今月2日、はしだのりひこさんが病死、という訃報をテレビのニュースで知った。
はしだのりひことシューベルツというフォークグループの、「風」という歌のメロディーは、いまでも口ずさむ事ができる。
あれはいつのことだったのだろうと、ネットで検索してみたら、1968年。私が中学に入学した年だった。ラジオでよく聴いた曲だと思っていたが、当時の私はラジオなどないばかりか、自分の部屋すら無かったはずだ。
納屋の2階の屋根裏の3畳ほどの物置みたいな場所に机を運んで、自分の部屋としたのは確か中学2年の終わり頃だったと思う。
しかし、あの決して上手ではない歌い方の、「風」は不思議とよく覚えている。
彼の訃報を伝えるニュースでは、彼の経歴で「フォーク・クルセダーズ」のことを伝えていた。Crusader (クルセダーズ)とは、十字軍兵士のことで、グループ名は(フォークソングの十字軍兵士)という意味になる。
そして、デビュー曲が「帰ってきたヨッパライ」というコミカルな歌で、変な声で、変な歌詞の歌を、変なデコボコトリオが歌っていたのだった。毎日のように耳にしていたようで、リズミカルなメロディーは、妙に調子が良くて、何度も聴きたくなった。
日本国民はみんなそう感じたようで、レコードも283万枚売れたそうだ。
50年前のことだった
はしだのりひこさん。享年72歳。病名は、パーキンソン病。
彼の記事はコンビ二で立ち読みした週刊誌にも出ていたが、その中にも当然フォーククルセダーズの紹介が書かれていた。ヨッパライの歌は、北山修の作詞、加藤和彦の作曲だったそうで、北山氏は存命だが、加藤和彦氏はすでに8年前に亡くなっていたのだった。
記事には、ただ「自裁」と書かれていた。
加藤氏がすでに亡くなっていたことは知らなかったが、自裁とは何のことかも分らず気になって、ネットで調べると何と「自殺」のことだった。
当時の新聞記事
借金や鬱病で相当悩んでいたようで、軽井沢のホテルで首をつった状態で発見されたようで、署名入りの遺書もあったという。
「ヨッパライ・・」の歌以降の彼の活動は、ほとんど知らなかったが、ただ「あの素晴しい愛をもう一度」という歌を歌う加藤氏の声は良く覚えている。
彼らの後にフォークソングブームがやってきて、今ではBS局の番組では、たまに当時活躍したフォークソング歌手たちが、見事に老化した姿で登場しては、その老醜を晒しているが、ああいうのを目にするたびに、歳はとりたくないものだと痛感する。
人間誰しも、いつかはみんな死ぬ存在だが、フォークの十字軍兵士の三名を見ても、そこに行き着く過程には様々な道筋があるものだなあとしみじみ考えさせられた。
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