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孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

ミャンマーの英国製民主化お姫様のお手並みは?

2017年01月03日 | 英語関連
ミャンマーの国家顧問兼外相のアウンサンスーチー氏が苦境に立たされている、と昨年末の新聞に載っていた。

ミャンマー北部の支那との国境近くに、支那との共同建設予定のミッソンダムの建設再開を巡っての決断を迫られているという。

このダムは、原子力発電所6基分相当の600万キロワットを発電し、9割を支那に輸出する計画であったが、テインセイン前大統領が、2011年に国民の批判を理由に工事中断を突然決定していたのだった。

昨年、政権を奪取した後、彼女が支那訪問をした際に、習菌平主席からダム建設再開を求められていたようだが、その時は調査委員会の報告を待った上で判断すると即答を避けたとの事だった。

  こいつは李克強


かつて、アウンサンスーチー氏は、民主化運動指導者としてダム反対運動を支援してきた。しかし政権を担うようになった今は、北部少数民族との和平を維持する上で支那の協力は不可欠であるため、双方の板ばさみになっている状況なのだ。

アウンサンスーチー氏は、大東亜戦争が終わる2ヶ月前の1945年6月に生まれているので、今年72歳になろうという老女である。

ミャンマーの非暴力民主化運動の指導者で、長いこと軍事政権の手で1989年から10数年間の間、断続的に自宅軟禁生活を送っていたそうだが、当時から私はそれほど目障りな民主化運動指導者なら、なぜ軍事政権は彼女を即座に始末しなかったのだろうか?

自宅軟禁といっても、実際は5000坪以上の広大な敷地に、農園やゴルフ場まであって、実際には多くの支持者や活動家達も一緒に住んでいたそうで、テレビで伝えられていたように、軍事政権が強権で監禁していたようなものではなかったらしい。

昨年末、アウンサンスーチー国家顧問が来日して、ミャンマーの民主化や国家発展で日本の支援が必要であると訴えていたが、いつもながら彼女の表情はどこか硬くて、何となくよそよそしいところがあるように感じてしまうのだが、これは単に私の偏見なのだろうか。

   安倍総理と乾杯


その名が示すように、彼女の実の父アウンサンは「ビルマ建国の父」と呼ばれて今でもミャンマー国民には敬愛されている。かつては紙幣の肖像にも描かれていた。

  35チャット紙幣(1987年廃貨)


ビルマはアウンサンが生まれた1915年にはイギリスの植民地であった。

   かつての大英帝国

当時のイギリスの植民地統治のやり方は、徹底した分断統治(Devide & Rule) で、被支配者を宗教・職業・民族・言語などで分断し争わせ、対立構造を生み出し、団結させないようにし、統治者に矛先が向かうのを避けて、効率的に統治するやり方であった。

ビルマでは、インド人や華僑を移住させ、インド人に金融、華僑に商売、それにカレン族などの山岳民族に軍と警察を担当させ、ビルマ人を最下層の農奴として統治した。

こんな中で英国からの独立運動家の家に生まれたアウンサンは、大学に進み政治学などを専攻したが、次第に学生運動に傾注していき、やがて反英的な政治運動に移っていくことになる。

その後アウンサンは、日中戦争中の米英露から中華民国・蒋介石への輸送ルート(援蒋ルート)遮断のために、ビルマ独立を支援する目的で潜入していた諜報機関・「南機関」機関長の鈴木敬司と共に、1940年来日した。

  鈴木敬司陸軍少将

鈴木は故郷の浜松にアウンサンらをかくまって、ビルマ独立の秘策を練ったのだった。「南機関」とは英国に対抗した工作機関で、本部をバンコクにおいたビルマ独立のための謀略機関であった。

具体的には、ビルマの独立運動家の青年30名を密かに国外に脱出させ、軍事訓練を施した上で帰還させ、資金や武器を援助して、武装蜂起の機会を待つというものだった。

  30名の志士たち


アウンサンが鈴木の故郷である浜松に滞在したことを記念して、浜名湖の舘山寺大草山頂上に碑が建っていることは、もう随分前に何かで読んで知っていた。

昨日このブログを書き始めていたら、無性にその実物を見たくなって、PCを一旦閉じて、車に飛び乗ったのだった。高速道路で行けば、ほんの50分の距離だった。

浜名湖パルパルという遊園地内からロープウェイで大草山頂上まで10分で行けた。(駐車場がないので車では頂上に行けないようになっている)
  遊園地パルパル内の乗り場

  30人乗りくらいか

  「ビルマゆかりの碑」

   49年建立

碑には次のような文が刻まれていた・・・。

この碑はビルマ国民に建国の父と仰がれるオンサン将軍が去る昭和十五年わが国に亡命して当地出身の鈴木敬司陸軍少将と共に祖国独立運動の秘策を練ったこのゆかりの地に建てられたものであります

太平洋戦争間彼の苛酷なビルマ戦場で幾多春秋に富む若い身を祖国に捧げ散華された諸英霊は当静岡県出身者のみでも二千七百余柱に及んでおります

今日のわが国の隆盛が一途に祖国の安泰と平和をこい願いつつ散華された尊い英霊の犠牲とそのご加護の賜である事は片時も忘れることができません

・・・・・・

正月2日ということで、もう少し混みあっているかと思ったが、意外と人は多くなかった。頂上にある「オルゴールミュージアム」やその屋上の展望台が目当ての人がほとんどで、「ビルマゆかりの碑」に関心がある人は恐らく私以外にいなかったであろう。

「オルゴールミュージアム」はこの次に来た時に見ようと、私はすぐに家路に急いだのは、私の頭に浮かんだビルマ人アウンサンたちの映像を消し去りたくなかったからだった。

歴史は、その後日本軍の敗勢濃厚となり、アウンサンたちは国を失わせるわけには行かないと、英国・連合国側の「独立保持」の甘言に乗り、英国に寝返ることを決意することになった。その意志を信書にて日本側に送っていることは、アウンサンたちの複雑な心境を物語っているようだ。

英国側は日本軍壊滅のためにはアウンサンたちの利用価値はあると考えてそのまま生かして利用した。

案の定、戦争が終結しても英国はビルマの独立など認めようとはせず、再びイギリス領となったが、1947年イギリスはついにビルマ独立を認める協定に調印したが、ビルマを離れる際にビルマ人を使ってアウンサンを暗殺させた。

しかし、ここからがイギリス人のえげつないところで、いくら見え透いた謀略でアウンサンを暗殺させても、ビルマの国民は誰一人そんな謀略を信用する者などいず、英国の仕業であることは明らかだと考えていた。

「建国の父」を殺したということになっては、イギリスにとって今後の展開が好ましいものにはならない。そこでその後イギリス人紳士はいったい何をしたか。

1960年、アウンサンの妻キンチーは、駐インド兼駐ネパール特命全権大使として娘を連れてニューデリーに移っていた。

当時15歳に成長していた少女を元ビルマ総督(イギリス人)がイギリスに連れ出し、何不自由のない環境下でイギリス人として教育し、イギリス人エリートの夫まで与えて手なずけた。その少女こそ、アウンサンスーチーなのである。

  1972年マイケル・アリスと結婚

祖父はイギリス人に殺され、国民的英雄、「ビルマ建国の父」である父はイギリス軍の謀略で殺害されたアウンサンスーチーはそのまま成長すれば、反英のシンボルになりかねない。

1988年、母の看病のため母国に戻ってきたアウンサンスーチーは、すでに英国人になりきっていた。当時彼女を見たビルマ人たちは、皆戸惑ったことだろう。

彼女は、英国に忠誠を誓い、英国に歯向かう祖国を『自由』という言葉を使って非難し、イギリス植民地支配を糾弾するような動きを封殺し続けた。

ビルマ人たちが、「スーチーは、イギリスに魂を売った」と嘆いたのは無理からぬことであった。

さらに、英国人はノルウェーと結託して、1991年のノーベル平和賞にアウンサンスーチーを選ぶことで、更なる自由と平和の印象を上塗りし、世界中の人を欺いていた。

前にもこのブログで話題にした事があったが、日本人がビルマを訪れると、ビルマ人たちの柔和な表情、奥ゆかしい態度と共に彼らの親日ぶりが黙ってても伝わってきて、みんなビルマの虜になってしまうそうだ。

ところが、今はその面影はほとんど消え去って、街の看板から支那一色に塗り変わっているそうだ。

英国貴婦人に変身して見事に英国の傀儡の役割を果たしたアウンサンスーチーにとっても、2017年は課題の多い年になることは間違いなさそうだ。





何はともあれ謝罪という姿勢でよいのか?

2017年01月01日 | 英語関連
 28日まで安倍首相の真珠湾訪問に同行していた稲田防衛相が、29日朝、靖国神社を参拝したことについて、与野党から批判の声が出ているそうだ。


  堂々と参拝すればよい

靖国参拝と聞いて、「ホイきた。待ってました!」とばかりに批判するのは、毎度野党のすることで、その片棒を担いでせっせと報道するのがNHKやTBSなどの反日マスゴミと、いつも決ったパターンである。

  手下のR4はどうした?

真珠湾から戻って、国のために命を捧げた英霊達に、和解の報告をするのがなぜいけないことなのか。他の国会議員たちも与野党を問わず参拝すべきだろう。

支那共産党や南朝鮮は、靖国神社をいつもの通り日本を非難する材料としてしか考えていない連中だから、無視しておけばよい。

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 『自民党の防衛相経験者も「真珠湾で和解を強調した次の日に参拝して、日米両方の顔に泥を塗ることになった」との見方を示している。

 さらに自民党幹部は「中国や韓国が言い訳する口実を与えた。防衛相在任中くらい我慢できないのか
」と話している。

 また、防衛省関係者からは「せっかく積み上げた中国や韓国との交流が止まる」と不安視する声も出ている。(日テレニュース24)』

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それにしても野党が、偉そうに非難するのは、自民党を批判することしか存在価値を感じていないわけだから理解できないこともないが、自民党や防衛省関係者からも異論がでているとは、一体どういう神経なのだろうか。

この状況には強い既視感を感ずると思ったら、ちょうど産経新聞ソウル支局長だった加藤加藤達也記者が2014年8月の産経新聞支局長名誉毀損起訴事件のことを思い出したからだ。

  セウォル号沈没事故

セウォル号沈没事故当日の空白の7時間、パククネは男と密会していたなどという風評が流布しているという朝鮮日報や証券街の報道をもとにしたコラムを書いたところ、韓国当局に名誉棄損と断じられ、在宅起訴し、韓国からの出国を禁止する処分とした外交問題だった。

後日談として、この期間中、日本国内では産経新聞に対して「韓国側に謝罪の意を表明して許しを乞うべきだ」「謝罪すれば、韓国側は加藤氏の起訴を取り下げるだろう」という“提案”や“助言”が各方面から寄せられたという。

この呆れるような実態は、11月29日、産経新聞の熊坂隆光社長によって明らかにされたのだった。曰く・・・

「この事件の過程で驚いたのは、意外なほど多数の日本側の政治家、元外交官、評論家というような人たちが、産経新聞に対して『韓国側に謝罪の意を表明すべきだ』と持ちかけてきたことだった。

 社長の私がソウルへ行って一言でも謝れば、韓国側は加藤記者の起訴を取り下げ、日本への帰国も許すだろうというのだ。ソウルへ行けないのならば、東京の韓国大使館を訪れて『遺憾』という言葉を述べるだけでもよい。その謝罪を内密にしてもよい。

 そんなことを伝えてくる日本の政治家たちがあとを絶たなかった。有力な政治家たちも含まれていた。」

驚くことに、実名は公表しなかったが、自民党の閣僚経験者や元総理経験者もいたというから開いた口が塞がらない。

安倍総理と菅官房長官は含まれていない。それ以外はほとんどだと言っても過言ではないくらいだったと、産経新聞の古森義久論説委員が語っていたほどだから、自民党議員といえども、まともな判断力を持ち合わせているとは到底思えない。

それにしても外から、内からの圧力によくぞ産経新聞は耐えたと感心する。いくら称賛してもしきれない、世界中にジャーナリスト魂を見せ付けてくれた。

日本の政治家は、少し脅せばすぐ言い成りになる。事実だろうとなかろうと、繰り返し主張していればその内既成事実化していく。今回だけ謝罪してくれればもう二度と要求しないから、などという甘言に何度騙されたら気がすむのか。

困ったら日本に泣き付けば何とかなる、という甘えであの部族は日本に寄りかかって生きる術を学んでしまった。そうさせたのは、産経新聞に圧力をかけたり、稲田防衛大臣に文句を言う自民党の政治家や官僚たちなのである。

日本の有権者たちはこの事実をしっかりと理解しておくべきだろう。


馬の骨は仕事嫌いのようで・・・

2016年12月28日 | 英語関連
馬の骨R4は、よほどこの時期に仕事するのが嫌だったらしい。

このあたりに、支那人DNAの強い影響が見え隠れするのである。やはり、こいつには日本人独特の人を思いやる心情などはもちあわせていないということがよく分かるエピソードで、単に冗談を言ったで済まされることではない。

  火事見舞いしなきゃいけない?


以下、産経新聞ニュースより:



 『民進党の蓮舫代表は28日、党本部の仕事納めであいさつし、党職員の前で「明日は糸魚川に視察に行くことになりましたが、素晴らしい仕事ぶりを発揮して、移動だけで1都5府県です。『こんな日程をありがとう』と、最後に役員室の皆さんに愛情を込めてお伝えをしたいと思います」と述べた。

 「私が愛されているなあと思うのは、今日が仕事納めのはずなのに、今日も明日も地方出張です」と切り出した蓮舫氏。「糸魚川」とは、大規模火災に見舞われた新潟県糸魚川市の被災地を指す。

 蓮舫氏は29日に現地を視察する予定だが、ある民進党議員は発言について「言葉が軽い。視察を嫌々『やっつけ仕事』でこなすような印象を与え、大変な思いをされている被災者に失礼だ」と憤った。

人格は人相に出るもの。

2016年12月14日 | 英語関連
時計代わりに見ている、朝の報道番組で、13日火曜日にお笑い芸人の当て逃げ事故のことを報道していた。その時の「コメンテーター」中尾 彬(あきら)の例の調子で言ったひと言が強烈で、私は非常に共感を覚えた。

以下、youtube より抜粋。

 後ろがタクシー


 全治2週間


 当て逃げされた


 逃げ勝ちか?


 

タクシー運転手が当て逃げした車のナンバーを通報して、事故が発覚した。井上は、バレたので謝罪したようだ。


 誠意??


 

MC: 「中尾さん、後から事故が発覚したことで、この影響が大きくなってしまったようですが・・・。」


 

中尾: 「当て逃げして、バレたら誠意を持って対応したいっつってんだけど・・、なぜその時誠意を持って対応しなかったんだ・・・??」




中尾: 「だって、ぶつかったらぶつかったなって思わない??」


このブログでも、10月22日に『ヤバいと思ったら、謝罪・言い訳』というタイトルで、昨今の「謝罪会見」を取り上げたことがあったが、誤魔化せると踏んで、それがバレちゃった時は、いくら謝罪したところで、なんとも見っとも無いものである。

今回当て逃げ事故で逃げたお笑い芸人のことはよく存じ上げないが、いかにも下劣そうな人格が人相ににじみ出ているようで、同情する気にもなれなかった。



王毅、発狂 --- トランプ、GJ !!

2016年12月05日 | 英語関連
トランプ次期米国大統領がツイッターで呟いたことに、支那の王毅外相が発狂したそうだ。

  この支那人、よく発狂します

そのトランプの呟きの弁とは・・・。(ツイッターより)

Donald J. Trump

The President of Taiwan CALLED ME today to wish me congratulations on winning the Presidency. Thank you!

(台湾総統が今日電話をくれて、大統領選勝利を祝ってくれたよ。サンキュー!)

これだけの言葉に、支那の外相は発狂したという。

  台湾総統と次期米国大統領

これまでも、この害相はあちこちで発狂しているので珍しくも無いが、いつも偉そうに威張り散らすので、感じが悪いことこの上ない。

とはいえ、この怒りは支那の共産党幹部と支那人民向けのポーズなのだから、なにも恐れることは無い。

日本の政治家たちも、ビクビクせず、少しはトランプを見習ったらどうだ?

要するに、ノーコメント

2016年11月27日 | 英語関連
キューバのカス・トロが死んだことを受けて、アメリカ次期大統領となるトランプ氏が声明を出したそうだ。曰く・・・。

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「今日、世界は60年近く自国民を抑圧してきた残忍な独裁者の死去を記録した」「盗み、想像を絶する苦悩、貧困、基本的人権の否定」と、フィデル氏の「業績」を列挙した。

 さらに「キューバは全体主義的な島のままだ。しかし、私の望みは、長い恐怖から解かれ、すばらしいキューバ国民が自由に暮らせる未来に向かう転換点に今日がなることだ」とした。

 トランプ氏は対キューバ政策の方針について「我々の政権は、キューバ国民がやっと繁栄と自由を迎えることを保証するため、できる限りのことを行う」と付け加えた。

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   どっちでもええ・・


そして、ノーベル平和賞の受賞者、オバマ現アメリカ大統領は26日、キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長の死去に弔意を示すとともに、前議長が人々に及ぼした影響について「歴史が記録し、評価するだろう」と表明したそうだ。


  こう言っておけば十分!

この声明を「意訳」すると、つまり『ノーコメント』ということでしょうな。

さすが、「口だけ大統領」です。

Yes, we can だったはずだが・・・

2016年11月12日 | 英語関連
黒人初の大統領から女性初の大統領にバトンタッチだったはずだが、バトンはポロリと手から落ちて渡されることはなかった。

Yes, we can を連呼して大統領になったものの、これといった実績は・・・何かあったか?

 演説朗読が特技

ここ数年、グローバル、グローバルと国境など邪魔でしかないと考える、グローバリストたちの思惑通りに世の中が廻り始めたようだが、現実は国境が消えたかに見えるEUも移民問題でガタガタになってきたところに、アメリカの国民もグローバル化にNOという意思表示を示した格好だ。

あわよくば、その反響が日本にも届いて、日本人の目を覚ますように作用してくれればいいのだが・・。

どいつもこいつも、日本人か?

2016年10月18日 | 英語関連
小池東京都知事は、「クール・ビズ」という言葉を流行らせたのが随分ご自慢のようで、その溢れんばかり知性がそうさせるのだろうが、出る言葉出る言葉がカタカナ言葉の連発で、どこかの野党の新代表と同じように、国籍は一体どこなのかと確認したくなってきた。

一部ネット上では、「女ルー・大柴」と呼ばれているのをご存知か?

都民ファーストだの、アスリート・ファーストだの、ワイズ・スペンディングだの・・・、もういい加減にして欲しいと思う。

立派な日本語があるのだから、「運動選手」といえばよいではないか。何が「アスリート」だ。モスキートみたいな新体操選手もいるではないか。(一人くらい運動選手と呼んでください、という者がいてもいいと思うが・・)

「真っ当な金遣い」をする、と言えば日本人なら誰でも理解できる。何もとってつけたように経済学者の使った言葉を引用することはなかろう。

   母国語を使え!!

ダイバーシティ?? 多様性?? 糞も味噌も一緒くたならいいのか?野党はそういう使い方をしてるぞ。

サステイナブル?? 持続可能な有様??  国連(連合国)の偉ぶった連中が使えば、高尚な言葉だと思ってないか?? 

レガシーをワイズスペンディングでなんチャラかんチャラ・・・都民が分かる言葉を使ってくれ、日本人なら。

  日本語を使おう!!

それとも何か??あの「サメの脳みそ」を持った「ゴリラの体」がからっきしの英語苦手だから、わざと見せ付けているんだな??

何せ、あのゴリラ、IT(情報技術)を{イット)と読んだバカだからな。

言葉は文化である。 母国語を大切にしない民族は団結力を失い、やがてこの世から消滅していくことになる。

インドネシアを350年殖民統治したオランダは、徹底した愚民化政策をしき、数百存在していた言葉を統一せず、教育も与えなかった。大東亜戦争で、オランダを蹴散らした日本が敗戦した後、オランダは再びインドネシアを奪還しようと戦いを仕掛けてきた。

しかし、その時はすでにインドネシアはインドネシア語という共通語が行き届き、心を一つにしてオランダと戦うことができたのだった。

言葉とはそういうものだ。

小池都知事がいい気になってカタカナ言葉を口にすることは、都民にとっても日本国民にとっても、不利益をもたらすことになることを、皆心すべきである。



ちがうよ、「 ミゥク 」 !

2016年10月18日 | 英語関連
三月ほど前(7月10日)、『幼稚園から英語って・・』というタイトルで、初孫なっちゃんが教えてくれた back の発音のことをブログに上げた事があった。

なっちゃんが幼稚園で覚えてきた back という言葉は、私にとっては大変な驚きで、大袈裟かも知れないが、いやいやこれからこの国はどうなっちゃうんだろうか・・と不安を感じたものだった。

そして、先日テレビCMをみた時、「ホラ、きた。こんなCMが出来ると思ってたよ。」と傍らのカミさんに呟いたのだった。それが、『ワンダ 特製カフェオレ』のCMだった。

   ミルク飲む人ぉ~~

牧場で、子供づれ家族が登場。お父さんが、「ミルク飲むひとぉ~~」と聞くと・・・


   ちがうよ。ミゥク・・

お父さん似の長男が、「ツッ、ツッ、」と人差し指を立てて、「違うよ、ミゥク」とまるで外人のような英語の発音を披露する。お父さんは言ってみるが、そんな発音ができない。そして、照れ隠しに「こだわるなぁ~~~」と誤魔化すのだった。

  ミルクにとことんこだわった・・・

お父さんの「こだわるな~~」を受けて、「ミルクにとことんこだわった・・・」と商品名をいうナレーション。

  母は後ろでほほ笑んでいた


恐らく、似たような場面が、小さな子供がいる日本中の家庭で起きているのではなかろうか。何度も繰り返しているが、東京五輪のある2020年から、日本中の小学校五年生を手始めに、英語が正式教科になる。

小学校の先生が教師となり、英語を教える授業がスタートするわけだ。そして、中学や高校では、英語の授業が英語で進められるようになるはずだ。さらに、多くの大学の講義は、語学に限らず英語で講義が行われる計画だ。

これは、多くの英語学の専門家が指摘するように、間違った政策である。明らかに国力を損なう愚策である。なぜなら、この施策はすでに明治時代に盛んに議論されたからで、母国語をないがしろにしなかった当時の知識人たちの考えが、いかに正しかったかをみれば、わかる。

この国がわざわざ外国に出なくとも、基礎科学の研究者を数多く産むことができたり、理化学以外の技術をも磨き続け、また洗練された伝統文化や芸術を後世に残すことが出来るのも、すべて母国語を大切にしてきた成果なのである。

東南アジアには、タクシーの運転手でも英語を話す国がたくさんある。マレーシア、シンガポール、インド、インドネシア、フィリピン、ミャンマーなどなど。これらは、すべて、かつて欧米の植民地だった国だ。支配者の都合によって、母国語はなおざりにされ、伝統文化など無視されて搾取の限りを尽くされてきた。

今、世界の先進国となった日本は、何で今頃になって彼らの後を追って、欧米の職人地のようになろうとするのか。まったく理解できない。

外国人観光客に英語で道案内したければ、東日本大震災のときに延々と垂れ流された公共広告のようなスポットで英会話の例文を一月も流せばよい。日本人なら、そのくらいすぐに口癖になるくらいに暗記してしまうはずだ。

小中学生のうちは、日本語で、読み・書き、そして算盤をみっちりやるべきだ。英語などその跡で十分。勉強する意欲のある者は続ければいい。

文科省のお役人の言い成りになってはいけない。英語教育の早期化は確実にこの国をダメにする。

どうなった?カナダの人殺し

2016年10月07日 | 英語関連
カナダ人がこれほどのんびりした性格だとは、知らなかった。

バンクーバーにウジャウジャいるという日本人を殺したらしい犯人を捕まえておきながら、その後どうなったのか、一切伝えられないのはなぜだ?

犠牲者が日本人だからか?



カナダの印象が悪くなるのを恐れているためか?

いくら、日本人がふた月もすれば、何でも忘れてしまうほど、能天気な国民といっても、一体彼女に何が起きたのか、遺族ならずとも知っておきたい。

英語は海外で習いたいという日本の若者たちに、警鐘を鳴らす意味でも、このままウヤムヤには出来ない、今年最悪の事件でななかろうか。

カナダは先進国だというなら、サッサと事態を説明したらどうだ?

欧米文化礼賛作戦

2016年10月05日 | 英語関連
この時期は毎年、ノーベル賞が話題の中心になり、自然科学分野で日本人が受賞して、もう日本中が大はしゃぎになる。それに、今年こそはあの反日左翼作家の受賞なるか、とファンはドキドキしているというニュースが流れるのも、「またか・・」という感じになった。

今年は、どういう根拠なのか知らないが、イギリスの賭け屋も今年は受賞があるかも・・と煽っていた。

そして、街の100円ショップの入り口には、あの訳の分からない西洋のお祭りの真似事用の衣装やかぼちゃのモチーフなどが、「それ買え、やれ買え」とばかりに展示されるのである。親たちはどう説明して、子供たちに妙な衣装を着せるのか、毎年私は首をかしげてしまう。

そうこうしている間も、幼児に英語を教えようとする教室は、雨後の筍のごとく、日本中に増え続けているのである。

  

子供たちは、覚えるのが早いに決っている。りんごやバナナの絵を見せて、外人の先生が言い方を教えれば、すぐに真似して口にするようになる。

白衣を着て聴診器を首にぶら下げた人の絵を見せれば、「ドクタ」と言い、おまわりさんの絵を見せれば、「ポリースマン」と言う。

親はそれを見て、「おぉ!」と感動して、「私も小さいうちから英語をやっておけばよかったわ。」などと今更後悔するのである。



しかし、こうやってこの国はシンガポールやマレーシアやフィリピンのようになればいいというのだろうか。確かに、これらの国へ行くと、誰もある程度英語を話すので、タクシーに乗っても、買い物をするときも、食事をするときもあまり苦にはならない。

しかし、それだけのことである。

これらの国は長いこと欧米の植民地として、白人達に支配されていたという歴史がある。植民地として、支配され搾取され、奴隷の如くこき使われ、食料など作るな、胡椒を作れ、ゴムを作れと強いられて、多くが餓死し、戦争となれば彼らの先陣に立たされ、彼らの盾となって死んでいったのである。

使役するためには、言葉はただの弊害でしかない。まず最初にキリスト教を持ち込み、改宗させ、同時に英語を教え込む。

16~17世紀以降のアジアは、すべてそういう流れで続いている。唯一、日本はそれが思い通りに進まなかった。確かにGHQは日本人に英語を喋らせようといろいろ画策したようだ。

明治時代には、日本人の学者の中にも、日本が欧米の技術を取り込んで彼らに追いつくためには、日本語を捨てて、英語化すべきであると主張した者もいたらしい。

しかし、当時の知識人たちの良識はその道を選ばなかったのである。せっせとそれまでなかった概念を日本語に翻訳して、日本人が日本語で最先端の知識・技術を日本国内でも研究できるようにしていったのである。

2020東京五輪で外国の観光客が押し寄せてくる。簡単な英語を話せないようでは、まともな「おもてなし」ができない。せっかくの機会に外人たちと交流を深めたい。

その程度の動機で幼児に英語を覚えさせたいのなら、そうすることで失う犠牲は計り知れなく大きい。

「国連」「ミシュラン」「ノーベル賞」「アカデミー賞」「世界遺産」「ハロウィン」などなど、外国文化礼賛の雰囲気を盛り上げ、欧米礼賛の気質を植え込む。

こういう長期のしたたかな思惑を私は感じざるを得ない。

今の風潮を憂う英語学者が、何かに書いていた。『ある程度の割合の人が例えば、「大工さん」なりたいと思って、精進するのは全く構わないし、あるべき姿だと思うが、国民全員に幼児の頃から、大工さんになれるように仕込もうとするのは馬鹿げている。今の状況は、そのようなものだ。』



大英帝国の時代から、アメリカが覇権を奪い、英語の時代は続いてきた。しかし、これからもそれが続くとは限らない。その徴候があなたには見えてこないか?

危うきに近寄りたがる

2016年10月03日 | 英語関連
今はどうなのか知らないが、もう30年以上前に南朝鮮の南部の小都市に長期出張で滞在していたときは、何やかやで、移動によくタクシーを利用したものだった。

そのため、運転手に行先を伝える言い方や、「真っ直ぐ」「右へ」「左へ」などという基本的な朝鮮語はすぐに覚えなければならなかった。不思議と今でも忘れずに覚えている。

「オロンチョック ウロ カプシダ」「ウェンチョック ウロ カプシダ」などと言うと、運転手さんが朝鮮語でいろいろ言い返してくるのだが、何を言ってるのか分からないので、「何を言ってるのか分かりません」という言い方も覚えたはずだが、こちらは忘れてしまった。

他によく覚えているのは、タクシーのボディーが濃紺と白で塗装されていたので、まるで日本のパトカーのように見え、別に悪いことはしていないのに、タクシーを見るたびにドキッとしたものだった。

台北の街はタクシーが多く、いずれも黄色のボディーに塗装されている。

 台北市内の様子

若い運転手は、行先を伝えると分かったような顔で、とんでもない間違ったところへ向かって変なところで降ろすことがあるから要注意。私は、二度ほど経験した。

黄色のタクシーといえば、ニューヨークが有名で、イエローキャブと呼ばれてこれが全米に広まっていったようだ。

 アメリカのイエローキャブ

新婚旅行でも何度かイエローキャブを利用したことがある。帰りに立ち寄ったハワイでも確か黄色のタクシーだったと思うが、こちらはスラングで、「日本の若い女性観光客」を表すスラングになっていることで知られている。

サーフィンで遊んだ後で、「さて、今日はイエローキャブでも探そうか。」などという言い方を現地の若者はするようで、日本人の観光客を街でナンパしに行こう、という意味らしい。

そのココロは、イエローキャブは誰でも乗車拒否をしない、という。

シンガポールにいた時、箱庭のような小さな街にすぐ飽きてしまい、隣国のマレーシアやインドネシアにバスやLCCを利用して、何度も小旅行をした。

観光地が多くて、どこも日本人がたくさんいたが、そこで見かける日本の若いお嬢さんたちは概して「軽い」感じがしたものだ。

化粧は濃い目で、薄手のひらひらしたワンピースを着ていたりして、遠くからでも日本人観光客だな、とすぐ分かったものだ。ガイドブックを片手に持ってウロウロ歩いていたりすれば、もう間違いなく日本人だ。

ジャワ島など、一時は「ナンパされ目的」で多くの日本人OLたちであふれていたそうだ。英語も少し通じるし、何よりやさしく接する現地の青年が彼女達には素朴で魅力的に映ったようだった。

海外では自分を知る人と会うことはまず無い。その分、嫌な自分の性格を変えることも出来るし、少々大胆な行動すらとる勇気も湧くものだ。

その結果、運が悪いと悲劇が起きることもあるわけだ。

「君子、危うきに近寄らず」   これを忘れてはいけない。

英語ブームの犠牲者

2016年10月02日 | 英語関連
何と悲惨な事件なのだろうか。

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教育水準が非常に高く、
留学経験を将来に繋げられる国


教育機関の水準が非常に高いことで有名なカナダ。しっかり学びたい、留学経験を将来に繋げたいと考える方にピッタリの環境です。学校数が多く、英語+αのキャリアアップにつながるコースが充実しており、ほとんど方言のないニュートラルな英語なので、外国語としての英語を習得するには非常に適しています。また移民がとても多いため、留学生にも暮らしやすい国です。

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こんなキャッチコピーの誘いに乗って、意気込んで渡ったバンクーバーだったが、3ヶ月滞在して日常会話にも不自由しなくなってくれば、当初抱いていた警戒心もすこしずつ消えていき、そんなときカタコトの日本語でカナダ人が気さくに話しかけてくれば、海外での寂しい思いを癒してくれる友人ができたと、すぐに仲良くなったのであろう。

無一文でアル中のホームレスに言われるがまま、度の強い酒を買い与えるほど親密な関係にまでなったようだ。

  楽しいネイティブとの英語での会話

私の親戚のお嬢さんも、ワーキングホリデービザでオーストラリアに行き、1年間暮らした後、再度カナダに渡って1年間過ごしたと聞いた。

どうも、最近はこういうのが若者の間で流行しているようだが、知り合いの経験者に話を聞いたところでは、現地では日本人同士、気の合った者同士が集まって行動しがちで、思ったほど英会話は上達しないものだそうだ。

その点、短期語学留学となると、教室で待望の白人ネイティブの先生に格調の高い正当の英会話を教えてもらうわけなので、確実に上達するものと期待するわけだ。

   安全と高い教育水準が売り

中学・高校では英語が好きだったのに、日本人の英語の先生の読解中心の授業では、まったく実用英語は習得できなかった。今の仕事をもう少し続けて貯金して、カナダあたりに短期語学留学しよう、と考えるOLは後を絶たないようだ。

それなりの効果はあって英会話は上達するのだろうが、やはり英語を習得するという動機には少しズレがあって、今の現実から逃避しよう、ついでに海外生活もエンジョイしよう、などという付帯した動機の占める割合も大きいのではないかと推察する。

私の経験からすれば、何もカナダやオーストラリアくんだりまで行かなくとも十分英語など独学可能だからである。

私が1年間しゃにむに取り組んだ頃は、CDやDVDやVHSなどはこの世に存在せず、辞書といえば高校のとき使った、研究社の中英和辞典、毎月書店で1冊百数十円のテキストを買って、NHKラジオの「英語会話」を毎日欠かさず聴いたものだった。

今でも、人から問われれば私は自信を持って推薦する。朝昼晩と同じ内容の放送をするラジオの語学教育番組は、格好の教材である。

さらに、今はDVDで洋画を手軽に借りられて生の英語が何度でも、好きな場面は10回でも20回でも納得するまで聴いて、抑揚まで真似できるようになれる。

Youtube もすばらしい教材として利用できる。検索すれば、英語教育用の動画もたくさんあるが、例えば日本で英語を教えているALT(英語指導助手)たちがアップしている動画が面白い。

ALTを志望している海外の若者相手に、今自分が住んでいるアパートの紹介や、地元のお祭りに参加したときの動画などをアップしていたりして、外国人が抱く日本文化に対する印象なども分かって面白い教材である。

費やす時間も多くなくて良い。継続することが重要である。語学の習得は、もうこれに尽きるといってもいいだろう。継続を維持できる動機がしっかりしていれば、意外に苦は感じないものだ。

それが、出来ない人は、業者の甘言に乗せられて、大金を払い危険を冒して外国くんだりまで出向くが良かろう。

ただし、決心する前に考えてほしい。自分はそうまでして英会話を習得する必要が本当にあるのですか?グローバルが滑った、国際人が転んだ、などという風潮に踊らされてはいませんか?

日本の同時通訳の先駆者である、村松増美氏や小松達也氏らは同時通訳の会社、(株)サイマルインターナショナルを創設した当時は、一度も海外に出たことは無かったそうだ。決してこの二人は天才などではなかったと思う。




哀れ、ギロギ・アッパ

2016年10月01日 | 英語関連
南朝鮮の英語教育熱はすでに10数年前に始っている。これを、「英語教育が10数年進んでいる」という方もいるようだが、私は「悲劇は10数年前に始っている」と言うべきだと強く思う。

確か、10年ほど前だったと思うが、仕事でフィリピンのとある金属プレスの会社に2ヶ月ほどお邪魔した。そこは在日朝鮮人の会社であった所為で、工場長から幹部社員が全員南朝鮮人であった。

日本人の出向者も数人いたが、言葉のせいでほとんど交流はなく、雰囲気は最悪であった。そういうところに私が行くと、南朝鮮の幹部社員たちは、会う人会う人全員が、開口一番「英語がお上手ですね。どこで英語を勉強されたんですか?」と尋ねてきた。

「独学です。」と答えると、「どうやって勉強したんですか?トーイックのスコアは?」と畳み掛けてくるのだった。

まだ、社会人になったばかりのころ、南朝鮮に長期出張させられたとき、突然泊まっていた宿に、どこで聞いたのか英会話学校を経営する方が生徒を3~4人引き連れてきたことがあった。

物腰は柔らかだったが、ぶっきら棒に「英語を話す日本人がこの街に来ていると聞いて、私の生徒達を連れてきました。彼らと何か話してください。」と言うのだった。

半島南部の人口5万人くらいの小都市だったが、英会話学校は数校あったようで、南朝鮮はもう30年以上前から、英語教育熱が高かったことがわかっていた。

フィリピン工場の南朝鮮幹部社員の一人が、「私たちの国では、子供のうちから英会話を覚えさせようとする親が一般的で、『ギロギ・アッパ』って呼ばれるてるんですよ。」と話してくれた。

何のことですか、と尋ねると、「母親と子供は外国に留学していて、父親は自国でせっせと仕事をする。年に数回子供と母親に会うために留学先を行ったり来たりするんです。渡り鳥みたいにね。」

後で調べると、ギロギとは「雁」、アッパとは「父親」という意味だった。

なぜかそこの工場長は英語を話せず、その代わりなのか日本語を流暢に話したが、彼も年頃の娘さん二人には英語が話せるようになって欲しかったので、フィリピン赴任が決ったときに、迷わず家族を帯同して、マニラのアメリカンスクールに入れたそうだ。

そして、フィリピン人は英語を話すので、今この国では南朝鮮人の学生・社会人を対象とした短期留学の英会話スクールが雨後の竹の子のように出来ていると、教えてくれた。

  比島、セブの海岸

カナダやオーストラリア、シンガポールに留学させるよりコスト的に比較にならないほど安上がりだと力説していた。これが凡そ10年ほど前のことだった。

そして、遅ればせながら日本の南朝鮮の後を追いかけて同じ状況を迎えているということが、今朝の新聞記事に書かれていた。

英会話学校大手のECCが、フィリピン・セブ市に英会話学校を開校するそうだ。小学・中学・高校生から社会人を対象に、定員72人。一日8時間英語漬けの授業がセールスポイントで、半日はマンツーマンで英会話を学ぶそうだ。

専用宿舎には日本食も用意されて、料金は宿泊費込みで、1週間 約83,000円だという(渡航費別)。

  セブ市内の風景

しかし、ECCの参画はすでに遅い感じがする。フィリピンの日本人相手の英語学校は今に始ったことではないようだ。ネットで検索すると、すでにいろいろあって選択に困るくらいだ。

  選択に困るほどある語学学校

「英会話はネイティブに習わなければ習得できない」「英会話は小さいときから習わなければ話せるようにならない」「英会話は学校の英語の授業では身に付かない」などなど、英語が不得意な日本人の固定観念はゆるぎないものとなっている。

  ネイティブに習えば大丈夫?

  英会話学習は道楽か?

金と時間をかけて日本の将来を担う子供たちをフィリピン人やシンガポール人、マレーシア人、南朝鮮人たちのようにしようとしている現象に少しでも疑念を感じさせる名案は何かないものか。

まだ、ギロギ・アッパのような渡り鳥家族が社会現象に出てこないだけマシだとは思うが、いずれそうなるのだろうか?


日本語の魔力

2016年09月27日 | 英語関連
19世紀の中ごろ、フランスを中心とした欧州全体で流行した「日本風の趣味」はジャポニズムと呼ばれて、画家や作家達に大きな影響を与えたそうだ。

万国博覧会に出展される日本の美術品や工芸品は、特に彼らの関心を引き、北斎や歌麿の浮世絵は、ゴッホなどの画家達に絶大な評価を受けていたらしい。

   クロード・モネ作品


日本から送られた陶器の包み紙に使われていた古い浮世絵が、彼らの目に留まり、陶器よりも浮世絵が欲しくて大金を投ずる芸術家が現れた、というのはよく聞いた話だ。

イタリアやフランスの写実的な絵画は確かにすばらしいが、広重や北斎の浮世絵に見られる大胆で奇抜な構図は、おそらく当時の欧州の芸術家たちの度肝を抜いたであろう事は、容易に想像できる。

  北斎・ 甲州石班澤

日本人の美的センスに「粋(いき)」と呼ぶ独特な感覚があって、その反対の「野暮」と並んで、古典落語や時代劇などでも耳にする。

先日、BSの「吉田類の酒場放浪記」を観ていたら、東京の湯島だったか、「小倉アイス」発祥のお店「みつばち」に、吉田類が立ち寄って、その元祖小倉アイスを食べていた。

最中を注文して、上下の皮に挟まった小倉アイスを手に取った吉田類が、「これ、どうやって食べるんですかね?」と尋ねると、目のクリっとした店員さんが、「手で持って、がぶっといくのが粋なんです。」とこたえていた。

「おっ、この店員さん、江戸っ子だなあ」と、私はなんだか嬉しくなった。

吉田類が居酒屋に入って、カウンター越しに居酒屋の主人と掛け合うところが好きだが、その時の主人はかつてフランス料理のシェフだったそうで、一流ホテルで腕を振るっていたという。

そこで、吉田類が、「どこのホテルのシェフだったんですか?」と聞くと、いくつか名前を挙げたが、「いろいろなところで仕事したから・・・」と多くを語らなかった。

その居酒屋で暫く飲み食いしてから、いつもの通り吉田類が居酒屋を出て一言感想を言うのだが、「・・ご主人はフランス料理のシェフだったそうでねぇ・・でも、あんまり聞くのはね・・」と言ったが、私はこの言葉に続けて彼は、「・・・野暮だから。」と言いたかったのだろうと思った。

こういうところは、実に日本風で、以前私はこういう思ったことを口に出さない日本人が嫌だったが、最近は逆に何でもズケズケ知りたがり、思ったことをすぐ口に出す「日本人離れ」した態度が嫌になってきた。

[ tatamiser ] という言葉があって、読み方は「タタミゼ」というフランス語である。タタミというのは、「畳」のことでフランスの造語だが、当初使われ始めた頃は日本風の室内様式を取り入れる、という意味であったそうだ。

   典型的な日本間

それが、次第に広い意味で使われるようになってきて、今では「日本風の」とか、「日本びいき」、「日本人みたい」という意味で使われているらしい。

最近立て続けに英語教育の若年化に懸念する知識人たち、(ほとんどが、英語の専門家達)の著作を読んだのだが、その中のどれかにこんなことが書かれていた。

それは、日本に長いこと住んでいる欧米人が久々に生まれ故郷に帰ると、決って「あなた随分変わったね。何となく丸くなっておとなしくなって、まるで日本人みたい。」と言われるそうだ。

恐らくこれは、日本語を覚えて、上達した日本語で会話をしていた結果生じた現象ではないか、と推測できるのだが、確かに Yes/No を明確にしなかったり、主語を省いたりする日本語の特性が大きく影響しているからだろう。

これを逆に見ると、英語という言語が上達していくと、次第に思考や対人姿勢なども欧米人のようになってきて、英語などに毒されていない日本人たちとは付き合いがギクシャクしてくることになりそうだ。

言葉は文化そのもので、その言葉、母国語をないがしろにすると、その文化は確実に滅びていくのは、東南アジアのかつて植民地だった国々を見ればよくわかる。

今、日本はそれに向かって舵を切っているわけだ。