孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

東へ西へ、大移動。

2015年12月19日 | 日記
フランスの港町カレー。

人口7万ほどの港町だが、今この町に世界の耳目が集中している。

カレーというと、美術の教科書に出ていたロダンの彫刻「カレーの市民」が有名だが、子供の頃は、「カレーライスの発祥の地」かしらん?程度の関心しかなく、元気なく立っている6人がどういう人達なのかはまったく知らず、教えてくれる先生もいなかった。



14世紀の半ばにイギリスとフランスが戦争ばかりしていた頃のエピソードに基いた彫刻で、イギリス軍がカレーを取り囲んで、カレー市民の代表6人が城の門の鍵をもって出頭すれば、カレー市民は助けてやると言ってきた時、6人が首に縄を巻き、ほとんど裸で処刑覚悟の出頭をするシーンだそうだ。

そのカレーに、今難民・移民が殺到して、あの手この手で英仏海峡トンネル経由で対岸のイギリスに渡ろうとしているそうだ。



それを阻止しようとする当局は、催涙ガスまで使ったという報道もあった。海峡鉄道を歩いて渡ろうとする難民が、列車に撥ねられてすでに数十人死亡したらしい。

中には、貨物トラックの屋根を切り裂いて、もぐりこもうとする難民もいるという。



1000年前は、十字軍が遠路異教徒弾圧の目的で、中東に大遠征をして、神の名の下に、殺戮の限りを尽くした。



当時の随行者の記録には次のような記録が残っている。


「マアッラ(地中海に近い今日のシリア領)で、我らが同志たちは、大人の異教徒を鍋に入れて煮たうえで、子どもたちを串焼きにしてむさぼりくった。」(フランク王国(のちのフランス)の年代記者、ラウール)



「聖地エルサレムの大通りや広場には、アラブ人の頭や腕や足が高く積み上げられていた。まさに血の海だ。しかし当然の報いだ。長いあいだ冒涜をほしいままにしていたアラブの人間たちが汚したこの聖地を、彼らの血で染めることを許したもう“神の裁き”は正しく、賞賛すべきである。」(フランスの従軍聖職者)



十字軍の遠征は、合計8回、200年続いた。宗教に起因する戦争はどこにもあっただろうが、キリスト教ほど争いを続けている宗教は他にあるだろうか。



1000年前に東へ向かって十字軍が遠征したように、今やユーラシア大陸の西の果てに向って、難民や移民が大移動しているようである。

フランスやイギリスは迷惑がっているようだが、切っ掛けを作ったのは自分達であることは忘れて欲しくないものだ。


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