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禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

ゆきてかへらぬ

2025-03-09 09:35:05 | 雑感
 何年振りか分からないが、久し振りに映画を観に行った。中原中也と小林秀雄を題材にした映画が一体どのようなものかと興味を覚えたのだ。はじめからあまり期待はしていなかったが、見終わってやはりこんなものだったかという気がした。ストーリーは泰子=中也=小林秀雄の三角関係だけに焦点が当てられている。この三人以外はほとんどが通りすがりの人々で、富永太郎が少し顔を出す程度で、大岡昇平も河上徹太郎も一切登場しない。中也の人物像を最も顕著に表しているはずの友人たちとの文学談義も一切出てこない。もっぱら焦点は広瀬すず演じる長谷川泰子に当てられている。

 これは映画を観る前から気になっていたのだが、私の中では長谷川泰子と広瀬すずは全然重ならない。長谷川泰子は大柄な(中也より背が高い)美人で男好きのするタイプではあるが大部屋女優である、それに引き換え広瀬すずはわりと小柄で大部屋女優というにはどこかシャープすぎる印象がある。「海街diary」で彼女は地のままで伸びやかなとても良い演技をしていたが、今回の作品では大人の女を意識的に表現しようとしてか、かなり力みが感じられた。それとストーリーを円滑に進める為なのか、泰子の母親譲りの狂気が強調され過ぎているように思える。泰子には確かに神経症の傾向があったようだが、57歳から12年ほどビルの管理人をして堅実に暮らしていたというから、決して病的な人ではないと思う。小林が泰子の執拗な絡みに辟易して逃げ出したのは間違いないだろう。後に泰子自身が(彼をしつこく責めたのは)「愛情を確かめるための甘えだった」と述懐している。若い性欲に駆られて友人の恋人を寝取ったものの、帝大出のエリート坊ちゃんには生身の女はあしらいかねたということではないのだろうか。小林は後に次のように語っている。

「女は俺の成熟する場所だった。書物に傍点をほどこしてはこの世を理解して行こうとした俺の小癪な夢を一挙に破ってくれた」 (Xへの手紙)
 
 以上のような感想は私の勝手な想像ではないかと言われてしまえばそのとおりで、映画は実在の人物からインスピレーションを取り入れた創作であると考えねばならないのだろう。人間関係を分かりやすい図式に当て嵌めて簡潔に描く、見せ場は正統派大物女優の広瀬すずの妖艶な本格演技である。それでエンターテイメントとしての映画は成功するということなのだろうか。私にはそれが成功しているようには見えなかった。あくまで個人的感想であるが‥‥。

 それにしても小林にとって中原ははたして友人と言えるような存在だったのだろうかという疑問が私にはある。小林も大岡昇平もその作品中で中原のことを「友人」と記しているが、彼に対する好意というようなものが一向に感じられないのである。周囲の誰もが中原の才能は認めていた。しかし、誰もが彼に対する哀れみは感じていても好意的な表現は見当たらない。おそらくまわりの誰もが中原にはうんざりさせられていたのだろう。誰彼となく口論を吹っ掛けて、言い負かすまでおさまらない。自己中心的かつ執拗なワガママ坊ちゃんてきな性格だった。対等な友として人と付き合う術を学ぶ機会が無かったのだろう。純粋な心情を詩に託そうという心は人一倍強かったのであろうから、他人に対する愛情や思いやりが決してなかったわけでもあるまいが、その表現の仕方を学ぶ機会が無かったのだろう。小林が泰子と同棲するようになってからも中原は小林のところに頻繁に通っている。自分の恋人を寝取った男に通う、中原はそれを恥ずかしいと感じるような神経をもっている男ではなかった。小林から見れば決して愉快なことではあるまい。泰子からも中原を拒絶するよう責め立てられる。常識的には小林は中原に「帰れ。もう来るな。」と怒鳴れば良かったような気がする。だが知性の人はそのような修羅場を避けるようにして奈良へ出奔した。小林が逃げ出した際、友人たちは彼の身の上をみな心配したが、中原は康子が自分のもとに帰ってくるとでも思っていたのだろうか、かなりはしゃいでいたらしい。その様子を大岡昇平は「おたんこなす」と表現した。彼らの中原に対する友情は一筋縄ではいかないものなのだろう。

 映画のストーリーはともかく背景はとても美しかった。臨済宗の大本山妙心寺の境内でローラースケートをするシーン、そして京都の古い家並みは一部スタジオが使用されていたらしいがそれらしく自然に映っていて雰囲気がとても良かった。それと鎌倉の妙本寺で海棠を小林と中原が眺めているシーンもあったが、小林秀雄の「中原中也の思ひ出」を読んで以来、私も毎年花の季節に必ず比企谷(ひきがやつ)妙本寺を訪れている。花海棠がとても美しいからである。

 
2023年3月鎌倉妙本寺にて
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ドラマ「水戸黄門」について考える

2024-10-25 11:22:19 | 雑感
 時代劇「水戸黄門」は私が大学生の頃始まり、それから半世紀も続いたというお化け番組であります。正直に言うと、当初からこの番組のことを内心では馬鹿にしていました。権威主義的で安っぽい勧善懲悪もの、悪代官の命令に従っている木っ端役人を散々痛めつけたあげく、三つ葉葵の印籠をかざして「ひかえおろう」と見えを切る。はじめから身分を明かしておれば事情を知らない下っ端の役人たちは助さん角さんにどつかれる必要は全然ないわけで、どう考えてもその正義心には底意地の悪さが潜んでいるように感じてしまうのです。そんなわけで、私はこの番組を敬遠しておりました。

 ところが私はこのところ平日の夕方は水戸黄門の再放送を欠かさず見ているようになってしまった。放送のない土日の夜はなぜか物足りなく感じるほどの中毒状態と言っても良いほどなのです。いつもいつもおなじような筋書きで、しかも時代考証もリアリティも皆無で、安直な正義感を満たす軽薄なドラマという見方は変わってはおりません。しかし、面白いものは面白いと認めざるを得ないのです。もしかしたら私が年とったということかもしれません。私の父親は晩年近くなってからは時代劇ばかり見ていました。水戸黄門も欠かさず見ていたはずです。

 年寄になると時代劇が好きになるということはあるのかも知れません。しかし、水戸黄門について言えば私の子供達も結構好きだったようで、私の娘は小学校の修学旅行に行った折、三つ葉葵の紋所が入った印籠のおもちゃを買ってきて悦に入っていたほどです。やはり、老人だけでなく広範な人の心をつかむ普遍性がなければ半世紀も続くドラマにはなり得なかったでしょう。

 「水戸黄門」はどう見ても権威主義的で安っぽい正義感に貫かれたドラマだと思います。それが、全ての人の平等と民主主義を是とする近代精神と相容れないことは明らかです。それでも人々は水戸黄門に快哉をおくる。(私も含めて)人間は民主主義よりも、本当は超越的な立場からものごとを裁断する存在を望んでいるのではないでしょうか? そのような気がしてなりません。天下の副将軍の権威のもとに悪代官一味を懲らしめる。悪代官の命令に従っているだけの木っ端役人まで散々どつきまわしたあげく、印籠を振りかざして「頭が高い、控えおろう!」と土下座させる。それを見て留飲を下げる我々視聴者はやはり底意地の悪いとしか言いようがない。

 私たち人類の長い進化の過程をはほとんどが生存競争のための闘争の歴史でした。生き残るために必要なのは正義か悪かではなく味方か敵かということだったでしょう。リーダーに従って敵は完膚なきまでに叩きのめす。そうやって現在生き残っているのが私たちです。 そのように考えると、人間の平等を目指してプロレタリアート革命を成し遂げたはずの中国、北緒戦、ロシアなどが一向に民主化できないことにも説明がつきます。理性によるイデオロギーはきっかけに過ぎません。「民衆のために」と頑張ってきたはずが、ちょっとした路線対立がもとで血で血を洗うような闘争に発展します。そうした中では生存競争の原理のもとに強力なリーダーのもとに従って敵をぶっ潰すことが至上命題になるのです。対立する勢力を根絶やしにしても,リーダーの権威は残ります。今度はその権威を維持するために、粛清が続きます。結局、社会主義国の統治は権威主義を脱却できないのです。

 問題は社会主義国だけに限りません。森友学園事件に関する財務省文書改ざん問題、兵庫県知事パワハラに関する公益通報問題、いずれも自殺者まで出しています。このような理不尽な事件がなかなかなくならないというより、世間には似たような状況が日常化しているのではないかと考えられます。それは私たちの本性が権威主義に非常になじみやすい、というところからきているのではないかと私は考えています。

 たわいもないはずの水戸黄門からえらいところまで話は飛んできましたが、私たちの本性の中には理不尽なものが潜んでいる、ということは覚えておかなくてはいけないような気がするのです。
 
信州 小布施の喫茶店で(記事とは関係ありません)
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保科正之

2024-08-11 16:35:25 | 雑感
 ドラマの水戸黄門を見ていると江戸城への登城シーンで天守閣が映し出されていた。これは時代考証の点でかなり問題がある。というのは江戸城の天守閣は明暦の大火(1657年)で焼失していてその後再建されることはなかったからだ。徳川光圀は1628年生まれだが、明暦の大火の頃はまだ二十代の青年だった。ドラマの「水戸黄門」は光圀の隠居後の話なので、江戸城に天守閣がある訳はない。

 天守閣の焼失後、直ちに再建されるべく加賀前田家によって石垣の天守台が築かれるが、 そこで待ったをかけたのが保科正之である。彼は先ず江戸の復興が大事であり、防衛上も大して効果があるかどうかが疑わしい天守閣などに費用と労働力をつぎ込むべきではないと主張したのである。それで以後天守閣が再建されることはなかった。結局徳川政権270年の内の大部分200年間は江戸城に天守閣なしだったのである。

 正之は第二代将軍秀忠とさして身分の高くない女性の間に生まれた子であった。当時の制度では、側室として認められるには正室の許可が必要とされていた。秀忠は天下の将軍なのだから堂々と正室にその旨申し入れすれば良いと思うのだが、なぜかそうはせずに秘密裏に信州高遠藩主である保科正光にあずけられたのである。秀忠の正室は美人で有名な浅井三姉妹の末娘お江の方、つまり淀君の妹でもある。秀忠とお江の中は良好であったらしいが、美人の奥さんに対して多少の気遣いがあったのかも知れない。結局お江の方には正之の存在は伏せられたままであった。

 正之が保科正光にあずけられたのは結局幸運だったかもしれない。我が子を預けるなら誰だって実直な人を選ぶはずである。正之自身もやがて立派な名君として謳われるほどの人物に育ったのである。徳川家の庶子は「松平」姓を名乗るのが通常であるが、彼はその出自が公になった後も終生「保科」姓で通したのは養親に対する恩義を感じていたからであると言われている。

 一般に身分の高い武家においては兄弟の情というものは育ちにくいとされている。生みの母とは切り離されて乳母に育てられるからだろうか、血の通った実の兄弟より乳母の息子である乳兄弟の方がより近しい関係になる場合が多い。(春日局の息子である稲葉正勝は家光の信頼厚く、最終的に8万5千石の大名にまで取り立てられている。) 三代将軍徳川家光と駿河大納言徳川忠長はともに秀忠の正室お江の方の子(家光はお江の子ではないという説もある)でありながら、子どもの頃から仲が悪くライバル同士でもあった。家光が将軍となった後に、「謀反の疑いあり」として忠長は切腹させられている。
家光と忠長はお互いに嫌い合っていたが、正之はこの両人からともに好かれているのである。おそらく正之は誰が見ても私心のない人と分かる、そういう人だったのであろう。

 征夷大将軍という孤高の権力者である家光は孤独であったに違いない。彼にとって何よりも信頼できる相談相手が必要であった。腹違いの弟に対する彼の傾倒ぶりは一方ならぬものであった。四代将軍となる彼の息子家綱に対し、「(正之を)兄と思い、頼りなさい。」とまで言い残している。正之は家光の期待に応え、家綱の後見人として大いにその手腕を発揮します。

彼の主な施策を挙げると、
 ・殉死の禁止
 ・江戸城防衛の観点から反対する者がいたにもかかわらず、玉川上水の掘削を
  すすめた。
 ・大名の死後後継ぎがいない場合お家断絶となり浪人が増えてしまうので、
  末期養子制度を認めることにした。
 ・明暦の大火の際に町人に対し16万両もの救済金を施すことを老中らの反対を
  押し切って実施した。

等々、彼の政策は常に民心の安寧と平和を志向していたと言える。そして関ヶ原以後未だ残っていた荒々しい戦国的風潮の武断政治から文治政治への大いなる変換をもたらしたとされています。徳川の平和な治世が270年も続いた第一の功労者に挙げる人もいます。
  
 正之は結局会津23万石を与えられ会津松平家の始祖となるのだが、家光の厚い信頼に対し恩義を感じ、家訓の第一条に次のように書き残している。

一、大君の儀、一心大切に忠勤を存すべく、列国の例を以て自ら処るべからず。
若し二心を懐かば、 則ち我が子孫に非ず、面々決して従うべからず。

「徳川宗家に忠義をつくさないものは私の子孫ではないから誰も従ってはならない」というのである。この家訓は後々まで忠実に守られることになる。幕末においても、会津藩は最後まで幕府軍の中心として明治政府に抵抗することになったのである。

 現代から見れば、保科正之も権威主義的な封建的秩序の中の倫理観に従ったに過ぎないと言えるかもしれない。しかし、私心なく誠実につくすという態度はいつの時代の政治家にも要請されることだと思う。保科正之のような政治家が現代にも出てきてほしいものである。

江戸城天守台。結局この上に天守閣は作られなかった。
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スマイルアップの言い分は子どもの屁理屈

2024-04-27 17:23:14 | 雑感
 3月31日の記事で、BBC報道によるスマイルアップ社の東山社長の談話について非難したが、スマイルアップ側は「発言の一部のみを切り取って印象操作している」とBBCに抗議したらしい。

以下は YAHOOニュースから引用
≪東山氏は誹謗中傷する人たちに言うことはないかを問われ、「言論の自由もあると思う。僕は別に誹謗中傷を推奨しているわけでもなく、多分その人にとってはそれが正義の意見なんだと思うときもあります」と発言。 SMILEは取材後、この発言部分を省略すると誤解を招くことから、「発言の一部のみを切り取って放送されることがないよう」と伝えていたが、番組内容と取材時に録音した音声を比較検証した結果、「なるべくなら誹謗中傷はなくしていきたいと僕自身も思っています」との発言が省略されており、視聴者への印象操作だと指摘。放送後、東山氏に対して誹謗中傷を助長しているなどの誤った批判がなされていると訴えた。 ≫

なるほど、「なるべくなら誹謗中傷はなくしていきたいと僕自身も思っています」と付け加えているのだから、決して誹謗中傷を推奨しているわけではないという意味らしい。しかし、性被害者に対して真剣に向き合っているならそのような言い方はしないはずである。現に、性被害を受けた男性が自殺したその妻が、「旧ジャニーズ事務所が『虚偽のケースがある』と発表した後から誹謗中傷が増えた」とBBCの取材記者に訴えた。その事実を踏まえて記者は東山社長にその姿勢を問うた訳である。 なぜあえて『虚偽のケースがある』などとわざわざアナウンスしたのかが問われている。確かに虚偽のケースもあるだろう。そんなことは初めから分かり切っていたことである。なのにそのことをさらにここで言い募れば、純然たる被害者が心ない野次馬よる二次被害にさらされることに思い至らぬ鈍感さが問題である。被害者に寄り添うという態度が見られない。

 「『なるべくなら誹謗中傷はなくしていきたい』と俺言っているよね」という態度は、まるで子供の言い訳みたいで見苦しい。いまさら何を言っているのか、誹謗中傷があったら絶対アカンでしょう。もし旧ジャニーズ事務所が発信した情報がもとで誹謗中傷が増えた事実があるなら、まず猛省せねばならないのであって、そこで「言論の自由」とかいう言葉が出てくること自体がおかしい。確かに言論の自由に対する配慮は常に必要であると思うが、ここで問われているのはスマイルアップ社や東山社長自身の被害者に向き合う姿勢そのものなのだから。
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大谷翔平と Shohei Ohtani は別人なのか?

2024-04-05 12:19:07 | 雑感
 昨日やっと大谷選手のホームランが出てほっとした人が多かったのではなかろうか。私もその一人である。それはそれで良いのだが、このホームランボールの帰属についてここでまた微妙な問題が持ち上がっているということをご存じだろうか。

この問題について日本側ではまず次のように報じられた。

≪ 試合後、ホームランボールは戻ってきたのか問われた大谷選手は「戻ってファンの人と話して、いただけるということだった。僕にとっては特別なボールなので、ありがたい」と説明し、ファンには代わりに「ボールとハット2個とバット1本ですね。サインを書きました」とプレゼントを手渡したことを明かしました。 (==>「特別なボール」大谷翔平 移籍第1号記念ボールはファンと交渉し本人の元へ 

ホームラン・ボールをキャッチしたのはローマンさんという女性で昔からのドジャーズ・ファンだという。この記事を読むと、ファンである彼女は大谷から直にプレゼントを渡され、大谷本人から感謝されてさぞやハッピーだったに違いない、と思うのではないだろうか。(私はそのように受け取った。)ところが、おなじYahooでもアメリカのヤフーニュースでは全然違うのだ。


上の記事では、ローマンさんはハッピーではなかったというニュアンスで記述されている。どうも10万ドルの価値があるというボールをそれより価値の劣るプレゼントと交換させられたことに納得していないらしい。それと見逃すことの出来ないのが、彼女は大谷と会っていないと主張していることである。 しかし、記事では大谷が次のように述べたと書かれているのである。

 “I was able to talk to the fan, and was able to get it back,” Ohtani said through interpreter Will Ireton. “Obviously it’s a very special ball, a lot of feelings toward it, I’m very grateful that it’s back.”

私の考えでは、たぶん大谷は通訳に言伝を頼んだのだと想像している。しかしこの文章だと明らかに大谷がそのファンにその場で話しかけたように受け取れる。この記事を書いた記者はそのように解しているはずだ。そして次のように語ってもいる。
Given that Ohtani's willingness to tell the truth is already a central part of one of the biggest stories of the season, his getting caught in an apparent lie over something as trivial as meeting a fan can't be ignored.
 こんな些細なことで大谷があからさまな嘘を言っていると述べている。アメリカ人が「嘘」という言葉を使う場合は軽く受け流すことは出来ない由々しき問題だと思って間違いないだろう。この記者は大谷という人物にかなりの疑いの目を向けているということである。

 私自身は大谷がこのようなことでつまらない嘘をつく人間であるとはみじんも思ってはいない。もし大谷が通訳を介する必要がないほど英語に通じていたならこのような齟齬は生まれなかっただろうと思っている。しかし、既に日本人が知っている大谷翔平とアメリカ人の知っているShohei Ohtani はかなり乖離しているのである。まわりのスタッフはそのことにもっと留意して早めに対処した方がよいと思う。とりあえず、この記事を書いた記者本人にきちんと説明してあげて欲しいと思っている。でないと、大谷はうそつきであるというレッテルを貼られてしまうことになるだろう。大谷ファンにとっては耐えがたいことである。
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