老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

藤の花を見に

2017-04-30 17:00:09 | 俳句
      

良いお天気。
今日で四月は終わりである。
藤の花を見に行く。
テレビで、今日行った神社の藤の花が見頃だと放送をしていた。
それを聞いたか聞かないかは知らぬが大変な賑わいようだ。
神社の周辺は車も置けないほど混雑をしている。

      

田舎のばばさんの私のようにカメラを構えて撮っている人も多い。
若い人は自撮りで、仲の良いところを撮っている。

樹齢300年と云われる古木の藤の花である、
一本の木から、枝が伸び、伸びてまるで孔雀が羽を広げたようになっているということで
「孔雀藤」と呼ばれている。
全体像は大きくてカメラに収まりきらない。
後ろに下がって遠くから写そうと思っても境内が狭い。
立派な藤を咲かせる大きな木だ。

老木であるから、花は咲かせているが勢が無い感じ。
しかし頑張って300年も生きてきて世の移ろいを見守ってきた。また、この木を守ってきた氏子さん達の努力に拍手を贈りたい。

        

境内では茣蓙を敷いて花見をやっている人達。
日本人のお花見好きは藤の花にまで及ぶと思うと可笑しかった。
藤棚の下は藤の花の木洩れ日がちらちらと遊んでいる。
さぞ一杯が美味しいだろう。
明日から五月。風も爽やか。目を転じると若葉が美しい。

       

ここは四国八十八ケ所の白峰寺や国分寺に近く、お遍路さんも足を寄せていた。
背中に「歩いて日本一周中」と書いた布を貼っている若者も。
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ゴールデンウィークだというのに

2017-04-29 15:16:37 | 俳句
田舎のグラニー。
風薫る日だっていうのに、何もやることが無い。

夫は友達と長電話。
退屈だと、聞き上手の夫に電話をかけてくる。
最近はかけてもかけても無料の電話やスマホの契約がある。結構なことだ。

このごろ、しりとり俳句に身が入らなくぼちぼちになってしまった。
ブログもしかり。
気がつけば投句をやらない日もある。

しりとり俳句の効用について考えた。

> 忘れていた季語を思い出す。
> 忘れていた あの日あの景が走馬灯のように浮ぶ。
> どこの誰だか知らぬ相手とのしりとり遊びだから実力がなくても恥ずかしくない。
> まず一番に退屈がしのげる。
> 知らない言葉、死語の言葉が時々出てくる。ちゃんと調べます。ひとつ得をした感じ。
> 不特定多数のピンとキリ(失礼)の人と比べて自分の立ち位置を想像する。
> 人を見てわが身を振り返る 真摯な心になることが往々にある。
> しりとり、17文字の言葉を詠み込むから思いがけない発見。

まだまだたくさんの理由があるけれど、今はこれくらいしか思い浮かばない。

    


ばばさん、昔 吟行に行くバスの中とか、鍛錬句会の夜の封筒回しのことを思いだした。
封筒が回ってくる時間は三分。集中力との勝負。作れなければ次へ回す。
今もしりとりのページを開いて、3分で作れなければあきらめる。
たかがしりとりされどしりとり。
しかし グラニーにとっては遊び友達とすれば最も大切な人である。

今日取った
「しりとり俳句」はこれ。
説明、季語が生きているか、などなど難しいこと。

    🍓    あの頃と老の口癖昭和の日

    🍓    春惜しむ子供あやつる木偶人形

    🍓    家ぬちに祠を祀る半夏生

    🍓    少年と母との距離や五月の空
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田舎のばばさま今日も病院

2017-04-28 22:09:07 | 俳句
     

20年来行っている病院の検診日。
県内で何本かの指に入っているという肝臓病の医師にお世話になっている。
予約が12時。 診察が2時。いつもと同じだ。待ち草臥れる。
病院通いは一生続くだろう。
その一生は後何年。
足が痛い、腰が痛い、目が見えない、心臓が悪い、、、でも今は人さまの力を借りなくても自分のことは出来る。
こうやって写真を撮り、それでブログを書いている。
実につまらない内容だと思いながら 書いている。
今日は、休もうと思いながら、「歌仙」の投句のついでに、ここを開いてしまった。


この間はもう田に水を張っていると思っていたら、今日玄関から見下ろしていると、田植が終わっているではないか。
田圃が夕日に染まっている。
田舎の自然はいい。でもしかし、吟行なるものに時には都会へも行きたいな~。

明日から黄金週間。
バスや電車に乗っている時、旅先で心臓の発作が起きないと限らない。そんな事を考えるといやだやだ。
好きなことをやっている最中だから自分はあきらめれるが、周囲に迷惑をかけると思うと旅行も二の足を踏んでいる。

田舎のばばさま。自分からばば、ばば云ちゃ駄目。
英語のグラニー(でしゃばりばばさま)でいこっと。
若い若いと前向きに。  

「しりとり俳句コーナー」

    ☆    藤揺れる棚に貼りある千社札

    ☆    四国の臍てう山ン中お茶を摘む

    ☆    魚鼓打てばおおーと声する青葉風

    
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写真俳句

2017-04-27 08:32:24 | 俳句

     

森村誠一の「写真俳句の愉しみ」を見る?読む?


< 冒頭にこんなことを書いている。
句材としての写真には芸術性はいらない。、、、、
カメラマンと写材と俳句は異なる。
写真家は芸術的な構図を求めるが、句材としての写真には芸術性はいらない。
芸術性はあっても悪くはないが、芸術性を中心にすると、俳句と一体になりにくい。
写真俳句は、写主俳従でもなければ、俳主写銃でもない。俳写一体となって独自の表現世界を創造する。


      ☆    飢ゑ知らず戦後もしらず成人す    浅井慎平

      ☆    風花や燐寸するとき夜の雲     浅井慎平

< 彼は著名な写真家であると同時に 映画撮影、音楽、コメンテーターとして幅広い活躍をしている。
その中に俳句作家としても数冊の句集も出している。

< 私は浅井慎平をタレントと俳句の上手な人、それ以上のことを知らず書いているが、俳句に関しては良い俳句を作るひとと承知している。
本業の写真もさぞ心をうつ作品に違いないと思っている。自分の写真に俳句を載せた作品があるのであれば見たい。

なぜ 浅井慎平か? 森村誠一の俳句を書いていてどうしても二人の俳句を比べたくなった。

      ☆    春光の巧みと知れど山を恋い    森村誠一

      ☆    失いし恋に代わりて風薫る    森村誠一

      ☆    暮れてなお枯木も咲けり光花     森村誠一

写真と俳句をコラボすると 我ながら非常に面白くて、新鮮な感じを受けた、と、森村はと言っている。

ばばさんの知識の中で、古今の文人が俳句を作って世に多くの名句を残している。
漱石、龍之介、犀星、龍男、鴎外、露伴、、、、記憶としてすらすらと名前が出てくる。
名前と句が一致をしない文人も他にもたくさんいる。

私の鑑賞眼では 森村誠一の句は理解はできるが自己愛の強い理屈の句である。
作家としての名前が先行をしていて、句としては私の肌には合わない。

       

今日の読売新聞の「四季」の記事。
これが写真俳句だ。写真も俳句も スバラシイ 。
句が先にあって、ぴったりの写真を探して見つける?この句にあった写真を撮影にゆく。
やはり俳句が、俳句でなければ。俳句以前、俳句未満の単に五七五ではいけない。
そんな森村誠一の本であった。 
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春憂う

2017-04-26 10:41:35 | 俳句
     

もう牡丹。
きっと、患者さんが丹精をこめて咲かせた牡丹を皆さんに見てもらおうと、病院の玄関に飾っているのだろう。

膝が痛いので、整形外科に。
あっちこっち 悪いところばかりだ。


夫の入院の付き添いに、電車とバスを乗り継いで通った。
、、、とはオーバーだけれど。
治療の経過の様子を見て、果物と病院食でお腹の満たされない夫に少しばかりのおかずを作って持ってゆくだけのこと。
それでも気疲れと、疲労が重なる。
これから、ますます老化が進むから先が思いやられる。

病院でバスを待っている時、、。
小豆島に帰ると云う方と雑談。
小豆島行きのフェリーの港行きのバスに乗らなくてはならぬのに、間違ったバスに乗ってしまった。いつもとバスの窓から見える景色が違う。気がついて運転手さんに行き先が違ったバスに乗ってしまったと告げると、降りて元の停留所に行くのが一番便利だと教えてくれたそうだ。
私と同じような人も結構いるらしい。
まこといるのである。同じような会話、失敗談に話が及ぶのが。
しかし、小豆島のフェリー乗り場へ行くバスの便は多くない。
家に帰るのは最終の便と夜も遅くなりさんざんだった、病院へ来るのは大変な苦労だと云っていた。

我が家は電車にもバスも便利な場所にある。
しかし、整形外科は私の気にいった病院は車で行かなければ不便な場所である。今のところ夫を頼りに車で送迎してもらわなければ。
島に住んでいる人の不便を思うと我儘を言っておられないが、いくら近くに整形の病院があっても、たかが 膝 であるけれど やぶ医者はごめんこうむる。

今日も夕方の予約をしている。
時間の浪費と夫頼みの通院。

こんな小豆島へ帰る人がモデルの句も。
「しりとり俳句コーナー」

    ★    春陰や医師はしごして戻る島

    ★    頭ひとつ背の高き子や草矢吹く

    ★    レース編む棚に二体の唐三彩

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