老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

     シクラメン

2018-12-29 11:34:12 | 俳句

                             

 その昔。 俳句を始めた頃、友人から電話があった。(三十年も前)手当たり次第に俳句の投稿をやっていた。

          シクラメンにリストショパンの名札立ち

 私の投稿をした句が「稲畑汀子さんの選に入っているよ」と知らせてくれた。

花舗に並んでいる、たくさんのシクラメンの種類に、ショパンやリスト、モーツアルトと名札が立っていた。見たままの素直な句。

それが嬉しかった想い出として残り、シクラメンを見る度に、この句を想いだす。

 狭いマンションの日当たりの良い窓辺にシクラメンを置いている。

 

 私の趣味は俳句も、お裁縫もすべてインドアーである。それが最近は頭は働かないというか、感性が欠乏をして何を見ても、心が動かない、はっとしない。家の中では俳句の種は何も落ちていない。

その上に肩凝りが激しく、ちょっと根をつめて裁縫をやると、夜は指が痛くて眠れない。

これから何をやるの?   テレビのお守り? 寄る年波に勝てぬ日がこんなに早くくるとは思いもしなかった。

     

            室の花針を数へて縫い納め

            悴める指先近所へ救急車

            ほのかなる障子明かりの方丈に

            繭に籠もるごとやはらかき冬の陽ぞ 

            シクラメン大玻璃よぎる鳥の影

                         

    

 

 

 

 

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     夜の競技場を利用、、、

2018-12-26 10:41:54 | 俳句

   

 一日中、家に籠もっていると身体を動かしたくなる。

屋島へ行くには遅い時間。

近く(ほんの近く、ベランダから屋根だけが見える)の陸上競技場へ歩きに行く。

夕闇がせまり競技場に灯が点り初めた。川面に建物が写る。この時間だと犬の散歩をする人に逢う。

    

 建物の周囲を川べりに沿い何周か歩き、競技場のトラックを見下ろせる場所を歩く。

仕事帰りのアスリート達が三々五々トラックの中で身体を動かしている。

こんな電飾がトラックを楽しませていたとは、この競技場に入るまで気がつかなかった。

この建物の周囲と競技場を歩くと小一時間。

私のように夕方の散歩に来ている(多くは老人)同じ人に一周をしている間に何度もすれ違う。

ここは観客を雨から守るための屋根があって、明るい照明の下を夜でも楽しく歩る。

幸いに暖かい日が続いているから、冬の夜であることも忘れている。

(ちなみに夏は屋根は日よけの役目、そして屋島颪の風と川面を渡る風で涼しいことこの上のない場所である)

 通勤電車が幾度も競技場に沿って走りさるのを見送る。東へ行くのに乗れば、古い家に着く。そんな事を考えながら夜の散歩の出来る幸せをかみしめることの出来る競技場がある。

               

           冬の汗美し競歩の選手達

           冬の月そのかみ貍の古戦場

 

あてつけの苦し紛れの句だ。源平合戦だけでなく、映画にもなった阿波の貍と屋島の貍の古戦場跡でもあるこの辺り。

 

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   読売新聞   「四季」から、、、、 

2018-12-23 11:10:23 | 俳句

         

 

                  

 今日の読売新聞の「四季」から。

最近私にも贈られてきた句集の中の一句が掲載されていた。

師が句集に書いている帯封の言葉

「誰も 自分の死を知らない。見えざる死と闘った俳句がここにある」 櫂

昨夜もページを繰った。

俳句の王道をゆく句より、私には明日は入院、病室での思い、退院の喜び、、、そんな病に向き合っている句に感銘を受けた。

     ※     六尺の子規の宇宙に春蚊出づ     洋

     ※     朝顔に別れ惜しみて入院す

     ※     全摘やいよいよ軽き秋の風

     ※     ふる里の山へ帰らん春の雪

     ※     悟り得ぬ我と悟りぬ蝦蛙

 余命幾日と癌を告知された。

それからも俳句に向き合い真摯に生を全うされた生き様には頭が下がる。

病床で子規さんを思い、波郷さんの心境で病室から家に帰ってゆく奥様を見送る。

     ※     漱石の胃はしくしくと新酒かな

 

 元気な人も病持ちながら柳の雪折れのような自分。明日を信じて正直に悔いを残さぬよう生きなさいと、、、座右の銘になるような遺句集である。

 

 

 

 

 

 

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     藪柑子

2018-12-22 00:59:48 | 俳句

           

 屋島へバスで登る。

バスを降りて、裏参道を屋島寺へ向かう途中、椿が散っているのに気づく。

屋島で椿を見たのは初めて。 見上げると大きな藪椿が何本かある。

         

険しい遍路道を登らなくとも、バスで山頂まで行ける。そんな事も忘れていたのだ。

最近は屋島にこだわっていて、俳句の熱が冷めて二の次三の次、今日も歩こう、運動をやろう、、、とアウトドア?派に、、、

         

降りる時は以前は無かったが、屋嶋城跡から、遍路道に合流ができる木の階段を見つけた。

金毘羅の階段の比ではない。230メートルを下るのに30分以上、いやもっとかかったかも知れぬ。

ぬかるんだ階段を一歩一歩、杖で身体を支えて足を滑らさないにいよう、転ばぬよう神経を足元に集中して下った。

これがこの道を利用をするのは最後にしようと思った。

向こう見ずな自分を反省し、いつ森の奧から猪が現れないとも限らない危険を冒していると後になってぞっとした。

しかし途中で見つけた朱い実をつけた藪こうじ。

      

 なんとも愛らしいお顔の石佛さま。

        

現在の体力では二度とこの道は利用しないだろう、でこれらに又出会うことが叶わないとなると少し淋しい。

 

           森深く一期一会の籔柑子 

           木々統べる青空冬の小鳥どち 

            籔柑子割烹着似合ふ母の所作      

 

     

 

       

 

 

 

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   つらつら考えつつ登る

2018-12-20 18:20:02 | 俳句

     

 昨日は少し足を伸ばして、弘法様が杖を叩くとそこから水がわき出したという伝説が残っている場所まで登って行った。

日照りで水が枯れてもここ「加持水」と名付けられた泉はいつもこんこんと水が湧き出ている。

石佛が坐しており朱い真っ新の毛糸の帽子がどなたかによってかぶせられていた。

      

 屋島寺へ登る遍路道はいくつかあって、以前からここもその遍路道だと気づいていたが登るのは初めて。

 なだらかな勾配を行く。両脇は猪垣が巡らされている。

       

 途中には蜜柑畑もある。遍路道とはいえ、私有地を貫いてい、綺麗に整備されている道を、屋島寺を目指して行く。

 

最近、白洲正子の「ほんもの」という随筆集を読んでいる。

世の中にはこんな「有閑マダム」もいたのだ。

本人は有閑マダムとは思っていないし、云われるのも心外らしい。

しかし、少し毒気のある、(毒気など無い。下々庶民の貧しい生活は興味なく、いわゆる本人の云う世間見ずが鼻につく)文才もある、骨董やお能が趣味の有閑マダムにしか私には思えない。良し悪いで言っているのではなく、羨ましく生活の為に働いたことも無い幸福な上流階級の住人には違いない。

        

 以前に読んだ「青山二郎」の事を書いた本。

彼女は「青山学院」の後期の塾生?で骨董から文芸から彼の薫陶なしでは語れない存在だ。

『青山二郎とは、とは - 1901年-1979年。古陶磁器研究家、装丁家、評論家。東京市麻布区(東京都港区)の大地主の家に生まれる。生家は徳川家に重臣として仕えた青山明治34年東京都麻布区の資産家の家に生まれた。幼い頃から絵画や映画に興味を持ち、自らも画才を発揮した。

 「俺は日本の文化を生きているのだ」が口癖だった男。あまりにも純粋な眼で、本物を見抜いた男。永井龍男、河上徹太郎、大岡昇平といった錚々たる昭和の文士たちの精神的支柱として「青山学院」と呼ばれた男。あいつだけは天才だ、と小林.』

ああそうですか。青山二郎がよく登場しますね。それに小林秀雄。一流の方々とのお付き合いで培われた日常生活をくまなく描いている。

 白洲正子を読んでいると自分が小さい小さい人間で、はてさて同じ人間に生まれながら、環境によっては人間にこんな「差」がつくのかと思う。

白洲正子の言葉で「世間見ず」と自分の事を書いている。我々庶民は大きな世界を知らぬ「世間知らず」と表現をする。

あああ、、、どうでも良い。

私の(ほんもの)は弘法大師さまにすがって、安寧なひと時を自然の中でしずかに過ごす極上の幸せな空間が傍に転がっていて、いつでも接することが叶う。

「ほんもの」があるではないかと歩きながら考えた。

 そんな昨日の屋島散歩だった。

 

              野良に餌やりに通ふ師走半

 

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