どうもこんにちは
私はあまり見ていなかったので知らないのですが、いつの間にか北京オリンピックは終わり、夏も終わりつつありますね、
ニュースといえばアフガニスタンで人がさらわれたり、グルジア問題がこじれてきたりと、なんとなく視点を中東へ向けようという流れがあるように思います。
それが作為か無作為かは分かりませんが、しばらくは中東が話題の中心になりそうですね、
ロシアがグルジアに入って、ロシア系の地区の独立を認めて、それに対してアメリカEUが反発していると、
それとアラブ諸国が原油の値下がりにあわせて供給を減らそうとしていると、
この辺りには流れがありそうですね、もしそうならば誰かがシナリオを書いていて、この流れの先に何かが起こるという可能性もあります。
視線が集まるというのは、そこで何かをするとメリットが二倍三倍になるもので、視線が集まった状況では大きなことがおきやすい、ロシアは強硬であるが、グルジアは小さな国でありそれだけだと話として小さい、ロシアが動くメリットまでは行かないかな、
あるとすればアメリカのイラン侵略へのけん制かな、グルジアはイラクやイランに近いから、そこら辺にロシア軍がいるとアメリカは動けないだろうし、
後は資源関係の値下がりを防ぐためかね、今のロシア軍の動きを見ると、昔のような単純な軍事行動には見えない、商売っ気が強いというか、だからあんまり批判が起きてないな、
今は資源系国家群と、非資源系国家群がインフレをはさんで争っているような状態だから、そういう冷めた目で見ている人が多いのかな、
まあとにかく北京オリンピックが終わって、時代が変わったんだろうけど、こういう話を見ていると、暗雲垂れ込める薄気味悪い時代が始まったような気がします。
さて、それはいいとして今日は、政治論と経済論、ということでも書いてみようかと、
政治論経済論というものは、一般的な論でありよく耳にする話ですが、では政治論と経済論とは何であるかと考えてみると、そういうことを考えることは少ない、
なのでそういうことについてちょっと考えてみたのですが
それで政治論と経済論ということで、私がこのことを思ったのは、よく日本では政治というものは考えても意味がない、政治を考えることは意味の無いことだという意見を多く聞くのですが、
ではなぜ政治論を考えるのが無駄であるのか、というと政治というものは利害で固まっているものであって、動かせないとか、そういう意見になりやすいのですけど、
しかしそれは根本的な政治論ではなく、あくまで政治状況を言っているだけなんですね、そういう状況だからこうなんだというだけで、ではそういう状況が政治論的にどうであるか、ということは考えない、
そもそも政治論というものは、政治の根本的な意味を捉えるものであり、政治の根源的論である、
そういわれるとそんな難しい話は分らない、と思うかもしれませんが日常的にみると、似たようなことはよく話題に上っている、
それが経済論で、経済的な話になるとかなりディープな話であっても、一般的なニュースや話題になりやすい、会社とかでも話し合っているのはかなり複雑な経済の話だったりする。
しかしそれが政治の論だと誰も知らないし、誰も考えたことがない、そこに矛盾というか奇妙な感じを受けたんですね、
よく政治論だと右翼だとか左翼とか、もしくは社会主義資本主義という話が出てくるが、しかしこれらの論は政治論の発展的な論であり、政治論にはならないと思う、
例えば社会主義資本主義は政治の経済論であり、政治論自体ではないわけです、
右翼だ左翼だというのも政治思想ではありますが、政治論ではないでしょう、
政治とは何であるかという形、それが政治論ですから政治以外のものを含んだ政治論は、根本的な政治論にはならないでしょう。
この国のゆがみを見てみると共通しているのが、経済論が生まれるのに政治論が発生しないで、それによって問題が解決しない、そういうことが多いように思います。
例えば財政問題も経済的な発想はあるが、政治的な発想というものはない、社会保障も経済的発想はあるが、政治的発想はない、不思議なことだがこの国は何でも経済的に解決すると考え、政治的に物事を解決するという思考回路が存在しない、
やはりその根本にあるのが、政治論の不在の問題ではないかと思う、政治思想はあるが政治思考がないというかな、そういう自分で考えれる政治論がないというか、そういうところがあると思います、
でまあちょっと長くなったのでひとまず切って、また続きを書こうかと思います。
さて、それでは次に政治論と経済論(その2)ということでも書いてみようかと、上で書いたのは、日本の政治論のなさ、日本は経済論は活発だが、政治を考える政治論が存在していない、政治思想はあるが自らの頭で考えれる政治論というものは、事実上存在していない、だから日本人は政治を考えることができなくなっている、
よく政治の話は、考えても無駄とか、いっても無駄だという意見がある、確かにそういうところはあるが、しかし何故そうであるかと考えてみると、政治を考えることができない状況にいるから、日本の政治が動けなくなっている、そういう側面もあると思う、
政治思想は政治に対する思考を固定しようとし、政治論の逆の意味を持つ、政治の根底を考える政治論であれば、思考の発展性もあるが、政治思想は政治に対する考えを固定するためのものだから、政治思想が蔓延すれば政治を考えることは不可能になる。
だから本質的に言えば政治思想を否定してしたところに、本当の政治論がある、
そして政治論とは何かというと、私も別に専門家ではないですが、今まで考えてきたことを総合すると、理系的な構造論になると思います、
政治というものは不思議なもので、文系の仕事のようで実は根底に流れているのは、理系の合理性であり、根底の発想は理系の考え方になる。
それはつまり建設とか設計とか、そういう構造を組み立てていくような話になってくる、
国家政府とは何か、と考えてみれば分かるように、その意味は永続性と堆積性にあるといえる、
政治とは止まってやる仕事であり、その長所は止まっているので長い間何かをし続けれるということと、止まっているので何かを貯めておきやすいというメリット、この二つが政治というものの性質になる、
そしてこのあたりの形を利用するならば、長期にわたって蓄積されていくものを扱うのが得意、というのが政治の長所になるでしょう、
経済は逆に短期で流動性が高いものが得意、というのが長所になりますが、そういう意味ではやはり政治と経済というものは、逆のものであるとは言えると思います。
それでそう見た時に政治論として考えるべきことと言えるのは、長期的に積み重なっていくものを、どう管理するか、そしてどう組み上げていくか、それが根本の政治論になるでしょう、
そしてそこから考えてみれば分かると思うのですけど、政治や政治論というのは、非常に製造業に近い発想の世界なんですよ、ようは工場とかと一緒です、
だからまあそういう意味において政治論を考える、まず設計をしっかりやって、組み上げて管理をする段階でも、徹底的に合理的にすべてを表して作業をする、どこかで隠れているものがあれば支障が出るわけだから、問題はできる限り潰しておく、
本来は政治というものはエンジニア的な発想の世界のはず、なのだけどなぜか日本はそうはならないね、これが不思議なところですが、
そして政治論も本来はこういう意味に近いものになるべきですが、やはり文系支配の強い日本ではこうはならないのかな、
まあとにかく、これから日本という国を立て直すなら、それは政治論に頼ることが多くなると思う、だから逆に言うと政治論をうまく組み立てれなければこの国は終わりなのよ、
そしてそのためには理系的発想、合理的判断というものを国の中枢におく必要があるのだけど、できるかどうか、
ただその上で、世界を眺めれる展望者のような人もいるんだが、そういう人材とメカニズムを組み上げれるかどうかだろうね、この国がどうなるかというのは。
それではずうっとサボってばかりですが、ひとまず国会が開くまではこのペースで行こうと思っているので、次回も週一回で来週の水曜日になります、では次回まで。
私はあまり見ていなかったので知らないのですが、いつの間にか北京オリンピックは終わり、夏も終わりつつありますね、
ニュースといえばアフガニスタンで人がさらわれたり、グルジア問題がこじれてきたりと、なんとなく視点を中東へ向けようという流れがあるように思います。
それが作為か無作為かは分かりませんが、しばらくは中東が話題の中心になりそうですね、
ロシアがグルジアに入って、ロシア系の地区の独立を認めて、それに対してアメリカEUが反発していると、
それとアラブ諸国が原油の値下がりにあわせて供給を減らそうとしていると、
この辺りには流れがありそうですね、もしそうならば誰かがシナリオを書いていて、この流れの先に何かが起こるという可能性もあります。
視線が集まるというのは、そこで何かをするとメリットが二倍三倍になるもので、視線が集まった状況では大きなことがおきやすい、ロシアは強硬であるが、グルジアは小さな国でありそれだけだと話として小さい、ロシアが動くメリットまでは行かないかな、
あるとすればアメリカのイラン侵略へのけん制かな、グルジアはイラクやイランに近いから、そこら辺にロシア軍がいるとアメリカは動けないだろうし、
後は資源関係の値下がりを防ぐためかね、今のロシア軍の動きを見ると、昔のような単純な軍事行動には見えない、商売っ気が強いというか、だからあんまり批判が起きてないな、
今は資源系国家群と、非資源系国家群がインフレをはさんで争っているような状態だから、そういう冷めた目で見ている人が多いのかな、
まあとにかく北京オリンピックが終わって、時代が変わったんだろうけど、こういう話を見ていると、暗雲垂れ込める薄気味悪い時代が始まったような気がします。
さて、それはいいとして今日は、政治論と経済論、ということでも書いてみようかと、
政治論経済論というものは、一般的な論でありよく耳にする話ですが、では政治論と経済論とは何であるかと考えてみると、そういうことを考えることは少ない、
なのでそういうことについてちょっと考えてみたのですが
それで政治論と経済論ということで、私がこのことを思ったのは、よく日本では政治というものは考えても意味がない、政治を考えることは意味の無いことだという意見を多く聞くのですが、
ではなぜ政治論を考えるのが無駄であるのか、というと政治というものは利害で固まっているものであって、動かせないとか、そういう意見になりやすいのですけど、
しかしそれは根本的な政治論ではなく、あくまで政治状況を言っているだけなんですね、そういう状況だからこうなんだというだけで、ではそういう状況が政治論的にどうであるか、ということは考えない、
そもそも政治論というものは、政治の根本的な意味を捉えるものであり、政治の根源的論である、
そういわれるとそんな難しい話は分らない、と思うかもしれませんが日常的にみると、似たようなことはよく話題に上っている、
それが経済論で、経済的な話になるとかなりディープな話であっても、一般的なニュースや話題になりやすい、会社とかでも話し合っているのはかなり複雑な経済の話だったりする。
しかしそれが政治の論だと誰も知らないし、誰も考えたことがない、そこに矛盾というか奇妙な感じを受けたんですね、
よく政治論だと右翼だとか左翼とか、もしくは社会主義資本主義という話が出てくるが、しかしこれらの論は政治論の発展的な論であり、政治論にはならないと思う、
例えば社会主義資本主義は政治の経済論であり、政治論自体ではないわけです、
右翼だ左翼だというのも政治思想ではありますが、政治論ではないでしょう、
政治とは何であるかという形、それが政治論ですから政治以外のものを含んだ政治論は、根本的な政治論にはならないでしょう。
この国のゆがみを見てみると共通しているのが、経済論が生まれるのに政治論が発生しないで、それによって問題が解決しない、そういうことが多いように思います。
例えば財政問題も経済的な発想はあるが、政治的な発想というものはない、社会保障も経済的発想はあるが、政治的発想はない、不思議なことだがこの国は何でも経済的に解決すると考え、政治的に物事を解決するという思考回路が存在しない、
やはりその根本にあるのが、政治論の不在の問題ではないかと思う、政治思想はあるが政治思考がないというかな、そういう自分で考えれる政治論がないというか、そういうところがあると思います、
でまあちょっと長くなったのでひとまず切って、また続きを書こうかと思います。
さて、それでは次に政治論と経済論(その2)ということでも書いてみようかと、上で書いたのは、日本の政治論のなさ、日本は経済論は活発だが、政治を考える政治論が存在していない、政治思想はあるが自らの頭で考えれる政治論というものは、事実上存在していない、だから日本人は政治を考えることができなくなっている、
よく政治の話は、考えても無駄とか、いっても無駄だという意見がある、確かにそういうところはあるが、しかし何故そうであるかと考えてみると、政治を考えることができない状況にいるから、日本の政治が動けなくなっている、そういう側面もあると思う、
政治思想は政治に対する思考を固定しようとし、政治論の逆の意味を持つ、政治の根底を考える政治論であれば、思考の発展性もあるが、政治思想は政治に対する考えを固定するためのものだから、政治思想が蔓延すれば政治を考えることは不可能になる。
だから本質的に言えば政治思想を否定してしたところに、本当の政治論がある、
そして政治論とは何かというと、私も別に専門家ではないですが、今まで考えてきたことを総合すると、理系的な構造論になると思います、
政治というものは不思議なもので、文系の仕事のようで実は根底に流れているのは、理系の合理性であり、根底の発想は理系の考え方になる。
それはつまり建設とか設計とか、そういう構造を組み立てていくような話になってくる、
国家政府とは何か、と考えてみれば分かるように、その意味は永続性と堆積性にあるといえる、
政治とは止まってやる仕事であり、その長所は止まっているので長い間何かをし続けれるということと、止まっているので何かを貯めておきやすいというメリット、この二つが政治というものの性質になる、
そしてこのあたりの形を利用するならば、長期にわたって蓄積されていくものを扱うのが得意、というのが政治の長所になるでしょう、
経済は逆に短期で流動性が高いものが得意、というのが長所になりますが、そういう意味ではやはり政治と経済というものは、逆のものであるとは言えると思います。
それでそう見た時に政治論として考えるべきことと言えるのは、長期的に積み重なっていくものを、どう管理するか、そしてどう組み上げていくか、それが根本の政治論になるでしょう、
そしてそこから考えてみれば分かると思うのですけど、政治や政治論というのは、非常に製造業に近い発想の世界なんですよ、ようは工場とかと一緒です、
だからまあそういう意味において政治論を考える、まず設計をしっかりやって、組み上げて管理をする段階でも、徹底的に合理的にすべてを表して作業をする、どこかで隠れているものがあれば支障が出るわけだから、問題はできる限り潰しておく、
本来は政治というものはエンジニア的な発想の世界のはず、なのだけどなぜか日本はそうはならないね、これが不思議なところですが、
そして政治論も本来はこういう意味に近いものになるべきですが、やはり文系支配の強い日本ではこうはならないのかな、
まあとにかく、これから日本という国を立て直すなら、それは政治論に頼ることが多くなると思う、だから逆に言うと政治論をうまく組み立てれなければこの国は終わりなのよ、
そしてそのためには理系的発想、合理的判断というものを国の中枢におく必要があるのだけど、できるかどうか、
ただその上で、世界を眺めれる展望者のような人もいるんだが、そういう人材とメカニズムを組み上げれるかどうかだろうね、この国がどうなるかというのは。
それではずうっとサボってばかりですが、ひとまず国会が開くまではこのペースで行こうと思っているので、次回も週一回で来週の水曜日になります、では次回まで。