深*龍宮の使いのブログ

色々なことを書いていきたいと思います、よろしくお願いします。

循環社会と、循環経済、

2006-02-24 13:05:25 | 社会
    どうもこんにちは


  最近、メールの件が色々うるさいですね、まあそういう騒動を、私が見ていて感じたのが、日本の民主主義の脆弱さというか、まだまだ不完全だなあと感じます、例えば問題追求は、与党はやらないですよね、自分にとって損だから、だけど、野党は問題追及したくても、問題追求をする権限がない、結果として、問題追求が非常に難しく、硬直した政府状態を生みやすい。 わたしは、この点に関して、例えば、野党の議員100人くらいの署名があれば、年に3回まで、与党と同じ権限を与える(問題の追及に関してのみですが)ようにすべきではないかなと思います、そうでなければ国民にとっての良い政府、ではなく、政治家の都合がどこまでも通せる、国民のためにはならない政府になってしまうような気がします(というか、もうなってますが)。


  さて、それはいいとして今日は、循環社会と、循環経済、という事でも、この言葉は、私の造語なので本来の意味があったりすると、問題かもしれませんが、まあ、個人的にこういう事が今この国に必要なのではないかと思ったので、書いてみようかと思います。


  循環社会と、循環経済、この考え方は、少し前に書いた「飽和という限界」というものを書いたときに思いついたのですけど、飽和という限界が経済的に起きた場合、どうすればいいか、もしくはどんな事が起こるか、そう考えていって、こうなるんじゃないかな、こうするべきではないかな、と思った事があって、それが、循環社会と循環経済、という事なのですが。 まず、経済的に飽和した状態の国家では、どんな事が起こるか、と考えてみて、イメージしたのが、こう大きさの決まっている輪というか、そういう感じのものをイメージして、その中に色々なものがあるというイメージで、図にすると下のような感じで

   1  ___________________   2  _______
      l         l     l        l
      l a    e   l    al     e    l
      l  w s    w l->  wl  s    w l
      l         l     l         l
      l   x  c   l     l   x   c l
      l         l     l        l
      ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~     ~~~~~~~~~~~~~~~~~


  ついでなので、それがどうなるかという事を、2として書いてみましたが、1については、飽和状態なので、まあ、これ以上枠が大きくはならないと、それで、もし右の方にあるwが動いて変えようとすると、左のwとaが市場からはみ出て存在できなくなる、とまあそんな感じのことなのですが。  


  そうなるとはみ出たものは、なくなり、確かに変化は起きます、しかし、今までのような全体のための発展という意味は持たず、部分が良くなりその分どこかが悪くなるような、全体としては別に良くはならず、いわゆる格差社会となるわけです、それで格差社会になっても、全体がよくなる事はないのですね、なぜなら飽和状態ですから、これ以上は大きくはなれない。


  
  そこでわたしが考えたのが、やはり、もう限界なら、無理に大きくしようとはせず、全体の循環を良くしたらどうかということで、そのためには、規制緩和と規制強化の両方が必要になる。 単純な規制緩和の場合、これは上の図のような全体の歪みを生み、ただ無駄な消耗を生むだけの、非効率な構造を生み、またこれでは人々は幸せには生きづらいように感じます。


  そこで規制緩和と規制強化をあわせ、経済を水路のように流れるようにする、部分的には変えてもいいが、全体的には流れの循環を主とする、今までのようにただ自然の流れでやったり、流れを大きくすればいいというのではなく、限界にきている流れが、問題にならないように、ある程度のコントロールをする、まあ、このコントロールが曲者になりそうですが、理系の人物にやらせればなんとかなるかなと思っています。


  まあ、何となくですが、いま日本の問われているのは、構造的意味、形を問われているように思います、この国は全体的に、ただこうすればいいという考えでやってきましたが、そろそろそれも限界で、構造的にどうするかという、ただこれが良いあれが良いという良し悪しの考えでなく、本質的意味をとらえ、形を作っていく、そういう段階にはいってきたように感じます。



  
    それでは今日は金曜ですので、次回は月曜になります、では、良い週末を。