深*龍宮の使いのブログ

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貨幣経済の限界、

2007-11-29 13:44:32 | 社会

    どうもこんにちは

 

  最近の世の中は混迷していますね、その原因を考えていて思ったのが、なんというか日本人て内向きじゃないですか、考え方とかそういうものが、だから自己満足でしか物事を考えないので、先にあるものが分からないから、だからどうしても混乱してしまう。 それで結局分からないから感情論に走って、すべてを失ってしまう事が多い。 日本人が理解していないのは己を消して判断をするという知的判断なんだが、今の混迷の原因はやはり日本人が劣っているからと考えるしかないように思います。



  色々調べて回っても、結局感情論以外の論がない、あいつが気に入るか気に入らないとか、ああいうことが気に入るか気に入らないとか、それだけなんですね、

  そうじゃなくてそれ自体が何なのかと考えて、その本質を探ることからこそ新しい道が見えるわけで、私の知る限り大物といわれる人も含め、そういう考えを持っている人はごくわずかしかいません。


  日本人はすぐ言葉や知識をあてにしたがる、それも一般的なレベルのそこら辺にあるものから考えようとする、しかしそこで明確な事実を知ったとしても、それで物事が分かるわけではない、分かるということはそんなに単純な話ではない。

  知ることと分かることは違う、知識があっても物事は分かったりはしない、日本人はこのとことがぜんぜん分かっていない、


  言葉の周囲にあるもの、それが本質である、だから言葉を並べれば並べるほど、知識を集めれば集めるほど、かえって物事は分からなくなる、物事を考えるときは言葉自身を考えてはいけない、もし言葉中心に考えてしまえば、その人物の思考は言葉に支配され、何も考えれなくなるだろう。


  今の世の中は、昔も書いたが詐欺師の時代である、いわば本質が見えれば一気に世の中は変わってしまう状態にあり、それを防ぐために概存勢力がいかに詐欺行為を行うかという争いが今の時代の本質てある、よって今の世の中に一般的に現れるものは、ほぼすべてが詐欺行為でしかない、つまりなにかを信じるという知識的視点では、今の状況では完全に失敗してしまうということだ。


  だが日本人は詰め込み教育のせいか、なにかを信じるという知識的視点が強い、だから日本は何をしても完全に失敗してしまうわけだ、そしてなぜ失敗したのか永遠に分からないから感情論に走る。


  本当ならば、本当の知といえるのもは知識ではなく知性であるはずなのだが、この国では知性を否定し知識を肯定してきたせいか、誰も何も分からなくなっているようだ、

  今の世の中の問題は、誰がやったこうやったという話ではあると思うけど、しかし全体的なおかしさが部分的に表れているところが強いから、本来ならば日本全体がおかしいと考えて部分的に考えるべきなのに、誰とかこれとかいう知識や感情だけで考えてしまう、悪いがそんな話で世の中を良くすることはできない。


  今の日本の問題は日本人に知性があれば簡単に解決できる問題なんですよ?、逆にいえばそれだけ日本人には知性がないんです、分かる力がね、今の状況が分からないのではなく、分かる能力が日本人にないだけなんです、 

  だからどうなのかな、色々な問題は日本にあるし、問題のある人間もいる、しかし、一番問題なのはそういうことを解決できない無能な日本人なのではないかと思うときがあります、問題があるのはある種あたり前なんだから、その問題を解決する能力がないことを考えるほうが正しいのではないか、最近の日本を見ているとそんな気がしてしまうのですが、結局このあたりの問題を解決しないと、いつかは必ず日本は失敗してしまうのではないかと思うんですけどね。 

 


 


  さて、それはいいとして今日は、貨幣経済の限界、ということでも書いてみようかと、前回書いたことと重なりますが、お金というもの、今までのような意味で、今までと同じようにお金というものを考えていくのはそろそろ無理があるのではないか?、そういう疑問から今回のことを書いているのですけど、


  それで今回は貨幣経済の限界ということで、前回はお金の強さが強まってくると今までのお金とは違う意味を持ち始めるのではないかということを書きましたが、それと合わせてみてみて、もしそうなるのならば、貨幣というものがそういう変化の中ではどういう意味を持ち、そして変わっていくのかということちょっと考えてみたので書いてみると。


  で、貨幣経済の限界ということで、前回と似たような話になりますけど、今回は貨幣、つまり貨幣という具体的な道具の限界ということについて書いてみよと思っているのですが。


  私が今の世の中を見ていて、歴史的に見るとあのあたりとよくにているのではないかなと思えるのは、江戸時代の末期のころですね、そのころとよく似ているように感じます。


  何が似ているかというと、江戸の末期各藩の財政は悪化しそれを補うために貨幣の質の低下ということをして、またさらに紙で書いた紙幣の発行をしてそれをお金の代わりに使うようになって、苦しい財政をやりくりしていたらしいのですけど、

  しかしそういうことをしてしまったので、根本的な意味で体制に対する信頼の低下を招き、江戸幕府がだめになった理由の一つは確かこの貨幣制度の悪化が原因としてあったようです


  そしてその形と今の世の中はよく似ている、日本国内もそうですが海外、そして世界全体を見ても同じ形が起きている、江戸時代と同じように貨幣というものの価値の低下のようなものが起きていると思う。


  例えば今の物価の上昇、資源とか消費とかもあると思いますが、それ以上に貨幣流通の過剰化が大きな問題のようで、つまり過剰に通貨を市場に流してしまったので、貨幣の価値が相対的に下がり物価の上昇が起きている、そういうところがあるらしいです。


  この形は貨幣制度を崩壊への道へ進めるようなもので、江戸幕府の末期とよく似ているのですね。

  だからいわば今の世の中、世界全体でおきているのは、何らかの体制の崩壊なのかもしれませんが。


  まあとにかく、貨幣という道具、それがネットワークやパソコンが発達し、ただのデータとなってきて質感を失ってきたせいか、だんだん意味を失ってきているように思います、なんとなく共産主義がこのあたりでは当たっているようですが、とにかく、貨幣というものが意味を失い、そして貨幣制度もだんだん無意味なものになってきてはいると思います。


  じゃあ代替案があるかというと、ちょっと思いつきませんし、ここまで浸透してしまうと、貨幣制度はさすがに取り替えれませんから、そうなるとどうなるのだろうか、貨幣制度の限界が来ているのにどうすることもできない、どこかで人類が気づいて方向転換となるのかな、


  まあとにかく全体としていえるのは、貨幣経済の限界とは、貨幣というものの意味が時代とともに変わり、どうもだんだん意味のないものになりつつあるようで、そうなってくると貨幣というものを使った貨幣経済というものがどうなるのか、ここで不鮮明で大きな問題が起きている様に思えます。


  たぶん、グローバル経済を想定してお金というものの概念を作ってなかったので、そういうあまりに大きなものになってしまうと、お金という概念も、そして貨幣という道具も、その大きな力に対しては耐えれないのではないだろうかと思うのですけど、

  じゃあどうするかといってもいい案もないし、どうなるんでしょうかね、ただやっぱりこういう問題、お金とか貨幣とかそういう根本のところが狂っているから、変な世の中になっているわけで、これはいずれ正さねばならないだろう、 しかしどうすれはいいのかがちょっとわからない、 やはり今の時代は新しく、そして困難な時代であって、ありとあらゆることが問題化する余地を持ってしまっているのかも知れません、

  あとはこのお金と貨幣の問題、グローバリゼーションが発展する以上、それにお金の概念や貨幣の制度を合わせないといけないという問題、このあたりの形作りをする必要があるのではないでしょうか、少なくとも放っておいていい問題には見えないので。

 

 


    それでは今は週二回ですので、次回は来週の火曜になります、では次回まで。