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孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

健康志向はネタになる

2017年04月08日 | 社会観察
私はどうも略語が苦手で、横文字でも日本語でも、元の言葉の意味をしっかりと理解しないと、まったく頭に残らない性質(たち)である。

ガラケーなどつい最近意味を知ったし、「リア充」などは目にこそすれ、読み方すら分らないでいる。

英語の言葉もカタカナになるとすぐに短く略されて、「ポリコレ」などと使われる。花咲じじいの、ポチがここ掘れのことかと、ボケてみたくなるが、何とポリティカル・コレクトネス。例の差別言葉規制の意味であった。

そして、ごく最近お目にかかったのが、「難デキ」である。これは最近某週刊誌がスクープした、結構ショッキングな記事から知った。

答えは、「難消化性デキストリン」という澱粉の一種の食物繊維で、魔法の成分という異名をもつ優れものらしい。いや、『だったらしい』と言うべきか。

これもトクホという略語で広く人口に膾炙している、【特定保健用食品】に多く使用されているので、あのマークのついた飲み物などはすっかり一般化している。

  効果ナシ!!


消費者庁の定義によれば、特定保健用食品とは「許可等を受けて、食生活において特定の保健の目的で摂取をする者に対し、その摂取により当該保健の目的が期待できる旨の表示をする食品」とされている。(下線部がお役人らしい表現)

上の写真の飲み物は、通常の飲み物より値段が張る。それというのも、トクホの御威光が影響しているためで、テレビコマーシャルでも盛んにそこを強調している。

この難デキは、見た目は白い粉で、これをチョちょっと加えることで、『脂肪の吸収を抑え』『糖の吸収をおだやかに』するので、『食後の血糖値が気になり始めた方』におすすめ出来る、というわけである。

 トンデモ成分だ!

私はもう十数年前だったか、ヘルシア緑茶がテレビで宣伝され始めた頃、何かでどこかの大学の食物栄養学の教授が、あんな物買うより、一日一杯少し濃い目のお茶を飲めば同じことだ、と書いていたのを読んで、そちらを信用していた。

更に、彼女はそこで、バナジウムを含んだミネラルウォーターが売れれていて、いかにも癌を抑えるだのなんだのと効能をうたっている。

しかし、マウスの実験では確かに効果はあったのかもしれないが、人間に換算するとしたら、毎日風呂桶一回分の水量を飲み続ける必要があると、書いていたので、あのテレビCMは詐欺じゃないか、と憤慨したものだった。

同時に私は、トクホという制度を作った側にも、自分たちの天下り先を確保するという、あざとい役人勘定が作用していると感づいていたので、店に行ってもトクホのマークが付いた商品などは手にしなかった。

役人と販売する企業側との狡猾なわなにマンマと引っ掛かっていた消費者こそ、いい面の皮であったわけだ。

では、事実はどうだったのか。

2010年、筑波大学の鈴木正成名誉教授(故人)と京都薬科大学講師の沼尾成晴氏は、日常の食事と共に、市販の難デキ入り飲料、グァバ葉茶ポリフェノール入り茶飲料、普通の水出し煎茶を200ccずつ飲んでもらった結果、血糖値の上昇を抑制に有意差を示したものはなかったという。

同じく、脂肪に関しても、メーカーの提出した試験結果には「まやかし」があって、科学的にはありえないと、食物栄養学の専門教授らの精査によって、楽々と脂肪吸収抑制効果のあるといえる試験結果でないことが論破されたのだった。

今回、千葉大学名誉教授の山本啓一氏(生理学・生化学)や、群馬大学名誉教授の高橋久仁子氏によって見事に嘘が暴かれたわけだが、もう少し早く何とかならなかったものかと悔やまれる。

松谷化学工業は兵庫県伊丹市にあり、難デキの国内シェア8割を誇る会社だ。ここの試験データを食品メーカーは使い回しして、トクホ申請していたようで、知ってか知らずか、非科学的な試験データが一人歩きして、いつの間にか市場規模が6300億円以上にまで大きくなっていたわけだ。

 儲かりました!

こういう、健康食品やサプリメントに関する「まやかし」は、この世に溢れている。胃で吸収されないコラーゲンを、これを食べると肌がツルツルになるなどと言うのは、もはや信ずる方がまともではないと思うのだが、溺れるものは藁でも掴むのだ。

日曜日の早朝にBS放送を観て御覧なさい。もはや嘆かわしい事態です。

 一度買うとしつこいんです。

ただ厄介なのは、『プラセボ効果』が現実に存在することだ。プラセボとは偽の薬のことで、例えばただの小麦粉を、「これは高価な鎮痛剤で、すぐに効果が現れます。」と言って飲ませると、スーッと痛みが消えることがあるそうだ。

人間は、信じ込むことで自分の体を治癒させる力があるというなら、もしかして、「薬など飲まなくても、血圧は上がらない」と頑なに思い込めば、それで案外効果があるのかもしれない。この考え、ちょっと虫が良すぎるか・・・。

店が古けりゃ良いってもんじゃない。

2017年04月08日 | 社会観察
もう10年以上前になると思うのだが、緑茶のカテキンがもてはやされて話題になり、ヘルシア緑茶だとか、トクホだとかいう新語が盛んに語られ始めた時期があった。

それより更に10年以上も前だったと思うが、全国一のお茶の産地である静岡で知らない人はいないほど歴史あるお茶屋さんが、自分の工場で製造して販売していたお茶に、何と人工調味料や緑色の着色剤を使用していたことが発覚した事件があった。

ありていに言うと、いつのお茶だか、どこのお茶だか分からない安物の荒茶という原料の茶葉に、味の素と緑色の色素を混ぜて製茶に仕上げ、体裁のいい袋や缶に詰めて、【創業天明元年】○○堂の静岡茶などとして売っていたのだ。

 江戸時代に創業が自慢

どのように発覚したかというと、製茶工場の外に使用した化学調味料とか着色料の空き缶などが大量に詰まれてあったのがバレたからだった。

この事件は、当時かなり地元では話題になり、私の記憶では、周囲の反応は、「あの店でやってるなら他の店も同じ事をやってるだろうね。」というものだった。

お茶の生産量は静岡が全国一だが、その割合は50%を切って、今では多分35%位で2位の鹿児島とほとんど差は無いだろう。しかし、店で売られている緑茶はその7割近くは「静岡茶」と表示されているそうだ。

 お茶は捨てる部分がゼロです

貿易統計を調べれば、中国から緑茶が年間何十トン輸入されているか調べればわかるだろうが、果たして店先で「中国産緑茶」と表示された煎茶は売られているのだろうか。知らない方は平気だろうが、実情を聞くととても飲む気にはなれない。

この静岡というお茶の産地にも、支那人が流暢な日本語を操って、支那産の緑茶を営業して廻っているそうだから、はて、いったいどこで使われているのだろうか。

専門業者に訊いても、「さあ、どうだかなあ・・・」とお茶を濁されてしまうのがオチだろう。

雷雲、雷、雷雨で豊作

2017年04月04日 | 社会観察
注連縄(しめなわ)、その由来を知ってからずっと疑問に感じていたことが、スーッと解決したようなニュースだった。

  この意匠の見事さ

昨日の昼休みに何となく見たネットのニュースは、午後になっても何だか心をウキウキさせてくれているようで、こういうのを朗報っていうのだと感じた。

以下、産経ニュースから抜粋・・・・・・・・・


「雷の多い年は豊作」伝承は本当だった!島根の高校生が実験で突き止める

産経新聞 4/1(土) 14:38配信

「雷の多い年は豊作」伝承は本当だった!島根の高校生が実験で突き止める
「雷の多い年は豊作」伝承は本当だった!島根の高校生が実験で突き止める

 ■松江 カイワレで、学会誌掲載

 「雷の多い年は豊作になる」という言い伝えは本当か-。この疑問の解明に松江市の池田圭佑さん(18)が開星高校(同市)に在学中、カイワレダイコンと放電装置を使って取り組み、「雷を受けると植物は成長する」との実験結果をまとめた。この研究成果は学会誌に掲載され、専門家からも評価を受けた。

  古代人は知っていた

 池田さんは、校内にある実験用の放電装置で落雷と同様の状態を作り、カイワレダイコンの成長の様子を調べた。この結果、種子に50秒間放電してから育てると、放電しなかった種子に比べて成長が約2倍速かった。

また、放電を5分間続けた水道水と、通常の水道水を使って栽培したカイワレダイコンの成長の違いをみたところ、放電した水で育てた方が通常の水に比べて芽の伸びが約2倍になった。

 使った水を分析すると、放電した水は通常の水に比べ、窒素量が約1・5倍だった。窒素は肥料の3要素の一つとされることから、「放電で空気中の窒素が水に溶け込み、成長の違いに影響した」と結論づけた。

(中略)

 京都大大学院エネルギー科学研究科の岸本泰明教授(プラズマ・核融合科学)は、種に直接放電することで成長が促進される原因は不明としながらも、「放電によって空気中の窒素が水に溶け込み、カイワレダイコンの成長が促進されたことを実験で突き止めた点は素晴らしい」と話している。

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  出雲大社の注連縄

注連縄が、雷雲と雷雨、紙垂(しで)が稲妻を表わしていると知ったのは、つい最近だったが、それ以来注連縄を見るたびに、古代人は経験則から雷と豊作の因果関係を知っていたのだろうか、と言う疑問が鬱積していた。

松江市の池田君は、この私のなんとなく鬱々とした心のわだかまりのようなものを、科学の力で吹き飛ばしてくれた。

そして、短絡的かもしれないが、日本人の古代からの自然との係わり合いの密接さが、これまで以上にグッと強いものに感じられるのだった。

科学を超越するような神秘性には、感服させられる。

詐欺くらぶ女社長

2017年03月30日 | 社会観察
格安ツアーの海外旅行でもいいから、思い出に海外へ、と楽しみに計画した庶民を食い物にして、最期の蓄財に励んだのだろう。

こういう悪質な倒産劇を見ると、陰であれやこれや入れ知恵していたであろう弁護士や税理士たちがチラチラ見えるようで、腹が立つ。

  ろくな死に方はすまい

本当にすまないと思うなら、私財を投げ売ってでも、被害者に弁済したらどうだ。テレビカメラの前で頭を垂れて、女の涙を流せば世間は同情してくれるとしたら、日本人は何とも甘っちょろいものだろうか。

テレビに向かって唾を吐きたくなるような謝罪会見だった。

多すぎるコンビニ、速すぎるアマゾン

2017年03月23日 | 社会観察
サービスは良いに越したことはないようでも、それなりに限度というものがあろう。

最近のコンビには、高齢者の食事の「もう一品」をターゲットにしたりするものだから、黎明期にはまず目にしなかった、白髪頭のお年寄りをウジャウジャ見かけるようになった。

そして、コンビニ自体も本は扱う、公共料金納付は扱う、切手も売るはがきも売る、揚げ物も、おでんも、肉まんも、何でもかんでも扱うので、店員の仕事振りを見ていて、私は同情してしまう。

さらに、近所の主婦らがよりによって昼休み時に電気料金か何かの支払いに来たりして、レジを一つ占領してしまうことがある。サンドイッチとコーヒー牛乳を手に持ってレジに並んでいて待ちきれなくなった気の短い私は、何度も商品を棚に返して、店を出たことがある。

手馴れたアルバイト店員ならいいのだが、運悪く新米店員に当たったときなど、その手際の悪さにため息が出てしまうことすらある。

コンビニの入り口にはアルバイト募集の貼り紙が年中貼ってあるから、店員になり手がいないことがよく分る。

  コンビニ、多すぎ!

それはそうだろう。私が住む人口たかだか2万人の田舎町ですら、コンビニが5店ある。時間帯によってはコンビニエンス(便利)でもなんでもない、おにぎり1個買うために長いこと我慢を強いられることが多い。

スーパーマーケットにも似たようなものが並んでいて、しかもわずかだが値段は安いものだから、私は最近そっちの方へ行く傾向がある。

過剰サービスと過当競争は、物が有り余るデフレの状況でもやることを増やし、人手不足を招き、人口減少、人口減少という掛け声に乗って、外国人労働者を増やすことになっている。

果たして、消費者は更なるサービスを求めているのだろうか?

以前このブログにも書いたが、田舎の書店は、雑誌と漫画の店に変貌してしまったので、私はアマゾンをしょっちゅう利用する。

しかし、最近のアマゾンはちょっと便利すぎるように感ずる。早い時は注文して1日で届くことがある。要求しなくても届けられることがあるので、仰天してしまうほどだ。

配達する側は、それだけ荷物が増えると、さぞかし儲けも増えただろうと思ったが、実情はまったく増えていないそうだ。それどころか、薄利多売状況で、何と人手不足なのだそうだ。

  今やブラック企業??

配達するドライバーだけではない、地方にある中継地の仕分け作業を担当する作業員が不足しているようだ。

物は余っているのだが、サービスを上げようと、過当競争になり過剰サービスとなり、そのための作業量は増え、人手が不足する。この悪循環を断ち切るのは、消費者のちょっとした意識変革であろう。

元来日本人は列に並ぶのは平気だったではないか。美味しいものを得るためなら、雨の中でも長蛇の列に並ぶではないか。

行き過ぎたサービスには、しっかりと「NO!」の意思表示をしようではないか。


世間に溢れる、「安全だが安心できない」ものたち

2017年03月21日 | 社会観察
築地市場は見たことが無いが、その老朽化はかなり酷い状態で、その上いつ事故が起きても不思議ではないくらいの混雑振りだという。

さらに少し前、あの近辺にはGHQが造ったクリーニング工場があって、当時はそこでドライクリーニングに使用する有機溶剤(ソルベント)が大量に使用されていたので、土壌はかなり汚染されているのではないか、と報道されていた。

こんなことは、以前から市場関係者は皆知っているそうで、ただ風評被害を恐れて口にしないだけであったようだ。

アメリカのビキニ環礁の水爆実験で被爆した、焼津の漁船第五福竜丸が持ち帰った「原爆マグロ」や「原爆サメ」がどこかに埋められていることも、みんな知っているとネットに出ていたが、それもこれも小池都知事に言わせると、アスファルトとコンクリで地面が覆われているから大丈夫だということらしい。

豊洲は、安全だが安心ではない、と都知事は言うが、この世はそういうもので溢れかえっているのではないか。

今まで、つい立ち寄ると買っていたコンビニのチキンは、そのほとんどが支那産のチキンを使用しているそうだ。私は、そのことを知ってから、チキンから手を引いた。もう絶対に買わないと決めた。

  この際、縁を切った

検査をしたから大丈夫だというに決っているだろうが、支那人たちがまともに鶏を育てているわけが無い。いくら美味しくても、安心して食べる気がしないのだ。

我家は、浜岡原発から40キロほどのところにある。福島のような事故が起きればどこかに避難しろということになるだろう。私個人は、再稼動には特に反対しないので、中部電力の管理能力を信頼するだけだ。心配しはじめたら、キリがないのでしないことにした。

   高い壁を建設した

このブログを始めて2年以上になるが、始めた頃から私は高齢者の運転する車がコンビニに突っ込んだり、駐車場に止めた車が急発進して地上に落下したりする事故を心配して、ブログネタにもしてきた。

メーカーは自動運転など考えるより、こちらの対策を何とかすべきではないかと、心配した通りの成り行きで、内心私は「そら見た事か」と感じていた。

  今後も減らないだろう

私は、今でもなぜ自動運転車の開発をそれほど急ぐのか理解できないでいる。どんなに安全を追求しても、車を構成する何万点という部品すべてに不良品が使われないという保証はない。

1台に何百個も使われる半導体は不良率がppmという単位で表される。不良率1ppmとは、100万個作ると1個の不良品が混じるという意味だ。トヨタ自動車だけで年間800万台弱販売する昨今だ。これを安心レベルというのか否か。

AIという人工知能が人間を凌駕するのはもうすぐで、IoTとは身の回りの物がインターネットでつながることで、益々便利になっていくそうだ。

水田の水管理もインターネットで便利になるそうだが、それで作られた米はより安くて美味しいものになるのかどうだか・・・。

  Internet of Things

昔も今も、世の中が安全で安心して暮らせたことなど無かった。事故や事件は毎日どこかで起きるし、何よりこの国は台風や地震などの怖い自然災害が避けられない運命にある。

科学技術に待ったを掛けようとしても、それは無理だろうしすべきではないだろう。便利さが増せば、故障や事故はますます複雑になっていき、その解析は困難になる。

安全だが安心ではない、などと躊躇するくらいなら、最初から大騒ぎしなければ良かったのではないかと、チャチャをいれたくなる。


人に人柄、国に国柄

2017年03月19日 | 社会観察
ほんの1年弱だが私はシンガポールに赴任していた経験がある。

先進的な多文化共生国家だということで、さぞかし異国情緒が味わえるだろう位の、チャランポランな期待を持って乗り込んだのだが、ひとことで言うと、予想以上の緊張感を強いられる、モザイク模様のような箱庭小国だというのが私の抱いた印象だった。

IR(統合型リゾート)や観光政策、外国人労働者を考える時、いつもシンガポールのことが参考にされるようで、そのたびにまるで上手くいっているお手本のように扱われているとしたら、私はとても賛成できない。

むしろ、反面教師としてもう少し実情を、特に影の部分を注視して参考にした方が良いと思うのである。

シンガポールは人口600万人弱、小豆島程度のひし形をした島で、マレー半島の先っぽに位置している。75%が支那系、14%がマレー系、9%がインド系、その他様々な民族から成り立つ都市国家である。

一人当たりの国民所得は世界3位。学力レベルは東南アジアでもトップクラスということでよく話題になる、金儲けに熱心なガリ勉国家といった感じの小国だが、土台になっているのは何をするにも競争という観念で、そのため国民にはかなりの緊張感が漂っているようだ。

日本は、東京五輪を控えて労働人口比率が下がっていき、建設労働者が足らなくなると騒がれた。実情はあまり詳しく知らないが、恐らくその関係業者が着々と外国人労働者を手当てして、現場に送り込むことになるだろう。

  肌の色が異なるので分かる

私がシンガポールにいた時も、多分インド、バングラデシュ、スリランカなどから来ている作業者たちが、トラックの荷台に乗って工事現場に向かうのをよく目にしたものだった。

女性の社会進出を助けているメイドは、フィリピンとインドネシア人がほとんどで、人口比率から見ても、工事現場作業者やメイドなどは、それ専門の外国人たちに任せられているようで、完璧に棲み分けが成されていると感じた。

以前、ブログにも書いたが、オーチャード通りのラッキープラザというビルは、リトル・マニラとも呼べるほど、フィリピン人たちで溢れかえっている。

日曜日はメイドさんたちも休みなので、そこに集まってきて、通路でピクニック気分で食事したり、おしゃべりに興じたりしている。

東京の大久保はちょっと前はコリアンタウンと呼ばれていたが、今では、急増しているネパール人が集まる「リトル・カトマンズ」二変貌しているそうだ。

シンガポールではまったく珍しくなかったイスラム教徒の女性たちだが、地方の街でも近頃その手の女性たちが自転車で通勤しているのを見たりすることがある。

  あの格好、夏は暑そうだ

今の我が国の法律では、外国人が日本に来てとりあえず難民申請すれば、別に難民認定されずとも、申請した時点で滞在が可能になり、就労さえ可能になるという。申請するだけでいいのである。

他にも、様々な入り口があって外国人労働者は増え続けているようだ。増えてくると不満を口にするようになる。その不満を増長して煽ろうとする、人権派左翼集団が我が国には存在する。

  着々とEUの轍を踏む

大手の工場が安い労働力を求めて雇い始めれば、その下請けの中堅工場、中小企業も同じ事をする。

かくして、日本の大手工場のある地方都市には、外国人労働者が次々に増殖して行き、地域社会に入り込んでいる。彼らはやがてカップルとなり、子供を産んだり、母国から呼び寄せたりする。

その子供たちの教育の心配も新たな悩みの種となり、私の住む街の近くの町などでも、小学校に入学してくる外国人たちへの対応で苦慮していると聞いた。

グローバル化に伴う多文化共生社会の実現などと、街の広報などで呼びかけられても、問題はかなり複雑で、理想を語っている時期ではなくなっている。

人に人柄があるように、国には国柄があるという。同様に、我が国の地方都市にはその大小に関わらず「町柄」というものが存在する。

地域社会は昔と比べて大きく変化しているが、それでも何とか町柄を保とうという努力は常になされていて、最低限の国体ならぬ、「町体」は維持されている。

多文化共生とはどういうものか、日本人はこれまで経験がない。しかし、河の向こうでは、その弊害がどういうものなのか、何が進行中なのかを見ることができる。

現政権は、今進行中の外国人労働者の増加対策は『移民政策』ではないと否定するが、外国人が増え続けている現実への直視と、近未来への対策は、我々一人一人が真剣に考える必要がある。



呑気な「銃後の守り」

2017年03月19日 | 社会観察
独立総合研究所の青山繁晴は、今や参議院議員となって、相変わらず大活躍されている。彼の言説は非常に分かりやすく、共感することが多いので以前から動画を拝聴してきた。

その青山氏が以前彼の動画の中で、今渦中の人となっている安倍総理夫人のことを話していたことがあった。

それは、まだ青山氏が共同通信社の政治部記者だった頃、当時の安倍議員を自宅に訪問したときの話だった。

その時の安倍さんの自宅の居間には、暖炉があってその両サイドに大きなスピーカーがデンと鎮座していたそうだ。

居間で安倍議員と話をしていると、ご夫人が居間にやってきたので、「ああ、奥さんがいらしたのか・・」と青山氏は思ったそうだ。居間に通されてから、お茶も水も出されなかったので、てっきりみんな外出していて安倍さんだけかと思ったようだ。

  お嬢様育ちなんで・・

ご夫人は、二人が話を続けているその居間で、レコードをかけてクラシックの一曲を大きなボリュームで最後まで聴き終わり、何事も無かったように居間を去っていったそうだ。

青山氏はもともと地声が大きいので、安倍さんは彼のお話は聞けただろうが、安倍さんは声を張り上げて話すタイプではないので、青山氏は安倍さんが何を話しているか聞き取れなかった。

安倍さんは、奥さんに飲み物を出してくれとか、少しボリュームを下げてくれないか、などとは言わなかったが、「ああ、そういう家庭なんだな・・」と青山氏はただ納得しただけだったようだ。

この話は、いま野党が大はしゃぎで騒ぎまくっている問題が出るより、随分前の動画の中で青山氏が語っていたことなので、青山氏は安倍夫人の批判のためとか、暴露話としていたわけではない。

彼女のお嬢さんぶり、純粋無垢さを示すエピソードとして、何かのついでに飄々と話していたと思う。

私は、安倍さんが小泉首相と北朝鮮に乗り込んだとき、小泉を後押しした気概ぶりを高く買っていたのだが、その後チョコチョコ雑誌や週刊誌に顔を出す、彼のご夫人には一抹の不安を禁じえなかったものだ。

今回の騒動が起きた時は、「とうとう起きたか・・・」と感じたのが私の反応であった。

移民社会に進行中

2017年03月18日 | 社会観察
先日、どこかで見たか聞いたかした地方のニュースで、こんなのがあった。

地域の防災訓練をしたところ、訓練に参加した地域住民の中に、イスラム教徒の外国人がいたそうだ。炊き出しの訓練をしたところ、彼らは信仰上豚肉を食べないようなので、非常食もそれなりの物を準備する必要があるとかなんとか・・・

いったい、そこまで心配する必要があるんだろうか。

一方、ネットの動画で、ある評論家が、「東京の下町の美味しいラーメン屋に、中東からの留学生がいっぱい集まっている」と話していた。

なぜか、中東の学生に好まれる味なんだそうで、日本人客が座れないほどいつも混みあっているそうだ。

評論家曰く、「でもそこは、豚骨ラーメンの専門店なんですよね(笑)」

大丈夫なのかと彼らに尋ねると、「外国に出てるから、神様見てない。」などと言って笑い飛ばしていたそうだ。

地方の街にも、気のせいか、ひところのブラジル関連の店に代わって、最近ベトナム料理店などのエスニックレストランが目立ってきている気がする。

支那や朝鮮半島系の人は、一見日本人のように見えるが、インド系、中東系、東南アジア系は電車の中などで見かけると、一目でわかり、確かに近頃珍しくはなくなっている。

この国は、着実に移民国家になりつつある。そして、今のままなら今後短期間で急激にそれが顕著になっていくことは確実だろう。

カミさんにそんなことを話したら、「人口が減ってくんだから、仕方ないじゃない・・」と返された。しかし、それでは今のヨーロッパの二の舞になることは必至ではないか。

  55%が移民

ロンドンに住む日本人の方が、ぼやいていた。「街を歩いていると、道を訊かれる。」そうだ。それほど、ロンドンの街は、移民が増えていて、今やロンドン市内に住む白人は45%と、半数を切っているそうだ。

私もインドネシアに観光に行ったとき経験したが、朝の日の出前、真っ暗な時間にも関わらず、ホテル近くのモスクから馬鹿でかい音響ででコーランを読み上げるのが街中に響き渡り、飛び起きたものだった。

ロンドン市内でも同じ状況だそうだ。

彼らに苦情を言っても、キリスト教の教会の鐘はうるさくないのか?と反論されて、聞く耳をまったく持たないそうだ。

対立は、そういうところから始るのだ。

  移民問題は厄介

どこの地方にも、たいてい海外との友好を図ろうという組織があって、在日外国人たちとお料理教室を開いたり、クリスマスパーティをやったり、学生を海外の姉妹都市に送ったり受け入れたりしている。

その程度のお楽しみ会で時間を過ごすのと、実際にアパートの隣に異教徒や異文化で育った外国人たちが移ってきたり、地域社会に住みついたりし始めると、次第に軋轢が生じてくるのは、どうしようもない。

そして、その数がある程度の勢力となると、ますます厄介となり、また困ったことにそういう「弱者」を「救済」したがる左翼プロ市民たちや、反日政治家などが加担し始めて、問題は先鋭化していくことになるわけだ。

この国は、朝鮮半島出身者のことだけで、どれほど骨を折っているか。さらに今急速に増えつつある支那人たち。

この上、ブラジル、モスレム・・・

グローバルがすべったの、国際化がころんだの、友好だ、共生だと、言葉に踊らされていると、EUと同じ結果になることは火を見るより明らかだろう。

日本は外国人にとっては天国であり、桃源郷である。

人助けをすると気分はいいのは理解できるが、お人よしにも限度というものがある。





外国人家政婦解禁だが・・・

2017年03月05日 | 社会観察
我が国のお役人や政治家たちは、観光政策だのカジノだのというと、すぐにシンガポールをお手本にしたがるようなところがあるような気がするが、どうだろう。英語化政策にもそんなところはあったのかもしれない。

何せ、政府に近づいて耳打ちする「有識者」という連中は、国の先行きよりも自分やパトロン集団の利益になりさえすればいいのだから、当然悪いことは隠して言わないものだろう。

シンガポールは面積が東京23区とほぼ同じだが、人口は東京都23区の総人口の6割弱。中華系、マレー系、インド系などの多宗教・多民族で構成され、「明るい北朝鮮」と揶揄されるように、一党独裁政権が支配する親中都市国歌である。

私は5年前に1年弱赴任したことがあるが、箱庭のような狭苦しいところに様々な民族がウジャウジャいる落ち着きの無い、無味乾燥の人工都市という印象しかない。2~3ヶ月目で飽きてしまい、嫌で嫌で楽しいことなどあまりなかった。

    フィリピン人たちで溢れる
シンガポール・オーチャード通り沿いにあるラッキープラザ

私がいたレンタルオフィスは、繁華街のオーチャード通り沿いの高島屋デパート入ったビルにあり、通りの反対側には、雑貨や家電やフードコートが集まったラッキープラザというビルがあった。

そこは、フィリピン人の出稼ぎ労働者の溜まり場となったビルで、いつも母国に送金するフィリピン人たちでごった返していて、タガログ語が飛び交っていた。

そのほとんどは、シンガポール人家庭に住み込み家政婦として働く女性だった。

ちょっと前、ネットのニュースで、東京都でもいよいよ外国人家政婦が解禁となったと報道されていた。曰く・・・

『東京都は2月23日、外国人による家事代行サービスを手掛ける6つの業者を認定した。国家戦略特区制度で外国人家政婦の参入が可能となり、3月以降に掃除や洗濯などのサービスの提供が始まる。』

『事業者は、ビザの条件が整ったフィリピンから、6社で計92人を受け入れる。3月以降順次、炊事、洗濯、子どもの世話といった代行サービスを提供する。』

小池都知事は、

『・・交付式で、「女性が活躍できないのは人口減少社会の中で非常にもったいない話だ。皆さまの協力で、東京を元気にしたい」と激励した・・・』そうだ。

日本の場合は、シンガポールのように住み込み家政婦というわけにはいかないだろうから通いの家政婦さんということになるのだろうが、この制度が日本人の一般家庭に定着するとは、私には到底考えられないのである。

     住み込みメイドの部屋
シンガポールには、3畳ほどのメイド部屋があるのが一般的だ


もし外国人家政婦が順調に増えていくとしても、それに伴う様々な問題が新たに発生してくることだろう。もしかしたら、血なまぐさい事件なども起きるかもしれない。

私がフィリピンに赴任していた時は、工場長の判断で日本人はそれぞれ個別の一軒家に住み、洗濯・掃除を一人の家政婦が通いで担当していた。しかもその家政婦は、工場従業員幹部の親戚に当たる中年女性だった。

住み込みもそうだが、見ず知らずの家政婦を雇うのは危険だ、というのが工場長の判断だった。実際、私が赴任中にも、メイドがらみの事件は、大小頻発していた。

日本人が定期休暇で日本に帰る。許可を得て、その間メイドも故郷に帰省する。日本人が予定通りフィリピンに戻ってきて、部屋に入った時クロゼットの中から男が飛び出してきて、背中を一突きして殺し、金品を奪って逃走する。

メイドは不在で、アリバイがある。しかし、犯人が捕まり取り調べた結果、男はメイドの知り合いで、メイドが手ほどきをしていたことが発覚したのだった。日本から戻ってきたばかりで、現金を持っている確率が高い。メイドは帰省中というアリバイを作りやすい。

こういうパターンの事件は大して珍しくは無く、工場長も我々に注意するよう話してくれたものだった。

シンガポールでは、雇う側と外国人家政婦側とのトラブルを避けるため、雇う側には事前の研修を義務付け、ノウハウの講習を受けさせている。

また、家政婦側には半年ごとの健康診断と、妊娠検査を雇用者の負担で受診させ、もし妊娠が発覚した場合は労働ビザを取り上げ、強制帰国させている。

フィリピン人はほとんどがカソリック信者で、避妊具を使わないため、変なことがあればすぐにすぐに妊娠して発覚することを踏まえたシンガポール政府の考えなのであろう。

シンガポールの歴史をみると、戦前マレー半島を植民地支配していた英国人のために、現地人を使ったり、現地人たちに阿片を売ったりしていた華僑たちで成り立つシンガポールは、家政婦のような使用人を扱うのに長けている。

一方日本人には、そういう歴史や習慣はない。

日本の工場が東南アジアに進出して多くの出向者が赴任すると、大抵一軒に数人の日本人が共同生活することになる。掃除や洗濯、食事作りはメイドを雇うわけだが、日本人はすぐにメイドを友達のように扱い、お土産や小遣いを与えたりするものだ。

メイドはそれを勘違いして、その結果、アレが無くなったこれが見当たらなくなった、昼間部屋に男を引き込んでいた、などのトラブルを引き起こす結果となる。

私は、こういう状況を何度も目にしたり耳にしたりしたものだ。

おそらく、東京都で外国人家政婦が解禁になったといっても、最初は東京在住の外国人ビジネスマン家庭などが雇用者になるのだろう。

     奴隷派遣P社の会長T氏

それだけでは派遣側に旨みはない。きっとPのつく派遣会社の会長T氏などは、ほくそ笑みながら今頃ソロバンをはじいていることだろう。


ネパール人の体臭

2017年03月04日 | 社会観察
職場にネパール人が配属される、と聞いて私は勝手にネパールといえばエベレスト。エベレストといえばシェルパ、というイメージ展開で、登山家を助けるシェルパ族のような顔かたちの青年がやってくるものと思っていた。

   シェルパ族の青年の顔

少数民族のシェルパ族は、モンゴロイドに属する人種で、見た目は我々と同じ顔つきだということは知っていた。

しかし、先月中旬にやってきたネパール人は、予想と異なりシンガポールのヒンドゥー教寺院でよく見たインド人そのものだった。色黒でヒゲをはやし、身長は190cmくらいあるかもしれない大男だ。

彼がどういうスキルを持つ青年でこれから何を担当するのか、事前情報はまったく無いのだが、何でもシンガポールと英国に留学したそうで、英語も日本語も読み書き話すに不自由しないそうだ。年齢は、当てずっぽうだが40歳前後ではなかろうか。

   こんな感じのネパール人

初日の朝礼で自己紹介したのだが、体格に似合わず蚊の鳴くような小さな声で話すので、内容はほとんど聞き取れなかった。

新人に対するオリエンテーションを終えて、業務が始った。どうやらソフトウェアに長けた方のようで、いわゆるシステムエンジニアのようだ。

彼の席は私の左斜め前で、彼の面倒見となった日本人社員とは流暢な日本語で会話しているようだ。おかしなことに、ネパール人の話すのは100%日本語なのに、日本人社員の方はまるでルー大柴みたいに、変てこな英語を交えて話している。

何か質問された日本人社員は、「オー、イエス、イエス、それで良いよ。バット、分らないことがあったら、遠慮しないでテルミーだよ。」「ハイ、ワカリマシタ。」な~んてやっているので、私は自分の唇を噛んで笑いを堪えている。

しかし、すぐに困ったことが判明した。

問題とは彼の体臭であった。彼が自分のデスクに座ってパソコンの設定などをし始めた時はそれほど気にならなかったが、翌日から漂ってくる独特の臭いの発生源は、間違いなく彼の体臭だった。

それは、私がシンガポールにいた時行った、ヒンドゥー教寺院で嗅いだあの独特な臭いと同じだった。総務の女子事務員などが時々やってきては、何やら彼に説明していたが、きっとその強烈な体臭に驚いたことだろう。

ネットで調べてみると、ネパール人は風呂に毎日入らず、週に一度くらいだとあった。鼻が曲がりそうになるような不快で不衛生な臭いではないのだが、香水のような臭いではなく、体臭だと分る独特な臭いである。

そのうち慣れるかと今のところ我慢しているが、決していい気分にはなれないでいる。

ネットでネパール人のことをいろいろ検索してみると、今やすごい勢いでネパール人が日本に入っているようで、以前韓流のときコリアンタウンとして有名になった東京の新大久保は、今やネパール人が急増したためにリトルカトマンズと呼ばれているそうだ。

急増した理由は定かではない。

先日、朝礼で順番に短いスピーチを披露するのだが、その順番が彼に廻ってきた。何を話すかと興味深かったが、彼の話したのは実にあっ気ない話だった。曰く・・・

「私が日本語学校に入学した時、授業が終わってから先生が、みんなで教室の掃除をしてください、と言いました。ネパールの学校は勉強するところですので、生徒は掃除などしません。日本は、すごいなあと思いました。」

テレビなどでは、外国人が日本の文化や習慣を褒めちぎる番組が目白押しなので、この手の日本文化賛美は聞き飽きている。

しかし、このネパール人は決しておべんちゃらを言ったのではなく、実際に掃除などしたことはなかったのではないかと私は思った。その理由は、ネパールには今でもカースト制というインドにあるような身分階級制が存在するからだ。

彼は、シンガポールや英国に留学できるような身分の家庭に育ったようであるから、掃除などはやった事などなかったのだろう。

何でも彼らからみると、ネパールにやってくる欧米人を初めとする日本人なども含めた外国人ですら、身分階級はずっと低いと見なすものらしい。

そう知ってからは、就業時間が終わると、無言でスッと帰ってしまう彼の行動も、きっとそのあたりに由来しているのかなあ、と考えてしまうのだった。


バンカラが好きだった当時

2017年03月04日 | 社会観察
かまやつひろし他界の訃報を聞くのとほぼ同時に、自分の学生時代の頃の情景が走馬灯のように脳裏を巡った。

作詞作曲は確か吉田拓郎だったと思うが、「我が良き友よ」は私の好きな歌ベスト10に入るほどで、歌のリズムと共に何といってもその出だしの歌詞がいい。

♪下駄を鳴らして 奴が来るぅ~
 腰に手ぬぐい ぶら下げて~♪

  代表作の一曲でした

私の高校では、入学した当時に、学生運動で使われたのか、独特のレタリングで書かれた立て看板が、無造作に校舎の隅のほうに置かれていたりしたのを記憶している。

そういう社会事情の反動だったのか、当時私の通った高校でも、いわゆる『軟派色』が強く出始めていたようで、授業の合間や帰宅時などに男女のカップルたちが、イチャイチャした雰囲気で行き交う光景が珍しくなかった。

私は当時そういう空気が嫌で、異性に興味がなかったわけではないが、髪は伸ばし放題にしてわざと不潔を装っていたフシがあった。

大学に入学しても、社会の軟派な風潮は変わらず、当時は上村一夫の『同棲時代』という漫画が人気を得ていて、それに触発されたように、『神田川』というフォークソングがヒットしたと記憶する。

かぐや姫というグループが歌った歌は、その歌詞が当時の風潮を如実に表していた。

♪赤い手ぬぐい まふらーにして
 二人で行った 横丁の風呂屋・・・
 
・・三畳一間の 小さな下宿 あなたは 私の指先見つめ 
  悲しいかいって 聞いたのよ・・・
・・若かったあの頃 何も怖くなかった 
  ただ あなたの やさしさが 怖かった・・・♪

男がまともな顔で歌える歌ではないと思うのだが、当時の若者たちは自分でギターを弾いて、合唱したものだった。

この歌のヒットに味をしめたのか、亜流の歌が続いた。『赤ちょうちん』がそれだ。

♪あの頃二人のアパートは 裸電球まぶしくて
 貨物列車が 通ると揺れた・・二人に似合いの部屋でした・・♪

今みると、ペッと唾を吐きかけたくなるような軟派な歌詞だが、これも当時の若者たちは目をうっとりさせて聴いたものだった。

大学の3年くらいになると、先輩のだれそれは彼女と同棲を始めたとか、何学部のだれそれはどこどこの看護学生と同棲しているなどという噂が飛び交い始めたが、そんな風潮のときに発表されたのが、『我が良き友よ』で、私は一気に好きになったのだった。

実際、当時私はよく下駄を好んで履いていた。学生服こそ着なかったが、小奇麗なブレザーを着て通学する自宅通学の学生たちを、軟派だと仲間同士で小馬鹿にしていたものだった。

かまやつひろしは、スパイダースというグループサウンズの一員だったが、その存在は当時から異色で、あの髪型は明らかにカツラで彼はつるっぱげだろうというのが定評だったように記憶している。

仲間たちからも、「今日のムッシュは、帽子が好くお似合いで・・・」などとからかわれていたようだ。

  独特なヘアスタイルは・・

年齢が他のメンバーたちより多かったので、彼の存在感はキャンキャン吼えない大型犬のような落ち着きがあった。

しかし、当時の私は噂を真に受けて、彼を見るたびにきっと耳あて付きのニット帽子のような感覚で、ハゲを隠しているのだろうと信じていた。

 こんな感じのカツラ??

多分、今70歳前後になる団塊の世代の方たちは、彼の訃報を悲しく聞いて、自分たちに迫りつつある死期を強く感じたことだろう。

私はというと、彼の訃報で蘇った当時の軟派だった風潮を反射的に思い出して、何だか胃液が逆流したような不快感を覚えたに過ぎなかった。



同窓生に物故者が・・・

2017年02月26日 | 社会観察
昨夜、学生時代の同級生Tから電話があった。

東京の高校で教鞭をとっているそうで、60過ぎても教壇に立っているそうだ。数年前から年賀状が来なくなったと、嫌味を言われたが、確かその頃は私の父が他界して、葬儀の打ち合わせを終えたその翌日私が肋膜炎で緊急入院することになり、結局葬儀には出ずじまい。

数週間後に、今度はくも膜下出血で早朝緊急入院、即手術ということになり、私にとってはとんでもない時期であった。日頃の親不孝の祟りだろうと、周りからは存分に嫌味を言われたものだが、お陰で後遺症もなく社会復帰することができた。

同級生は、4月にクラス会をやるという手紙が届いたが、「お前の住所と連絡先欄が空白になっている」ので、連絡してみた。「まだ、生きてるようだな・・・」と呟くのだった。

相変わらず、口が悪いな、と思いながらも、「もう体中、悪い所だらけで先は長くないだろうがな・・」と言うと、実は「俺も先月心臓の手術をしたばかりだよ」と返してきた。

不整脈の持病があったらしい。学生時代から、私と違ってバスケットボールで鍛えた体も歳の所為でガタがきているそうだ。

「そういえば、名簿を見ると二人物故者があるぞ。」というので、名前を聞くと両人ともよく知っている奴で、一人は同郷、一人は同じサークルの男だった。

  気温が下がり、近所でも葬式が多くなった

同郷のT君は、ある時街の書店で偶然出くわし、懐かしさのあまり居酒屋に行って、それでも話足らず、彼の自宅まで誘われて行き夜中まで語り明かして、翌日お母さんの作ってくれた朝食をご馳走になって帰宅した事があった。

同じサークルだったI君は、学生寮に住んでいた。私も4年生の後半は学生寮に移ったので、よくおしゃべりしたり、試験前になると講義のノートを借りたりしたものだった。確かゼネコン大手に就職したはずだった。

亡くなった理由は定かではなかったが、一クラス40人しかいない同窓生のうち、すでに2名が他界していたという事実を知ると、ちょっとショックだった。

点滴のチューブを手に刺したオヤジの最期を見届けた頃は、長生きするということにあまり執着がなかったが、今世界が大きく変わろうとしてきたのを見ると、あと10年くらいは元気でいたいという気に変わってきた。

初孫なっちゃんの成長も楽しみだ。

確か娘さんが二人いたTに、「お前は孫がいるか?」と聞くと、「もう両方30過ぎたのにまだ独身で、同居してるよ。」とぼやいた。

東京のまだ大根畑が広がるような田舎街に住むTが、「東京五輪のときは、こっちに出て来ないか?」と誘ってくれた。

競技観戦ではなく、Tとの再開を楽しみに、その時を待ちたい。

もうすぐ、『しんぎゅらりてぃ』 が??

2017年02月25日 | 社会観察
思えば私が大学に入学した頃は、まだこの世にスマホやパソコンなど無かった。私が入学したのは、いわゆる理系学科であったので複雑な構造計算などは、当時関数電卓を使って計算していた。

しかし、私は貧乏学生だったので自分専用の関数電卓は買えなくて、とうとう卒業まで関数電卓なしで通したのだった。今思い出しても、よくそれで単位が取れたものだと不思議でならない。

社会に出て暫くすると当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったソニーが、手のひらサイズのウォークマンをこの世に出して、それまで馬鹿でかいラジカセを肩に載せて、大音量で街を歩くのが『ナウい』時代であったのを、一変させたのだった。

録音は出来なくても、音質のいい録音再生ツールで、しかもジョギングしながら音楽が聴けるということで、瞬く間に世界に広まった。

その後の。アップルのi-Phone にまったく負けず劣らず、正真正銘のイノベーションであった。

SONY らしい商品

ソニーはその後もビデオテープやCD,AIBO なる犬ロボットなどを発売したりして、その独自性を発揮して見せたのだが、経営者が変わって外国人が経営陣に加わった頃から、どうも風向きが変わったようで、いつの間にかAIBO なども開発打ち切りになっていたらしい。

AIBO がソニー社内で開発打ち切りになったのかどうか、詳しいことはよく分からないが、当時ズブの素人の私でも、ソニーがゲーム機? ソニーが保険??と、何か様子が変わっていくので、心配になったものだった。

原発にしろ、自動運転自動車にしろ、科学技術の進歩を邪魔して遅らせようとしたりすることは、私は不可能で意味の無いことだと思う。

いずれ、自動車は運転手など必要とせず、トラックドライバーやタクシー運転手などはいなくなるだろう、などとは俄かに信じがたいことだ。

しかし私が学生の頃、「やがて、手のひらに載る様な機器で、世界中の人と話をしたり、写真や動画を見せ合ったりする時代が来る。」と言われたら、「そんな、馬鹿な・・・」と信ずることは出来なかったに違いない。

このままコンピュータが進歩し続けると、あと二十数年で、コンピュータの性能は指数関数的に向上し、「人間の脳の機能をスキャンできる」ほどに発達するそうだ。

つまり、個人の脳みそが持つ知識や記憶をデジタル化して保存したり、コピーしたり、別のロボットなんかにアップロードできるようになるらしい。

そうなると、当然一人だけでなく、複数人の知識や情報も可能になるはずで、やがて今の全人類73億人分の一括保存も出来うる時代が到来するだろう。

そういう途方も無い大変化のことを、Singularity (シンギュラリティー)「技術的特異点」と呼ぶそうで、この単語は気象学では「特異日」のことを意味する。

先の東京五輪の開会式が行われた10月10日は快晴の特異日であり、実際に当日は確か日本晴れだった。

鉄腕アトムやサイボーグ009に始まり、最近では「ターミネーター」や「ロボコップ」などに描かれた時代がもうすぐ現実となるようだが、私は多分その頃はこの世にいないだろう・・。残念ながらと言うべきか、お陰様でと言うべきか・・・。

もうすぐ、『しんぎゅらりてぃ』 が??

2017年02月25日 | 社会観察
思えば私が大学に入学した頃は、まだこの世にスマホやパソコンなど無かった。私が入学したのは、いわゆる理系学科であったので複雑な構造計算などは、当時関数電卓を使って計算していた。

しかし、私は貧乏学生だったので自分専用の関数電卓は買えなくて、とうとう卒業まで関数電卓なしで通したのだった。今思い出しても、よくそれで単位が取れたものだと不思議でならない。

社会に出て暫くすると当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったソニーが、手のひらサイズのウォークマンをこの世に出して、それまで馬鹿でかいラジカセを肩に載せて、大音量で街を歩くのが『ナウい』時代であったのを、一変させたのだった。

録音は出来なくても、音質のいい録音再生ツールで、しかもジョギングしながら音楽が聴けるということで、瞬く間に世界に広まった。

その後の。アップルのi-Phone にまったく負けず劣らず、正真正銘のイノベーションであった。

SONY らしい商品

ソニーはその後もビデオテープやCD,AIBO なる犬ロボットなどを発売したりして、その独自性を発揮して見せたのだが、経営者が変わって外国人が経営陣に加わった頃から、どうも風向きが変わったようで、いつの間にかAIBO なども開発打ち切りになっていたらしい。

AIBO がソニー社内で開発打ち切りになったのかどうか、詳しいことはよく分からないが、当時ズブの素人の私でも、ソニーがゲーム機? ソニーが保険??と、何か様子が変わっていくので、心配になったものだった。

原発にしろ、自動運転自動車にしろ、科学技術の進歩を邪魔して遅らせようとしたりすることは、私は不可能で意味の無いことだと思う。

いずれ、自動車は運転手など必要とせず、トラックドライバーやタクシー運転手などはいなくなるだろう、などとは俄かに信じがたいことだ。

しかし私が学生の頃、「やがて、手のひらに載る様な機器で、世界中の人と話をしたり、写真や動画を見せ合ったりする時代が来る。」と言われたら、「そんな、馬鹿な・・・」と信ずることは出来なかったに違いない。

このままコンピュータが進歩し続けると、あと二十数年で、コンピュータの性能は指数関数的に向上し、「人間の脳の機能をスキャンできる」ほどに発達するそうだ。

つまり、個人の脳みそが持つ知識や記憶をデジタル化して保存したり、コピーしたり、別のロボットなんかにアップロードできるようになるらしい。

そうなると、当然一人だけでなく、複数人の知識や情報も可能になるはずで、やがて今の全人類73億人分の一括保存も出来うる時代が到来するだろう。

そういう途方も無い大変化のことを、Singularity (シンギュラリティー)「技術的特異点」と呼ぶそうで、この単語は気象学では「特異日」のことを意味する。

先の東京五輪の開会式が行われた10月10日は快晴の特異日であり、実際に当日は確か日本晴れだった。

鉄腕アトムやサイボーグ009に始まり、最近では「ターミネーター」や「ロボコップ」などに描かれた時代がもうすぐ現実となるようだが、私は多分その頃はこの世にいないだろう・・。残念ながらと言うべきか、お陰様でと言うべきか・・・。