孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

知らせようとしないのが怖い現代

2017年03月26日 | テレビ・ラジオ
いまだに日本のマスコミは、アメリカの新大統領の不法移民対応の報道が間違っていて、原稿を読むもっともらしい顔のキャスター達には罪はないのだろうが、偏向報道で視聴者の印象操作に加担しているわけだから、罪は同罪だろう。哀れな職業だ。

トランプは、不法移民を対応策、イスラム過激派の入国防止のために期限付きで制限を設けたり、入国審査を厳しくしたり、難民受入れを停止する大統領令にサインした。

よくテレビの報道で垂れ流される「アメリカは移民の国だ・・。」と叫ぶ市民の主張は、印象操作には絶好であるから、あれだけ多用されるのだろう。アメリカの歴史は誰でも彼でも無条件に移民として受け入れたわけではなかろうに。

こういうテレビの非常に偏った報道振りで思い出すのが、2008年4月の北京五輪の時の長野での聖火リレーだった。

  支那大使館の支持で動員4000人

  まさに異様な光景だった

聖火リレーに合わせてチベットの惨状に抗議する人達を押さえ込むため、支那の大使館の指示によって、瞬時に4000人の在留支那人たちが長野に動員させられた事件だ。

当時の総理は、あの支那べったりだった福田だった。「私は、相手の嫌がることはしないんです。」と公言して憚らなかった馬鹿である。

  総理としては最低レベル

この馬鹿総理の命令で、警察は支那人たちの乱暴狼藉には手を出せず、見ているだけだったという。少しだが、地上波テレビでも当時の驚くようなテロ行為が報道され、対応策として警備員に周囲を囲まれた聖火ランナーが走る、異様な光景を思い出す。

  長野市は無法地帯となった

  ネットでは動画も見られる


取材に長野市を訪れていたまともなジャーナリストの中には後に、当時支那人たちの暴動に巻き込まれて、旗竿で胸を突付かれ、肋骨を骨折して救急車で運ばれる被害に合ったと、当時の惨状を生々しく語る方もいた。

ネットで当時の映像をみると、明らかに警察は手出しを控えているのが分る。支那人たちはもうやりたい放題だった。

当時も今も、マスコミの大半は支那朝鮮に不利なことは報道しようとしない。支那の真っ赤な国旗は写すが、支那大使館の用意した国旗を武器にして、沿道の市民やチベット惨状を訴える人たちに襲い掛かる支那人たちの映像は流さなかった。

この暴挙の2年後に、支那は中国は【国防動員法】を施行した。つまり、支那の国外に居住する支那人たちは、有事の際に支那政府の手先になって、命令に従わなければならない、という法律である。

つまり、支那政府の号令一下、おそらく現在は100万人を越えるであろう在留支那人たちが本国の共産党の指揮下で活動することになるわけだ。

2008年長野市の聖火リレーのとき支那大使館が留学生などに大量動員をかけ4000人を組織的に長野に送り込んだのは、【国防動員法の実験】だったといわれている。

日本政府は規制を緩和して、支那人留学生や技能労働者を当時以上に受け入れる政策をとっている。

これも、意識的にかほとんどテレビでは報道されないが、あの支那人による『爆買ツアー』の際にも、多くの支那人観光客がバスや客船に戻って来ずに、行方不明になっているという。

日本に来て、技能を修得し母国で役立ててもらおう、というまったく白々しい名目で入国する技能実習生たちも、毎年毎年実習先から逃亡して、行方不明になっている外国人たちが存在している。しかも、その数はのべ数千人レベルということだ。

こういう連中の行き着く先は、犯罪につながる闇社会であろう。

能天気すぎて、安全保障の意識をほとんど持たない日本人は、森友問題にうつつを抜かしている場合ではないのだ。

私は、少々乱暴な言動をするアメリカ大統領のとった移民規制にはまったく異論はない。むしろ、我々は、「以って他山の石となす」べきであると思うのだ。


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