禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

日本はUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)を支援し続けるべし

2024-02-10 18:38:06 | 政治・社会
≪ UNRWAは第一次中東戦争後、1949年12月8日に採択された国連総会決議302(IV)により、パレスチナ難民のための救済と事業実施を目的として設置され、1950年5月1日に活動を始めました。それから73年、UNRWAはパレスチナ難民の支援と保護を行っています。 ≫ (以上、UNRWAのホームページからの抜粋。)

 現在ガザのパレスチナ人が悲惨な状態にあることは全世界が周知している。しかし、この事態に重大かつ全面的に責任があるイスラエルとハマスは人々の生存と安全のためにほとんど何の努力もしていないのが実情である。医薬品や食料品のガザ外部からの搬入は全面的にUNRWAなしでは途絶えてしまう。そんな事情を知らない筈はないのに現時点で15か国がUNRWAへの拠出金停止を表明したのだ。しかもその中に日本も含まれているのである。アメリカはイスラエルべったり、そして日本はアメリカべったりである。そこにはヒューマニズムとか正義のかけらも感じられない。

 ガザのイスラム組織ハマスが昨年10月にイスラエルを奇襲攻撃した際、「UNRWAの職員が攻撃に関わっていた」という情報をイスラエルが提示したのだという。しかし、それがどうしてUNRWAへの資金援助停止の理由になるのかが理解できない。UNRWAの職員数は約3万人だという。しかもそのほとんどが現地雇いのパレスチナ人である。当然その中にはハマスにシンパシーをもつ人々がいたとしてもそれは当たり前のことである。ハマスへの協力者は当然罰せられるべきだと思うが、それはガザという狭隘な地域に悲惨な状況に追い込まれている何百万もの人々の命を脅かす理由になってはならない。

 そんなことも分からないほど日本の政治家は頭が悪いのか? たぶん、切実な局面に立たされている他人の難儀にそれほど関心がないのだろう。唯一の関心事はご自分の権力基盤の維持ただそれだけである。そのように考えるとパーティ券の裏金問題や統一教会との関係のごたごたした歯切れの悪い釈明もすべて腑に落ちる。ならば、その最終的な責任はそのような政治家を選んだ国民にあることになる。次の選挙の機会には心して投票すべきだろう。

 重ねて言うが、UNRWAへの拠出金停止は恥ずべき行為だと思う。むしろ、南アフリカの外相パンドール氏の言うように「全ての国はイスラエルの軍事行動への資金提供を停止する義務を負っている」というような見識を持つべきだと思う。


丹沢山系塔ノ岳の樹氷と富士山
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この著しい不正義を黙って見過ごしてよいのだろうか?

2023-12-26 16:25:23 | 政治・社会
 最近、2歳の女の子が米国における心臓移植に成功したというニュースが流れた。いたいけな少女がやっと人工心臓から解き放たれたと知って、何となく心が軽くなったような気がする。しかし、米国での心臓手術はとてつもなく費用が掛かる。この手術のために、なんと5億3千万円の寄付金が寄せられたという。小さな命の苦しみをわがことのように受け止めた多くの人々の善意である。人ひとりの命がそれほど重いものと、人々が受け止めているからこそだと思う。

 一つの命がそれほどいつくしまれている一方で、ガザではいかにも無造作に人々の命が奪われ続けている。イスラエルの自衛戦争の名のもとに、なんら抵抗手段をもたない多くの人々が一方的に殺戮されている。すでに2万人以上の人々の命が失われたという。イスラエル側はテロ組織ハマスの排除の為と言うが、被害者のほとんどはただの一般市民だ。おそらくイスラエル側には「一人のハマスを排除するためには、千人のパレスチナ人を巻き添えにすることも躊躇しない。」というような了解事項があるような気がする。イスラエルにとってパレスチナ人の人口が減ることは望ましいことでもあるからだ。だからイスラエル軍はそこにはマスの気配があるというだけで、病院だろうが学校だろうがミサイルを撃ち込むことをためらわない。すでにそのハマスがほとんど反撃能力をなくしているにもかかわらずである。

 これは既に自衛戦争などではなく、行われていることはただの一方的な殺人、ただの犯罪である。

 このことについてアメリカ合衆国は重大な責任を負っている。イスラエル建国以来アメリカはイスラエルに対し累計1,580億ドルもの援助を行ってきたし、近年も中東におけるイスラエルの突出した軍事力を維持するために年間38億ドルもの軍事援助を与え続けている。だから本来ならばアメリカの支持なしにイスラエルはいかなる軍事行動も起こせないはずで、アメリカはイスラエルの行き過ぎた作戦行動を制止する義務があるはずなのだ。しかし、アメリカはイスラエルに対して決して強い態度で臨むことはない。常にイスラエルの「自衛戦争」を支持する立場は崩さない。常にアメリカに属国扱いされている日本から見ると信じられないことだが、小国イスラエルに超大国家アメリカが鼻面を引き回されているように見える。
 
 アメリカで反イスラエルの立場を表明しながら政治家を続けることはなかなか困難なことであると言われている。潤沢なユダヤマネーが対立候補の選挙資金につぎ込まれるからである。アメリカの三大ネットワークをはじめとする有力なマスコミは大抵ユダヤの影響下にあると言われている。中東における紛争についての報道はイスラエル=アメリカは正義でアラブ諸国は悪という図式にで報道されやすいが、決してそれほど単純なものではない。映画産業もほとんどがユダヤ資本なので、シオニズム運動も「パレスチナはユダヤ人にとって約束の地」というようなでたらめが肯定的に取り上げらるし、ユダヤ人が味わってきた受難の歴史は映画化されても、パレスチナ難民がイスラエルから受けてきた理不尽な悲哀の歴史はそのまま黙殺である。いつの間にか、「イスラム教徒=凶悪なテロリスト集団もしくはその支持母体」というような粗雑な図式がアメリカ人の頭に叩き込まれてしまった感がある。大体、「民なき土地に土地なき民を」というようなシオニズム運動のスローガンからしてふざけたものとしか思えない。「民なき土地」って一体どこのことか? シオニストからすればパレスチナ人は民でも人でもないらしい。その命も軽いはずだ。
 
 日本では、一人の少女を救うために大勢の人々が5億3千万もの浄財を寄付してくれた。一つの命の尊さ重さを感じていればこそである。命の尊さを知る日本人の政府ならば、イスラエルに即刻停戦を強く呼びかけると同時にアメリカにも強く働きかけるべきではないのだろうか。何でもアメリカの施策に唯々諾々と追随しておればよいというものではない。正義人道に悖る行為を我々の国が公然と見逃すようなことをしてはならないと思うのである。日本の政治家はこういう時に国際舞台で堂々と正論を吐ける人であってほしい。パーティ券問題で汲々としているような御仁には退場していただきたいのである。

腎臓病だがどうしてもカレーが食べたくなった。野菜を思い切り増量して、一個のルーで二皿分の減塩カレーを作った。まあ、それなりに美味かった。満足。
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著しく正義に悖る

2023-07-10 06:29:42 | 政治・社会
 いわゆる「袴田事件」の再審公判において、検察側は有罪立証する方針であるらしい。本日(7/10)中にもその方針を再審公判が行われる静岡地裁に伝えられるものとみられている。

 この事件についてはいろんな人がその研究結果を発表しているが、それらを読む限りこれは冤罪以外のなにものでもないとしか思えない。なぜ袴田さんが事件の容疑者として浮かび上がったか? それは、元プロボクサーだったから。「ボクシングやるような粗野な奴だから‥‥」というイメージによる思い込み以外に、彼を犯人と決めつける要素は何もなかったのである。彼にとって有利な証拠をすべて避けるような不自然なストーリーがでっち上げられ、そのストーリーに沿って証言を誘導していった。そうとしか考えられない。そして唯一の決め手となる物証がなんと逮捕から約1年後にみそタンク内で見つかった「5点の衣類」で あった。しかし、それも今年の三月に東京高裁によって、逮捕後に捜査機関によって捏造された証拠の可能性が「極めて高い」と指摘されたのである。

 もはや有罪判決が出る見込みはあるはずもない。検察は一体どうやって有罪を立証するつもりなのか? 有罪立証へのモチベーションがどこから出てくるのかが外部のものには皆目分からない。「組織の惰性」というしかないようなものの仕業としか思えない。検察は半世紀以上も前の事件について新たな証拠を揚げることができるのか? 袴田さんはすでに87歳である。このままずるずると時間切れを狙っているとしたらそれは罪深いことである。
 
 もしねつ造した証拠によって無実の人を罪に陥れたなら、それは立派な犯罪である。半世紀以上に渡るその人の人生を奪うという、金品を奪うなどというのとは比べようもない重篤な犯罪である。2014年の静岡地裁による再審決定の際には次のような意見が付け加えられていた。
 《5点の衣類という最も重要な証拠が捜査機関によって捏造(ねつぞう)された疑いが相当程度ある。国家機関が無実の個人を陥れ、身体を拘束し続けたことになる》
 《拘置をこれ以上継続することは、耐えがたいほど正義に反する。一刻も早く身柄を解放すべきである》

 裁判所がここまで踏み込んだ意見を付け加えているのである。検察が裁判に負けることを恐れて、いたずらに審理を引き延ばそうとしているのならば、それは他人の人生を奪うという犯罪に加担しているのと同じであって、著しく正義に悖る行為であると言わねばならない。 2011年9月に最高検察庁が策定し公表した『検察の理念』なる文書がある。検察の使命と役割を明確にし、検察官が職務を遂行する際に指針とすべき基本的な心構えを示したものだが、その中に下記の一文が含まれている。

 ≪ あたかも常に有罪そのものを目的とし、より重い処罰の実現を成果と見なすかのごとき姿勢となってはならない。≫

このような自戒を規定しているにもかかわらず、依然として「有罪そのものを目的」としているかの如き姿勢が見受けられるのはなぜだろう。その動機の源泉となっているものを私は知りたい。

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日本・ハラスメント列島

2023-06-18 18:25:03 | 政治・社会
 有名な歌舞伎役者の一家心中が連日ニュースで取りざたされている。これまで行ってきたセクハラが週刊誌によって暴露されることを深刻に受け止めた結果、というようなことが噂されている。ことの真偽は外部のものにはなかなか分からないが、そういうことがあっても少しも不思議ではないと思っている。ハラスメントは社会のいたるところにはびこっているからである。

 私は長い間フリーランスで請負仕事をやって来た。大きなプロジェクトの下請けの下請けという最下流の仕事がほとんどである。その経験から学んだことの一つが、人は権力をふるいたがるということである。無教養な人ほどその傾向は強くなるが、どの人も自分を大きく見せたがるという欲求から逃れることはなかなか難しいことなのだと思う。私自身からしてそういう傾向の強い人間であるから、その辺のところはよく理解できるのである。ただ幸いなことに、私は大して能力のない人間なので他の人に対して優越的な立場になることはなかった。そのおかげで傲慢な人間にならなくて済んでいるだけのことである。だから、話題になっている歌舞伎役者も根はそんなに悪い人ではないと私は考えている。その人は週刊誌で自分の行為が報道されることになって自殺しようとしたと聞いている。つまり、ハラスメントはしてはならないことと知っている。自分のやったことは死ぬほど恥ずかしいと知っている訳である。そのようなまともな感覚を持つ人でも罠に陥る、隣近所の善良なおじさんやお兄ちゃんが戦地へ行けば殺人鬼や強姦魔になるのと同じことである。

 ハラスメントが人間の普遍的な性であるからと言って、ハラスメントをする側を弁護しようというのではない。加害者側がハラスメントによって得た快感の何百倍もの苦痛と屈辱を被害者は味わっているのである。ハラスメントは絶対に許してはならない。現代社会は個人の尊厳を前提として成り立っている。どの人も平等でなくてはならないはずである。ところが人間の本性は、人々の平等を前提とする現代社会の理念とは一致していない。悲しいことであるが、強い人間は威張りたがり、その周囲の人間はへつらいたがる、それが人間の性である。普通の社会人なら、そういう例を現実に見てきているはずである。「そんなことはない、私の周りにいる人はみんないい人ばかりです」という人は、とても恵まれた境遇の人であるか鈍い人であるかのどちらかなのだろう。

 ジャニーズの創業者であるジャニー喜多川氏による性被害問題が最近クローズアップされている。聞けば、この問題は数十年前から週刊誌ネタになっていて、1960年代には民事裁判においてもそれが事実であったことが認められている。しかし、なぜかこのことは大マスコミの間で問題として取り上げられることはなかった。当事者が亡くなって既に約4年が経過した今やっと大きな問題として取り上げられるようになった。それもそのきっかけはイギリスのBBCがドキュメントとしてこの問題について放映したからだという。淫靡でおぞましいハラスメントが行われていることを知りながら、何十年も新聞社やテレビ局は見ぬふりをしてきた、そのこと自体がスキャンダルではないのか? この問題については、どのテレビ局のキャスターも「我々の責任」と自戒の言葉を口にしている。が、おそらくそれは口先で言うだけで、この次同じことが起こっても同じことを繰り返すだろう。「責任」を口にするのなら、この問題について社内でどのような力学が働いたかを明確にし、個々人の当事者責任を明確にしなければならない。会社全体の過失を後から追認しただけでは、なんの責任を果たしたことにもならないのである。
 
 歌舞伎役者だろうが芸能プロデューサーであろうが、彼らは一人でハラスメントの怪物になるわけではない。必ずその周りには追従する取り巻きがいる。その追従が権力者の自我を拡大させてしまうのである。誰であっても権力者の意志に逆らうことは難しい。しかし、権力者の非道を目にしながら追従することは、自分もその非道に加担することと同じであることはわきまえておかなければならない。その行為に対して直接たしなめることが出来ないなら、せめて顔をしかめて不快の念をアピールすることぐらいのことをすべきではないだろうか。絶対に愛想笑いなどしてはならない。

逗子海岸 記事内容とは関係ありません。
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「政治家の判断はそれ自体が政治性を帯びている」(グレッグ・ダイク)

2023-03-26 11:10:15 | 政治・社会
昨日(3/25)のTBS報道特集において、報道の政治的公平性について元BBC会長のグレッグ・ダイク氏の言葉が紹介されていた。

 「あるニュースが政治的に公平であるかどうか、それを判断するのは誰か?」という問題について、ダイク氏は「その判断は政治家にはできない。なぜなら、政治家の判断はそれ自体が政治性を帯びていて、その結果その判断は政治的に偏っていると認識されるべきものである。」とという趣旨のこと述べている。
 
 このところ元総務大臣であった高市氏は、総務省の行政文書について「ねつ造である」と言ったことで国会内で窮地にさらされている。しかし、私はこの問題について少なからぬ苛立ちを感じているのである。もし、行政文書にねつ造があるのならそれはそれで大問題でもあるが、今問題にすべきことはそんなことではない。かつて、安倍氏や高市氏が放送法を根拠に報道に圧力を加えようとしたこと、その事こそが大問題なのだ。そもそも放送法の「政治的公平性」というのは戦時中の御用報道の反省から来るものであり、報道を政治的圧力から守るためのものである。それを安倍氏らは自分の気に入らない報道を規制する根拠にしようというのだから、発想が逆転している。高市氏に至っては放送局の「停波」にまで言及している。無知と無恥ゆえの思い上がりと言うしかないことであったが、それこそが問題にされなければならない事であった。

 サッカーの元イングランド代表のリネカー氏は、かつてJリーグに所属していたこともあって覚えている人も多いと思う。そのゲーリー・リネカー氏は現在BBCの人気サッカー番組「マッチ・オブ・ザ・デー」の司会を24年以上も務めている。ところが、かれがTwitterで亡命希望者に対する英政府の方針を批判したところ、BBCは公平性を掲げる局の立場として番組からの一時的な彼の降板を決定したのだ。 どうやら政府与党の圧力があったらしい。ところが、彼の降板の発表以降、BBCにはリネカー氏と共演する解説者や現役の選手などから出演拒否の申し出が殺到したのだ。他の2つのサッカー番組や一部のラジオ番組も、急きょ放送中止を余儀なくされてしまった。 この混乱を通じて、BBCのデイビー会長は13日の声明でリネカー氏の復帰を発表した。

 リネカー氏の復帰について、与党の保守党政治家はいまも批判的だが、グレッグ・ダイク氏はリネカー氏の「(サッカーにおける)「5-0」のような」勝利であると述べた。 私はダイク氏のような人にNHK会長になってもらいたいと思うが、今のところ、それはない物ねだりというものなのだろう。
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