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名古屋の白ウサギ・1964年生

自称・宗教家・・宗教家とは職業ではなく「私の生き方」です。
職業・会社員、投資家  趣味・偽善事業

目に見えないもの

2025-03-09 | 宗教


一番の不幸とは、
自分を見失う事である。

絶好調なときも、
あるかもしれないが、
自分を見失うと、
暗闇に引きずり込まれる。

そういう不幸な人はたくさんいる。

宗教の真の目的とは、
 目には見えないモノを見る  
事にある。

 「目に見えないモノを見る」
 とは、
霊を見たり、神や仏の姿を映像
として見るという意味ではない。

もし、神仏や霊を映像として見たなら、
それは、幻覚であり、
自分の内部で起きている、
「 脳内現象 」であり、
「 真実 」ではない。

神仏の声など聴く事はできない。
もし聞こえたら、それは幻聴・・・

私の場合、そのようなことが起きたら、
まず第一に、自分の感覚を疑い、
自分の耳を疑い、
そのあと、意識のスイッチをオフにします。

 夢の中に偉人が現れて、
何かを語った 

このようなお話も、
99%は潜在意識が為せる、脳内現象。

願望を記憶に変換した潜在意識のイタズラである。

若しくは、苦し紛れの創作か
記憶の捏造である。



先に述べた、「 見る 」とは、

「 観る 」 = 「 静観する 」
という意味である。

「 静観 」とは、
事物の奥に隠された本質的なものを見極める
という意味。

「 静かに見る 」のではない、
目で見るのではなく、 心で観る 

たとえ、目の前が、
辛酸な、惨憺たる状況であろうとも・・
栄華を極めた状態であろうとも・・・

その背後にある、「 見えないもの 」を
見ることが出来ない人間は、
この世に生まれてきた最大の意義と、
権利を放棄した事になる。

目に見えないものを観たとき、
自分にとって、、
最高にして、最大の幸福を観る。

他者との比較ではない、
「 自分が全て 」なのだ。

「目に見えるもの」 
これのみが全てと考えるなら、
全ての人間が平等ではない、
「 全てが不平等 」である。

生まれつき虚弱なひともいれば、
強靭な人もいる。

生まれつき裕福な環境で育った人もいれば、
貧乏な環境で育ったひともいる。

五体満足で生まれた人もいれば、
障害を持って生まれた人もいる。

誰かが言うでしょう・・・



おれは善良に、真面目に生きている、
悪に憧れている訳でもない・・

なのに、なぜ!!不平等なんだ!!!
神も仏もあったものか

その気持ち、痛いほど分かります・・
だからこそ・・・

「 目に見えないもの 」
が存在するのです。



誰かが言うでしょう・・・
この、ウサギオヤジ!!!屁理屈ばかり
言いやがって!!!
詭弁をいうな!!!

ご最もでございます・・
だから、宗教はバカにされるかもしれません・・



しかしながら、

理論的な判断だけではどうにもならないのが、

‘ この世 ‘ なのです・・・

そこから一歩踏み出さない事には、
世のなか真っ暗闇で、
人生が「 徒労 」となってしまう。

目に見える世界は不平等だが、
それは、その奥にある、
「 絶対的なものを観る為の道具として、現われる仮の姿 」
見えないもの とは  

 自分の内に宿る神 

 自分の生命の根源である‘神‘  

 自分の内に宿る生命の偉大さ 

 自分を見守る、親の心・先祖の想い 


 全ての人間は、神の分霊・仏の化身 


これを知らせる為に、釈迦が現われた。
これを知らせる為に、キリストは現われた。

  生きてるだけで丸儲け  
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