深*龍宮の使いのブログ

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大人は神を信じてはいけない、

2009-09-30 14:13:48 | 社会
    どうもこんにちは、



  鳩山政権が始まって一月ぐらいがたちましたが、やはり政権交代というのはインパクトがあるというか、ずいぶん変化がおきているように思えます、


  ただ逆に言うと、いろいろなことが起きすぎていて書きづらくなってきてはいるのですけど、でまあ、それについてちょっと書いてみると、


  まずは、最近何度か書いている八ツ場ダム問題ですが、この問題はかなり根が深いようですね、

  例えばこの事業の費用は4000億といわれていますけど、実際は最低でも9000億ぐらいになるといわれ、1兆円を超えるかもしれないようです、


  大体事業自体がおかしなもので、例えばこのダムの河川というのは元々酸性の強い川らしく、温泉とかあるところですからそういう酸性の強い川に作ろうとしているダムなので、


  それを解決するために上流にもう一個ダムを作って、そこで石灰を大量に入れて中和し、それを下で八ツ場ダムで貯水しようという計画らしく、二度手間みたいになっているらしいんですね、


  本来ならば上流で石灰で中和してから下のダムで受け止める、なんてのはおかしいですからやらなかったものが、

  あの「君とは違うんです!」といってどこかに消えた自民党の福田元首相が関わっているらしくて、こんな意味のない事を長年続けてきたようです、



  そういえば私はこのダムの事を聞いたことがあって、石灰で中和するために二つもダムを作っている、おかしなダムがあるっていう話は聞いた覚えがあったのだけど、さすがにやめてたと思ったのがまだやってたんですね、


  大体温泉地にダムを作ればどうなるかぐらいすぐ分かるじゃないですか、温泉水が大量に流れ込むわけだから、そんなところにダムを作るのは非常識ですよね、


  それが官僚支配というか、自民党の金のためというか、

  官僚っていうのは絶対的に自分が正しくなければならず、間違いは絶対に認めない連中だからおかしくてもやめれず、

  自民党も福田とか中曽根とかあそこら辺にいるから、金のために工事を強行し、金がかかっているからやめることができない、


  役人の権威主義と自民党の金権主義、それが見事に合致してしまって分けのわからんダムを作ってしまったのが、八ツ場ダムなのでしょう、

  だからこのダムはやめてしまっていいと思いますね、地元の反対もやらせらしいし、本心では反対している人も多いようだからやめてしまって問題はないのではないかと思います、




  次に、金融担当大臣になった亀井氏のモラトリアム法案というものが、話題になっているようですが、

  まあ確かに、亀井氏のいうようなことをそのままやってしまうと、問題になる可能性があるとは思いますけど、

  しかし昔の戦後の頃の金融というものは、そのモラトリアムに近かったわけだから、不可能ともいえないように思います、



  亀井氏の言うことをそのままやることはちょっとまずいような気はするのだけど、例えば金融機関の不良債権基準とか、自己資本比率の基準を見直せばある程度はできるだろうし、


  また別の面から見ても、今までも日銀が金融機関に資金供給をしても、それが会社に行かず企業融資には行かなくて、今起きているサブプライムローンのような過剰金融に流れた点を見ても、金融機関に渡した金が企業融資に向くように要請する必要自体はあるはず、


  私個人としては亀井氏の考えはあっているように思うのだが、具体的な手法論が間違っているという気がしますね、

  今でも金融機関は企業融資をせず、投資的資金とかもしくはサラ金に金を流して、国民から搾取をしようという視点に立っている、


  日銀から借りるときはかなりの低利で借りれるらしいから、サラ金でも経営すれば莫大な資金にはなるだろうが、日銀の通貨保障をしているのは国民なのだから、国民の信用を利用して国民から搾取をするというのでは話の筋が通るまい、


  亀井氏は感覚的には分かっているのだろうけど、具体的なところがずれているのだろうな、

  本来ならば、企業融資に向かない日本の金融の問題を指摘すべきであり、それを強制させていくべきだというのが正しいのだろう、


  ただしそれをやるとなると難しいね、手段としては上で書いたように不良債権基準の緩和や、自己資本基準の緩和あたりをして融資をしやすくする環境を整えるか、

  もしくは郵便局を国営化に戻して、国策としてモラトリアムをやるかどっちかかな、


  ともかく、発想自体はそれほど間違ってはいないが手法論としては問題点が多いこのモラトリアム法案、どうなることやらとは思っています、





  さて、それはいいとして今日は、大人は神を信じてはいけない、ということでも書いてみようかと、

  いつも書く詭弁というか皮肉といいますかね、悪口のつもりはないのですけどまあこう、一般的に成り立っていることが実は問題じゃないかという、よく書いている話なのですが、


  それで大人は神を信じてはならないということで、この話は別に宗教とかそういうものをさしているのではなくて、何かを信じるということを大人がしていいのか?という話なのですけど、


  人というものは弱さもあり、また生まれながらの癖や性質もしくは環境によって、特定のものを好んだり信じたりするということがあると思います、


  しかし、子供ならまだしも大人がそういう特定のものを絶対視するような立場につくと問題がおきやすい、

  今の時代の問題もよくよく考えてみれば、多くの大人が特定の要素を好み、そしてその好みを強気に要求したことが本質的な問題としてあるのであって、特定の誰かが問題だとか特定の何かが問題であったというよりは、多くの人が特定の好みを強く要求して非現実的な行為を繰り返したことにすべての問題があるのです、


  たとえば冷戦が終わって、冷戦時は資本主義社会主義といわれていましたから、資本主義が正しいとそれを神のように信じて、その派生である新自由主義をこれまた無条件に認めて、それによって社会が破壊されてもなお現実より、自らの神というか信仰のようなものを優先させた人が非常に多かった、


  他でも、アメリカや自民党が正しいと信じ込み、現実的問題をアメリカや自民党が行って、多くの人々が不幸になっていても、それを否定して現実ではない自らの信仰を優先する人が非常に多かった、


  経済もそうでしょう、戦後的な企業重視経済や輸出重視経済を信じて、その結果格差が広がり多くの人々が不幸になっても、それを否定し現実よりも、自らの好みや信仰を優先させた、


  信じるものは救われる、しかしその救われるものは信じている当人だけであって、別に社会や世の中が救われるわけではない、

  人は年を取るとどうしても特定の要素や考えに固執して、色々なものを認めるよりは、特定の要素だけを認めてそれ以外を否定するような傾向が強い、


  ここに人の矛盾があって、本来年を取ったら広い視野や多くの知識を持って全体を導かなければならないのに、人はそのまったく逆にどんどん進んでしまう、


  だから本当ならば大人というくらいの年になったら、神のように信じるものを持ってはいけないはずなのに、人は年とともに信じるものを持とうとする、


  宗教のようなわかりやすい神のようなものならば、人は意図的にブレーキをかけるのに、それが日常的な信仰、特定の考えに対する執着心となると、わかりづらいからなのか簡単に自分の中に神のようなものを作ってしまう、


  それが人なのだから間違いではないのではないか、といわれれば確かにそうかもしれない、

  しかしその繰り返しが人の間違いの歴史であり、やはり意図的にそういうものを変えていく必要はあるのではないだろうか、


  大人は神を信じてはいけない、この言葉は人がなぜ神の様な宗教を持とうとするのか、という根源的な問いでもあるのだけど、ただ今の世の中を見ても、具体的な問題が非常に大きく出やすいようになってきていますから、それを考えると信仰に近いような考えを社会や世の中に持たせるというのは、今となってはもはや間違いであるのかもしれない、


  昔から人には信仰があって、神とは言うけどそれは人の営みとか、共同体の共通認識とか、そういう意味が強くて、

  そういう歴史というものはずうっと続いているわけだから、今でもそういうものはあるでしょう、


  しかしもうそういうものを認められる時代というものは、どうやら過ぎてしまっているようなので、これからは信仰のように社会や世の中を考えるのではなく、

  社会や世の中のことを考えて、それに対する信仰のようなものをつぶしていくことが重要な意味を持つのかもしれません、





    それでは、今は週一家ですので次回は来週の水曜日になります、では次回まで、