禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

人は必ず死ぬ?

2022-12-11 09:54:29 | 哲学
 今年はいつもの年に比べて喪中はがきが多く届く。先日2軒隣に住んでいた私と同じ歳の方が亡くなられた。以前はよく街で出会う人が最近はあまり顔を見ないと思っていたら、実は亡くなられていたという話を耳にした。同級生の訃報もぽつぽつと入ってくる。日本人の平均寿命は男性が81.47歳、女性が87.57歳だという。私は今73歳だから、ざっと見てあと10年以内に同世代の男性は半分くらい死ぬのだろう。男性は70歳を越えればいつ死んでも不自然ではないと言える。

 私自身自分が遠くない将来に死ぬのだろうと思っている。しかし、私が自分の死の意味を知っているのかどうかということには問題がある。私たちの知っている「死」の概念はあくまでも客観的な死または生物学的な死、心臓が止まり脳波がなくなり動くこともしゃべることもしなくなる、そういう死である。そういう事態を今まで見てきたので、いずれ自分にもそういうことが起きるのだろうと想像しているのである。つまり、他者の目から見て、私にもそういうことが起きると想像している。それはいわば客観的な死、他者としての死を自分の上に重ねているだけである。

 なにごとも経験してみないと分からない。ところが私は死んだことがないので、私が死んだらどういう事態が出来するかについてはなんらの知識も持ち合わせていないのである。睡眠を死に例える人もいる。人は眠ると意識がなくなり不活発になるという点では死に似ていると言えなくもない。が、決定的に違うのは睡眠には覚醒が伴うが死にはそれがないということである。眠りから覚める過程では実はいろんなプロセスが起こっている。そんないろんなものがまじりあった感覚をから、純粋な無意識を抽出しようとすることには無理がある。第一、死んだら果して無意識かどうかさえも実際のところは分からないし‥‥。
 
 分からないということは気持ちの悪いことである。私たちの理性はなにごとも合理的に理解したいという強い欲求を持っている。この場合の「合理的」というのは「矛盾がない」という程度の意味である。ところが死後のことについては根本的には何も分からない。だから、適当なことを言ってつじつまを合わせることが出来る。このことが死後の世界についての様々な言説が生まれる原因となっているのである。だから、「献金をすれば死後の世界もハッピーです」というようなことでも、根拠のない前提を信じさせればそこに矛盾はなく、一応「合理的な」説明にはなり得るのである。カルトが栄える理由はそういう所にあるのである。お釈迦様は決して死後の世界については語ろうとしなかった。このことはきちんと覚えておいた方が良いと思う。
 
 言うまでもなく死は生の対極概念である。一般に「生きていない」状態を「死」と呼んでいる。他人の「生きている」状態と「死んでいる」状態についてはわたしたちは理解できる。しかし、私自身について言えば、いつも生きている状態でしかない。実はここに重大な問題がある。現代言語学によれば、「言葉は世界を分節する機能しか持たない」ということになっている。つまり、「生」という言葉は生と生以外を区別する、「死」は死と死以外を区別する、言葉にそれ以上の意味はないというのである。言い換えれば、生があってはじめて死があり、死があってはじめて生があるのである。生と死の概念はその相依性によって成立しているという考えは仏教の教えにもかなっている。重大な問題というのは、私は自分の死について知らないのならば、果たして自分が「生きている」ということの意味を知っているのかということである。

 デカルトは「私は考える、だから私は在る」と言った。このデカルトの言葉に対して、カントは「『考えている私』というものを直観できない」と言った。デカルトが「私が在る」という結論を単に言葉の文法から導き出していると指摘したのである。ここで「在る」は「生きている」と言い換えても良いような気がする。考えたり、感じたりすることが生きていることだろうと考えられるからである。つまり、「考えている私」は「生きている私」のことである。このように考えれば、カントと禅者は己自究明という一点で一致する。

 この「生きている私」とは何かという問題に対して、禅者である趙州和尚はただ「無」とだけ答えた。(参照==>狗子仏性(趙州無字)」 「そんなもの無いよ」と言ったようにも受け取れるし、言い表しがたいものに「無」と名付けたようにも受け取れる。いずれにしてもそれは既に生死とはかけ離れた問題である。

狗子に仏性有りや無しや?
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