禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

他人をさしたる根拠もなく誹謗中傷する自由などない、ましてやそれが正義などということはない

2024-03-31 06:05:05 | いちゃもん
 昨夜のTBS「報道特集」を見て、「ああこれは物議をかもすにちがいない」と思った。既にご存じの方も多いかと思うが、イギリスのBBCのジャニーズ性加害問題第二弾における、東山紀之氏のインタビューの内容である。

 ジャニー喜多川氏による性被害を訴えた男性が誹謗中傷で自死した件についてその妻は、「旧ジャニーズ事務所が『虚偽のケースがある』と発表した後から誹謗中傷が増えた」とBBCの取材記者に訴えた。彼女によれば、殺害予告を受けたり、家族の情報をネット上にさらされたりもしたそうである。(旧ジャニーズ事務所の発した)メッセージが中傷を助長したのではないかという指摘に対して、東山氏は「僕はそのように感じていません。言論の自由もあると思うんですよね。ぼくは別に誹謗中傷を推奨しているわけではなくたぶんその人にとってはそれが正義なんだろうと‥」と答えている。
 
 東山さんは一流の芸能人である。子どもの頃から歌や踊りのレッスンに忙しくて、公教育を十分受けられなかったという事情は理解できる。しかし、ここで「言論の自由」とか「正義」はなかろうと思うのである。あまりと言えばあまりにお粗末な発言である。なまじ俳優であるために堂々とそれらしく喋っているので、その発言内容の空疎さが際立っている。
 
 性加害と言うのは大抵密室で起こる。100%の事実を求めるのは無理である。被害の申請が虚偽である可能性も十分にあり得る。そんなことは初めから分かっていることではなかったか。ことさら「虚偽の申請もある」などとアナウンスするのがおかしいのである。スマイルアップ側に求められる態度は、虚偽申請者を排除することよりも被害を被った人々をもれなく救済することの方に軸足を置くことべきだろう。
 
 さらに記者から(ジャニー氏以外の)別の2人のスタッフ(そのうちの一人は東山氏のマネジャー)による性加害を指摘されると、東山社長はそれを認めたが、記者の「あなたたちから警察にその情報を提供すべきでは」という問いには、「法的なことを考えると僕らには権限がないと思いますので、その当事者の人たちがそれに対して刑事告訴したら僕らとしたら全面的に協力することにはなると思います。」 

 なぜここで「法的な‥‥権限がない」などという言葉が出てくるのだろう。性被害者救済のための責任者という彼の立場なら、法的権限はなくとも道義的義務があるのではないか? もっと言うなら、このことは性加害というれっきとした犯罪であり、普通の一市民としてでも積極的に警察に協力すべき性質の事柄である。
 
 どう考えても東山さんが自分の置かれたポストの社会的責任を認識しているとは思えない。俳優だからそれらしく振舞うことは出来る、しかし中身が備わっていないというかあまりにもお粗末すぎて話にならない。こんなものが世界中に配信されてると思うと日本人としてとても恥ずかしい思いがする。
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大谷声明の衝撃と必ずしも楽観的ではない今後の推移

2024-03-26 09:54:05 | 雑感
 先ほど水原氏の賭博問題に関する大谷選手の声明を聞いたが、その内容に驚いている。それによれば、水原氏が大谷のあずかり知らぬところで彼の金を盗んだということになり、れっきとした窃盗である。しかも、大谷に対してはすぐばれてしまうような大ウソをついていたことになる。

 おそらく、日本人の多くは彼の釈明を聞いて胸をなでおろしたことだろう。彼が賭博にも違法な送金にもかかわっていないことがこれではっきりしたのだから。私もその一人である。私はてっきり彼が水原氏を助けるために借金の肩代わりをして上げたのだと思っていたのだが、あらためて彼自身の口から事実はそうではないということを聞いて安堵した。だが、客観的な事実を並べていくと彼の言い分は必ずしも受け入れやすい話ではない。それでも私が大谷のいうことを信じることができるのは、多分同じ日本人だからだろう。同じ文化的背景をもち同じ言葉を話す私たちは、これまでの大谷の野球に対するひたむきな態度や言動に触れてきて、彼が話す時の態度や表情から彼が嘘偽りを言っているのではないということを信じることができるのである。

 しかし、アメリカはご存じの様に多民族国家であり、日本人同士の腹芸などというものは到底通用しない社会である。特に、一介の通訳に過ぎない水原氏が彼の口座にどうしてアクセスできたのかということが最大の問題である。しかもその口座から大金が動かされたことにも当の本人が気づかない。普通はあり得ない話である。いずれこの件については詳しい弁明を迫られることになるだろう。Yahooアメリカでもこのニュースは流されているが、早速一般読者からはネガティブなコメントが山のように寄せられている。その中の数例をとりあげてみよう。

「大谷が通訳を通じてスポーツ賭博をしていたとしても驚かない。自分の銀行口座から450万ドルが引き出されたことを、彼が知らないわけがない。真実はいずれ明らかになるだろう。」

「大谷の弁護士が最初の通訳面接の後に扇動し、通訳が🎤に戻って180度変わった、大きな隠蔽工作を感じる。大谷はこの件に関して、ある意味汚い。」

「ピート・ローズにその質問をすれば、喜んでアドバイスをくれるだろう。」
 
ざっとこんな調子である。日本では大谷のニュースには礼賛的なコメントがほとんどで、否定的なものほとんどないが、かの地では普段でも肯定的なコメントは少なくネガティブなものの方が多いのだが、今回の件ではもうほとんどが非難の嵐状態である。これには多少人種差別的な要素があるだろう。大谷が英語で話さないということも一つの要因かも知れない。いずれにしろ、さらに詳しい事情説明は必要だと思う。

 3月23日の記事で私は「大谷は親しい友人と有能な通訳を同時に失ってしまった 」と述べたが、今日の会見で水原氏は初めから友人ではなかったということが分かってしまった。友人を窮地に追いやっておきながら、それを糊塗するためにすぐ分かるようなその場限りの嘘をつく、そんな友人は友人ではない。
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経過は順調だが‥‥

2024-03-24 20:22:39 | 闘病日記
(今回は病気の話です。多分面白くないと思います。腎臓が丈夫な方にはこの記事をスルーすることをお勧めします。)

 先週14日が今年2回目の受診日でした。尿中蛋白はほぼ正常値となり、血中アルブミンも少しずつ改善して正常値まであと一息です。なので毎日のステロイド投与量も 2.5mg 減らしてもらって 12.5mg となりました。

 
 検査結果から見ればすべては順調に推移しているのですが、気にかかることが2点あります。その一つはステロイドのの副作用です。上記の表を見てもらえばわかりますが、ステロイドの摂取量はだんだん少なくなっていますが、副作用の方はむしろ顕著になっているという実感があります。ネフローゼ症候群というのは、タンパクが尿から漏れ出すので血中アルブミン濃度が薄くなる、そうすると浸透圧の関係で血液中の水分が血管外に漏れ出してそれが浮腫みになるという、そういう病気です。なので血中アルブミンが増えてくれば浮腫みも改善されるはずなのですが、私の場合は足の甲やほっぺたなど特定の部分が腫れて来てむしろひどくなっているような気がするのです。
 
 ステロイド剤はあらゆる炎症に効くと言われる薬ですが、それだけに副作用も多くそれを抑えるためにいろんな薬を合わせて併用します。ところがそれぞれの薬にも副作用があるわけで、その時々の体調によってさまざまな症状が出ます。塩分が滞留して急に体重が増えたり、逆に急に体重が減りだしたり、やたら内出血しやすくなったり、手が急に硬直したり、今まで経験しなかったようなことが次々と起こります。中には、毎年冬になると悩まされていた乾燥肌の悩みがなくなったというような好ましい副作用や、とにかく御飯が美味すぎて食べだすと止まらないというような悩ましい副作用もあります。というような具合で、最近は少し薬の副作用に翻弄されているような感があります。

 もう一つの懸念は、このステロイドと何時決別できるのか?  ということです。受信日の検査結果が良好であればステロイドの服用量を減らしてもらえるのですが、今回は 2.5mg の減量です。受診は8週間に一度ですので毎回 2.5mg 減らしていっても、12.5mg がゼロになるにはあと5回はかかります。しかも、ステロイドの摂取量が少なくなればなるほどその減量幅も小さくしなければならないらしいので、順調にいってあと1年以上はかかります。

 もう少しこの副作用と付き合っていくしかなさそうです。
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大谷は自分の口で真実を語る方がよい

2024-03-23 05:20:13 | 雑感
 MLBの大谷選手の通訳である水原氏がドジャーズから解雇された。その解雇理由がとても分かりにくい。「大谷選手の金を盗んだ。」と言っているようだが、どうも歯切れが悪いと言うか、説明が全然整合的でない。それよりは、開幕第一戦の後に水原氏が自ら告白した内容の方が自然で筋か通っている。つまり、水原氏が悪質なギャンブル詐欺に引っかかって莫大な借金を背負ってしまい、こわもての兄さんに返済を迫られて大谷に泣きついた。泣きつかれた大谷は仕方なく借金の肩代わりをして上げた。そういう話だろう。
 大谷としては善意で水谷氏を助けてあげただけの話だ。その話を聞いた球団関係者は目をむいた筈だ。大谷は善意のつもりでも、振り込んだ金は不正な取引による不正な金である。それを自らの手で振り込んだとなると、大谷自身がその不正取引の中の当事者になってしまう。ことは選手生命にかかわる重大な問題である。
 450万ドルと言えば人の一生を左右するような大金である。普通なら、誰にも相談せずにこっそりとすませてしまえる性格の話ではない。しかし、野球ばっかりやって来た純粋な若者には有り余る金をもっていたし、親しい友人の為にことを穏便に済ませたかったので、つい親切心で「今度だけですよ」と言いながら送金してしまったのだろう。

 これまでの大谷選手の言動から判断して、それはあくまで友人に対する純粋な親切心から出たことだと私個人は信じている。問題はそんな言い分がアメリカの法廷で通用するかどうかだろう。トジャーズ球団は何が何でも大谷の知らぬところで事が運んだということにしたいようだが、それは針の穴をラクダにくぐらせるような話である。そのような筋道の中で大谷に何を語らせようというのか、それともこれから後ずっと口をつぐんだままにさせようというのか? 私は大谷の一ファンとして、大谷自ら正直に本当の事情を語って欲しいと思う。大谷にはこれからもずっと大谷らしい大谷であってほしい。それは MVP やホームラン王をとることよりも重要なことである。

 この後事態はどのような展開を見せるか予断は許さないが、大谷は親しい友人と有能な通訳を同時に失ってしまったということだけは間違いない。
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「進化する」と言うが、いったい何が進化しているのか?

2024-03-12 16:38:24 | 哲学
 ダーウィンの進化論は自然科学において、ニュートンの万有引力の法則と並んで最も重要な発見であるとされている。思想史的に見ても、私達の世界観にこれほど大きな衝撃を与えた学説は他にないと言ってもよいのではないかと思う。ところが、未だに「猿が人間に進化した」とか「キリンは高い枝の葉っぱが食べられるよう首が長くなった」式の説明が堂々とまかり通っている。
多分「進化」という言葉がいけないのだと思う。進化という言葉を使うのなら、進化する主体というものががなければならないはず。しかし、そんなものはないのである。下の図を見て欲しい。この絵を見ると、まるで猿が人間に変化していくように見える。
 しかし、そうではないのである。この図の中に変化などしているものはない。ここに描かれているものは一つひとつがそれぞれ別個の個体であり、猿として生まれたものは一生を猿として過ごしそして猿として死ぬ、ただそれだけである。ただ、その猿から生まれる子供は全く親と同一ということはなく、いろんな変異が生じる。その変異が環境に適合しておれば、その子はまた子孫を残す。ただそれだけのことである。決して、変異する主体というものがあるわけではない。上の図は、無数に枝分かれしていった個体群の一部を恣意的に選び出して(※注)プロットしたものに過ぎない。進化論というのはかいつまんで言うと「あるべきようにあり、なるべきようになった。」と、実に当たり前でニヒルなことを述べているに過ぎない。
 
 「キリンは高い枝の葉っぱが食べられるよう首が長くなった」と言うと、高い所に届くように首を長くしようという意志がどこかに存在したかのように響く。繰り返して何度も言うが、決してそのような意志というものはない。私たちは言葉で「進化する」と言ってしまえば、反射的に主体となる「何か」が進化すると錯覚してしまうのだ。そして「進化」という言葉には進歩とか前進のようになにか目標のある運動のようなニュアンスがある。それで、ついつい進化論を目的論的に解釈してしまいたくなるのである。自然科学の学説の内容は単なる事実であり、われわれの価値観とは本来別次元のものである。しかし、つい淘汰を免れて生存競争に打ち勝つことが価値あることのように錯覚してしまう。その結果として優生思想のような歪んだものの見方が生まれてくるのである。ヒトラーは美しくて健康なドイツ民族を作るために本気で優生学を採用した。その結果、戦争遂行上国家にとって役に立たない障害者や重度の病人を安楽死させるというT4作戦までやってのけたのである。(==> 「優生思想と向き合う」)

 私自身が、もし頭が良くて男前でスポーツ万能に生まれていたなら、私はそれを嬉しく思い、また価値あることだとも思うだろう。だからと言って、私はそのように生まれてくるべきであったなどとは考えない。すでに一個の人間として生まれてきた私の尊厳はそういうこととは無関係なのである。そこのところは絶対に勘違いしてはならない。
 
(※注) 「恣意的に選び出して」という表現は少し言い過ぎかもしれない。現在生存しているものからその親を遡って古い順から並べれば当該図のようになるからである。しかし、それはあくまで終点をあらかじめ固定しておいて時間を逆に遡っていけばの話である。あくまで時間に沿って順に追っていけば、無数に枝分かれした系統の中のたった一つの系統でしかないことがよく分かるはず、そういう意味であえて「恣意的」と記述した。
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