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孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

正しい敬語、使ってますか?

2017年09月29日 | 社会観察
もう、10年近く前のことだと思うが、夜遅く小腹がすいたので、国道沿いの牛丼屋に入ったことがあった。

見たところ20歳くらいのアルバイト店員が、注文を取りにカウンターの私の席にやってきた。「ご注文、お決まりですか?」と聞かれたので、「牛丼並盛りと、サラダ、味噌汁。」
と注文した。

すると、その若者は私の注文を繰り返しながら、注文入力端末をパパッと押して、「ご注文は以上でよろしいですか?」と聞いてきた。

私は彼の言った言葉に軽い衝撃を受けて、「珍しいねえ、若いのに・・」と呟くと、彼はキョトンとして、「はあ?どういうことですか?」と不思議そうな顔をして私の顔を見つめたのだった。

「いや、最近のファミレスなんかじゃ、『ご注文は、以上でよろしかったですか?』ってきくじゃない。どこでも・・・。」

  指摘されないと直らない

私の説明に、彼は安心したように、「あぁ・・」と呟き、「だって、変じゃないですか、『よろしかった』って過去形にするのは・・・」と、当然だろうと言いたげな表情をして、
注文端末機をポケットに入れ、メニューを回収したのだった。

「君のようなまともな若者もいるんだねぇ。」と言うと、彼は一瞬、首をかしげてから厨房の方へ去った。

よく行くスーパーマーケットのレジ担当のご婦人は、レシートを渡す際に、必ず「こちら、レシートになります。」と言う。

「~になります」というのは、「~に変化します」という意味なので、真っ白な紙切れを手渡しながら、「(私が、フッと息を吹きかけると、数字が現れて、)こちらレシートになります。」こういう場面なら、問題ない。

また、「とんでもございません」も、しょっちゅう耳にする間違った敬語である。
つまり、「トンデモ」+「ナイ」の「ナイ」を丁寧に「ございません」にしたつもりだろうが、これが誤りである。

正しくは、「トンデモナク + ナイ」なので、ただ「とんでもないことです」と言えばいいのである。

  謙譲語は要注意


先日、あることで取引のある会社の若者から、メールが届いた。

立場上は、私が彼の客に当たるので、メールの文面は丁寧語や尊敬語が目立っていた。これまでと手続きが少し変更になるという情報に関する内容で、「お間違いなきよう、ご承知置きください。」と締めくくっていたが、私は「うん?」と気になった。

何だか「間違えないよう、しっかり覚えて置けよ。」と言われたような気がしたのだ。

気になって、ネットで調べてみたら、「承知する」とは「理解する」の謙譲語で、承知する方がへりくだって使う言葉であることが分かった。

「承知してくださいね」という言い方を、上の立場の「客」に向かって言うべきではないのである。言うなら「お含みおき下さい」と言うべきだそうだ。

確かに、そう言われればすんなり理解できただろう。

さらに彼のメールの中には、「弊社の○○より承った情報ですが、・・・」という部分があった。○○さんは私も知っている方で、その若者の後輩であったはずだ。

つまり、自分より目下の後輩から「承った(うけたまわった)」と言うのは誤った使い方である。そもそも、「承」という漢字がへりくだった意味を持つことからきているわけだ。

若い事務員が電話を受けて、「部長さんは、本日お休みを戴いております。」なんて応えているのを耳にすると、「誰か注意してやれよ。」と思うのだが、多分みんな自信がないんだろうなあ・・・。

文化侵略の季節到来

2017年09月24日 | 社会観察
日本人社員同士が、「Hi, Takada-san, Sorry for late reply.」「Oh, it's OK」なんてメールでやり取りする勤め先とようやく縁が切れて、こんなにいい気分になるとは思わなかった。それに、人生最悪の職場環境ともおさらばできて、これも拷問から解放された気分だ。

もちろん、となりのネパール人の酷い体臭のことだ。少し離れたところにいる先輩社員は、私の抱えていた問題を察知していたようで、「今日は彼が休みでよかったですね。」などと
こっそりメールを送ってきたりして、面白がっていたようだが、私には深刻な悩みだった。

特に酷暑の夏に、マスク無しではいられない環境は、まさに地獄だった。

苦情を言ったりすれば、すぐ人種差別だ、文化差別だ、レイシストだ、というレッテルを貼られそうなムードの職場だったので、私はひたすら耐えたのだった。

多文化共生などという言葉が一時期流行って、耳当たりのいい感じで、人類皆兄弟・地球市民などという概念を伴ってよく口にされたものだが、私はこの言葉は胡散臭いと思う。


日本の伝統文化に興味を示す外国人を扱ったテレビ番組が、最近はどの局でもお盛んだ。その一方、軽薄な政治家たちが、やたらとカタカナ言葉を乱用して、最近では真の意味など気にせず、中学生や小学生までカタカナ言葉を使いたがるようだ。

これまでの勤め先のITエンジニアたちの日本語など、もはや幼稚園児レベルでひどいものだった。やたらと耳にするIT関連のカタカナ言葉の意味を尋ねても、まともに解説できる者がいなかったのには、腰が抜けるほど驚かされたものだった。

今日いった100円ショップの入口はこんなだった・・・。私の大嫌いな季節がやってきた。

 いったいなぜ、カボチャなんです?

経済効果が滑った転んだ言っても、所詮「銭になるなら何でもええんや!!」に聞こえる。

子供たちも喜ぶしぃ・・

みんなでワイワイ楽しいよネ ・・・


こういう親たちは、我が子をせっせと子供英会話教室に通わせ、母国語の勉強時間を英語の勉強に廻しているのであろう。

子供たちは学校でも塾でも、英語学習に精を出した結果、しだいに母国の文化よりは外国の文化のほうが優越なのではという心理が植え込まれていくものだ。

それは、ますます母国語の習得にブレーキをかけることになり、漢字を知らない、敬語の使い方を知らない、本に手を伸ばさない少年少女を量産することになる。

何も儲かるからといって、今から2500年前の北欧ケルト人の信仰とお祭りの猿マネを子供にさせなくてもいいだろう。他にやるべき事があるじゃないか。

毎年、私はこの社会現象は、日本文化に対する文化侵略だという眼で観察するのである。

死ぬまで生きりゃいい。

2017年09月17日 | 社会観察
明日は敬老の日なので、勤め先は社員に有給休暇を消化することを奨励している。奨励だから、従わなくてもいいのだが、みんな一緒に休みたいので、「みんな有休を取るようだから、一緒に取りませんか?』などというメールを何度も送ってきた。

というわけで、3連休なのだが、台風の影響で天気が芳しくないのが残念である。

敬老の日というと、まだ比較的新しい祝日で、制定されたのは1966年だそうだ。老人とは何歳からか、などと聞く人がいるが、今の社会通念では65歳以上といっていいのではないだろうか。

しかし、老人という言葉から抱くイメージは、腰が曲がっていて、顔は皺だらけで、入れ歯をカチカチさせながら話す年寄りの姿が浮かぶ。

どこの街でも多分、この日には市長や県知事が、長老の家庭に出向き、花や賞状や記念品を
恭しく手渡すシーンをニュースで流すが、昔からあれが私には理解できなかった。

 どっちが老人?

学生時代に酒の席でよく歌った軍歌の中に、菊の御紋のついたたばこを吸って、明日は死ぬぞ・・・という歌詞の歌があった。確か、『空の勇士』というタイトルだった。

♪恩賜の煙草を いただきて
 あすは死ぬぞと 決めた夜は
 広野の風も 腥(なまぐさ)く
 ぐっと睨んだ 敵空に
 星が瞬(またた)く 二つ三つ (以下略)

恩賜のたばことは、つまり天皇陛下が臣下の者に与えるたばこのことで、他にも、恩賜の銀時計とか金時計、軍刀などがあり、そういうのを戴くということは、大変名誉なことだったようだ。

まさか、この真似をしたがるのではなかろうが、市長や知事ごときが、老人宅にまで出向いて、記念品を手渡し、写真を撮らせて、広報に掲載したりするのは、胡散臭くて見飽きた。というか、見たくもない。

これを考えると、」私も120歳位まで長生きして、市長か県知事がお祝いに来たいと言ってきた時、「そんなもん、いらん!」と、一蹴するのも気分爽快だろう。

しかし、私はあるとき、それまで医者の言い成りになって飲み続けていた、血圧降下剤や血流を良くするらしい薬など、一切の服用を止めて、もう何ヶ月も近くの町医者への通院や、見ると蕁麻疹が出そうになる薬剤師などと会話することも無くなった。

もしかすると、明日倒れてポックリ死ぬかもしれないし、命は助かっても病院に収容されて死を待つことになるかもしれない。

祖父は案外困らせずに他界したが、父の晩年は例えそれを本人が希望したにせよ、施設や病院を行ったり来たり、次第にやせ細っていき、息を引き取った時も腕にいくつかのチューブが刺さったままだった。

 延命治療の実態

私は、手元に万一私が倒れて延命治療をすべきかどうかの判断を要する時は、絶対しそれを拒否するよう、家族宛に署名入り文書で残してあり、口頭でも伝えてある。

もし、家族に裏切られたら、病院で実力行使に出る覚悟もある。

長寿は悪いことだとは思わないが、自然の成り行きを医者が勝手に変える行為には、絶対に賛同しかねる。

「いつか死ぬまで生きりゃいい。」

それまでは、やりたい事をやり、食べたいものを食べ、飲みたいものを飲んで暮らそうと、心に決めた。

空襲警報と心得よ、Jアラート。

2017年09月16日 | 社会観察
よく、アラートとアラームはどう違うのか、と話題になる。

調べてみると、どちらもイタリア語が語源の言葉で、アラート(ALERT)は、all' etra 「見張り台に立て」という意味で、アラーム(ALARM)は、all'arme 「武器を取れ」という意味だそうだ。

したがって、遠くに敵が迫ってきている、全員武器を取れ!という順番で、アラートからアラームにつながるものだと分る。

このニュースは、かなり前の、「京都新聞」に載った記事なので、もう旧聞に属するが、滋賀県の教育委員会が、弾道ミサイル飛来時の対応について、県立学校と各市町教育委員会に通知を出したことに対する全滋賀県教職員組合が、知事らに抗議文をだしたという内容だ。

以下、京都新聞2017年4月27日記事より抜粋。

【滋賀県教育委員会は、「屋内避難の呼びかけがあった場合は、幼児・児童・生徒の皆さんに周知をお願いします」などとする通知を出した。

これを受けて、多くの学校が保護者向けの文書を作り、児童や生徒に配布した。

全滋賀教職員組合が三日月滋賀県知事らに送った抗議文では、児童生徒に唐突にミサイル飛来の可能性を伝えれば、パニックが起こると批判。(下線は、孫ふたり、以下同)

その上で、『政府・内閣官房はこの機を利用し、国民を煽っている』とし、文書の回収や保護者への謝罪を求めた。

県教委は、「子供の安全確保を最優先に、迅速に対応するためだ」(総務課)として、文書回収や謝罪の考えはないとしている。】

非常識なイチャモンをつけた全滋賀教職員組合は、共産党に牛耳られているようだが、こういう連中が学校の先生たちが属する組合を運営しているのだ。

地上波の反日テレビ局も、Jアラートの報道はするものの、その後で垂れ流す、「街の声」などを利用して、Jアラートに対するテレビ局の姿勢を見せているようだ。

 空襲警報!!

「街の声」は、主婦らしい子供を抱いた婦人が出て『逃げろって言われてもネエ・・』
とか戸惑って見せたり、『どこに逃げたらいいんでしょうか?』と自問自答してみせたりしていた。

あるいは、若者がマイクを向けられて『えぇ?地下なんかないっすよ・・』とヘラヘラ笑ったりしていた。

テレビ局はあえてこういう映像を垂れ流すことで、Jアラートに対するテレビ局の考えを国民に代弁させようとしている、「プロパガンダ手法」なのである。

マイクを向けられた街の人も、もう少し常識ある答え方をして欲しいものだが、多分そういう多くの映像はボツになったのだろう。

北朝鮮がミサイルを日本に向けて撃ったり、原爆実験をやっている最中に、若いツバメとホテルにしけこんで、「週4回」のズッコンバッコンに興じている馬鹿女・国会議員がいるご時世。

日本人には、もう少しまともになって問題の本質を考えて欲しいものだが。




朝メシの箸を止めるコラム

2017年09月02日 | 社会観察
昔から新聞で真っ先に読むところは、どの新聞でも(スポーツ新聞は除くが)、一面のコラムである。

「産経抄」とか「編集手帳」などのせいぜい5~600字程度のコラムだが、各紙とも筆が立つ筆者に担当させているらしく、内容といい構成といい実にためになる事が多い。

嘘を垂れ流すことでめっきり有名になった朝日新聞の「天声人語」などは、一時は大学の入学試験の題材に良く使われたという事だったが、最近たまに図書館に行った時など、暇つぶしに見てみると、今の天声人語は、駄文の見本のようで、とても最後まで読む気がしない酷さだ。

一昨日だったか、朝飯を食べながら、耳はつけっぱなしのテレビへ、目は朝刊へ、口はパクパクしながら朝食を・・・、といつもの調子で始ったが、「産経抄」の始まりを読むにつれパクパクが止まり、箸を持つ右手もピタッと止まってコラムに集中した。

一気に読み終える、すばらしい出来のコラムだった。

コラムの書き出しは、(大正6年、静岡県浜松市・・)だった。(以下抜粋)

『浜松市の練兵場で、「米国の鳥人」と呼ばれた飛行家、アート・スミスによる曲芸飛行大会が開かれた。10歳の少年は、母の目を盗んで金2銭を握りしめ、自転車で二十数キロ離れた会場に駆けつけた。初めて見る飛行機に大感激である。』

『それからしばらくは、少年はボール紙で飛行メガネを作り、竹製のプロペラを自転車の前につけ乗り回していた。ホンダの創業者、故本田宗一郎さんである。』

『まだ二輪メーカーの時代から、飛行機開発への意欲を語っていた。』

『生前の本田さんは目にすることはできなかったものの、その夢はすでに実現している。』

 この豪快さがいい

『・・・約30年の歳月をかけて完成にこぎつけた「ホンダジェット」は、燃費の良さなどが評価されて売れ行きは好調である今年上半期の出荷数24機は世界トップだった。』

『実はホンダジェットの開発は、社長を引退した本田さんには内緒で進められてきた。本人が知ったら、喜びのあまり誰かにしゃべってしまう可能性がある。何より研究の場に乗り込んで、仕事を混乱される事態を恐れた。』

米子会社「ホンダ エアクラフト カンパニー」社長の藤野さんが、事業化が決って本田さんの霊前に報告に行った際に、本田夫人が思いがけないことを口にしたそうだ。』

「私は飛行機の免許を持っているんですよ」

『日本では、女性パイロットの草分けに近いのではないか。あらためて、企業のDNAについて考えさせられるエピソードである。』

自分の名前を社名に付けたことを悔やんでいた本田さんは、その引き際もお見事だった。ウィキペディアで『本田宗一郎』を読むと、数々のエピソードがあって、それを読むだけでもこの人のファンに簡単になってしまうほどだ。

 どれも味がある。

多くの経営者は彼にあやかりたいと、その書を事務所に飾ったりするのだが、DNAはそう簡単にはコピーできるものではない。

また、ホンダのOBにも、「前職」ではこうだった、ああだったと自慢げにベラベラ語りたがる人も多いが、ベラベラ自慢する人に限って、ご自身の中身の薄っぺらさはすぐにお見通しとなって、安っぽい手柄話が嘲笑の対象になるだけだ。

遠州には「やらまいか精神」という言葉がある。失敗することを恐れてはダメだ。まず、やってみよう!という気概を表わしている言葉だ。本田さんは自らの著書のなかでも、自分の人生は99%が失敗だった、と述べていた。

よく運動選手が判で押したように口にする、「夢は、持ち続ければ実現する」というセリフがあるが、成し遂げた功績が大きいだけに、本田宗一郎の言葉の密度は、そんなのとは比較不能なほど大きく感ずる。

「優先席」を考える

2017年08月20日 | 社会観察
JRの青春18きっぷは、なんともお得な割引きっぷで、もっと早くから利用したかった。5回分で1万1850円だから、一日乗り放題でも、2370円である。しかも、JR東日本なら別にグリーン券を購入すれば、結構快適な鈍行列車の旅を満喫できる。

昨日は、帰路につくときはグリーン車はやめて、普通車両に載ったのだが、それほど混んでいなかったので、始発の藤沢から座る事ができた。

ウトウトしていたので良く覚えていないが、確か熱海付近だったと思う。ドアが開いたかと思ったら、ドカドカとかなりの人が乗り込んできた。終りの方に乗って来た二人連れが私の前に立ち、一人は吊革に手が届かないので、ステンレスのポールを両手で握っていた。

見ると、シャレた帽子をかぶっていたが、歳は多分85前後の痩せこけた枯れ木のような体の老女だった。私は反射的に立ち上がって、「どうぞ座ってください。」と席を譲った。連れのお年寄りはもしかしたらその老女の妹か嫁か、背丈も高く肉付きも良かった。

私が席を譲ると老女は一礼して、座ったのだが、それでも連れの方は、「いえ、結構ですよ。大丈夫ですから、いいですから・・」と私に訴えるのだった。

それに触発されたのかもしれないが、さっきまで私の右側でスマホとにらめっこをしていた中年のサラリーマン風の男性もスッと立ち上がり、老女の連れの女性に席を勧めた。

その連れの方は、声を大にして「いえ、いいですよ。大丈夫ですから。いいです、いいんです。」と固辞し続け、立ち上がった男性を押して座らせようとした。

私は、それを見かねて、連れの老女に言った。

「おばあさん、せっかく席を譲ってくれたんですから、遠慮せず座ればいいじゃないですか。立ち上がった方もバツが悪いですよ。」

私は普段から話し声が大きいと言われるが、そのときは普段以上に大きな声を出していたかもしれない。「そうですか?それじゃあ、すみませんねえ・・」と言って連れの老女も座ったが、座ってからも、「すみませんねえ、ありがとうございます。」と繰り返していた。

3駅ほど過ぎて二人の老女たちは電車を降りていったが、降りる際も、私たちに何度も礼を言っていた。

立って気が付いたのだが、ドアを挟んで反対側の車両先頭は、窓に大きなシールが貼ってあり、シートも青色ではなく目立つオレンジ色の、【優先席】であった。

優先席は車両の両サイドに4席ずつ、合計8人分あるのだが、そのときは運動部らしき高校生たちや、旅行客らしきカップルが座って、それぞれスマホと戯れていた。

  JRの優先席

私も普段は優先席が空いていれば躊躇なく座ってしまう方だが、その時のように目の前に立たせておくのは辛そうだなと判断すれば、抵抗なく席を譲るようになった。

これは6年前ほどだったか、シンガポールに赴任した時、よく通勤で利用していた地下鉄で自分が席を譲られた事があったからで、あの経験は私にとっては軽いしょっくであり、意識の転機になった事件であった。

しかも、その席の譲り方が極めて自然で、ここで善意を断ったら譲ってくれた片に失礼になるのではと感じさせる雰囲気があったように記憶している。

その後、台湾旅行をした際も、私は台北の電車内で何度も同じ経験をしたのだった。

しかも台北の場合は、皆若者が何の躊躇もせず、見事なタイミングでスーと立ち上がって、目でもって「どうぞ!」と席を譲ってくれるので、私はそのたびに全く遠慮せず「謝々」と言って席に着くのだった。

国民性の違いもあるのだろうが、日本のお年寄りたちはもう少し素直に善意を受け止めた方がいいのではないか。

また、JR側もやれ携帯電話をマナーモードにしろ、駆け込み乗車はするな、ドアが開くから寄りかかるな、指を挟まれるな・・等々、しつこいくらい車内放送を繰り返す。

しかし、それよりも【優先席に座っている方は、優先すべき乗客に率先して席を譲ってください】と常識知らずの乗客を、やんわり咎める社内放送をした方がいいのではないかと思った次第である。

しかも、社内放送の話し方ははっきり分り易い方がいい。やたらと声を作る車掌がたまにいて、聴き取り難くイライラする事がある。こう感ずるのはわたしだけだろうか。




『 医は算術なり 』 ですから 。『仁術』じゃないです。

2017年08月16日 | 社会観察
なんでも、犬の血液型は13位あるそうです。

手術するとなると、犬も輸血が必要ですが、初めて輸血する場合は血液型は何でもいいそうですが、2回目以降はそうはいかないんだとか。

ある愛犬家のブログに半日検査入院した時の合計治療費が出ていました。愛犬が歯から出血して貧血になったそうです。

  血液検査代        5775円
  血液検査代(血液型)   5250円
  輸血代         12600円
  ICU          3150円
  半日入院代        1050円 
  留置代          1575円
  内服薬          2625円

  合計          32025円 

骨折だとか、ヘルニア、外耳炎などで数日間入院して手術となると、平均で15万円以上はかかってしまうという統計もあるそうです。

ペットにも過保護気味の現代は、獣医師は「おいしい職業」らしく、これ以上獣医師を増やさない方が、こういうおいしい儲けを享受できるわけなので、獣医師会は躍起になって増やさない政治工作をしてきたのも、なるほど頷けます。

私が小学生の頃、怪我をしてかなり出血したため、姉が慌てて私を近くの外科医のところに連れて行ってくれた事がありました。その日は確か日曜日で、町の小さな医院も開業していなかったのですが、姉はドアをドンドン叩いて、医者を呼んでくれました。

暫らくして、ドアが開いて年配の医者が顔を出すと、姉は早口で状況を説明して、私の出血している後頭部の傷口を医者に見せたのです。

医者は傷口を見て、「コレは縫わなきゃダメだ。」と言い、玄関から入って手術室に私を寝かせるよう言い奥に消えました。

私と姉は手術室で医者を待っていると、白衣を着た医者が来て、「看護婦がいないから、お姉さんちょっと手伝ってくれる?それから、手術費が1万円になるけどいい?」と言います。

今から50年ほど前のことです、私は痛みに耐えながら、1万円の高額さが良く理解できない感じでした。医者に姉が何と返事をしたかはよく覚えていませんが、あの時あの状況下で、手術費のことを言い出す医者の感覚に、子供ながら疑問を感じていました。

私の「医者嫌い」の原点は、あの時の体験だったのかもしれません。

だから、「医は仁術(じんじゅつ)」などという言葉を聞くと、「仁術」じゃなくて「算術」に決ってるだろう。「常にソロバンをはじいているのさ」と私は反射的に反論するようになってしまったようです。


従って、今日のYahoo ニュースにあった、【認知機能診断、悩む医師】という西日本新聞の記事を読むと、私の体にはムラムラと憤りが湧き出てくるのです。

記事(以下抜粋)は、【75歳以上の高齢ドライバーに対する認知機能検査を強化した改正道交法が施行されて5カ月になるが、戸惑いを隠せないのが医療現場である】と伝えていました。

 高齢運転者

【(民間の運転講習会で診察対象となった)診察対象者が「認知症」と診断されると運転免許の取り消しになりうるためで「実質的に医師が免許証を取り上げることになり、患者との関係が悪くなる」と医者が診断に二の足を踏む。】のだそうです。

【認知症と診断して長年の患者が怒って来院しなくなったケースもあり、高齢者にとって認知症はいまだ心理的な壁がある。「かかりつけ医として、患者さんが運転できなくなる認知症と診断していいものだろうか」】

【「認知症ではない」と診断した患者が、認知機能の低下を原因とする事故を起こしたら損害賠償責任が生じないかいう医師の懸念もつきまとう。】

【「運転免許取り消しというと乱暴に聞こえるが、認知症と分かった場合、本人の安全を担保したり大惨事を予防したりするためにも、一刻も早く運転を止めなければならない。」大分県警運転免許課の山本満彦警視は強調する。】

大分県の交通死亡事故の4割は高齢者によるもので、原因は高齢からくる認知機能の低下だそうです。

 免許返納

自治体は、【運転免許証の返納を促すと同時に、タクシー割引券や交通機関割引券を支給する。】

【警察庁は高齢者の交通事故防止対策として、自動ブレーキとペダル踏み間違い時の加速抑制装置を搭載した「安全運転サポート車」に限って運転できる「限定免許」を導入するなど、免許制度の見直しに取り組む方針だ。】

簡単に解決する問題ではないにせよ、この記事から漂った「医は算術なり」が根底にある世間の我利我利亡者の医者たちの性根には、やはり私は憤るのであります。

かわいい孫娘を持つ身の私としては、高齢者ドライバーたちは、せめて小学生たちの通学・帰宅時間帯の運転を法律で自粛させて戴きたいのです。




ホッとする、商店街のある街

2017年08月15日 | 社会観察
毎週、月曜日夜のBS放送の『吉田類の酒場放浪記』は、私が唯一毎週楽しみにしているテレビ番組だ。番組は毎回、吉田類が駅前で自己紹介と場所の説明をするところから始る。

東京の下町が多くて、駅前は改装されて近代的になっていくのだが、少し歩くと昭和風の居酒屋があって、そんなところに入って、猫舌の吉田類が好き勝手に飲んだり食べたりするという、恐らく台本など存在しない妙な番組である。

吉田類が訪れる下町の駅周辺には、商店街があるところが多い。

今から20年ほど前になるだろうか、アメリカからの圧力で、いわゆる「大店法」が施行され、郊外に大型ショッピングセンターが次々に出来て、駅前の個人商店は営業を続けられなくなっていった。

吉田類の番組を見始めた頃だったと思うが、私は仕事で三重県四日市にいた事がある。当然アパートでの自炊生活になるので、商店街での買い物や、居酒屋での晩酌などを楽しみにしていたのだが、実際に移り住んでみると、その夢はぶち壊されたのだった。

四日市は旧ジャスコグループ、今のイオングループのお膝元である。

国道沿いには、大規模なイオンショッピングモールや系列のマックスバリューという大型スーパーマーケットがあり、どちらかで買い物をする意外選択肢がないといった感じだった。

それでもどこかに小規模でもいいから、地元商店街があるんじゃないかと思って捜したのだが、見当たらなかった。

『四日市市民はつべこべ言わずに、イオンで買い物すればいい』という、無言の圧力のようなものを感じさせる街の雰囲気に、新参者の私は猛烈に反抗し、多少時間がかかっても町外れにある、地元の小規模スーパーに出向いて買い物をしたものだった。

 大阪の商店街

台湾旅行に行く人は、あちこちに存在する「夜市」に出かけることだろう。屋台が並んでいて、様々なローカルフードを味わえるだけでなく、人ごみに混じって、みて歩くだけでも楽しいものだ。

アレと似た感覚が味わえるのが、日本の商店街なのだ。

安売りで人を呼び込むのではない。街全体が醸しだす雰囲気を売りとしているようだ。

  東京の商店街

勤め帰りのご婦人や近所の主婦たちが、今晩のお惣菜の入った袋をぶら下げて歩いている光景は、今では郷愁を感じさせるほどになってしまった。

大型ショッピングモールが出来た頃は、珍しさも手伝って、毎週のように出かけたものだが、安い安いに釣られて、要らない物まで買い込んでしまいがちになり、最近では私はなるべく行かないようにしている。

先週訪れた、母校のある北関東の街には、私が学生だった頃とほぼ同じ商店街「オリオン通り商店街」が活き活きと存在していた。

 オリオン通り

当時と同じアーケードの下に間口がそれほそ広くない商店が、立ち並んでいて、前よりも小奇麗になった感じがした。

学生の頃は、この商店街沿いにあった、「長崎ちゃんぽん・皿うどん」の店似よく通った。どちらも、静岡では味わえない食べ物だったので、よく食べたものだった。今回その店を捜したのだが、見つからなくて非常に残念であった。

私の地元の駅前も数年前に区画整理されて、道路は広くなり、見栄えは良くなったのだが、肝心の商店街は閑古鳥が鳴いている。

前の方が良かったと言って、時代を逆回転させようとしても、もうそれは無理な話である。

ルサンチマンの解放

2017年07月30日 | 社会観察
センチメント(sentiment)という言葉を使いたがる政治家や知識人たちがいる。「感情」という意味のフランス語で、センチメンタルなどと聞けば、「ああ、聞いたことある」という方も多いだろう。この言葉を語源とする英語である。

sentimental センチメンタルとは、「感傷的な,情にもろい,涙もろい,多感」 などという意味で、「おセンチ」などという日本語にもなっているようだ。

センチメント(sentiment)というフランス語に、ラテン語の「re-」という接頭辞をつけると、(ressentiment) という言葉になる。フランス語は語尾の子音は発音しないし、アクセントは後ろにあるようなので、「ルサンティメン」となる。

「re-」という接頭辞が付くことで、「再び」とか、「反対に」などと意味が変わる。例えば、 リコンファーム(reconfirm)や、レジスト(resist) などがそれである。

他に、この接頭辞はあとに来る言葉の意味を増幅することもあり、その例は、リゾルーション (resolution) solution(迷い事)を吹っ切って「解決・決意」となり、re + solve で、resolve となるのも同類である。

「ルサンチマン」という言葉は、近年ジャーナリストなどの間でよく使われているようだが、元来今から200年も前にデンマークの思想家が使ったのが最初であったらしい。一般的には、ドイツの哲学者・ニーチェがその著書で再定義して広まった。

日本語のこの言葉と同じであるとは簡単に言えないので、カタカナで言うしかないのだろうが、簡単に言えば、「復讐心」であるが、それは仕返しを意味する「報復」とは違う。

「(心理的な)傷つき易さ、不満、憎悪、憤懣(ふんまん)」、もう少し長い説明をすると、「「無力な者が抱く、権力を持つ者一切に対して、嫉妬から生まれる情欲」となるのだが、これが完璧な定義なのかは自信がない。

    ルサンチマン??


権力者たちに専制支配されることに、日頃自尊心を傷つけられ、嫉妬心を抱き続けているのだが、無力がゆえにその心情が鬱積(うっせき)している心情、と言い換えると少しは分りやすいか。

難しいのは、その鬱積した感情は決してひねくれた物ではなく、「目には目を」でもって報復してやりたいといった先鋭的な心情ではないということだ。

あのヒトラーが合法的に政権の座についたのは、その情報心理戦に民衆の『ルサンチマン』を巧みに利用したためだということは、何かで読んだ事がある。

モヤモヤ漂っている民衆のルサンチマンに付け火することで、炎は広がっていき、どんどん大きくなる。『ルサンチマン』を解放させるのである。課題は、その付け火の仕方であった。

  付け火を喜ぶ・・


ヒトラーは彼の著書の中でこう言っている。

【大衆の感情に基づく表象世界を理解し、心理学から見て正しい形式をとれば、注目を集めるばかりか、ひいては広範な大衆の心へ至る道を見出すのである。】

具体的にはどういう手法であったのか・・。その著書によると。

★ テーマや標語を絞る
★ あまり知性を要求しない
★ 大衆の情緒的感受性を狙う
★ 細部に立ち入らない
★ 信条に応じ、何千回と繰り返す

ここ数ヶ月の反安倍政権をテーマにした、新聞とその同系列の、週刊誌、テレビ局、ラジオ局の吐き気のするような一大キャンペーンは、見事に結果を産んだと言えよう。

メディア・リテラシーという言葉が語られては消えていくようだが、こういうカタカナ言葉が広く人口に膾炙することは、それほど簡単ではない。

しかし、日本人に今声を大にして訴えたいのは、このカタカナ言葉の流布である。









知恵の出し所だ、街の書店!

2017年07月22日 | 社会観察
隣町に用事があって出かけたとき、よく国道沿いにある小さくもなく大きくもない書店に立ち寄って、暫し立ち読みに耽るのが楽しみの一つだった。

今日もちょっとした用事があって、隣町に出掛けた際、その書店に立ち寄ろうと思っていたら、すでに廃業していて驚いた。

  書店の絶滅を予見

暑い日は、冷房が効いた書店で、新書コーナー、雑誌コーナーなどを巡りながら、最近の売れ筋本や流行の雑誌などを観て廻るのは、至福の時間であっただけに、寂れた書店の外観を目にしたときは、ショックだった。

アマゾンの所為だ。

直感でそう思ったが、こうなることはもう何年も前から予測できたことだったはずだ。

まず、書店の対応が遅すぎることは致命的な問題だったはずだ。田舎の書店にあるはずがないとは分った上で、何冊か読みたい本を注文すると、届けられるのは数ヵ月後であった。

さらに、書店がマンガ本に侵略されていくのを、成すがままにしてきた書店側の知恵の無さは、素人が観ていても姑息過ぎていて、いつまでもこんな店が続くわけがないと感じていたものだ。看板を「雑誌と漫画本」と書き換えた方がいいと思ったものだ。

書店経営は素人が考えるほど簡単なものではないことは承知しているが、それでも経営者の知恵や工夫を全く感じさせない店は、末期的な重症患者を見る様であった。

このブログでも、私は以前から、『多すぎるコンビニ、速すぎるアマゾン』と声を大にして訴えてきたつもりだ。

注文した本は翌日届けられなくてもいい。せめて、一週間くらいで手に入る制度に改められていたなら、、、と思う次第である。

県庁所在地などにある書店は、世相に敏感に反応する本の配列をしたりして、その書店の工夫が見られて感心する事がある。

外資に屈することなく、挑戦する書店経営者がもう少し現れないかと期待したい。

半分は女性ですから・・・

2017年07月15日 | 社会観察
めんどりが朝時を告げる家は禍を招く。

これは単に昔の支那の話だけのこと、だと思いたい。しかしそれにしても、今やこの国のニュースの主人公は、圧倒的に女性が多いように感ずるのは、私だけ??

  これが都民の期待の星?

前の都知事が酷かったから、それと比較するなら大抵の人なら輝いて見えるのだろうが、前の前の都知事まで血祭りにあげようとすると、さすがに引いてしまう都民が出るのだろうと見ていたが、それほど都民は気にならなかったようだ。

しかし、このご婦人の評価は、まだまだこれからのことで、なにせ一気に手下が増えたのはいいが、多分ろくなのがいないんじゃないかと、素人でも簡単に推察できる。

 サスペンスよりスリラーよ。

ちょっと話を聞けば、「ああ、こりゃまともな人じゃないな・・」って分ると思うのだが、何せ週刊誌は、特に女性週刊誌の読者は、この類の話が大好きなようで、待合室に置いてある「女性XXX」などの週刊誌は、ボロボロ状態になっている。

 さあ、次なる嘘は?

言う事がコロコロ変わり、嘘を嘘だとも思っていない様子は、日本人離れしていて明らかに普通の日本人とは育ちが違うのが分る。それにしても、こういうのに一票を投じる人が多いのは理解できない。

  今いずこ?病院?

世のハゲ頭の男性たちは、相当傷ついたであろう。カツラのメーカーは、彼女をCMに起用したくてムズムズしているのではないか。

輝かしい経歴を自らこんな形で傷つけることになってしまって、今や死にたい気分だろうと察する。

  日本中の笑い者ww

恐らく、この方のテレビ出演のギャラは破格の扱いであろう。そうでもなきゃ、あんな馬鹿げたことを、恥ずかしげもなくギャアギャアまくし立てることなど、常人にはできない芸当である。しかもこの方一時は法政大学で教鞭をとっていたというではないか。

言動をみていると何となく理解できるのだが、この方の体は半島系のDNAに支配されているはずだ。とても日本人と同じ血筋だとは思えない。

今やこの国は、元気一杯の金になる女性がひしめき合っているようだ。お笑いゲー人たちも、口をあんぐり開けて観ているしかないじゃないか?

雌鶏朝鳴きゃ家滅ぶ

2017年07月14日 | 社会観察
支那の古典に出てくる言葉には、含蓄に富む言葉がたくさんある。

現代の日本人は、今の中国や中国人の実態とはあまりにもかけ離れているので、今ひとつピンと来ないのだが、言っていることは現代日本人にも充分参考になる言葉が溢れている。

巧言令色鮮し仁(こうげんれいしょくすくなしじん)という「論語」に出ている言葉が好きで、これまでこの類の人間を何十人も見てきた感じがする。

意味は、【言葉巧みで、人から好かれようと愛想を振りまく者には、誠実な人間が少なく、人として最も大事な徳である仁の心が欠けているものだということ。】で、要するに、ベラベラとオベンチャラをしゃべくる野郎には、ろくなのがいないという意味だ。

鮮という字は、少なしと読んで、意味もその意味だ。

以前、このブログでも紹介した、「牝鶏晨す」(ひんけいあしたす)は、【めんどり歌えば家滅ぶ】などと言い換えられているそうだ。

  牝鶏が鳴く。

アシタす、とは日という漢字の下に、辰という字を書いた漢字で、「時を告げる」という意味を表わすそうだ。

【雌鶏が早朝に時を告げるような家は、禍が生じて、いずれ滅んでしまうものだ。】という言葉だが、これは日本に限らず世界中を見渡しても、当てはまる事例には事欠かない。

今の安倍政権が揺さぶられる要因には、「この、ハゲーーー!」の女性を始めとして、多く女性が関わっているし、揺さぶる側の筆頭である民進党の代表も国籍は定かではないが、性別は女性である。

お隣の前大統領も、牝鶏であった。さんざん鳴き喚いたあげく、失脚してしまった。雄鶏に交代したところで、もう国はガタガタの状態だ。

女性を社会に出すのはいいが、それが目的となってしまうと、国が滅んでしまう危険がある。

  コケコッコヶー!!

おだてられてノコノコ出る方も、まずは自分の姿を鏡に映して、よく考えてから決める余裕が必要であろう。




エェ?!阿波踊りが赤字????

2017年07月01日 | 社会観察
先週、徳島市に行った時、阿波十郎兵衛屋敷の中の売店の店番をしているご婦人と、結構長い立ち話をしてしまった。

今、思い返すと実に「聞き上手」な方で、私もべらべらと、初対面の方に言わなくてもいいことまで気持ちよく喋っていた感じである。

私のガラケーの待ち受け画面まで披露して、去年から徳島出身の松友選手の大ファンであることをアピールしたのだが、流石にこの時はご婦人が、少しドン引きしていたようで、実は冷や汗が出たのであった。

そのご婦人は、その時呟くように、阿波踊りが赤字だって言うことらしいんですよね、と言っていた。

年間120万人以上の観光客が集まるお祭りが、赤字のはずが無いだろうと思って、その時私は聞き流していたのだが、帰ってきてから、勤め先の同僚に徳島に行って来たと言うと、彼は、「今年は阿波踊りがヤバイそうですよね・・・。」と言うのだった。

どういうことかと聞き返すと、何でも地元の「徳島新聞」がピンハネしていて、赤字になっているらしいということだった。

 去年の阿波踊り

早速、ネットで検索して見ると、週刊現代の6月初旬の記事がヒットした。

タイトルは、『この夏、「阿波おどり」に中止の危機』

123万人もの観光客を集める一大イベントも、慢性的な赤字体質で、4億3000万円もの巨額の借金が積みあがっているのだ、と記事は始っていた。

祭りの主催団体である徳島新聞社と徳島市観光協会の内紛があって、どうやら観光協会が実情を週刊誌に訴えたようであった。

曰く、徳島新聞が街の中心部の人気の桟敷席を2~3万席確保していって、どこにどうやって売っているのか、詳細が観光協会側に把握できていないそうだ。観光客からは、いい席が手に入らないと、毎年苦情がたくさん寄せられているそうだ。


さらに、徳島新聞社は、企業名の入った広告看板を『アイデル』という関連会社に扱わせて、莫大な利益をあげているのだという。一度看板を作れば毎年使用でき、まるで葬儀屋のように、原価を償却してからは、もう濡れ手で粟のように儲かる仕組みである。

 銭儲けのお祭り

さらに、徳島新聞社は企業から広告看板を受注して、15%の手数料を抜いてから、関連会社に仕事を回すのだというから、もう丸儲けをしているわけだ。

さらにさらに、徳島新聞社は、自社の社員を「アルバイト」として祭りに参加させ、その数は100人を超えているそうだ。

しかも、彼らには日当1万円が支給され、その上弁当代やタクシー代も支給されているというから、呆れてしまう。

観光協会は、この状況を改善すべく、様々な提案をしているのだが、ことごとく徳島新聞社に拒否され抵抗されて、実現に至っていないのだそうだ。

ご多分に漏れず、徳島新聞社は多くのローカル新聞同様、左翼系新聞であるそうだから、私は妙に納得してしまった。

全国ネットの左翼マスゴミは、当然こういう話題は取り上げようとはしないものだ。





女踊り、意匠で見る衣装変遷

2017年07月01日 | 社会観察
先週末の徳島への旅は、その目当ての優先順位を付けるなら、一に阿波踊り鑑賞、二に人形浄瑠璃鑑賞であった。

しかし、帰りのバスの中の私の気分は、阿波踊りに関しては、私の早とちりの誤解もあって、すこし「ガッカリ感」を抱き、反面、人形浄瑠璃に関しては、予想以上の感動を得て満足感に満ち満ちていた。

阿波踊りの「ガッカリ感」とは、その女踊りの洗練された衣装についてであった。

 阿波・女踊り

折り目がついた笠を斜にかぶって、両腕にはぴっちりしたしろい手甲。着物の裾を尻っぱしょりにして、なまめかしい長襦袢をあらわに出し、腰には印籠をぶら下げて、白い足袋に踊り下駄。足を蹴り上げた時チラリと見える、足首と赤い蹴だし・・・

徳島の阿波踊り会館で踊りの解説をしてくれた老人が、阿波踊りは女性をきれいに見せてくれる踊りです、と何度も強調していたが、私もまったく異論はなかった。

前から見ても、後ろから見ても、上から下まですべてが細部まで、着こなしもデザインも、粋であり乙であり、カッコイイのである。

 突然目の前に立たれてドキドキした・・

 最近の簡易衣装その1

 最近の簡易衣装その2

 最近の簡易衣装その3

 最近の簡易衣装その4


このデザインは、数百年という長い伝統の過程で行き着いた究極の意匠なのだろう、と私は勝手に思い込んでいたのだが、今回徳島市の阿波踊り会館の資料館で、いろいろ展示資料を見ていたとき、「アレッ?そうだったのかい?」と軽いショックを覚えたのだった。

昭和30年代の写真がいくつか展示されていたのだが、それをみると女踊りの衣装は今のそれとはあまりにも違っていて、私にはかなり興醒めであった。

  昭和32年

  昭和33年

  昭和39年

ほんの50年前の衣装ですら、編み笠そのものの形といい、そのかぶり方といい、浴衣の裾のはしょり方といい、こう言っては失礼なことは分っているが、踊り手の女性たちの体型までが、もう何から何まで昭和っぽいのだ。

ここからは、私の勝手な想像だが、女踊りの両腕を高く上げた踊り方や、一団で踊りながら進んだかと思うと、サッと隊列を変えたり、踊りを停止したりするという趣向が加わったのは、以外にも最近のことで多分平成に変わってからのことではないか。

それには、テレビで見るダンスユニットの影響もあるだろうし、何より阿波踊りの集客は銭になる、と悟った連中がその「経済効果」を増すために仕組んだ思惑も、裏で絡んでいるのではなかろうか。

数百年の歴史というのに偽りは無いだろうが、何か不に落ちない感じが今も私の心中に残っているのだ。

隣のネパール人の体臭対策 part 2

2017年06月19日 | 社会観察
暑くなってくると、誰かが事務所の窓を開ける。

すると、空気の流れが出来て、日によってはそよ風のようなものを感ずる時もある。しかし、私の場合はそのそよ風が大迷惑なのである。

私の机の右側に座るネパール人の、吐きそうになる体臭が、その空気の流れに乗って漂ってくるからだ。

5月の後半から、彼の体臭はますます強烈になってきているようで、私はしたくもないマスクを朝から晩までして、DAISOで買った小さな団扇で、向かってくる空気の流れに対抗して、気付かれないように、彼の机に向かってパタパタするのである。

しかし、団扇を右手に持っていると、パソコンのマウスが操作できない。

マウスを使うときは、仕方ないので団扇を置き、左手にレモングラスの香りを垂らしたハンカチを持ち、マスクの上から鼻に当てて、その爽やかな香りで、暫し私の脳中枢を癒すのである。

団扇で扇いだり、ハンカチを鼻に当てたり、臭いの切れたレモングラス液をハンカチに垂らしたりと、本来しなくてもいいことでアタフタするのも馬鹿馬鹿しいと思い、何かもっと良い対策は無いものかと考えていたところ、卓上扇風機という文明の利器があることを知った。

 アマゾンで999円

早速、写真のUSB卓上扇風機をアマゾンで注文した。そんなに急いで送ってこなくてもいいのだが、翌日にお約束通り届いた。

今日、それを職場に持って行き、早速試したところ、風量は2段階切換えできる上、音もほとんど気にならない。角度と風量と距離を調整してから、思い切って暑苦しいマスクをはずしてみた。

結果は・・・。

私の斜め右から顔に向かって結構な風が当たるのだが、隣から漂う汗と香辛料が混じりあったようなあの独特な悪臭は、いまだに鼻をつくのだった。

団扇は用無しとなったが、ハンカチを鼻に当てないととても耐えられない。

明日は扇風機の位置を斜め右45度から、10度くらいにまでずらして試してみることにしようと考えている。

宗教上の理由らしいが、この糞暑い日が続くというのに、よくも風呂に入らずに平気なものだと呆れ果てる。異文化理解などしたくも無いので、日本人の清潔感を少しでも学んでいただけないものかと切に願うだけである。