最近は、その奇妙奇天烈なヘアスタイルから、「エリンギ」と呼ばれている北朝鮮の金正恩が、無事シンガポール入りしたようだ。
核爆弾は造れても、ホテル代が払えないといって、恥を晒していたが、結局どこが払うことになったのか・・・。まったく、見栄も外聞も無い乞食丸出しだと言ったら、本物の乞食が怒り出すかもしれない。
さっそく、シンガポールの首相と笑顔で握手して会談したらしい。
独裁者同士で握手・・
シンガポールといえば、「開発独裁」が続く小国家で、建国の父と呼ばれる、故リー・クアンユーが(政治に口を出さず全部自分に任せろ。そうすりゃ、安心して金儲けさせてやる)といった言い方で、独裁の基礎を築き、今はその倅(せがれ)が後を引き継いでいる。
別名、「明るい北朝鮮」と呼ばれるシンガポールは、親日国だと思われているが、私が約1年住んだ感じでは、国民の70%以上の中華系の人たちは、内心日本を好んでいない。金儲けの対象としては笑顔で付き合うが、心の底では反日ぶりが垣間見られた。
実際、マレー半島が英国の植民地であったとき、そこに住む華僑たちは、英国人の使い走りとしてマレー人たちに麻薬を売ったりして、相当言い思いをしていたのだった。
そのマレー半島のいい時代を、日本軍はわずか2ヶ月ちょっとでシンガポールまで南進して英国軍を降伏させた。故リー・クワンユーは自著の回想録で、『英国統治時代の方が、日本統治時代よりは良かった・・・』と書いているが、当然といえば当然だろう。
二代目の「開発」独裁者リー・シェンロン首相は、まだ親父から政権を引き継ぐ直前だったとき、台湾を訪問した事があった。それを知った支那共産党は、「台湾訪問は、重大な結果を招く」と不快感を表した。
すると、シェンロン氏はあわてて支那に飛んで行き、『私は台湾独立を支持しません』と弁解に努めた、見っともない過去があった。この時から彼は「タマ無しシェンロン」という不名誉なニックネームを授かっている。
人格は顔に出る、というが、確かにヘラヘラした表情は、親父さんとはとても比べ物にならないほど、頼りなく見える。
タマ無しシェンロン首相らしい笑顔
さあ、独裁者の二代目と三代目の握手から、米朝会談の週が始った。どういう結果になるのか、ニュースが楽しみだ。
核爆弾は造れても、ホテル代が払えないといって、恥を晒していたが、結局どこが払うことになったのか・・・。まったく、見栄も外聞も無い乞食丸出しだと言ったら、本物の乞食が怒り出すかもしれない。
さっそく、シンガポールの首相と笑顔で握手して会談したらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/42/c224b0a6eb2420aa0bb35def1bf4951b.jpg)
シンガポールといえば、「開発独裁」が続く小国家で、建国の父と呼ばれる、故リー・クアンユーが(政治に口を出さず全部自分に任せろ。そうすりゃ、安心して金儲けさせてやる)といった言い方で、独裁の基礎を築き、今はその倅(せがれ)が後を引き継いでいる。
別名、「明るい北朝鮮」と呼ばれるシンガポールは、親日国だと思われているが、私が約1年住んだ感じでは、国民の70%以上の中華系の人たちは、内心日本を好んでいない。金儲けの対象としては笑顔で付き合うが、心の底では反日ぶりが垣間見られた。
実際、マレー半島が英国の植民地であったとき、そこに住む華僑たちは、英国人の使い走りとしてマレー人たちに麻薬を売ったりして、相当言い思いをしていたのだった。
そのマレー半島のいい時代を、日本軍はわずか2ヶ月ちょっとでシンガポールまで南進して英国軍を降伏させた。故リー・クワンユーは自著の回想録で、『英国統治時代の方が、日本統治時代よりは良かった・・・』と書いているが、当然といえば当然だろう。
二代目の「開発」独裁者リー・シェンロン首相は、まだ親父から政権を引き継ぐ直前だったとき、台湾を訪問した事があった。それを知った支那共産党は、「台湾訪問は、重大な結果を招く」と不快感を表した。
すると、シェンロン氏はあわてて支那に飛んで行き、『私は台湾独立を支持しません』と弁解に努めた、見っともない過去があった。この時から彼は「タマ無しシェンロン」という不名誉なニックネームを授かっている。
人格は顔に出る、というが、確かにヘラヘラした表情は、親父さんとはとても比べ物にならないほど、頼りなく見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/db/1e6b8566123ba84225eedf8e333c55b7.jpg)
さあ、独裁者の二代目と三代目の握手から、米朝会談の週が始った。どういう結果になるのか、ニュースが楽しみだ。