
ウサギ仙人は奇怪な芸の持ち主です。

ウサギ仙人の行う、
「運命予知」・・・「透視みたいな芸」
(霊感みたいな神通力みたいな奇怪な芸)
について、
もっと詳しく書いてほしいという要望が、
面識のある人 ない人
を含め複数の人から寄せられています。
私と致しましても
もっと詳しく書きたいところです。
されど・・
書きたいけど書けない
書き始めても
数行でキーボードを打つ手が止まってしまう。
私の行う、
「霊感みたいな神通力」
「人間観察の手法」を
人に説明しようと思うと
その根拠が必要になってきます。
根拠を説明しようと思うと、どうしても
実際に私が経験した事や
私に縁がある人物の事を
書かざるを得なくなります。
それを話さないと
本意が伝えられないことが多くあります。
しかしながら、
私に縁がある人を 話のネタに
する事に大きな罪悪感を感じます。
私の信用にも関わってきます。
明るみにしたら問題になる
裏話 も多くあります。
仮名を使ったりしても
やはり罪の意識を感じます。
話を少しアレンジして、
ストーリーだけを変えて、
骨組み は一緒にする・・
と言った手法を使う事も事も出来ますが、
そんな事をやると、
私自身が現実と想像の世界 の区別が
付かなくなってしまう可能性があります。
自分の教養と経験を元に、
それをアレンジして描いた架空の話を、
無意識のうちに
自分自身が「現実の話」
として認識してしまう・・・
そういったクセが付いて
しまう恐れがあるからです。
(記憶の書き換え)
一般社会に生きる者が、
そのような「落とし穴」にハマっていしまうと、
大きな危険が伴います。
これは正気の世界ではなく、
欲も悪くも狂気の世界です。
これがもっとひどくなっ来ると、
自分の知識から導き出された 「言葉」 を、
「 神のお告げ 」 だとか
「 霊の声 」 「 霊感 」
だとか言い出す。
夢の中に霊人が現れて何かを語った・・・
などと言うお話も、
同様です。
宗教家 や 小説家 には、
この落とし穴に落ちた人が多く存在します。

ウソが許されます。
宗教屋さん自身が、記憶の捏造や、事実の誇張を、
「ウソ」という自覚をもて語る分には「方便」
という意味に於いて問題ありませんが、
「ウソ」と「現実」との境界線が
曖昧になってしまうのが一番危険な状態です。
そのような人に近付くと振り回されるだけです。

かつて、宜保愛子さん、
と言う霊能者が大ブームになった事があります。
彼女の場合まったくこのタイプだと思います。
後に、彼女の子供がそれを
裏付ける多くの告発をしています。
彼女は自分が人から聞いた事を無意識に
「自分が実際に見た事 」として認知して、
それを記憶として残してしまう
性癖があったとの事です。
これの延長で、
自分の知識(事前調査)などの予備知識を
「 霊の声 」 として感じて、それらしく語る
習慣を身に付けたと思います。
彼女の子供は、母親の 霊感 を
頭から否定していました。
ただ、彼女には人の
「心」 や 「意識」 「拘り」 を察知する
鋭い感性があった事は事実のようです。
たぶん、その能力は彼女が遺伝的に持っている
「動物的直観力」・・
「特殊能力」であると思います。

霊言 とか お告げ 霊感 とかという話は
99パーセント「 意識の暴走 」であると思います。
なぜなら、 霊言とか霊感は
その人の知識を超えた
内容の言葉を発する事はできない。
霊媒 霊言 霊感 の真偽は別として、
その人がもつ意識や情報
以上の言葉は口から出る事はない。
要するに 「 霊言 」とは
その人の潜在意識から出てくる言葉であり、
「潜在意識に存在しない言葉」
を再生する事はできない。
ただし・・
霊感・霊言のすべてがそうだと思っている
訳ではありません。
例外もごくごく稀ではあるけど
起こり得ると思います。
その、例外的存在が
釈迦であり キリストであり マホメッド
ではないでしょうか。
勿論、現代にも凄いお方は存在すると思います。
現にそういうお方を知っております。
でも、
そんのようなお方は無闇やたらと
世間に顔をお出しにならない。

私は、所詮 凡人
凡人が思い上がると厄介な事になります。
大きな妄想に取り憑かれないよう常に注意しています。
そういった事情で
運命予知・第六感・
透視みたいな芸・・
に関することは、
このブログには
あまり書けないといった状況でございます。
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