有名な脳学者である養老孟子先生が「進化論は科学ではない。反証不可能だからだ。」とどこかで述べているのを知って、驚いたことがある。私にとってダーウィンの進化論は科学の神髄である。これが科学でなかったら科学というものはない、くらいに思っていたし、今でもそう思っている。養老先生は素晴らしい科学者だが、これは暴言だとしか思えない。
しかし、「反証不可能」と言われれば、確かにすっきりしないものがある。なかなか反証の例が思いつかないのだ。もう何年も養老先生に対してスマートな反論をしてやろうと考え続けているのだが、現在のところは次のように考えている。
反証が難しいのはあまりにも当たり前のことを主張しているからだろう。自然に適応していなければ子孫を残すことができない。子孫を残さなければその形質を引き継ぐものが無くなってしまうのは当たり前だからである。ダーウィンの言っていることは大体次のようなことだと思う。
①親から子へは基本的に親の形質が遺伝する。
②遺伝形質は変異することもある。
③生存と繁殖に適さない形質は受け継がれる可能性は低くなる。
このうち①と②は経験によって確認することができる。つまり反証可能である。③は論理であるから、反論すること自体がおかしい。
私の子供の頃は、スピッツという犬をよく見かけた。白くて毛の長い犬種である。見かけがきれいなので、飼っている人がとても多かったのである。しかし、最近はとんと見かけることがない。スピッツは見かけは良いのだが、キャンキャンとうるさい犬であった。うるさく吠えるという形質が人間に嫌われたため、繁殖の機会が奪われてしまったのだ。
最近は犬を連れて散歩する人が多い。それも私の子供の頃には見たこともない犬種が多い。
これって進化論の検証にならないだろうか? 人為的な淘汰圧により、種の分岐と滅亡を発生させていると言えないだろうか?
横浜 大桟橋