禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

「海」 (長沢延子)

2021-09-20 05:01:02 | 読書感想文
 2,3カ月前の新聞の読書欄に、17歳で自死した天才詩人として長沢は紹介されていた。昭和24年6月に彼女は亡くなっている。私(御坊哲)が生まれたのはその年の10月である。生きていれば私をよく可愛がってくれた叔母と同い年である。なにか因縁めいたものを感じてこの本を読んでみる気になったのだが、正直に言うと、読み通すにはかなり苦痛が伴った。天才はなかなか理解しがたいものである。
 副題には「友よ私が死んだからとて」とある。彼女の書きためた詩と友人の高村瑛子さんに宛てた書簡を集めたものである。「私は死ぬために生まれてきた。」というように、彼女の文章のいたるところに死への意志がちりばめられている。形状のし難い「激しさ」と幼い理屈っぽさが同居していて、生硬さを感じさせる。文学者として未完成なのだろう、もっと長生きして成熟した作品を残して欲しかったと切に思う。

 私は生きていようと努力した。努力しながらいつもズルズルと死ぬことばかり考えていた。
 私が生きていられるために、私は私の魂を必然にしばりつけ、無形にしろ有形にしろ死への不可能性をを確実に私自身のものとしなければならなかった。そのためにはそのせいの必然、その死への不可能性を最も肉体的に具体的に生活そのものとして密接なものとしなければならなかったのだ。
 私こそこの激しいたたかいの中にあって誰よりも深く生を愛したのではないであろうか。しかし私という人間のこの弱みは生を愛すること以前のもので、到底この戦いは生きることのたたかいの範疇に入らないか。

 彼女の母親は彼女が4歳の時に亡くなっている。裕福な養家に引き取られ何不自由なく育てられたらしいが、このことが彼女の精神形成に影響を与えているのは間違いないだろう。それと、日本の敗戦は彼女が高等女学校3年生の時、彼女は15歳の時であった。もっとも多感な思春期と激動の時代が重なっている。このような状況が早熟な知性に安定もたらすはずがない。

 自分を規定する能力を持たぬ人間は、自己の生存をも否定しようとする正反対の必然性に足を取られるらしい。
              *
 死から離れようとしたたたかいの中では、死を自分と対等の立場に置くことによって強く死を意識しなければならない。
 
 理屈っぽく見える言葉遣いは実は全然論理的ではない。哲学的に言うなら、自分で自分を規定することなどできないし、「死を自分と対等の立場に置く」という表現は明らかにカテゴリーミスマッチだ。おそらく自分の中でうごめく情動を整理しきれていないのであろう。まだ17歳の少女であることに鑑みれば、それも仕方ないことだと思う。
しかし、次のような官能的な詩を書く女性でもある。

     乳 房
  白い乳房のひそやかにうずく
  初夏の胸寒い夜

  幼い指で若さをかぞえてみる
  ああ遠い荒原に足音がきこえ

  もたらされるものは
  甘いやさしい夢ではない
    (以下省略)
 
 正直言って、彼女の詩はあまり好きになれなかったが、彼女の作品の中で何度か出てくる、「お前めくらでぴっこの娘よ」というフレーズが、頭から離れなくなってしまった。もう少し長生きすれば大化けしたような気がする。

   (省略)
  敗走の群れは泉にかくれ
  私の水路を断ってしまったが
  ころがりまろびお前走り行く
  お前めくらでぴっこの娘

 一体彼女は何から逃れようとしていたのか、もし彼女が死なずに今生きていたとしたら、89歳の彼女にそのことを是非尋ねてみたいものだ。

彼女も歩いたであろう桐生の街角。この近辺に坂口安吾が住んでいたこともある。
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小林秀雄小論(中原中也)を読んで

2021-04-04 07:07:59 | 読書感想文
 中原中也の手による「小林秀雄小論」なるものがある。(原文はこちら==>「青空文庫・小林秀雄小論」) 私は自分でも中原のかなりのファンであることを自認しているが、この小論に関しては天才詩人の書いたお粗末な散文としか思えない。内容はまったく意味不明である。ただ小林秀雄に対する悪意だけが明瞭に読み取れる。
 小林は自分の恋人を寝取った男だから、憎いと思うのは当然だろう。しかし、文学者であるなら、自分の文章に対してはもっと誠実でなくてはならないように思う。小林秀雄を批判したいのならもっと率直に批判すれば良いのであって、ヴァニティがどうたらこうたら小理屈をこねるのは、子供の見え透いた負け惜しみにしか見えない。 この文章を、小林の「中原中也の思ひ出」とを比べると、どうしても中原の未熟さが際立っているように見える。もし私が長谷川泰子だったとしても、18歳の中原よりも23歳の小林の方を選んだのは、当然だったような気がする。
 分銅惇作による伝記「中原中也」には彼の交友関係について、次のように記されている。
≪ 中也ほど身勝手な詩人はいないであろう。彼は接触する相手が誰であろうと、学ぶものは学んだうえで、自己流の切り捨て方をする。相手の弱点を看破すると、小気味よく裁断する。それは時に意地悪く、独善的であって、彼の友人たちはいちように不快な被害者意識に悩まされることになる。≫
 同じ伝記には、河上徹太郎の言葉として「中原中也その三巻の全集だけ精読して、理解している人があれば羨む。」と述べたとある。そうであれば、純粋に中原中也を愛することができるから、という意味だろう。とにかく、彼の友人(というより文学仲間と言うべきか)による彼の評は総じて芳しくない。小林秀雄が長谷川泰子から逃れるように出奔した際の中原のはしゃぎようについて、大岡昇平は次のように表現している。
≪中原の浮き浮きした様子は小林の行方と泰子の将来を心配してゐる人間のそれではなかつた。もめごとで走り廻るのを喜んでゐるおたんこなすの顔であつた。

 彼の周囲から、彼の文学的才能以外について、彼を好意的に評価する声が聞こえてこない。年少でありながら、とにかく口が達者で他人を言い負かしては、相手をへきえきさせる、そういった人物像だけが浮き上がってくる。それでも仲間から見放されなかったのは、彼の才能が本物だったからだろう。彼が30歳の若さで夭逝したことは何とも残念なことである。適うことなら、成熟した中原中也を見たかったと切に思う。

鎌倉・寿福寺隧道 中原の終の棲家は寿福寺境内の借家であった。彼もこの隧道を何度もくぐったに違いない。
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「少年時代」と「長い道」

2019-12-14 05:10:17 | 読書感想文
 井上陽水の「少年時代」が篠田正弘監督の同名の映画作品の主題歌であることは多くの人に知られている。また、その映画も藤子不二雄A氏による同名のマンガ作品をもとにつくられたことも、年配のマンガファンならご存じだろう。しかし、その藤子不二雄Aの「少年時代」の原作が柏原兵三による「長い道」であることを知っている人は少ないのではないかと思う。

 映画もマンガも素晴らしい作品だったが、やはりそれは原作の良さに支えられている。

 子供が純真で素朴であるというのは大人の思い込みに過ぎない。大人の目の届かない子供の世界は、一種の野生状態であり力と駆け引きがもの言う世界である。いじめ事件関連のニュースが報道されるたびに、「昔はこんな陰湿ないじめはなかったね」と言っているお父さんやお母さんには特に読んでもらいたいと思う。いじめが陰湿なのは周囲から見えないからである。ある意味、いじめはいじめられている本人の中にしかないと言えるかもしれない。いじめている本人からも周りの人間からも単にじゃれあっているように見えても、はかり知れない屈辱をいじめられている側は受け取っている場合があるからである。

 もしかしたら、それは本当に犬や猫がじゃれあっているのと同じ性質のものかもしれないのだ。人というのは所詮思い通りには生きていけない。子供の世界というのは、他者との緊張関係の中で、互いの力を推し量り合い牽制しながら、身の処し方を学ぶところなのだろう。その中でいじめは必然的に発生する。教育現場で事件が発生するたびに、関係者の「いじめはなかったと信じる」みたいな発言をよく耳にする。「なかったと信じる」では教育者として失格である。いじめは先ずあるという前提で臨むべきだ。

 100%平等でみんな仲良しな学校生活が可能などという幻想を抱いていると、「私どものところにいじめはありません」という小役人的な物言いになってしまう。
いじめは根絶できない。人間は不条理な生き物だからである。いじめいじめられながら、生きていくのはある意味「当然」なのだ。悲しいことだが、それが事実である。

「長い道」は作者の疎開という実体験によるものだという。凄絶ないじめを体験しながらも、その少年時代をある種の懐かしさのようなものにまで昇華させた(と、私は読んだ)傑作である。是非多くの人々に読んでもらいたいと願う。
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超越と実存(南直哉)

2018-11-02 14:48:22 | 読書感想文

南直哉さんは思想を仏教と仏教以外にまず大別する。それらを区別するためのキーワードが超越である。超越とは我々の経験や認識の範囲を超えるもののことを言う。例えば一神教の神様のようなものである。実存というのは規定するのは難しい。とりあえず、今感じている生身の感覚としておこう。

仏教は実存的な視点から世界を眺めることから始まる。そこに超越的なものを容れなければ、すべてのものに根拠がないことに気がつく。それが無常である。それを無常というのは定まった形がないからである。不断に流動しており、何かの形でとどまるということがない。常に過渡的かつ不完全で偶然的であるということが無常であるということである。

西洋には、世界は神が創り給うたものという思い込みが抜きがたくあり、したがってこの世界のすみずみまで神の理性が行き渡っていると考えられている。つまり、この世界は神の意図する超越的原理によって支配されているということなのだが、それを信じることができれば楽である。神の意図するところが真理であり善であるのだから、人はそれに従っていけばよいのである。

仏教徒はなかなかそういう訳にはいかない。目の前に無常が横たわっているが、その根拠は分からない。なすすすべもなく実存の不安におびえていなくてはならないのか? 仏教はそこで、その不安はその「実存」を実体視することからくるのだと説く。単なる関係性に過ぎないものを実体視しすることを無明と言い、それに執着することを煩悩というのである。実存を実体視する根拠は内在していないのだから、それは超越的に導入されたものに違いないと考えるべきである。すなわち無我であるということである。無我であることを知り、人は執着から解き放たれるというのが仏教の趣旨であろう。

人は「なんであれものごとにはそうである理由がある」という充足理由率という原理に支配されがちである。しかし、それも超越的な原理に過ぎない。超越を排除するということは、そもそも実存の根拠を問う理由がないということである。無常をそのまま受け入れる、そのような諦観に到達することが釈尊の説くところであろう。

以上のようなことを念頭に置いておけば、南師のいうところはすんなり腑に落ちる。南氏は「超越を排除」するという原則を貫くことによって、現職の僧侶としてはかなりラディカルなことを言ってのけている。この原則に照らすと、現在の日本の仏教というのはほとんどが釈尊の意図するところからは逸脱していることになってしまうからである。その徹底ぶりが小気味よい。まさに、「仏に逢うては仏を殺せ」と言うが、禅僧の面目躍如たるものがある。

第9章の「親鸞と道元の挑戦」における親鸞に関する論考は私個人にとっては最も興味深いものだった。末橙抄の自然法爾章の「弥陀仏は自然のやうをしらせん料なり。」を含む一節を引いて、親鸞が既に阿弥陀信仰から実質的に逸脱していることを述べている。素朴に考えればその通りなのだが、真宗教団が聞けば目をむくようなことを現職の僧侶が指摘する、これはなかなかインパクトのあることである。

最後に一つだけ注文をつけておきたい。163頁において、無門関第一則の「趙州無字」の「無」について「中国禅が老荘思想を背景に案出した、独自の超越的理念である。」と断じているが、いささか勇み足ではないかと思う。それでは禅門で最重要とされている公案が無意味なものになってしまう。私見では「無」は超越的理念などではありえない。哲学的に表現すると、それは「存在者ではない」ということそのことを指す。一般に、「世界は有る」とか「自分は有る」とか信じられているが、実はそれらは「金がある」とか「机の上にリンゴが有る」とかいう意味の「有る」とは同じ意味ではない。金が無かったり、リンゴが無かったりすることは考えられるが、世界が無かったり自分が無かったりすることは想定できない。

つまり、「世界」も「自分」も哲学用語でいうところの存在者ではないということなのだ、それは所与なのである。なぜか、この世界は私の世界として開けている。常にそうなのである。そうでないことは考えられない。そのこと自体を「無」という言葉で表現しているのである。決して特殊な心理状態や超越的理念などではない。映画で言えばスクリーンのようなものである。映画の中にスクリーンは登場しない、いわば「無」であるが、映画はその「無」の上に展開されるのである。

自分自身がなんであるか、肉体や感覚などの対象化できるものをすべて除外していったその先に到達するのが「無」である。そんなものあり得ないと言ってしまったら、この世界が私の世界として開けている、ということはなかったはずである。それは有るとも無いとも言えないが、とりあえず所与であると言っておこう。

美ヶ原にて (本文とは関係ありません)

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「日本とは何か」網野善彦

2017-08-19 10:48:40 | 読書感想文

われわれ日本人の多くは、「日本」というものが自然に成立しているというようなイメージをもっているのではなかろうか。もしかしたら、まだ日本列島に人が住んでいないようなときから、「日本は日本だった」ような感覚をもっているのではなかろうか。ヨーロッパのように頻繁に国境の変化があった国々とは国というものに対する認識が根本から違うような気がする。

しかし、この世界に固定的なものは一つもない。「日本」も自然にある地名ではなく、特定の時点で特定の意味を込めて、特定の人々の定めた国家の名前なのである。歴史を俯瞰するにはそのようなダイナミックな視点をもつ必要があることを、網野先生のこの名著は教えてくれる。以下に引用する。

≪ また「倭人」と呼ばれた人々は済州島・朝鮮半島南部にもいたとみられるが、新羅王国成立後、朝鮮半島の「倭人」は新羅人となっていった。このように「倭人」と「日本人」とが同一視できないことを、われわれは明確に確認しておく必要がある。
 ここで再三の繰り返しになるが、あらためて強調しておきたいのは、「日本人」という語は日本国の国政の下にある人間集団を指す言葉であり、この言葉の意味はそれ以上でもそれ以下でもないということである。「日本」が地名ではなく、特定の時点で特定の意味を込めて、特定の人々の定めた国家の名前--国号である以上、これは当然のことと私は考える。それゆえ、日本国の成立・出現以前には、日本も日本人も存在せず、その国政の外にある人々は日本人ではない。「聖徳太子」とのちによばれた厩戸王子は「倭人」であり、日本人ではないのであり、日本国成立当初、東北中北部の人々、南九州人は日本人ではない。
 近代に入っても同様である。江戸時代までは日本人ではなかったアイヌ・琉球人は、明治政府によって強制的に日本人にされ、植民地になってからの台湾では台湾人、朝鮮半島では朝鮮人が、日本人となることを権力によって強要されたのである。≫ (87頁)

網野善彦著「日本とは何か」 誰にも薦めたい、文句なしの名著である。

コメント (2)
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