どうもこんにちは、
最近は暑いですね、本来ならそろそろ寒くなり始めるころのはずなのですが、妙に暑いです。
そういえば、新しい内閣が出来たらしいですが、どうなんですかね、評判は今ひとつ悪いようです、
言っていることも存在もでたらめだから、こりゃだめだね、だって来月には解散総選挙をしようといっているのに、今月はじめたのだから、このままいくともって数週間だもんな、なんだか蝉の一生のような内閣ですね。
しかし自民党の最後がこんなにくだらない形になるとは、昔の自民党の議員からすると想像できないだろうな、だって何のいいところもなければ、意味もない、存在理由はどこにあるんだと考えないといけない内閣が、最後なんだから、
そもそもは十月の始めに解散する予定だったらしいから、それで9月に福田が逃げて、ひと月パフォーマンスをして、国民騙してすぐ解散と、そういう予定だったんだけど、
その一発芸があまりに受けなくて、一月恥をさらして解散総選挙になって、どうするかというのが今の与党の立場なのだろう、
人を騙すというのは信用があるからだませるのであって、信用を失ってしまえばそれまでなんだから、今でも自民党に信用があるなどという妄想を元に、訳の分からん事をしてしまったんだろうね、
やはり自民党は小泉政権などせず、野党にいっていればよかったんだろう、これでは自民党の再起もないし将来もない、となるとこれから日本の政治はどうなるんだろうか?、
さて、それはいいとして今日は、合成される世界、ということでも書いてみようかと、 まあ前回の続きみたいな話ですが、前回は情報洗脳的な今の世の中は、映画的な世の中になり事実と現実が分離して、人の認識上の現れる現実と、実際の事実との差が広がり、映像の中で暮らすような虚構的社会になりつつある、というようなことを書いた(はず)なのですけど。
それでその話をさらに進めて、そういう世界とは何であるかということを考えてみたので書いてみると、
それで合成される世界ということで、今のように人の洗脳が普通になると、何を持って事実とするべきかということが曖昧になり、状況に対する認識がはっきりしなくなる、
そうだと思うことはできても、そうであるかはまずわからない、認識に揺さぶりをかけてくる現代では、事実だと思わせるものが多すぎて、どれが事実かはわからない、
確かにこれが事実と思うことはできても、それが本当なのか確かめるのは非常に難しい、
だから事実だと思うことの連続が人の認識になり、人はその無限に続くループから逃げ出すことができない、
そしてそれは世界としてみたときに、事実と事実のように見えるものとの複合体のようになり、物事の真実はある種の比率的な曖昧な物になるだろう、
例えばこうこうだという話があるとする、しかしそれを事実であるか確かめることはできない、そうなるとすべては比であり、確率的な要素として現実、そして情報を眺めることとなる。
事実が事実である確率、というのは矛盾があるのだが、状況がそうなっているのだからしかたがない、100%の事実ではなく天気予報のように、50~60%の事実の羅列から何を読むか?、そしてその流れから100%の事実にならなかった部分の形を考えていく、
中世ではお化けや妖怪という非現実的な世界観があった、それが近代になり何でも合理的にわかるのだとなったら、今度は先祖返りでもするかのように不鮮明な事実が現れている、そういう意味ではプロパガンダは近代の幽霊のようなものかもしれないが、
まあそれはともかく合成される世界というのは、今の時代は人の洗脳手法の確立により、事実と事実でない非事実の二つが混ざった状況に人はいて、その二つの違いがわからなくなってきている、
そういう状況では事実と非事実を合わせて考える必要があり、事実と事実でないものが混ざった合成された世界を考える必要がある、
事実だけを追うのならば、それは壁にぶつかろう、そもそもプロパガンダはそこに非常に用心をする、だから普通に事実がわかるというのは難しい、
しかし、嘘もまことではあるので嘘をつくという事実、そしてデータからその裏を読むというのもまた一つの真実であり、そういう意味では嘘をついているというのは真実を語っているともいえる。
ただその真実とそうでないものが混ざり合い、分けれない状況であるから、一つ一つは曖昧になり、一点から物が見えるという形にはならないだろう、だから全体の意味や真実の含有量を考えつつ、その流れから何が裏であるのか考えてみる。
ちょっとややこしいですが、もしそう考えることができれば、今のような合成された世界でも、物が見えてくるのではないかと思います。
それでは来週からは週一回になるので、次回は来週の水曜日になります、では次回まで。
最近は暑いですね、本来ならそろそろ寒くなり始めるころのはずなのですが、妙に暑いです。
そういえば、新しい内閣が出来たらしいですが、どうなんですかね、評判は今ひとつ悪いようです、
言っていることも存在もでたらめだから、こりゃだめだね、だって来月には解散総選挙をしようといっているのに、今月はじめたのだから、このままいくともって数週間だもんな、なんだか蝉の一生のような内閣ですね。
しかし自民党の最後がこんなにくだらない形になるとは、昔の自民党の議員からすると想像できないだろうな、だって何のいいところもなければ、意味もない、存在理由はどこにあるんだと考えないといけない内閣が、最後なんだから、
そもそもは十月の始めに解散する予定だったらしいから、それで9月に福田が逃げて、ひと月パフォーマンスをして、国民騙してすぐ解散と、そういう予定だったんだけど、
その一発芸があまりに受けなくて、一月恥をさらして解散総選挙になって、どうするかというのが今の与党の立場なのだろう、
人を騙すというのは信用があるからだませるのであって、信用を失ってしまえばそれまでなんだから、今でも自民党に信用があるなどという妄想を元に、訳の分からん事をしてしまったんだろうね、
やはり自民党は小泉政権などせず、野党にいっていればよかったんだろう、これでは自民党の再起もないし将来もない、となるとこれから日本の政治はどうなるんだろうか?、
さて、それはいいとして今日は、合成される世界、ということでも書いてみようかと、 まあ前回の続きみたいな話ですが、前回は情報洗脳的な今の世の中は、映画的な世の中になり事実と現実が分離して、人の認識上の現れる現実と、実際の事実との差が広がり、映像の中で暮らすような虚構的社会になりつつある、というようなことを書いた(はず)なのですけど。
それでその話をさらに進めて、そういう世界とは何であるかということを考えてみたので書いてみると、
それで合成される世界ということで、今のように人の洗脳が普通になると、何を持って事実とするべきかということが曖昧になり、状況に対する認識がはっきりしなくなる、
そうだと思うことはできても、そうであるかはまずわからない、認識に揺さぶりをかけてくる現代では、事実だと思わせるものが多すぎて、どれが事実かはわからない、
確かにこれが事実と思うことはできても、それが本当なのか確かめるのは非常に難しい、
だから事実だと思うことの連続が人の認識になり、人はその無限に続くループから逃げ出すことができない、
そしてそれは世界としてみたときに、事実と事実のように見えるものとの複合体のようになり、物事の真実はある種の比率的な曖昧な物になるだろう、
例えばこうこうだという話があるとする、しかしそれを事実であるか確かめることはできない、そうなるとすべては比であり、確率的な要素として現実、そして情報を眺めることとなる。
事実が事実である確率、というのは矛盾があるのだが、状況がそうなっているのだからしかたがない、100%の事実ではなく天気予報のように、50~60%の事実の羅列から何を読むか?、そしてその流れから100%の事実にならなかった部分の形を考えていく、
中世ではお化けや妖怪という非現実的な世界観があった、それが近代になり何でも合理的にわかるのだとなったら、今度は先祖返りでもするかのように不鮮明な事実が現れている、そういう意味ではプロパガンダは近代の幽霊のようなものかもしれないが、
まあそれはともかく合成される世界というのは、今の時代は人の洗脳手法の確立により、事実と事実でない非事実の二つが混ざった状況に人はいて、その二つの違いがわからなくなってきている、
そういう状況では事実と非事実を合わせて考える必要があり、事実と事実でないものが混ざった合成された世界を考える必要がある、
事実だけを追うのならば、それは壁にぶつかろう、そもそもプロパガンダはそこに非常に用心をする、だから普通に事実がわかるというのは難しい、
しかし、嘘もまことではあるので嘘をつくという事実、そしてデータからその裏を読むというのもまた一つの真実であり、そういう意味では嘘をついているというのは真実を語っているともいえる。
ただその真実とそうでないものが混ざり合い、分けれない状況であるから、一つ一つは曖昧になり、一点から物が見えるという形にはならないだろう、だから全体の意味や真実の含有量を考えつつ、その流れから何が裏であるのか考えてみる。
ちょっとややこしいですが、もしそう考えることができれば、今のような合成された世界でも、物が見えてくるのではないかと思います。
それでは来週からは週一回になるので、次回は来週の水曜日になります、では次回まで。