禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

宗教には作り話が多過ぎる (つづきのつづき)

2014-01-19 14:42:18 | 哲学

以前「非風非幡 」で取りあけた六祖慧能という方の「六祖」というのは、達磨大師を始祖とする禅宗の第6番目の嗣法者という意味であるが、あえてこのように「六祖」が強調されるのにはわけがある。

 五祖弘忍のもとには、神秀という学識高く信望もあり風采も立派な弟子がいて、誰もが弘忍の跡目を継ぐのは神秀であると認めていたという。 あるとき師である弘忍に自分の境地を詩に表すように指示されて、次のような詩を作った。

  身是菩提樹   (身は是菩提樹)
  心如明鏡台   (心は明鏡台の如し)
  時時勤払拭   (時時に勤めて払拭して)
  莫使惹塵埃   (塵埃を惹(ひ)かしむることなかれ)

 神秀の詩をみて誰もが賞賛したが、一人納得しないものがいた。慧能である。慧能は神秀とちがって無学文盲野風采の上がらない小男だったと言う。文字の書けない彼は人に頼んで次のような詩を紙に書いてもらった。

  菩提本無樹   (菩提もと樹無し)
  明鏡亦非台   (明鏡も亦台に非ず)
  本来無一物   (本来無一物)
  何処惹塵埃   (何れの処にか塵埃を惹かん)

神秀への当てつけのような内容だが、弘忍は慧能の方が優れているとして彼を後継者としたのだと伝えられている。 

が、私に言わせればこれは典型的な作り話である。慧能は無学文盲であるわけはない。それどころか慧能の文学的才能は大したものと言うべきだろう。

 慧能の方が優れているというのは、二つの詩を並べて比較するからである。比較すれば慧能の徹底性というものが際立っているということになる。一見非常に分かりやすい話になっている。が、しかし半可通がこれらの詩を読んで、慧能の方が神秀より境地においてすぐれている、などと判断するのは如何なものかと思う。 

禅は実践の宗教である、当然のことながら文学ではもちろんない。あなたが慧能の方が優れているというからには、あなた自身が修行を通じて、「心は明鏡に例えるべきではない」という実感を得ていなくてはならないのである。本当は決して分かりやすい話ではない。分かりやすいというのは、単に観念的に比較しているというだけのことだからだろう。 

私心を払拭し、心を一点の曇りもない鏡のように保つ、それは禅の修行そのものであり、何ら文句のつけようのない話と言うしかない。 

こころ(鏡)から私心(塵)をとりのぞく、そうした後にはじめて本来無一物であることを知るのである。神秀の詩がなければ慧能の詩は成り立たない。突き詰めれば両者の詩は同じことを別の言葉で言い表しているといってもよい。

 禅は本来不立文字である。語りえぬものを語るのであるから、理屈を付ければどのようにでも批判はできる。「本来無一物」というのなら、なぜあえて修行をしなくてはならないのかと反論することもできる。このエピソードで問題となっているのはあくまでも言葉の問題でしかない。

 このようなエピソードをもちだして慧能の神秀に対する優越性を主張するのは間違っていると思う。おそらくは神秀も正当な後継者として弘忍に認められていたのだと思う。極論すれば、弘忍の弟子全員が六祖だったかもしれないのである。

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日本的霊性 (鈴木大拙)

2014-01-02 12:53:13 | 哲学

鈴木大拙の著書は今までに3冊ほど読んだような気がするが、もう40年以上も昔のことだ。以前はなんか分かったようなつもりで読んでいたが、今回この本を読んでみて、いままでは全然分かっていなかったということが良く分かった。大拙の表現は同じようなパターンが何度も繰り返されるので、そのパターンを記憶してしまうとなんとなく分かったつもりになってしまうのだろう。

大拙の著書はだいたいどれを読んでもよく似ている。空観を通して一度はこの世界を否定したのちにあるがままの世界としてとらえ直す、ということを「分別を超える」とか「絶対の否定と肯定」とかいうふうに、手を変え品を変えて繰り返し説明しているのである。

さて、本文をひと通り読みとおして、ある程度理解できたつもりだったが、どうもタイトルの「日本的霊性」の意味が理解できなかった。どう読んでも禅仏教そのものの解説書であるとしか思えなかったからである。

その辺の事情は巻末の末木文美士氏の解説によってある程度了解できた。この本は第二次大戦の末期に出版されたものであって、当時はびこっていた精神主義を批判する意図で著されたというのである。確かにそのような視点から緒言を読めば、大拙居士の意図は明白であるように読める。

≪つまるところ、精神が話されるところ、それは必ず物質と、何かの形態で、対抗の勢いを示すようである。すなわち精神はいつも二元的思想をそのうちに包んで居るのである。物質と相克的でないとすれば、物質に対して優位を占めるとか、優越感をもつとかいうことになるのである。≫

大拙は霊性を精神や物質を超えたものとして位置付けている。精神は分別意識を基礎としているが霊性は無分別智であるとも言っている。
もともと霊性という言葉は我々にとってなじみのある言葉ではないが、ここで云う霊性は大拙にとっての宗教の源泉のようなものを指しているのであろう。
排他的攻撃的に偏りがちな当時の「日本精神」を批判する意味で、日本民族は「日本的霊性」を自覚する必要があると主張したかったのだろう。

日本的霊性は鎌倉時代の仏教、それも浄土系思想と禅において顕現したという。なかでも親鸞が日本的霊性に目覚めた最初の人であるとしている。大拙は親鸞が越後に配流されたことを重視していて、大地に生きる人々の中に生きることによって京都的公家的上皮部文化から脱することができたと見る。浄土系思想が日本の大地に根差す庶民に根ざすものであるならば、禅は質実な鎌倉武士精神に根ざしたものである。浄土系思想と禅は別の階級分化に根差しながらともに同じ「日本的霊性」に到達した、というのがこの本の大筋である。

この本の内容に対して異論を唱えるわけではないが、タイトルの「日本的霊性」という言葉には若干の違和感がどうしても残る。親鸞について言えば、絶対他力の趣旨に照らしていろんな夾雑物をふるい落としていくわけで、ついには、自然法爾とか「念仏は無義をもって義とす」というような、純粋な「信」に到達する。ある意味において阿弥陀信仰まで否定しているような普遍性に到達しているわけで、いまさら「日本的」という形容詞を付けてもよいのだろうかと疑問を感じるのである。

一方の禅の方にもそれは言えるわけで、大拙は「禅は中国に生まれながら、中国人の生活に根差すことはなかった」と言っているのだが、どうだろう、確かに茶の湯や生け花と言ったような禅の周辺文化が日本文化に溶け込んでいるようには見える。が、しかし、単にそれは表層的なものではないかというような気がしてならない。禅の精神が中国人に根差さなかったというのと同じ意味でやはり日本人にも根ざしていないのではないかと思うのである。現にこの著書のなかでも禅に対する解説には中国の祖師方の言動が多用されている。「日本的霊性」の説明というより禅そのものの説明という印象が強い。

「日本的霊性の特質はその幕妄想のところにあらわれる」と大拙は云うのであるが、この著書の中で、仏光国師が当時の執権である北条時宗に対し「幕妄想」の言葉を与えた故事をあげている。仏光国師は日本史にも出てくるが、鎌倉幕府により中国から招かれた円覚寺の開山無学祖元のことである。ならば、日本的霊性は中国的霊性を日本人に移し替えただけのことではないのだろうか。

農民文化と武士文化は異質のものであり、同じ「日本」というキーワードでくくり出すのは若干無理があるような気がする。異質のものをくぐりぬけてきたものが同じ到達点に達したと言えるなら、その到達点は普遍的なものといわざるを得ないような気がするのである。「日本的」というよりそれは「宇宙的」と言った方が良いような気がする。

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