参加が出来ると呼びかけをした。
実力のある名前の方、又先生の側近と言えば語弊があるそんな方ばかりで巻いていたので、敷居は高かったような気がしていた。
というか、近寄りがたい実力者ばかりで、素人の我々は足元にも及ばない。

最近はネットでも歌仙ブームになっている。
一度、ある歌仙に忍び込んだけれど、ろくろく言葉もしらぬ先輩からこっぴどくやっつけられた。
(遍路を御遍路と読んでいた。普通遍路に、「お」はつけて「お遍路」と言うこともあるが、「御」を付けて「御遍路」と言うか?)
調べると、間違いのない表現ではあるが、やはり前後の言葉から「御」を付けるような情景ではない。
ことあるごとに、やっつけられた。その世界しか知らないような頭でっかちの若い女性だと思えた。
歌仙を巻くには決まりごとが沢山ありそれを勉強するのも大変である。
その決まりごとも上っ調子で勉強不足な私が目の敵にされて注意をして(下さったて)いたのは今では理解ができる。
しかし、ちょっと生意気に言わせてもらうと、語彙の少ないまだ若い発展途上の人が、辞めてもらいたい、この連歌から出て行けと言わんばかりの空気を感じた。
そんなこともあり歌仙からは離れていたが、結社のネットで参加を呼び掛けていたから、申し込みをした。
さてさて、難しい。
櫂先生は、自分の句の弟子から思いかけずに良い句も出てき、歌仙に新しい風も吹くであろうと思ったのかも。
二十数名が参加をしている。
ネット句会の常連さん達で、ああこんな句が詠みたいと憧れている人達ばかりである。
そんな中に「全没の君」が「めくら蛇におじす」と紛れ込んだ。
先生は俳句においても、句を見て人は見ない。いつの場合も全員に平等である。
歌仙の場合も同じように、捌いている。
しかし実力の差が歴然としている。句が作れる人は歌仙の舞台でも活躍をしている。
目下、決まりごとの勉強と、参加することに意義があると思い末席を穢している。
ため息をつきつつ、締切時間まで考える。一日が短い。
💐 場違いの席に来てをり春袷