深*龍宮の使いのブログ

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資本主義の終わり、

2009-01-29 13:38:47 | 社会
    どうもこんにちは、



  世の中いろいろなことが起きているようですが、まあ二日くらいだとあまり変化がないもので、さて何を書こうかと思っているのですが、


  そうですね、そういえば二次補正法案が通ったらしいですね、あの定額給付金とかいうわけの分からない金をばら撒く話でしたか、

  しかし定額給付金は、よく指摘されていますが住所がない人がもらえなかったりする制度だから、社会弱者への救済にはなっていませんね、


  それに、二兆円も出すのだったら社会保障費に回せばいいのだし、今だって生活保護を打ち切られて自殺する人とか多いのに、そういう人をどんどん打ち切れって政府与党は圧力をかけているんだろ?、門前払いしろとかそういうことを指導していると聞くけど、やっていることと言っていることとの意味が分からないな、


  だから結局裕福層向けのばら撒きのようなものらしいが、1~2万もらっても票は入れないだろうし、そういう人たちだってそんな金をもらうくらいならば景気対策か、社会的弱者を生むと治安が悪化するから、そういう方面に使ってくれと思っているのではないか、


  まあ自民党としてはなにも考えずに、金をばら撒こうとしているのだろうけど、何を考えて生きているのかよく分かるやつらだ、

  ただ、この二次補正の財源案は通っていないから、定額給付金については今年度は無いかね、確か案が通ってから二ヶ月たたないと衆議院の優位性で法律が成立しないから、自民党が衆議院で財源案を通していたとしても、今年度は無理だろうか、


  となると、政府与党不利かな、出来るといったのに出来ないのだし、国民は反対が多いのだから、与党は両方から批判されるだろう、

  ま、それが原因で早く潰れてくれるのならばいいのですが、



  あとは、前回書いた同じ階の女性をばらばらにしたとかいう事件で、やっぱり気になるのでもうちょっとかいてみようかと思うのだけど、

  
  この事件は、女性を連れ込んでばらばらにしてトイレに流したというのだが、なんかそれで検察が女性をマネキンに見立てて、どうやってばらばらにしたのか説明をしたり、また、マネキンの内部を真っ赤に染めてリアリティを出していたといわれているが、

    
  これが一番問題だと思うんだね、なぜかというとそもそも検察の仕事は、裁判官や陪審員制度ならば陪審員に対して、客観的な判断が出来るよう情報を提供することであり、犯人を仕立て上げるのが仕事ではないはず、

  だがテレビを見ても、検察の求刑がそのまま判決であるかのような報道が多く、検察の役割がこの国では狂っているといえるだろう、

  これでは検察といよりはおかっぴきのよなもので、証拠をそろえて自白を強要して、犯人を仕立て上げるのが仕事のように見える、


  しかし、近代の警察の仕事は客観性と合理性を問われるものであり、主観的に犯人を仕立て上げるのが仕事ではあるまい、日本の警察や検察機構は百年前から何も進歩していないといえるのではないか、


  だからこの女性をばらばらにした事件でも、本来検察の問うべき問題は、その事件が可能であったかということであり、可能ではなかったのならばそれが何であるかを考えるのが仕事のはずである、

  それが証拠集めと犯人の自白だけをもとに、犯人を決め付けるのが仕事だと考えているあたり、こいつらの脳みそは百年ほど古いといえよう、


  そしてそんなカビの生えたような思考停止組織の検察が、陪審員制度をやることに重大な問題があるといえる、

  陪審員は一般の人であるから、そういう人たちに判断をしてもらうためには、本来は客観的で感情的に流されないような情報を提供するのが、正しい判断になるはずである、

  しかし検察のやっていることはまったく逆だ、事実などそっちのけて感情をあおって犯人を仕立て上げ、捏造することしか考えていない、


  正直こいつらが日本の司法にかかわりあう権利があるとは思えないのだが、これまで誰も指摘してこなかったのはよほどこの国の隠ぺい工作がうまくいっていたのだろうが、ぼろが出たようだな、


  まあとにかく今回のバラバラ事件で見えてきたのは、検察が私的に犯人を捏造するためにあるだけの組織であって、客観的な法の裁きをする気がまったくないのがはっきりしたのではないか、そうでないというのならば最低限どうやって人をトイレに流したのか、またその犯人は4~5時間で人一人をばらばらにしていることになるが、それを検証すべきである、


  当然するわけないから、本当の犯人は検察自身になるわな、そうでなければここまで話を摩り替えようとしたり、犯人を仕立て上げたりすることに全力をいれたりはしない、

  そして狙いは陪審員制度、これがやつらにとってのどんなドル箱であるのかは分からないが、刑事罰だけを対象にしたこの制度によって、何を狙うのか?、私的制裁、公開処刑、いろいろ考えれるがまあろくなことを考えていないのは事実でしょう、多分だが戦前の特高のようなものをしたかったのではないかな、戦争が起きていたら多分そうなっていただろうから、






  さて、それはいいとして今日は、資本主義の終わり、という事でも書いてみようかと、

  まあ前回の続きみたいな話ですが、前回は資本主義こそが近代の経済の最大の問題点でもある、というようなことを書いた覚えがありますが、今回はそれが問題であるというのならば、資本主義とはどのあたりで限界が来るのかということについて、書いて見ようかと思っています、


  それで資本主義の終わりという事で、資本主義というものは経済発展を生みますが、同時に経済発展の問題も一番持っているものであるので、そういう意味でいえばそのように経済発展による問題が出てくるのならば、資本主義を否定していくことも必要なるでしょう、


  ではそれがどのあたりからかとなると、私の見た感じだと経済全体が金融に傾倒してきたら、資本主義は役に立たなくなってきていると見ていいと思います、

  なぜかというと、資本主義は前回も書きましたが、生産性の向上によって消費を弱くするという欠点があり、消費の向上というものが基本的に資本主義はできない、

  だから消費の喚起という面で、金を金融を通して社会にばら撒くようなことが起きはじめると、それは通常の方法ではもはや経済の社会還元ができなくなってきているという意味でもあるので、そうなってしまったら資本主義は手控えたほうがいいでしょう、



  資本主義は特定の方向性を向いている論であるので、一種の方法論ですから、全体論的な意味は持っておらず、ある程度進むと意味が弱くなる、

  しかし資本主義というものは近視眼的なものであり、また経済的な魅力の強いものでもあるので、多くの人を引き込み続けるところがある、  


  その場合どうなるかというと、資本主義は行き過ぎると経済を弱体化させ始めるが、資本主義は経済的な魅力があるので、それによって資本主義が多くの人々を引き込むことが重なる事によって、多くの人を満足させる意味のない存在を必要としはじめる、


  そこで使われるのが金融であり、金融の四次元的性質がこの幻像を満足させる意味を生み出す、今得ている利益が将来か誰かの損失であっても、金融ならば気づくことはない、

  しかし損失は損失であるので、いつかそれが経済全体を蓋うことになる、

  それはつまり資本主義の終わりというものは、バブルとバブルの崩壊のようなところが資本主義の限界点のようなものであるように見え、だいたいバブル的なものがはじけると資本主義的な方向性の殆どが意味を失い、資本主義のうまみがほぼ消失する、


  それは現実的にみれば資本主義というものの問題点を、金融でごまかすのがバブルであり、ごまかせなくなったのがバブル崩壊後の経済状態であると考えれば、だいたいあたっている思う、


  まあとにかく資本主義の終わりという事で、資本主義というものは経済成長策ではあるが、近代以降の生産性の向上は非常に強くなってしまったので、その生産性の向上の過剰化の問題のほうが、実際は大きくなりやすくなっている、

  しかし経済は近視眼的であり、資本主義も同じく近視眼的なものであるので、相性がよく人はついつい資本主義=経済と見て、資本主義の問題に気づかずそれを別の方法でごまかそうとする、


  それが金融的方向性そしてバブルであり、そういう形が現れた時点で資本主義はその意味を失っていると見てよく、だいたい過剰な金融の形の起きた後では、資本主義は意味を持たなくなる、

  それは資本主義の持つ目に見えづらい経済的損失を、金融という形でさらに見づらくし、それが積もり積もってはじけるので、そのころにはもうすでに資本主義が影響を持てる余裕がなくなっているのであろう、


  だからだいたいバブルのような金融がおき始めたら、そろそろ資本主義は難しいから、弱めてみるとかそういうことを考えるべきなのだが、

  日本人はそのタイミングで新自由主義という、資本主義を強めるようなことをしたので、壊滅的にだめになってしまったといえる、


  なんでも資本主義が正しいと考えたから、間違いをさらに間違いにしてしまって、何重にもなった問題点の層がこの国の経済を蓋い、多くの人々の未来を奪っている、


  資本主義にも終わるときはあるもので、特に近代化以降はその期間がどんどん短くなってきている、だからこれからは資本主義から距離をとるタイミングをよく考えるべきなのだが、単純論を好む日本人がこの問題に対処できるかどうかは、かなり難しいようには思います。






    それでは来週は週一回ですので、次回は来週の水曜になります、では次回まで、