地震関係のリンク、
義援金など、
自動車・通行実績情報マップ、
原子力の現場作業員は使い捨て、
沖縄移住情報(移住費用も出るようです)、
愛川さんのテレビ、
どうもこんにちは、
今日も暑いですね、来週から涼しくなるような話も聞いたけど、どうなのでしょうか、
さてそれはいいとして何か起きているかな、ひとまずは山口で知事選挙があったらしいので書いてみましょうか、
利権ズブズブの禿た爺さんが当選していたが、山口の知事選挙では脱原発やオスプレイ配備に対する反発もあり、利権候補が当選するかどうかが危ぶまれていた、
蓋を開けてみると2~3割及ばずということで、仮病の安部なんぞが生きているところだから、利権候補が勝ったようだ、
この選挙はややこしい経緯があるらしく、元々は地元の民主党議員が話し合って、脱原発候補を立てる計画があったが、
それなのにその話し合いをしていた民主党の国会議員がいきなり立候補し、その話が潰れて、
その後大阪の利権市長の関係者が脱原発で立候補し、結果負けたわけです、
可能性としてあるのは、山口の民主党が立てようとしていた候補が出ていれば勝てた可能性があることで、民主党の候補と脱原発候補が別々に出てしまったため、票が割れたのが敗因といえる、
何故か民主党をやめて知事選に出た人物は、その脱原発候補を立てることに深く関与しており、それが裏切って勝手に立候補したのは何らかの裏取引があると思う、
山口県の与党、自民党だから野党だけど、地方においては自民が与党の場合も多く、そういう状況で選挙をする場合、一番勝ちやすいパターンは批判票の分裂という手がある、
これは詐欺師の小泉がやっていた手段であり、野党がまとまりのない状態で与党が票をまとめれば、よほどのことがない限りは与党が勝ってしまうので、与党としては野党の票分裂を狙うことが多い、
今回の件に関しては、その票分裂が二重に行われており、本来であれば民主党が立てた脱原発候補が出るはずが、その中心にいた民主党議員が勝手に立候補しているし、
大阪利権市長の候補も、民主党ではないから山口で地盤があるわけではなく、票が割れる原因になった、
本来であれば民主党の地元の人が決めた脱原発候補が出ていれば、民主党の票と脱原発の票がまとまって、勝てた可能性があった
それが民主党内部の腐敗によって難しくなったのだろう、
私の見立てだと、民主党はわざとこの選挙に負けたのだと思う、自民党に恩を売るのが狙いではないかと思う、
今回の選挙で民主党議員がやめて知事選に出たのは多分野田豚の指示だろうから、票を割って自民候補が勝つ様に細工をしたのだろう、
大阪の維新の会の連中も、そういうことに協力していたのかもしれない、
その結果禿た利権知事が発生したのだが、この屑はろくなことはしないだろうな、役人上がりだから犯罪行為ばかりをして、無駄な金ばかりを使うだろう、
それでも民主主義といいたいだろうが、民主主義というのは別に選挙で決める必要はなく、民意が反映できればなんでも民主主義なのだから、インチキのやりやすい選挙結果などそれほど興味を持つ必要はない、
問題があれば死ぬまでたたけばいい、権力者はそのために生きているのだから、選挙がどうであれ問題があればたたき続けるべきである、
民主主義は正しいかもしれないが、別に選挙でなければならないという決まりはない、問題があれば国民の声を通すと、それが民主主義なのだから利権禿が知事になっても気にせず叩き続けるべきでしょう、
次に、昨日国会を囲むデモがあったようだ、囲んで語り合うというのではなくて、囲んで火をつけたいな~という、国民の思いのこもった暖かいデモだったらしいが、
それでそのデモに関して、大した数が来ていないとイチャモンをつけている学者がいた、こいつは昔は原発の問題をいっていたのに、最近は原発や放射能は安全だということが多い人物で、金でももらったのかなと思っているのだけど、
で、その人物もそうだが多くの方が思っている疑問がとして、デモは何人来ているのか?というのがあると思います、
たとえば昨日のデモでは、主催者発表で20万人、警察発表で1万人といっていた、
映像を見る限り一万人は軽く超えていると思うけど、じゃあ20万人なのかというとそれも分からないが、少なくとも警察の言っていることは正しくはない、
もしくは、考え方が違うというところはあると思う、
警察のいうデモ人数は、実は最少の人数を言うらしい、つまり最低限でもこのくらい来ていましたというが警察発表で、最大で来ていた数ではなく最低でもこのくらいまでは来ていましたという数字を発表するようだ、
最近のデモでは後半になるほど人が増える傾向がありますが、警察が調べているのは初期のころの人数であって、デモ開始時に最初にいる人数を調べているだけであって、トータルで見て何人来ているかという事は調べていない、
そしてその調べている人数も、土地面積から大雑把に割った人数なので、かなり少なめに出しているため、
人数の少ないデモの場合は、確かに警察発表も当たっている場合はあると思いますが、数が多い場合はまったく関係ない数値になります、
ですので規模の大きいデモについては、警察発表に意味はありません、しかも警察によると自分らは発表せず、マスコミが勝手に書いているだけらしいので、マスコミの推察で書いている部分もあるでしょうから、信憑性は低いようです、
では、そうなるとデモの人数はどのくらいいるのか?という疑問が出てきますが、デモの人数に関しては調べることは不可能だといわれています、
野鳥の会の方が、少し前のデモの人数を調べたらしいのですが、あまりに人の出入りが激しくまったく分からなかったようなので、厳密に人数を調べることは出来ないようです、
じゃあ主催者の発表は何なのかというと、ネットでちょっと見ただけなのであいまいなのですが、主催者の発表はそのデモで集まる地点への交通機関から割り出しているようです、
デモにくるためには交通機関を使いますから、その交通機関に乗っている人数からデモに来ているだろうという人の比率を出して、そこから大雑把に出しているようだけど、
まあこれも大雑把ですから厳密とはいえませんが、ただ実数に一番近いのは主催者発表だと思うので、多分主催者発表よりいくらか低いくらいだと思います、
後は、上で書いた山口禿知事選挙で、その当選した利権知事と脱原発をいっていた候補とではツイッターのフォロー数が違い、当選したほうのフォローが少ないのに当選したのだから、ツイッターの影響力はないという意見が出ていた、
これは昔から言われるネットに影響力はあるのか?という話で、ネットには影響力はあるけれど、それが具体的にどうであるかと考えると確かに難しい
ネットの影響力は確かにあるんですよ、たとえば政権交代は殆どがネットの影響力によるし、いまの社会で起きているものの多くがネットの影響で動いているものが多い、
たとえばデモとか、後は新しいものや珍しい話は大体ネットが中心に起こるし、情報のイニシアチブとしてはネットのほうが上位にあると思う、
ただだからといって直接的にネットの力があるかというと、それはないような気がします、
ネットは分散メディアなんですよね、たとえばツイッターでフォローがたくさんいる人がいて、そういう人がいたとしても殆どの人にはそれが影響を与えることはない、
いわゆるクラスタといういい方かな、クラスタというのはネットスラングで特定の要素で固まっている集団という意味らしいけど、ネットはクラスタ集団の世界ですから影響力があったとしても、広がりはないんですね、
だから直接的なネットの影響力というのは多分ないと思います、じゃあ何で直接影響力のないネットが、いつの間にか社会を変えてしまうのかというと、それは真実の問題だと思う、
残念ながらマスメディアというものは嘘をつく、彼らは商売ですから得と思えばどんな嘘でもついてくる、
それに対して、ネットであれこれしている人は場合にもよるけど、ネットは嘘をついてまで得になるほどの世界ではないので、あんまり嘘はつかないんですね、
たとえ嘘をついたとしてもそれはクラスタの中の世界ですから、広がるわけじゃないので詐欺みたいな事を直接的にやるのではなければ、嘘をつくメリットはネットにはない、
政権交代時も自民党が正しいといっている人はいた、非常に有名なブログがあったりしたけれど、そういう人がどんなにがんばっても意味がなかった、
それはそういう人の言っていることが真実ではなかったから、嘘をついたり誇張をしたりしてもそれが影響を与えることはなかった、
ネットの存在は矛盾しているけど、ある種の影響力のなさが純粋さ、そして信実を表しやすい道具としての意味をもっている、
影響力がないから嘘を言っても得がないので、結局真実を伝えたほうがいいんですね、
そして真実を伝えることによって、その真実が影響力を持っていく、ネットの影響力というのは、ネットの影響力という力の問題ではなく、ネットは真実が出やすいという性質が社会に影響を与えているのであって、ある意味量というよりは質の問題であり、
ネットは力はないけれど、いろいろな意味を持っているからそれが結果的に社会に影響を与えていく、
たとえば今起きている社会問題、政治問題なども、ネットで調べれば殆どの情報は出てくる、
しかしテレビや新聞を見ても、そういう情報はまったく出てこない、
いままでのメディア論というのは、力の勝負というか、資本や発行部数が多いかで物事を決めてきて、物量の影響力がメディアの意味であると言われてきた、
しかし、量を増やすという考えばかりになった結果、情報の質を持つという考えを既存のメディアは捨ててしまい、その開いた穴をネットが埋めているのだと思う、
ネットの影響力は確かにない、しかしそれはメディア論における物量の世界の話であって、それは上で書いたような知事選挙のツイッターフォロー数のように、量によって違いが出るのではないかという、いままでのメディア論を前提に考えている、
そうではなく、ネットのメディアとしての意味は影響力の量ではなく、影響力の質であり、一部の人間にしか影響を与えなくても、質のいい情報であればいずれ拡散するから、そのスタートは小さくてもいずれはだんだんと大きくなるような、そういう性質がネットにはある、
だから最終的にはネットの情報によって世の中は変わる、それはネットがというよりは物事というのは最終的には、真実にたどり着くという性質がありますから、それの後押しをネットがしているだけなのだと思う、
とはいえ別にネット世界が理想郷なのではないのですが、既存のメディアが物量の暴力で世の中を変えようとし、北風と太陽の話のように意味において変えようとするのがネットであり、その対比がいまの社会においては起きているのだと思います、
ネット影響力とは何であるか、それは既存のメディアとは大きくちがうと思います、世界観が違うので考え方が違うんですね、
いま学ぶべき、もしくは考えるべきことがあるとすれば、ネットと既存メディアの違いは何であるかというのはあるかもしれません、
その違いは考えるべきかもしれませんが、ネットとリアルメディアを直接比べることには意味がないので、別々なものだと考えたほうがいいと思います、
それ以外だと何かあるかな、発達障害の人の刑期が延びたと聞くね、こりゃ裁判官は縛り首だな、
この差別主義者のサディスト裁判官は、発達障害の兆候のある人物が、自分の姉を殺害したことに対して、社会の受け皿がないから刑期を4年の延ばすべきだといったらしい、
お前のような屑裁判官も受け皿がないから、さっさとあの世に旅立ってほしいものだが、これはどういう事なのだ?、
社会の受け皿がないから刑務所に入れておけとは、酷い犯罪社会だな、まあいまの日本はその程度の社会なのだろう、
近代化が発達していけば色々な今までなかった問題が発生する、発達障害という考えもそういうもので、昔はそういう見方はなかったから、裁判官の馬鹿連中はそういうことを知らなかったのだろうな、
あれだろ、あの大阪の利権市長が言っていた、発達障害は親の愛情や教育の問題だから、発達障害の子供のいる親は強制教育をするので金を払えといったことと同じで、その裁判官も同じような考えだったのだろうな、
まあ発達障害というのは難しいね、私も多少そういうところはあるけど、あれは別に障害というのではなくて、普通の人間と考え方が違うんですよ、いわゆる天才のような意味も持っていて、歴史上の偉人はその殆どが発達障害といわれているくらいで、別に悪いことじゃないのですけど、
ただそういう人間はそれなりの配慮をしなければならないし、社会保障も考えなければならないでしょう、
しかし日本人は悪くいえば馬鹿だからね、なんというか悪口になるけどよく空気を読めとか、周りに合わせろというじゃないですか、そういう考えというのは知性の劣化を生むんですね、
近代化で起こることは非常に複雑で、今までになかったような概念を生む、日本人は共通項、判りやすく言えば誰でも理解できるレベルでしか考えるなという、強調圧力を強くかけていく、
だからたとえばこういう発達障害に関しても、障害者だから叩くべきだという点で思考停止する人が殆どだと思う、発達障害というのは私も本を読んでみたけど、非常に複雑な話でとても多くの人間が納得できる共通項を生めるような話ではない、
なのでこういう問題に関しては、日本人は必ず単純な批判するし、それ以上のことをする能力がない、
それは他でも生活保護に関しても同じで、あれも調べると非常に複雑な世界なのだが、ああいうことも単純な批判以上のことを考えれる日本人は殆どいない、
関係が薄いからというのもあるかもしれませんが、日本人は物事を考える能力があまりにないので、複雑なことが起きた場合は感情的に対象を叩くことしかしない、
その裁判官もある意味日本人の代表のようなもので、多分その裁判官は発達障害のことをまったく知らなかったのでしょう、だからそいつを悪と考えて叩けば解決すると考えた、
裁判官になるのだから、それなりに学問はしてきているはずだけど、もの凄い馬鹿なんですよね、これが今の日本人の実情だと思う、
複雑なことを考えず単純に生きてきたツケというかな、何度も書いていますが近代化社会というものは、今までになかった非常に複雑な問題を生む、
それはいままでの社会概念では理解できないもので、柔軟に頭の考えを変えていかないと、理解することすら出来ないものなんですね、
海外の大学だと先生の言ったことを丸暗記すると零点になるらしいが、自分でものを考えるのが海外の教育で、自分は何も考えないのが日本の教育ですから、その差が出ているのかもしれません、
発達障害の人間は問題があるから刑務所に入れておけばいい、それが今の日本人の平均的な考え方なんですよ、理解をするとか考えるということを放棄して生きていますから、ある以上の複雑な問題に対しては感情論で叩くしか出来ない、
ものを考えるということを軽視したツケが出ているのでしょうが、ともかくそんな犯罪裁判官の言うことなど聞く必要はなく、その裁判官を刑務所送りにし、
発達障害に対しては、複雑な問題なので社会保障政策としてやるしかないでしょう、
いまの世の中は内面的に非常に複雑な社会になっている、情緒だ空気だといっていれば人を殺してしまうかもしれない社会なのだから、もっと日本人はものを考えるというか、理解しようとするというか、それは善意でなくてもいいんですよ、なにかどんな形でもいいから今の時代や社会が要求している、高い思考というものを得ていかないといけないと思う、
近代化は人間の思考の進化を要求していると思う、中世のようないままでの世界観には意味はなく、人間はもっと高い次元でものを考えなければいけなくなっている、
それは人間のすばらしい未来というよりは、近代化の果実で得た利益の代価のようなもので、技術が上がる分だけ人間の思考もあがらなければならない、
そして今までの世界も捨てなければならない、そうしないと自分が何をしているのかすら理解できなくなるので、
義援金など、
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利権ズブズブの禿た爺さんが当選していたが、山口の知事選挙では脱原発やオスプレイ配備に対する反発もあり、利権候補が当選するかどうかが危ぶまれていた、
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それなのにその話し合いをしていた民主党の国会議員がいきなり立候補し、その話が潰れて、
その後大阪の利権市長の関係者が脱原発で立候補し、結果負けたわけです、
可能性としてあるのは、山口の民主党が立てようとしていた候補が出ていれば勝てた可能性があることで、民主党の候補と脱原発候補が別々に出てしまったため、票が割れたのが敗因といえる、
何故か民主党をやめて知事選に出た人物は、その脱原発候補を立てることに深く関与しており、それが裏切って勝手に立候補したのは何らかの裏取引があると思う、
山口県の与党、自民党だから野党だけど、地方においては自民が与党の場合も多く、そういう状況で選挙をする場合、一番勝ちやすいパターンは批判票の分裂という手がある、
これは詐欺師の小泉がやっていた手段であり、野党がまとまりのない状態で与党が票をまとめれば、よほどのことがない限りは与党が勝ってしまうので、与党としては野党の票分裂を狙うことが多い、
今回の件に関しては、その票分裂が二重に行われており、本来であれば民主党が立てた脱原発候補が出るはずが、その中心にいた民主党議員が勝手に立候補しているし、
大阪利権市長の候補も、民主党ではないから山口で地盤があるわけではなく、票が割れる原因になった、
本来であれば民主党の地元の人が決めた脱原発候補が出ていれば、民主党の票と脱原発の票がまとまって、勝てた可能性があった
それが民主党内部の腐敗によって難しくなったのだろう、
私の見立てだと、民主党はわざとこの選挙に負けたのだと思う、自民党に恩を売るのが狙いではないかと思う、
今回の選挙で民主党議員がやめて知事選に出たのは多分野田豚の指示だろうから、票を割って自民候補が勝つ様に細工をしたのだろう、
大阪の維新の会の連中も、そういうことに協力していたのかもしれない、
その結果禿た利権知事が発生したのだが、この屑はろくなことはしないだろうな、役人上がりだから犯罪行為ばかりをして、無駄な金ばかりを使うだろう、
それでも民主主義といいたいだろうが、民主主義というのは別に選挙で決める必要はなく、民意が反映できればなんでも民主主義なのだから、インチキのやりやすい選挙結果などそれほど興味を持つ必要はない、
問題があれば死ぬまでたたけばいい、権力者はそのために生きているのだから、選挙がどうであれ問題があればたたき続けるべきである、
民主主義は正しいかもしれないが、別に選挙でなければならないという決まりはない、問題があれば国民の声を通すと、それが民主主義なのだから利権禿が知事になっても気にせず叩き続けるべきでしょう、
次に、昨日国会を囲むデモがあったようだ、囲んで語り合うというのではなくて、囲んで火をつけたいな~という、国民の思いのこもった暖かいデモだったらしいが、
それでそのデモに関して、大した数が来ていないとイチャモンをつけている学者がいた、こいつは昔は原発の問題をいっていたのに、最近は原発や放射能は安全だということが多い人物で、金でももらったのかなと思っているのだけど、
で、その人物もそうだが多くの方が思っている疑問がとして、デモは何人来ているのか?というのがあると思います、
たとえば昨日のデモでは、主催者発表で20万人、警察発表で1万人といっていた、
映像を見る限り一万人は軽く超えていると思うけど、じゃあ20万人なのかというとそれも分からないが、少なくとも警察の言っていることは正しくはない、
もしくは、考え方が違うというところはあると思う、
警察のいうデモ人数は、実は最少の人数を言うらしい、つまり最低限でもこのくらい来ていましたというが警察発表で、最大で来ていた数ではなく最低でもこのくらいまでは来ていましたという数字を発表するようだ、
最近のデモでは後半になるほど人が増える傾向がありますが、警察が調べているのは初期のころの人数であって、デモ開始時に最初にいる人数を調べているだけであって、トータルで見て何人来ているかという事は調べていない、
そしてその調べている人数も、土地面積から大雑把に割った人数なので、かなり少なめに出しているため、
人数の少ないデモの場合は、確かに警察発表も当たっている場合はあると思いますが、数が多い場合はまったく関係ない数値になります、
ですので規模の大きいデモについては、警察発表に意味はありません、しかも警察によると自分らは発表せず、マスコミが勝手に書いているだけらしいので、マスコミの推察で書いている部分もあるでしょうから、信憑性は低いようです、
では、そうなるとデモの人数はどのくらいいるのか?という疑問が出てきますが、デモの人数に関しては調べることは不可能だといわれています、
野鳥の会の方が、少し前のデモの人数を調べたらしいのですが、あまりに人の出入りが激しくまったく分からなかったようなので、厳密に人数を調べることは出来ないようです、
じゃあ主催者の発表は何なのかというと、ネットでちょっと見ただけなのであいまいなのですが、主催者の発表はそのデモで集まる地点への交通機関から割り出しているようです、
デモにくるためには交通機関を使いますから、その交通機関に乗っている人数からデモに来ているだろうという人の比率を出して、そこから大雑把に出しているようだけど、
まあこれも大雑把ですから厳密とはいえませんが、ただ実数に一番近いのは主催者発表だと思うので、多分主催者発表よりいくらか低いくらいだと思います、
後は、上で書いた山口禿知事選挙で、その当選した利権知事と脱原発をいっていた候補とではツイッターのフォロー数が違い、当選したほうのフォローが少ないのに当選したのだから、ツイッターの影響力はないという意見が出ていた、
これは昔から言われるネットに影響力はあるのか?という話で、ネットには影響力はあるけれど、それが具体的にどうであるかと考えると確かに難しい
ネットの影響力は確かにあるんですよ、たとえば政権交代は殆どがネットの影響力によるし、いまの社会で起きているものの多くがネットの影響で動いているものが多い、
たとえばデモとか、後は新しいものや珍しい話は大体ネットが中心に起こるし、情報のイニシアチブとしてはネットのほうが上位にあると思う、
ただだからといって直接的にネットの力があるかというと、それはないような気がします、
ネットは分散メディアなんですよね、たとえばツイッターでフォローがたくさんいる人がいて、そういう人がいたとしても殆どの人にはそれが影響を与えることはない、
いわゆるクラスタといういい方かな、クラスタというのはネットスラングで特定の要素で固まっている集団という意味らしいけど、ネットはクラスタ集団の世界ですから影響力があったとしても、広がりはないんですね、
だから直接的なネットの影響力というのは多分ないと思います、じゃあ何で直接影響力のないネットが、いつの間にか社会を変えてしまうのかというと、それは真実の問題だと思う、
残念ながらマスメディアというものは嘘をつく、彼らは商売ですから得と思えばどんな嘘でもついてくる、
それに対して、ネットであれこれしている人は場合にもよるけど、ネットは嘘をついてまで得になるほどの世界ではないので、あんまり嘘はつかないんですね、
たとえ嘘をついたとしてもそれはクラスタの中の世界ですから、広がるわけじゃないので詐欺みたいな事を直接的にやるのではなければ、嘘をつくメリットはネットにはない、
政権交代時も自民党が正しいといっている人はいた、非常に有名なブログがあったりしたけれど、そういう人がどんなにがんばっても意味がなかった、
それはそういう人の言っていることが真実ではなかったから、嘘をついたり誇張をしたりしてもそれが影響を与えることはなかった、
ネットの存在は矛盾しているけど、ある種の影響力のなさが純粋さ、そして信実を表しやすい道具としての意味をもっている、
影響力がないから嘘を言っても得がないので、結局真実を伝えたほうがいいんですね、
そして真実を伝えることによって、その真実が影響力を持っていく、ネットの影響力というのは、ネットの影響力という力の問題ではなく、ネットは真実が出やすいという性質が社会に影響を与えているのであって、ある意味量というよりは質の問題であり、
ネットは力はないけれど、いろいろな意味を持っているからそれが結果的に社会に影響を与えていく、
たとえば今起きている社会問題、政治問題なども、ネットで調べれば殆どの情報は出てくる、
しかしテレビや新聞を見ても、そういう情報はまったく出てこない、
いままでのメディア論というのは、力の勝負というか、資本や発行部数が多いかで物事を決めてきて、物量の影響力がメディアの意味であると言われてきた、
しかし、量を増やすという考えばかりになった結果、情報の質を持つという考えを既存のメディアは捨ててしまい、その開いた穴をネットが埋めているのだと思う、
ネットの影響力は確かにない、しかしそれはメディア論における物量の世界の話であって、それは上で書いたような知事選挙のツイッターフォロー数のように、量によって違いが出るのではないかという、いままでのメディア論を前提に考えている、
そうではなく、ネットのメディアとしての意味は影響力の量ではなく、影響力の質であり、一部の人間にしか影響を与えなくても、質のいい情報であればいずれ拡散するから、そのスタートは小さくてもいずれはだんだんと大きくなるような、そういう性質がネットにはある、
だから最終的にはネットの情報によって世の中は変わる、それはネットがというよりは物事というのは最終的には、真実にたどり着くという性質がありますから、それの後押しをネットがしているだけなのだと思う、
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ネット影響力とは何であるか、それは既存のメディアとは大きくちがうと思います、世界観が違うので考え方が違うんですね、
いま学ぶべき、もしくは考えるべきことがあるとすれば、ネットと既存メディアの違いは何であるかというのはあるかもしれません、
その違いは考えるべきかもしれませんが、ネットとリアルメディアを直接比べることには意味がないので、別々なものだと考えたほうがいいと思います、
それ以外だと何かあるかな、発達障害の人の刑期が延びたと聞くね、こりゃ裁判官は縛り首だな、
この差別主義者のサディスト裁判官は、発達障害の兆候のある人物が、自分の姉を殺害したことに対して、社会の受け皿がないから刑期を4年の延ばすべきだといったらしい、
お前のような屑裁判官も受け皿がないから、さっさとあの世に旅立ってほしいものだが、これはどういう事なのだ?、
社会の受け皿がないから刑務所に入れておけとは、酷い犯罪社会だな、まあいまの日本はその程度の社会なのだろう、
近代化が発達していけば色々な今までなかった問題が発生する、発達障害という考えもそういうもので、昔はそういう見方はなかったから、裁判官の馬鹿連中はそういうことを知らなかったのだろうな、
あれだろ、あの大阪の利権市長が言っていた、発達障害は親の愛情や教育の問題だから、発達障害の子供のいる親は強制教育をするので金を払えといったことと同じで、その裁判官も同じような考えだったのだろうな、
まあ発達障害というのは難しいね、私も多少そういうところはあるけど、あれは別に障害というのではなくて、普通の人間と考え方が違うんですよ、いわゆる天才のような意味も持っていて、歴史上の偉人はその殆どが発達障害といわれているくらいで、別に悪いことじゃないのですけど、
ただそういう人間はそれなりの配慮をしなければならないし、社会保障も考えなければならないでしょう、
しかし日本人は悪くいえば馬鹿だからね、なんというか悪口になるけどよく空気を読めとか、周りに合わせろというじゃないですか、そういう考えというのは知性の劣化を生むんですね、
近代化で起こることは非常に複雑で、今までになかったような概念を生む、日本人は共通項、判りやすく言えば誰でも理解できるレベルでしか考えるなという、強調圧力を強くかけていく、
だからたとえばこういう発達障害に関しても、障害者だから叩くべきだという点で思考停止する人が殆どだと思う、発達障害というのは私も本を読んでみたけど、非常に複雑な話でとても多くの人間が納得できる共通項を生めるような話ではない、
なのでこういう問題に関しては、日本人は必ず単純な批判するし、それ以上のことをする能力がない、
それは他でも生活保護に関しても同じで、あれも調べると非常に複雑な世界なのだが、ああいうことも単純な批判以上のことを考えれる日本人は殆どいない、
関係が薄いからというのもあるかもしれませんが、日本人は物事を考える能力があまりにないので、複雑なことが起きた場合は感情的に対象を叩くことしかしない、
その裁判官もある意味日本人の代表のようなもので、多分その裁判官は発達障害のことをまったく知らなかったのでしょう、だからそいつを悪と考えて叩けば解決すると考えた、
裁判官になるのだから、それなりに学問はしてきているはずだけど、もの凄い馬鹿なんですよね、これが今の日本人の実情だと思う、
複雑なことを考えず単純に生きてきたツケというかな、何度も書いていますが近代化社会というものは、今までになかった非常に複雑な問題を生む、
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海外の大学だと先生の言ったことを丸暗記すると零点になるらしいが、自分でものを考えるのが海外の教育で、自分は何も考えないのが日本の教育ですから、その差が出ているのかもしれません、
発達障害の人間は問題があるから刑務所に入れておけばいい、それが今の日本人の平均的な考え方なんですよ、理解をするとか考えるということを放棄して生きていますから、ある以上の複雑な問題に対しては感情論で叩くしか出来ない、
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発達障害に対しては、複雑な問題なので社会保障政策としてやるしかないでしょう、
いまの世の中は内面的に非常に複雑な社会になっている、情緒だ空気だといっていれば人を殺してしまうかもしれない社会なのだから、もっと日本人はものを考えるというか、理解しようとするというか、それは善意でなくてもいいんですよ、なにかどんな形でもいいから今の時代や社会が要求している、高い思考というものを得ていかないといけないと思う、
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そして今までの世界も捨てなければならない、そうしないと自分が何をしているのかすら理解できなくなるので、