孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

何はともあれ、母国語!

2015年10月22日 | 英語関連
今週は週初めから、職場でこき使われたため、三日間でヘトヘトになった。

英訳してくれと頼むのは結構だが、私は翻訳機ではない。コピーしてペタっと貼り付ければ英語に翻訳できると思ったら大違い。

一つの言葉に一つの意味があるのではなく、通常は言葉は様々な意味を使い分け、文となるのである。例えば、「ナントカという結果から、カントカということが推測できる。」という文を英語にする場合。

前後の内容から、推測の程度を考え、時にはその文を作った人に確認し、あり得ないレベルの推測なのか、かなり実現性の高い推測なのかを知った上で、さてどの英単語が適切なのかを選ぶのである。

そのために私がよく利用するのは、英語の同義語辞典のサイト、「Thesaurus. com」である。シソーラスと発音するのだが、単語を入力すると、それと同じような意味の単語がずらずらっと出てくる。

その中の単語をGoogleなどに入力して検索すると、英文のサイトなど無数にヒットするので、同じような案件のサイトに使われている英文を探して、前後を読み下し、「ウン、こういう内容の文章にこういう使われ方をしているなら、この英訳文に当てはまるな・・・」と判断するわけだ。

本当に迷う場合は、本の短い和文を英訳するのに、時間単位を要するときもある。

そんな苦労を言ったところで、英訳を依頼してきた側は、早いとこやってよ・・と思うだけで、聞く耳を持たないことは分かっている。

こちらもウダウダ言い訳は言いたくないので、「ヨシッ!やってやろうじゃネーか。」という気分になるのである。

やっと終えたと思ったら、午後からドコドコの会議室で、電話会議があるから通訳してくれと言ってきた。「電話会議??受話器を持って会議をするんですか?どこの誰と?」あっけに取られていると、兎に角行けば分かるからと言うだけ。

テレビを見ながら日本と打合せをした経験は、以前海外勤務をしていた際に何度か経験したことはあったが、要はその「テレビ画面がないバージョン」、つまり真ん中に置かれた宇宙船のオモチャのようなマイク兼スピーカーに向って、会話するわけだ。

何がなんだか分からぬうちに始って、スピーカーが話し始めた。フランス語のような言葉が聞えたかと思うと、次にはドイツ語なまりの英語らしき言葉が聞えてきた。どうやらヨーロッパのどこかと日本とで会議をするようだった。

これでも昔TOEICという英語のテストを冗談で受けたとき、ヒアリングは満点だったのだが、今聞えてくるフランス語やドイツ語なまりの英語は、さっぱり理解できなかったので、私に通訳を指示した上司に、正直にその旨を伝えた。「5%も理解できないので、通訳は務まりません。」と。

すると、スピーカーからまた別の声がして、今度はひどいなまりはあるが、よく理解できるレベルの英語が聞えてきた。さらに、日本語も聞えてきて、相手先にも日本人が同席しているらしいと分かった。

わきの下に冷や汗をかきながら、約1時間半の会議は終わった。

「ありがとう、助かったよ。また今度頼むね。」と言われたが、返事はわざと濁しておいた。実際、あの程度の会議内容なら、メールのやり取りで十分だと感じたし、もう少し段取りと話す議題と確認事項を明確にしておけば、十分済むことだと感じた。

どうも、出席している御仁たちは、文明の利器というか、おもちゃを使いたい気持ちが強いだけじゃないのか・・と思った次第であった。

汗を拭き拭き机に戻ると、また別の若者が、英訳を頼みたいと言ってきた。聞けば明日の朝までにA4で4枚のレポートである。サラッと目を通すと、何やら意味不明の技術用語が並んだ暗号のような内容の報告書に見えた。

朝までは無理!! 午後3時までは最低でもかかってしまうと思う、と突き放したら、それでいいですと言われ、仕方なく取り掛かった。

結局終了したのは、次の日、つまり昨日の午後4時半だった。

そして、今朝起きたときは、もうぐったりして精気が体から抜けたような状態になっていた。だから、今日は「体調不良」ということで、休んだわけだ。

午前中は、家でのんびりと読みかけの本を読み、昼食は外食した。帰りに久しぶりに本屋に立ち寄った。何冊かペラペラ立ち読みしていると、以前(7/24)、このブログで、「タイトル、ひと目で分かる良書」という題の小文を載せた記憶のある新書が見えた。



本のタイトルだけで内容はだいたい想像がつくと思ったが、立ち読みしたら、その内容の濃さに驚嘆して、衝動買いしてしまった。

社内公用語を英語にしたことで話題になった通販会社の社長が、経済学者のお父さんとの会話の中で、「日本が英語を第二公用語にしたら、巨大なシンガポールになって、それこそ日本の経済は超強くなると思いますよ」と語っているそうだ。

この部分を目にしたら、その先を読んでみたくなるだろう。まったく、とんでもない妄言である。

日本語には時として主語や目的語がない事がある。そんなときは、機械的には英訳出来なくて大変厄介である。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」川端康成の「雪国」の出だしなど、その典型である。

しかし、それが日本語の奥の深いところであり、それが感受性や想像力を養うのである。英語がこれだけ世界中に普及したのは、一つにはそれが極めて単純な味わい深くない、取っ付き易い言語だからでもあるわけだ。

「閑さや岩にしみ入る蝉の声」

なんとも奥の深い言葉ではないか! YOU は理解できないだろう。


2 コメント

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Unknown (Unknown)
2015-10-23 13:48:15
そうですね。翻訳は、母国語の力が大事。 日本人は、英文和訳は何とか出来ても、和文英訳は難しいですよね。 あと、電話会議をインドの人とやったときに、大変でした。日本語ぺらぺらのアメリカ人が一緒だったので、終了後に訊いてみたら、インドなまりがきつすぎて英語がさっぱり分からなかった。って。 妙に、自分の自信になった。
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Unknown (孫ふたり)
2015-10-23 18:30:58
日本人の英語は、明治の初め頃をピークに、どんどん酷くなってきて、現在に至るそうです。新渡戸稲造のように、英語で武士道を語って、外国人を感動させることができる日本人は、そうはいないでしょう。最近では、ソニーの盛田昭夫氏の英語が評判がよかった。彼の英語はその背骨に立派な見識が伴っていたため、発音や文法など間違っていても、外国人がとても感心するものだったそうです。ペラペラ喋れば良いっていうもんじゃないんですね。
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