深*龍宮の使いのブログ

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社会のない経済は虚構である、

2006-02-08 15:48:08 | 社会
    どうもこんにちは

 
  今日は暖かいですね、そう思わせといて、夜になると急に寒くなるので、最近はなんだか油断がならないです、もうちょっとバランスがいいと良いんですけどね、こうも極端だと対処が困ります。 さて、それはいいとして今日は、社会のない経済は虚構にすぎない、ということでも最近感じるんですけど、この国の経済というものは、どことなく虚構に向かっているのではないかなと、経済が良くなるほど人が不幸になる、一概にはいえませんけど世の中よくなってないですよね、ぜんぜん、企業は良くなっているのかもしれませんが、人の幸せは減っているような気がして、それで、社会のなさというか、経済と社会その結びつきが弱まった状態での、経済の発展の意味のようなものを考えてみたいと思います。


  虚構の経済、例えるなら、ロボットが働いて、機械が動いて、製品が作られる、しかしそこにいる人々はおらず、そこじゃないどこかに人は生きているが、そこの人々はもう生きる事ができなくなってしまう、SFっぽいですが、経済が人のためにならないで、経済が経済のために動く、そして、そこに人はいないのですね、それは経済の発展とは言えますが、人のためにならないものを、人が認める必要はないわけで、その経済はどこか矛盾しているように思います。


  そもそも経済は手段に過ぎないわけです、目的ではなく、本質でもなく、私は、経済自体は虚構であり実体のないものだと思います、だからそれ自体を求めてもしょうがないのではないでしょうか?、そうではなくて、目的があって、その為の経済でなければならないのではないかと思います。 今は戦後が終わり、一つの目的が終わりました、しかしまだ次の目的は見えてきていません、そういう状態で、経済を求めるということは、ある程度はいいにしろ、いまの政府のようにある以上もとめてしまえば、それは抜け殻のような国になるのではないかと思います。


  社会のない経済とは、意味のないものだと思います、それはやはり人間は社会的に生きているのであって、経済とはそもそもその結果生まれた副産物に過ぎないわけで、それを主体にするには無理がある、経済自体を目的にした世界は、人間が生きる事を否定した目標に、人間が進むという、奇妙なジレンマを生む。 いま政府のやろうとしている事は、こういうことだと思います、人間が生きる事を否定する事を目的にしている、もしくはそれに近いかそれに進む余地のある事をしている、私はそんな感じを受けます、そもそも経済自体は何の意味もないものな訳ですから、いま日本のやるべきは、日本のすべき目的を見いだす事でしょう、経済というものはあくまで副産物ですよ、目的の遂行のための手段にすぎなわけですから、それだけをいくら追ったとしても、我々に未来は見えないでしょう。


  いまの日本は簡単な方法や、いままでやってきた事に囚われたりして、全体の形がグズグズ崩れ、強行的な経済の発達が、かえってその崩れを誘発しているように思います、いま問われているのは目的であり、経済という手段ではないのです、もちろん経済は必要ですが、目的、つまり人が生きる社会の構造のようなものが、しっかりしていなければ、いくら経済があっても人間には意味がないと思います、なぜならそれはただ単に社会のゆがみとしてしか、経済の意味が現れないからです、それでは経済の意味もないわけですから意味がない、いまとわれている問題を取り違えてはいけない。


  経済自体は虚構です、ですからそれ自体をいくら求めても意味がないでしょう、いままでは経済で上手く行きました、それは貧しさから豊かさへという時代の流れ、例えるなら、子供が大人になるよなもので、単純にただ進めば良かった、しかし、今となっては日本も大きくなったわけで、今までのような単純な方法はもう通用しないでしょう、これからは目的を自分で見出すということをすべきです、どのような社会を作るか、そしてその上で必要な経済とはなにかと、考えるべきだと思います。