孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

近頃の土人衆ファッション

2018年11月10日 | 社会観察
一昨日は、近所の老婆が他界して、その葬儀手伝いのために、一日勤め先を休んだ。

その前日夕は、通夜のため、近所は(いわゆる土人衆)同じように、お手伝いに借り出される風習がある。しかし、通夜の方はカミさんに頼んで、カミさんはそのため勤め先を早退したのだった。

享年97歳という老婆の所為か、弔問客は親族と孫の勤め先から、パラパラとあって、総勢おそらく数十名、プラス隣近所の十数名だったようで、カミさんもその少なさに拍子抜けしたと笑っていた。

 通夜の夜の玄関

私は子供心に覚えているが、私の祖父が他界した時の通夜は近所の人たちが、深夜まで語り明かしていて、確かみんな帰宅した時は日付が変わっていた。

もちろん、タダ酒を楽しんでいたからで、呑ん兵衛にとっては、こういう時ほど嬉しいことは他に無いそうだ。

ちょっと前までは、同じ組の14軒はほとんど全部が農業に従事していた田舎であったが、今では専業農家は無くなってしまった。時代は変わって、地方の田舎は、ほとんどコミュニティの絆は崩壊していると言ってもよいだろう。

私の家など、私が高校生の頃までは、夜以外に、家の玄関に鍵を掛けるなどということはなかった。

その頃は、葬式の際は、近所のお手伝いである、土人衆は一家で二人出て、通夜・葬式をてつだったものだ。次第に、農協や冠婚葬祭の互助会なる民間業者が葬式を仕切るようになり、今では自宅で葬式を執り行うことなど、まず見かけなくなった。


今回も、同様に民間の葬儀社に依頼したためか、土人衆のやることは、通夜訪問客の香典を預かり、金額に応じた香典返しを渡す、帳場担当が3~4名。残りの十数名は弔問客を臨時駐車場まで誘導することだったそうだ。

ただ、その数たるや、ほんの数台だったというから、ピカピカ光る懐中電灯を持って道路に突っ立っていただけだったようだ。しかも、4~5mおきに立っていたようだ。

さらに、可笑しい事に、いつの間にか私の班では、いわゆる長老の一言で、土人衆は全員正式な喪服を着てくることと決まったそうで、男女とも立派な喪服に身を包んだ土人衆が喪主の家に参集する。「今、どこも土人衆は喪服だ。」と長老は強調したそうだ。

葬儀の日の日程は、出棺午前9時半、葬儀午後1時開始だとカミさんが教えてくれた。土人衆の半分は、火葬場に出向き、火葬中の遺族・親族にお茶や飲み物を取り持つことを担当する。

私も、以前数回その担当を仰せ付かった事があったが、ほとんどが葬儀社から派遣された2名の女性が段取りをしてくれたので、特にすることといったら、すべて終わった時のテーブル・座布団の後片付けくらいだった。

 弔問客の駐車場が問題


出棺は午前9時半なのだが、土人衆は朝8時集合だといわれて、私は1時間半何をして過ごすのだろうと疑問に感じたが、8時5分前くらいに喪主の家の庭に出向いた。

土人衆の皆さんは、全員正式な喪服を着ていたので、黒いポロシャツに黒いブルゾンを着て出向いた私を見て、みなさん少々驚いた様子であった。

土人衆とは、お手伝いをする近所の人たちの別称である。お手伝いをするのなら、それなりに適した格好があると思うし、正式な喪服がそれに当たるとは私は思わない。

これが私の自論で、特に通夜に出向く際に、近所が喪服でゾロゾロというのは、死ぬのを待っていたようで、見ていて妙な光景だ。『驚いて、馳せ参じました』という意味で、地味ならば、普段着で充分ではないか。

その朝も、葬儀社の方が、庭先で立ち話していた土人衆を、親族か弔問客と勘違いして声をかけていた。「そら、見ろ」と私は笑を噛み殺した。

葬儀社の方が、見るに見かねて、「ご近所のお手伝いの皆さん、立っていてお疲れでしょうから、こちらのパイプ椅子に腰掛けてください。」と椅子を何台か組み立ててくれた。しかし、それに座ったのは、私だけだった。

9時半丁度に、親族に運ばれて棺桶が庭に運ばれてきた。悲しい音色のクラクションがなったと同時に霊柩車は静かにタイヤを転がして道路に出て、火葬場に向かった。

さて、残された土人衆は、告別式の行われる近くのホールで帳場に立たなければならない。葬式は午後1時からなので、多分1時間前にホールに出向けばいいだろうと思い、私は、それまで家に戻って勤め先の宿題をしようと家に向かった。

すると、同じ土人衆の若手のひとりが、「あのー、他の人たちはもうホールに向かうというので、僕が車を用意したのですが、一緒にどうですか?」と、声をかけてきた。

私は、そんなに早くホールに行って、何かすることはあるのかい?」と聞いた。
彼は、「火葬場から親族が戻ってくるのは多分11時半頃でしょうから、それまではないですよ。でも長老が言うもんだからねえ・・・」と言う。

私は、「自分は、自家用車で12時までに行くから、先に行っててください。」と言って家に向かった。

葬式が定刻に始ると、「列席者があまりにも少ないから、ご近所の皆様もどうか列席してください。」と帳場に突っ立っていた我々に葬儀社の責任者が話しかけてきた。

「でも、帳場の方が・・・」と土人衆のひとりが言うと、彼は、「いや、もうこれ以上こないですよ。帳場は私が見ますから大丈夫です。」と言う。

結局、帳場担当の6名の土人衆は告別に列席して、坊主の念仏に耳を傾けたのであった。

精進落としの料理の席に着くよう、土人衆の我々にもお声がかかった。テーブルにはビールなどの飲み物と、茶碗蒸し、折り詰め料理などが並べられていた。

土人衆の長老の一番のお楽しみは、ここで飲めるビールのようであった。




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