孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

数寄屋橋の真知子と春樹

2016年10月18日 | 芸能関連
「君の名は」というタイトルの漫画映画が大好評だそうだ。

街の声代表の、二十歳代の女性など、「二度観て内容がよく理解でき、感動した」そうだ。
八十歳くらいの老婆も、「画面がきれいで、眼の保養になった」と伝えていた。

    漫画映画は子供向け

興行収入が何億円だと大騒ぎするのは守銭奴にとっては結構だろうが、なんだかんだ言っても漫画映画は、良識ある大人の娯楽足り得ないであろう。中身はどうであれ、所詮お子様向けの文化でしかない。

我々の世代は、大多数が社会人になるころには、漫画を卒業していたものだ。いい歳をした社会人が人前で漫画を見ていたりすると、周りの大人は眉をしかめたものだった。

いつの頃からか、大人も平気で漫画を見るようになった。そして、次第に日本の大人は幼稚になっていき、それは現在も進行中で、まるで内臓に回虫が寄生して、脳味噌から養分を吸い取っているようだ。

我々の世代の少し先輩達、昭和20年前後に生まれた人たちの中には、「君の名は」と聞いて、てっきりあの岸恵子と佐田啓二の恋愛映画のリバイバルかと思って映画館に出かけた人も多かろう。

  春樹と真知子の「君の名は」


「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」

このセリフは、ラジオドラマの「君の名は」の冒頭で毎回流れていたそうだが、私の亡き乳は、何か忘れ物をした時や、思い出せないことがあった時など、いつもこのセリフを呟いていたもので、私も何だか意味も分からず、覚えてしまっていた。

さらに、私の母は、私が小さい頃、「真知子ショール」とやらで、当時爆発的に流行した「真知子巻き」をして、気取っていたものだった。

当時、ラジオで「君の名は」が放送されている時間は、街の銭湯はどこもガラガラだったというほど、超人気番組だったそうで、私の父母もそのファンであったようだ。

  大流行の「真知子巻き」


『 第二次大戦、東京大空襲の夜。焼夷弾が降り注ぐ中、たまたま一緒になった見知らぬ男女、氏家真知子と後宮春樹は助け合って戦火の中を逃げ惑ううちに、命からがら銀座の数寄屋橋までたどり着く。一夜が明けて、二人はここでようやくお互いの無事を確認する。

お互いに生きていたら、半年後の11月24日、それがだめならまた半年後に、この橋で会おうと約束し、お互いの名も知らぬまま別れた。

やがて、2人は戦後の渦に巻き込まれ、お互いに数寄屋橋で相手を待つも再会が叶わず、1年半後の3度目にやっと会えた時は真知子は、既に明日嫁に行くという身であった。

しかし、夫との生活に悩む真知子、そんな彼女を気にかける春樹、2人をめぐるさまざまな人々の間で、運命はさらなる展開を迎えていく。 』

花も嵐も♪・・・♪の『愛染かつら』同様、会えそうで会えない、の連続「すれ違いドラマ」なのだが、以前、この『愛染かつら』と『君の名は』のDVDを母にプレゼントするため通販で購入した。

そのとき、どんなものかと観てみたが、結構ハラハラドキドキさせられて面白かった。

映画が不作というなら、昔の名画を作り直して見せてくれ。

漫画映画など観たくもない。


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