傾聴ボランティア~緩和ケアにて~

~薬剤師・社会福祉士による小さなボランティア活動~

緩和ケアへの入り口 その2

2005年11月30日 | 在宅ホスピス
がん性疼痛に興味を持った私は、在宅ホスピス患者さんへのがん性疼痛緩和を専門とした調剤薬局はできないものか、と思ったんです。

なぜかその年は在宅患者さん、ということがずっと頭にあったもので。

東京大学心療内科の先生に友人がいたので、東京出張の際にこのことを相談しました。

場所は神楽坂の居酒屋。

そしたらがん性疼痛はもちろん大事だけど、それ以上に心理的、スピリチュアルな痛みが深刻複雑で、疼痛緩和だけでは緩和ケアとはいえない。

そういった悩みに答えられるようにする方がいいんではないかと…。

そこで話が発展してその日に今のサービス内容に近いコンセプトができたわけです。


思い起こせば生まれて初めて起業してみたらどうか、と会社の先輩に言われたのが大阪ミナミのバー。

サービスのコンセプトを考えたのが神楽坂の居酒屋。

私の人生こんなことでいいんだろうか…(苦笑)。


緩和ケアへの入り口

2005年11月29日 | 在宅ホスピス
どうしてこの道へ入ったのかと、先日質問をいただいたので、ブログで回答します。


私は某製薬会社の臨床開発部で抗がん剤の開発を担当していました。

ある時企画部の方が、日本で発売されていないそして開発も着手されていない、とあるがん性疼痛緩和薬の情報を片手に現れました。

「おぅ、ゆきぃ!この薬なイケルと思うねん。開発コストとスケジュール、がっとで出してや。
・・・そんな怖い顔せんと。ざっくりでええから。
・・・上司ぃ?あぁ、後で言うとくわ。んなよろしく頼むでぇぃ!!」

(注:全員がこんな馴れ馴れしいことばで話しているわけではなく、この方一人だけです!)

私は開発の計画などを担当していましたから、開発計画の素案を考え、コスト、スケジュール、ヘッドカウント、スケジュールに沿った人件費をはじきだします。

別にマーケティング部が売り上げを予想します。

そうやって開発にかかる費用と売り上げ予測を天秤にかけ、GOなのかNO GOなのかをBOSSが決めます。

開発計画の素案、といってもただ机の上で考えているわけではありません。

開発したヨーロッパの別会社と頻繁にコンタクトをとり、薬と欧州での試験内容に関する情報をとことん聞きだします。

そして新しいことをするときはその道の達人に聞くのが筋です。

そこで某大学病院医学部麻酔科のM先生にアポイントを取り、ヨーロッパの会社から得た情報を持ってご意見を伺いにいきました。

そのM先生はとても熱心に緩和医療に取り組まれ、身を削る思いをしながら診療にあたり、さらによりより緩和医療の普及に努めておられました。

M先生のお話を聞いて疼痛緩和の一般的な現状、問題点、そして患者さんの立場にたって改善を進める使命感に感動しました。

同時に緩和医療の役割について考えさせられました。

患者側に立たなければ治療ができない。検査では痛みは計れないから。患者の声がすべてなのだ。

そこの点に気づくと緩和医療に抱いた興味はなくなりませんでした。

そして札幌で開催された癌治療学会で、緩和ケアチームの取り組みの発表を聞きました。

詳しくは11月17日付けのブログに書いてあります。

もう私の頭の中疼痛緩和のことでいっぱいです。

そこから紆余曲折を得て、

「人生最期の時を不安と孤独から解放し、人生の全面肯定を通じた心理社会的支援を行う」

という現在のサービスにたどりついたんです。

長いようであっという間。

これからもっともっと長い月日を緩和ケアを見つめて生きていくのだと思います。

研究会の感想

2005年11月26日 | 在宅ホスピス
今日は在宅ホスピス緩和ケアに関する研究会に参加してきました。

印象に残ったことは介護サービスです。

末期がんになると介護保険の適応になります。いい制度ですよね。

しかし、今の介護保険は決して在宅ホスピス緩和ケアを受ける方へ向けての介護サービスを想定していないことがほとんど。

ホスピス緩和ケアの考え方、理念、そして患者さんへの接し方などちょっと特別な注意点があります。それがスタッフに十分な教育がなされていないようなんですね。

せっかく在宅ホスピス医や看護師がケアに当たっても、介護サービス側の考えとあわないこともしばしば…。

そこで犠牲になるのがやっぱり患者さんなんですね。どうしても末端と弱い者に皺寄せがきてしまう。これっていつでもどこでも同じですね。

ただでさえ不安な患者さんが医療者と介護者から別々のことを言われたら…、泣きたくなります。

アメリカのホスピスが多種職のスタッフを抱える利点の一つが、ここにあるように、ケアにあたる人が同じ方向を向かないといけないのは当然ですよね。

みんな一方の方向を向かないといいケアはできないんだとつくづく感じました。

アメリカのようなホスピススタイルが日本でも通用するかと言えば、かなり苦しい状況といわざるを得ません。

それぞれのサービスが、組織を超えても同じ方向が向けるよう、なんらかの手立てが必要だなぁと思いました。

その役割の一端を担えたら、、、何ができるか、、、帰り道ずーっと考えていました。

研究会

2005年11月25日 | 在宅ホスピス
ホスピス・緩和ケアに関連する研究会に参加してきました。

とても勉強になりそして考えさせられました。


~~親身になってくれる医療従事者は時として感情的になる~~

 医療従事者は感情的になってはイケナイものですが、気持ちが入ると時として感情的になることも。

 それは憎むべき態度ではないかもしれません。だって、どうでもいい人に真剣に怒ったりしませんもんね。それだけ真剣に考えてくれている、と視点を変えてみては。


~~日頃から家族、配偶者やパートナーとの会話を大切に~~

 今まで心の通った会話がなく関係がぎくしゃくしていたものが、病状が悪化した時急によくなることはありません。

 最期に本音で話をしたくても今までしてないことが急にできるようになるわけがないですよね。

 もちろん相手も同じこと。相手が変わるのを待つのもいいけどそれじゃ他力本願になってしまいます。

 状況を変えるためには自分を変えなければならない。

 それは今日からできる第一歩です!

オペラを見て思ったこと

2005年11月24日 | Weblog
11月23日(祝)は10月に阪急西宮北口の駅前にできた、兵庫県立芸術文化センターでオペラを見てきました。

お題は「ソフィア国立歌劇場(ブルガリア) オテロ」でした。

総督オテロは、旗手イアーゴの罠にはまり、妻デズデモナが副官カッシオと情愛関係にあると信じ込み、妻を殺し、その後過ちに気付いて自らも自死する、という話です。

オテロは多角的な情報と判断が必要であったし、もっとデズデモナと会話を重ねるべきであったと思います。

死んでからでは遅い。


世の中の問題のほとんどに、会話不足が潜んでいると考えています。

特に終末期にあっては家族やパートナーとの会話は不足してはならないと思います。

でも最期になって突然会話を、といわれてもどうしていいやら戸惑うかもしれません。

来るべき日のために、家族やパートナーとは日ごろから考えていること、考え方が変わったら変わったということ、日常のちょっとした相手への心配事、不思議に思う事をお互い話をして、十分な会話を交わしておきたいものです。

それがよい最期の日々をもたらすことにつながっていくと思います。

言いたいこと言っちゃって・・・

2005年11月22日 | 薬剤師
病院でさんざん待たされ、検査であちこち回され、行くところどころで同じ事を聞かれ、やっと先生に会えたと思ったら数分で終わり、会計に並び、薬をもらえるかと思ったら処方箋だけで、そしてやっと薬局にたどり着くころには身も心もクタクタっていう人、よく見ます。

しかもそれが悪性腫瘍の疑いを持っての事だったら…、穏やかな人でもイライラするし行き場のない怒りがあるでしょう。

それは仕方ありません。最後に行き着く薬局でちょっと愚痴ってみたりするのも(苦笑)

どこかでその怒りは出しておかないといけないし、その人の立場になって考えると納得できるんですよね。

ほんと大病院にかかるって大変なんです。


心地いいことは体にもいいこと

2005年11月19日 | 在宅ホスピス
私は距離の離れた場所へ出張する時なるべく宿泊は避けるよう努力します。

東京なら姉が住んでいるので気兼ねなく泊まることはできますが、心から落ち着くことはできません。

自分の場所がないから。

自宅には自分の居場所がきっちりあります。私しか使わない机やベッドやタンスがあります。

狭くても、自分の家が落ち着きます。

だから、最期を自宅で過ごしたい、と思う気持ちに共感できるし、できるだけ応援したいと思うんです。

ハワイのホスピスでこんなことを聞きました。

米国のホスピスでサービスを受けるには余命6ヶ月以内、という2人以上の医師の診断が必要。

ところが実際は6ヶ月以上療養されている方がとても多いんだということを。

実際患者の記録ファイルの整理をすると1年はめずらしくないし、2年以上もサービスを受けている方がいるんですね。

自宅で少しわがままをいいながら、いつもと変わらない日を淡々と好きなように療養する。

私が理想とする最期の姿なのかも。

QOLの向上の重要さを感じさせられます。

関係者以外立ち入り禁止

2005年11月18日 | 在宅ホスピス
今日は某ホスピス病棟へお邪魔しました。

ホスピス病棟にお邪魔したのは2件目。

どちらも上層階にあり、明るく景色がいいこと、が共通点ですね。

ボランティアコーディネーターの方とお話しましたが、ハワイのホスピスボランティアとはぜんぜん違うのを改めて痛感しました。

ボランティアの役割を通して、それぞれの専門家達の取り組み方がぜんぜん違うことに気づきました。

日本は施設内で、あちらの国は在宅。

提供場所の違い、だけでは説明がつかないほど違います。

何が違うかって?

テリトリー、でしょうか。

日本の場合は各専門家が、それぞれ自分の仕事の領域をとことん突き詰めてそれぞれの役割を精一杯実行する。

そちらの領域には口も手も出しません、だからこっちにも出さないで。

あちらの国は各専門家が共通したルールの元、それぞれの責任をもって役割を行い、お互い補完しあいながら全員で一つの形にしておもてなしをする。

仕事が被ることもあるし、意見を出し合って相談しあって決めている。

例えるのが難しいですが、イメージとしては、日本の場合積み木で家を作っているのに対し、あちらはLEGOのブロックで家を作った感じかな。

お互いに入り組んでいる感じが違うんです。

これって別にホスピスに限ったことじゃなく医療全体にいえる日米の差なのかもしれません。

疼痛緩和専門薬剤師って必要?

2005年11月17日 | 薬剤師
病棟の薬剤師が疼痛緩和を管理する現場で大活躍している様子を、2年前の癌治療学会ランチョンセミナーではじめて知り、衝撃を受けました。
発表は私立秋田総合病院緩和ケアチームによるものでした。
がんの痛みのネットワークSCORE-Gという全国にある緩和医療チームを結ぶネットワークに入っている病院です。
痛みのないこと、を目標に医師と相談しながら薬剤の選択と量を決めておられました。
患者さんは医師にではなく薬剤師に痛みを訴えるようになったというのです。

本来の薬剤師業務を行いながら、患者の痛みの訴えに耳を傾けることが求められる、薬剤師としてとても魅力ある仕事の一つと思えました。
じゃ、在宅緩和ケアでも在宅訪問しながら同じことができないかしら、とその時突然そんな考えが頭をよぎってからその考えはいまだに頭から離れません。
病棟でも重要な役割がある、在宅で医療者の管理下にない患者さんにとっては、もっともっと重要なのではないか、と思えてならないのです。

在宅ホスピスの行き先

2005年11月15日 | 在宅ホスピス
日本死の臨床研究会に参加して感じたことパート2です。

在宅ホスピス・緩和ケアと一口にいっても、日本全国にある在宅ホスピスサービスは、個々の思いと力で独自に進めていて、全体として同じ流れが生まれるには至っていない印象があります。
つまり、全国どこででも同じサービスが期待できるわけでないと受け止められます。

米国ではどのホスピスも看護師、医師以外にメディカルソーシャルワーカー、スピリチュアルカウンセラー、ボランティアが必ず配置されています。
各職種は各職種同士がホスピスの枠を超えてつながり啓蒙しあい、成熟しているため、どこのホスピスでもある一定のサービスが提供されています。

これはやはり米国の医療制度である、Medicare と Medicaid から支給を受けるための基準があるためと考えられます。
制度上で報酬のバックアップがある、そのために揃えるべきスタッフが決められている、ということが日米の差を生む要因になっているのでしょう。

緩和ケアの方法は百人百様で、例えば癌治療のガイドラインのようなものを作って統一させましょうという画一的な方法で足並みをそろえることができません。
それならばサービスを提供する各職種が専門に特化し、横のつながりが強化されれば、全国どこででも同等のサービスを受けることができるかもしれません。

果たして、それが正解なのか否かは、謎です。

しかしそれを求められたら、メディカルケアプランニングはその一員として活躍できると考えています。