まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

せみ鳴いて 山のお堂の 蜘蛛の糸

2011年07月26日 | たまには真剣な研究なども

 毎朝に書いているのだが・・・ことしはどういう訳だか・・・朝方が寒い・・・。で、朝方から・・・カナカナカナ・・・というヒグラシの声で起こされる・・・。きょうも五時前起きだった・・・。

  

 明日の27日に、塩飽史談会の会員さんが・・さぬき広島の「大般若経六00巻」を調査に来られる・・・というので、その方のお出迎えほかを頼まれて・・・我が家を今朝の七時に出発して・・・丸亀に向かう・・・。

 

 朝方は・・・夏らしくさっぱりとして気持ちのいい夏の朝になった・・。これは・・「いい日、たびだちだ・・」と、ももえちゃんの歌を口ずさみながら・・・さぬき広島にやってきた・・。

 

 九時半出航のフェリーには・・・海水浴客らしい若者が数人ずつ二組と、あとは・・・丸亀市衛生局とかの職員が数人と、「ゼンリン」の作業員たちが数名乗り込んできたが、相変わらず・・・さみしい船旅ではある・・・。

 さて、例の「島四国札所完全ガイド」なるものを書いていて・・疑問点がいくつか。それを調べるために立石のお大師堂に行ってみた。ここは・・お大師参りの一番札所になる所。

 

 ここに・・理源大師の石仏に嘉永五年六月と刻まれている・・・とか、ここに直径20Cmほどの器に木のフタをした清水入れがあって、目の悪い人はこの水を目に当てたり身体の悪いところにふりかける・・・と、香川県史ほかに書いてある。

 

 確かに・・・「嘉永五子六月二十一日」と刻まれてはいるが、これは理源大師の像とは別物・・・。理源大師と刻まれたものもあるにはあるが、こちらには何も刻まれていない・・・。

 

 で、どうやら・・これが・・清水入れらしい。直径20Cm,高さ7Cm、木のふたをしてある・・。ふむふむ。一見は百聞にしかず・・・やね。これで納得・・・。この石仏に刻まれた・・嘉永五年というのは、あの・・ペリー提督が浦賀にやってくる前年のことである。

 今日のお昼は・・・暑かったもので・・我が家でのおそうめんになった・・。夏場には冷たくしたそうめんがおいしいと思う・・・。

 その・・昼食を食べてから・・・冷蔵庫にビールがほとんどないのに気がついた・・・。「これはあかんぜよ~・・・」と、カメラ一式ほかをかかえて・・・・島の・・「天野商店」に向かった・・。そこで・・缶ビール350mlを6本買ったら、「これ、預かっとるんやけど・・・」と、天野のおっちゃんが・・・。見れば・・・心経山の大師堂の鍵やがな・・・。

 「・・・。これは・・今、行っとくのが正解かなぁ・・」と思案しながらも・・・もらった幸運やな・・と思って・・・。軽トラをローギヤーにして、「石出し道」を急登坂・・・・。先の台風で・・松の木が倒れぇの・・、岩が道路をふさいでおりぃの・・、草ボウボウだったりしぃの・・。それを排除しながら山登り・・・。

 

 八合目からは・・岩がごろごろの山道の「大師道」をヤブ蚊におそわれながら登って行って・・・。

 

 ハァハァ・・ゼィゼィ・・・と・・・山の頂上(213m)へ・・・。この頃には湿気がむんむんとしていて・・全身汗まみれだ・・。

 で、ここの大師堂の鍵を開けて中へ入ったが、こういう所だから電灯なんぞなくて、中は真っ暗・・・。窓を手探りで開けて・・・。

 

 幔幕を開けてみると・・・ない・・。51番札所の石仏がない・・・。これは・・何の掛け軸だろうかね・・・。

 

 中央の幔幕をめくると、そこにはお大師様らしき石仏が・・・。でも、探している・・51番と52番の石仏がない・・・。

 

 左端にはお不動さんの掛け軸が・・・。「が~~・・・ん」。探している石仏がない・・・。51番と52番の石仏はどこにあるんじゃろうか・・・・。窓を元通りに閉め、鍵をしっかりと掛けて下山・・・・。急激に・・・パワ~・・ダウン・・・。カラータイマーが点滅しそうだ・・・。血圧で目が回る・・。水分不足でのどがカラカラ・・・。

 

 4時からお風呂に入り・・・5時から夕食を食べて・・・、今夜は明日のために早くにお休みするけんね・・・。

 明日には・・・大般若経の調査が終わったら、広島を出て帰宅・・・。明後日の木曜日は・・県立病院での定期検診の予定・・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね・・・。

 


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