老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

浅野選手

2024-08-30 09:21:43 | 老人日記
      

浅野選手が頑張っている。

あさの君は、そう巨人軍の若きエースとして活躍中だ。

あさの君がヒットを打ったら、夫が私の所へとんできて、巨人軍の様子と結果を報告をしてくれる。

「ほんとによかったね~」と一緒に喜びあう。

あさの君の実家は我が家の近くにある。
知らなかった。



色々な、あさの君に関する情報は、近所の噂話で耳に入ってくる。
この街のヒーローとなっているから。

公民館には、あさの君の写真が飾られている。
あさの君が、いつも食べていたうどん屋も教えてくれた人がいた。
こんな、近所に住んでいたとは、驚きと嬉しさに驚いた。

我が家の前を通って中学校へ行った?のかと想像をしたりする。

とにかく頑張れ! フレーフレー あさの、浅野!!


     @    颱風の目の中小鳥たちどこに
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初秋の風

2024-08-27 10:47:22 | 老人日記
      

画集を開いた。
まだ画集を持つても腰にくる。
ブログに載せる写真が無いから、画集を何冊か。


もう一週間も過ぎたのに、なかなか腰から痛みは去らない。

痛み止めの薬を朝、夕に服用。
最初は、痛くて立ったり座るにも時間がかかる。
机に手を付いたり夫に手を貸してもらい、やっと立ち上がる。

こんな腰の痛みは初めてだ。

病院に行く。
痛みをこらえて車椅子で検査を。

診察の結果は 「ぎっくり腰」だって。
なんとまあ簡単な名前。

それから一週間だ。
徐々に痛みは去ってゆくけれど、手を伸ばしても腰が痛い。
トイレに行くのも一苦労する。

家の中に杖を何本か。
寝室に台所に廊下に。
赤子がハイハイをするような動作だ。

ああ、何が起こるか分らぬ老体。

二~三日前からコルセットをして台所へ立つ。
まだ、まだ腰にくるけれど、食事に不自由をしている夫が可哀想だ。
少し無理をして、おかずを作る。

入浴にも苦労。
しかしこの暑さ。
痛くても痛くても歯を食いしばって汗が流れる程度の入浴。

今もコルセットを巻いてパソコンを打ってる。
何も出来ない事の苦しみ哀しみ、、、誇張じゃない。

硬い椅子でなければ、これ又、腰が痛くなる。
リクライニングの椅子に板を置き、固くし座る工夫をする。
うとうとと寝たりテレビを観たりし、一日が終わる。
本当は安静にベットで横になっているのが良いのかもしれない。
医師は安静にとの指示だけれど、ベットは夜だけで良いよな~。

杖を付き壁にすがりついて歩いていたが、そろそろと杖だけで歩いてみている。
特に左の太股が痛い。
そんな、こんな腰痛との闘いを繰り広げている。


     

中島潔の絵。
仔犬が可愛い。

     

この詩にぴったりの絵。
私の部屋にも西の風、北風が入ってくる。
初秋の風だ。
西窓のカーテンの揺れ、北窓からの屋島の緑。
目にはさやかだけれど、秋の気が満ちている。

中島潔の絵を観ているとやさしくなれる。
勿論、腰の痛みも忘れられそう?

一日も早く歩けますように。。。



     




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久しぶりお裁縫

2024-08-21 15:00:00 | 老人日記
      

二日かけて夏用のパンツを縫った。
買っていた生地を使用した。
これでもう新しく布を買ってまで縫うのは最後かと思う。

紺系の地模様の生地を見て即、気にいって買った。

もう買わないなどと言っているが、さてさて、、、。
しかし、もう縫う事にも気がのらない体力の無さは隠せない。

履いて軽く涼しく、世界で一つしか無い自作の手縫いだ。

腰が痛い。
腰にシップ薬を貼り痛み止めを飲んだ。
歩く時は廊下の壁に手を添わせて、よたよたと歩く。
ここまで老化が進んでいるとは、、、、。

正直言えば、三度の食事の支度がおっくうだ。


     @     涼しさは喉をおちゆく水一杯

     @     頭だす茸もあるか月仰ぐ

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屋島に雲

2024-08-15 15:59:31 | 老人日記
 


朝な夕なに見る屋島の峰。
おおよそ300メートルの高さ。
昨日は長い白い雲が峰を覆っていた。
その向こうには瀬戸の海がある。

屋島の山頂はテーブルのような台形で、八十八か所の札所、屋島寺と水族館とお土産やさんに、ホテルなどの建物がある。

その周りに沿って遊歩道がある。
美しい瀬戸の海を見ながら小一時間の散策ができる。

小鳥が囀り、空気は甘く、若い時は毎日30分をかけて山に登った。
山頂にある、うどん屋で一杯のうどんを食べて、山を下りるのを日課としていた。
何年かこんな生活を楽しんだものだ。

懐かしい。
30分で山頂まで登れたのが、、、。
最近はバスを利用をしなくては、私は登ることできぬ。
それも、もう一年近くも登っていない。
赤松の林、樹海のように樹が茂っている森を抜けると、反対側に行ける小径もある。
楽しい自然に囲まれた場所だ。

家から近くに安全で素晴らしい山歩きの叶う場所があっても、今は宝の持ち腐れ。
老いて、昔を恋うばかり。
淋しい辛い。

         

昨日は白い雲を見ながら、さまざまな思い出が甦った。

朝、昼、晩と三度の食事は夫の世話になった。
部屋に籠って、屋島を眺め、テレビに齧りつき、昼寝をし、無為無策の一日を過ごした。
お腹の調子も悪い。下痢が続いている。
夏バテをしているから仕方ないなぞとは、、、夫は、さぞ持て余しているだろう。


日記代わりのブログでも書いて置かなければ、何が有ったかと、二、三日前のことも思い出せない認知気味、or 健忘症の 😭 オツム なのだ。


      🎆     頬づえをつき秋の雲と語りぬ


      
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先頭先生

2024-08-10 12:12:06 | 老人日記
          
        

昨日は長崎に原爆が投下された、79回目の「長崎原爆の日」だった。
悲惨な原爆の傷や痛みを忘れた愚かな政治家が核を脅しの道具として、利用をしようなぞと言ったりする。

腹がたつ。
怒りが湧く。

        

核をなぜ政治利用にするのか?
なぜ核を廃絶できないのか、、、、、理解ができない。

この、長崎の平和公園に設置されているシンボルの像を見る度に想い出す方がいる。

この筋肉隆々の像のモデルらしいと言う先生がおられたらしい。
重量上げの選手だから、モデルに値する筋肉の持ち主であったに違いない。

先頭先生と親しみをこめて呼ばれていた。
記憶がとおくなって「吉田先生」としかお名前は出てこない。

戦後初めての、アジア大会で日本の日の丸の国旗を持って、「先頭」を歩いたことから、「先頭先生」と呼ばれ出したらしい。

聞いたところによると、その頃は日本に対する戦争感情も残っていたから、国旗をもって行進の先頭を歩くには勇気がいったとか。
どこから、狙われて銃弾が飛んでくるかも分からないから、不安があったと、後に先生は言っていたらしい。

何故、「先生」か?
吉田先生は、そのころ新制高校の高校教師であった。
で、あるから先頭先生とも呼ばれていたみたいだ。。。

吉野川にかかる長い橋の欄干で逆立ちをしたとの武勇伝もある。

姉の旧制の女学校の担任で、ほんとうに姉は可愛がられていたらしく、我が家にも遊びに来たことを憶えている。

もう70年以上も前の昔の事。
私が思い出話でも書かなければ、吉田先生が、長崎の平和公園の像のモデル?だったと思う人はいない。

今日にでも姉に電話をかけて古い昔の事を思い出し、そして、はらからの事も語ろう、、、、。











しりとり俳句
    @    学らんに竹刀の案山子なりにけり    案山子
    @    あつぱつぱ生足に赤い靴似合ふ    赤
    @    秋色に染まり始む街ジャズフェスタ     ジャズ
    @    落葉はらはら捨ててゐる古雑誌    古
    @    案山子かかしやじろべみたい案山子    案山子
    @    西瓜より小さなややこの写真かな    西瓜
    @    不動明王熱砂に対峙してをりぬ     不動
    @    あるがまま流れるプールに身をまかす   流れ
    @    何しおふ反魂草の群れ咲ひて    魂
    @    盆礼者小さな真珠の指輪指し    真珠
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