深*龍宮の使いのブログ

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大阪知事選に見える日本の選挙制度の限界、と、国際政治上の日本政治、

2008-01-30 14:28:16 | 社会

    どうもこんにちは

 

  大阪での知事選は残念な結果になってしまって、これは困ったなあと思っていたのですけど、なんだかずーっとそのことを考えていたらなぜこういうことが起こったのかよくわかってしまって、なんだそんなことかと今は思っているのですけど、

  それでまあひとまず今回は最初に、私が先週あった大阪知事選挙を見ていて気づいたからくりについて書いてみようと思います、


  それでタイトルにありますが、大阪知事選挙に見える日本の選挙制度の限界ということで、なんだかやたらタイトルが長くなっていますが、急だったものでこんな長いタイトルになっているのですけど、 まあとにかく先週あった大阪知事選挙、タレントの候補の人が大勝しましたが、私はそれを見ていて非常に強い違和感を感じたのですね、これは何かあるか、もしくは何かがおかしいなと、

  それでそのもとを探していくと、これはイカサマだな、ということに気づきました、


  なぜ今回の知事選挙がイカサマだと思ったかというと、まず最初に思ったのか投票率の低さ、これがおかしいと思いました、 何がおかしいかというと、今回の選挙では事前に調べたところによると、大阪の人の60%の人が必ず選挙に行きたいといっていて、また30%の人ができれば行きたいといっていたのですが、当日の選挙の投票率は48%でした、

  これはおかしいですよね?、90%以上の人が行きたいといっていたのだから、少なくとも60%ぐらいの投票率にならなければいけないはず、この投票率は低すぎる、

  そうなると、ではその投票をしたいと言っていた大阪の人々の意識はどこへ行ったのか、そう考えてみると私には、そういう人たちは棄権に回ったのではないかと思うのですね、つまり投票をしないという形で投票をしたのではないか?、そんな気がします。



  棄権は投票ではないのではないか、と思われるかと思いますが、しかし事前に投票をするといっていた人が急に投票しなくなったのは、何らかの意思の現れであり、私は大阪の人が棄権をすることによって、この投票は無効であるといっているように見えます。

  それはつまり何らかの要素によって大阪の人が投票をしても無駄だと思ったからではないかと。
  

  そしてその要素はなんだろうかと考えていたのですけど、考えてわかったのはこれはプロパガンダだな、ということが分かりました、

  昔のことを思い出してみればわかるのですけど、ここ数年の選挙では大規模な選挙では与党が強く、そして小規模な選挙では野党が強いそういう傾向がありませんか?、 ではなぜそういう形が現れるのか、そこにプロパガンダと選挙の密接な関係が現れてくるのです。


  プロパガンダとは何か、これを一言で答えるのは難しいですが、今回のような選挙とプロパガンダの関係においていえるのは、対象人数が多いほうがプロパガンダはしやすいというプロパガンダの性質が表れやすいのだと思います。

  多くの人が勘違いをしていますが、実は少数の人間をだますのと、多数の人間をだますのとでは、多数の人間をだますほうがやさしい、 状況にもよると思いますが、十人の人間を騙すより、百万人の人間を騙すほうが簡単です、

  もちろんそのためには百万人をだます力が要りますが、力さえあれば多数と少数騙しやすいのは多数のほうになります、



  それはなぜかというとこれは認識と統計学的になってくるのですが、いや私も別に専門家ではないのですけど、私が昔受けた家庭用ゲーム市場における強烈なプロパガンダによると、プロパガンダの特徴は認識と統計学なのですね、

  それでひとまず認識について書いてみると、、、人の認識とは個人であるほど強く、集団であるほど薄くなります、それは認識というよりは意思といってもいいですけど、たとえば十人の人間の意思はよく分かりますが、百万人の人間の意思はあるかといえばほとんど存在していないでしょう、


  つまり、人間の意志とは少数であれば成立するが、それが多数の意思になると混沌のカオスになり消滅する、多数の人間の意志とは人為的なものではなくだんだんと物質的なものになってくる、

  
  そしてそういう物質的になってきた人間の意志を操るのがプロパガンダである、具体的な手法としてはマーケティングと統計学を使う、この二つを使って人間の意識を分析しそれを操って、そうすることによって人間の意志を人工的に合成するのがプロパガンダである。

  (//プロパガンダというものには対象が大きければ大きいほどしやすく、効果が大きいという性質がある、対象集団の意思の剥奪をプロパガンダが狙うのならば、その対象の規模が大きければ大きいほど意思の統一が難しくなるから、同時に意思の剥奪も易しくなる、 個人の意識はただあるだけであるが、集団の意思というものは統一性がなければ存在しないので、そういう状態まで持っていけば、そういう集団を意識のない人間のような状態に持っていくことができ、そしてそういう集団に対しては好き勝手に何でもできてしまう、//)


  そして今の政府与党はそのプロパガンダと使って政権の維持をしている、はっきり言わせてもらうが彼らは民主主義をまったくやっていない、彼らのやっているのはファシズム的なプロパガンダ政治である。


  それが今回の知事選ではよく現れていたのではないかな、たとえばこの知事選挙の前の大阪市長選挙や東大阪市長選挙では、野党候補が一方では勝ち一方ではかなりの接戦だった、それがここまでひっくり返るのはおかしくないか?、 また去年の統一地方選でも、野党、まあ民主党がほとんどだったが、市議県議のレベルでは民主党が一人勝ちをして、自民党は壊滅的に負けていたが、知事選居では自民が強かった、

  思い返してみると小泉政権のときも、大きな派手な選挙は勝っていたが、小さな地味な選挙はかなり負けていたような気がする、
  

  まあ長々かいてしまいましたが、とにかく私の言いたいことは、民主主義が民意の反映を軸とするのならば、今回の大阪知事選挙ではそれがほとんどできなかった可能性が高いと思う、 上のほうでも書きましたが、プロパガンダというものは条件が合えば世論を人工構成する事ができるもので、今回の選挙はそういうプロパガンダ的な世論合成のうえの選挙である可能性が高く、民主主義的な公正な選挙であったとはいいかねる、

  確かに今回一度だけならば偶然ともいえるが、ここ数年の選挙の傾向がそうである以上、これも同系等の選挙であったと見るしかない、つまりイカサマ選挙だったということだろう、


  そしてそういう方向性を持ってこの国の中心にいる、自民党創価学会マスコミの連合は、民主主義という観点から見たときにどういう意味を持つだろうか?、答えとしていえるのは彼らのやっていることは民主主義の破壊、そして民意の遮断であると、

  つまり彼らの狙いは、プロパガンダによって民意を自分の都合のいいように捻じ曲げて、それを民意といい、その自分で勝手に造った民意で好き勝手に政治をしている、これでは独裁であろう。

  私の見たところ今の政府与党は民主主義を一切していない、選挙で勝ったといってもプロパガンダで民意を捻じ曲げて勝っているだけだ、これは選挙でもなんでもないだろう、


  だからこのプロパガンダと民主主義の関係を考えなければならない、手法としては政治、特に選挙に関するマスコミの介入の大幅な制限と、もうひとつは大規模選挙の場合、投票をする側の意思の表意が難しくなり、民意の政治反映が難しくなるという問題では、たとえばアメリカの大統領選挙のように、一気にどーんとやるのではなく、小刻みにやってみるとか、今回の大阪知事選挙ならば、大阪というところは人口が多いから、三つくらいのエリアに分けて三回に分けて選挙をしてその結果で選ぶとか、東京都とかも大きいからそうしたほうがいいのではないかな、一発の選挙では民意が反映できるとは思えないので。


  まあとにかく今回の大阪知事選挙を見る限り、日本の民主主義制度は根本から壊れており、民意の反映ができる状況ではまったくないといえると思う、これは制度上の致命的な問題といっていい、 それに対処するためには、まず政治にプロパガンダを認めないこと、そして民意が反映できるように大きくなりすぎる選挙を避けること、このあたりができない限り日本は民主主義の国とはいえないでしょう、

  そしていまの政府与党の連中は、不正な民意操作の結果生まれた政治家がほとんどなのだから、彼らは自分を政治家だと思っているが、実態は偽称政治家もしくは偽装政治家である、このあたりを含めた、日本の民主主義の洗い直しというものをすべきであろう、これがこの国の根本的な問題であろうからだ。

 

 

 

    
  さて、それでは次にまた前段が長くなりましたが、国際政治上の日本政治、ということでも書いてみようかと、最近の政治の潮流といいますか、政治変化というものを見てみると、その多くが国際政治という人類全体の政治が日本の政治に影響をあたえて、日本の政治が変わるといういうことが増えてきていると思います。

  それでまあそういうことというのは、日本の政治が日本という国だけで行われるのではなく、国際政治という盤面の上で日本政治が行われるようになってきたのではないか、と思ったので書いてみると。


  それで国際政治上の日本政治ということで、今までの政治というものは、それぞれの国家の内部的な集約、国家というものが自らにとってなにがよいかと考え、能動的に動いていた面が強かったですが、国際化が進んだのか人類全体の政治の関係が密接化し、どちらかというと今の政治は国際的な政治の流れを受けて動くような、受動的な政治へと形が変わってきていると思います。


  日本の政治では歴史的に見て、国の中心というものを目指していけば、国家も国民も安泰という考えが強く、どこか鎖国的な雰囲気のある政治形態を持っていましたが、しかし今は世界政治とでもいうような、国際的な政治の流れによってかなり動きが左右されるようになってきていると思います。


  例えばアメリカの政治がどうなるかによって、世界の政治が変わってその流れによって日本の政治が変わる、今は国家政治というよりは国際政治、アメリカの政治によって日本が変わるというよりは、アメリカの政治による国際政治という人類全体の政治の流れによって、日本の政治が決まっていく、そしてこの流れに対してはアメリカですら逆らうことは出来ない。


  国家を駒にするような、大きな盤面が出来つつあり、それがなにを意味するのかは分らないが、ただいまの政治の根底は国家ではない、グローバリゼーションでもない、グローバリゼーションによって溶け合った国家の一部がつながり、それが盤面を形成しているように見える。


  だから今の政治で見るべきは、自らの国家がこの国際政治上において、盤面上のどのような意味、価値を治めているか、そしてその盤面ならば次にどのような動きがあり、それによって自らがどのように動く、もしくは動かされるか、それを受動能動的に考える必要がある。


  こういうことは昔から政治としてあったものですが、グローバリゼーションという世界のつながりと、世界の多極化という中心軸の喪失から、全体がフラット化し、結果としてそれが国家にとって、盤面のように動きやすい平らな土台を作っている、

  そしてその結果、今の政治の中心はどちらかというと、その盤面になってしまって、その上にある国家という駒は副産物的な面が強くはなってきている、
  それがどういう意味を持つか、非常に滑りよく国家というものが動いてくる、例えば北朝鮮なんてもう昔と全然違うじゃないですか待遇が、これもそういう盤面の勝利をうまくやったことが大きい、


  だから日本もその点において努力をしなければならない、国家像とか、国家とは何であるか、そういう論が日本で最近は多いが、ではそれが意味を持つかと想像してみると、そのほとんどは意味を持っていない、なぜなら今の政治の中心は国際政治であり、国家政治ではないからだ。

  日本においても、たとえ日本の政治であってもそれを国際政治的視点で捉える必要がある、国家政治論だけでは今の世の中では不利になるだけであろう、
  冷戦時は国家政治が中心だったため、その反動がもしかするとあるのかもしれませんけど、今の世の中の中心にある国際政治というものを日本の政治の中心に置いて、その上に二次的に日本の政治を置く、まあひとまずはこういう形を考えてみたらどうかと思います。

 

 


    それではいまは週一回ですので、次回は来週の水曜になります、では次回まで。